ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、寺社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

  池上彰&佐藤優『日本左翼史』シリーズを読む

● 本:『真説 日本左翼史』(池上彰、佐藤優共著)

2021年講談社現代新書

 左翼の歴史について大まかなところを学びたいなあと思っていたら、恰好な本が出た。
 『宗教の現在地 資本主義、暴力、生命、国家』(角川新書)で相性の良さを証明した池上&佐藤の博学コンビによる戦後左派(1945-1960)についての対談である。

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 今回も、池上の見事な手綱さばきに身をまかせるかたちで、青春時代に日本社会党を支える日本社会主義青年同盟(社青同)に属し、その後外務官僚となってロシア外交の主任分析官として活躍した佐藤優が、広い見聞と鋭い分析をもとにトリビアな知識もたっぷり、日本左翼史を概観する。
 佐藤の話が脱線したり拡散しそうなところで池上が本流に戻し、そこまでに出てきた概念を整理し、前後の脈絡をつけて、一つの歴史に編み上げていく。
 テレビ現場で鍛えた池上の編集力はさすがというほかない。
 「説」ではなく「説」と銘打っているところに、二人の自信のほどが伺える。

 革マル派、中核派、新左翼、セクト、ブント、樺美智子、重信房子、よど号ハイジャック、浅沼稲次郎刺殺・・・・・。

 折に触れていろいろなところで見聞きしてきたこれらの単語が、いったいどういった意味を持つのか、どういう影響を日本社会にもたらしたのか、ソルティはよく知らなかったし、率直に言ってあまり興味もなかった。
 戦後の左翼運動に一つの決着をつけたと言われる1972年の連合赤軍あさま山荘事件の時はまだ物の道理も分からない子供であったし、大学に入学してキャンパスの片隅で拡声器を手に演説やビラ巻きをしている活動家を見たときは“時代遅れ感”しか覚えなかった。別の一角で勧誘活動していた原理研(統一教会の学生組織)との区別もつかなかった。
 ソルティは他の多くの同世代同様に、ノンポリだったのである。

 その後、1989年のベルリンの壁崩壊や東欧諸国の民主化、とどめに91年のソ連消滅があって、「社会主義は終わった」という実感を持った。
 多くの日本人がそうであったろう。

 といって、「資本主義の勝利」とか「資本主義こそ正しい」と単純に思ったわけではない。
 利益追求、弱肉強食の資本主義は、何の規制も倫理もなければ、格差の増大や環境破壊や弱者の人権蹂躙などのゆゆしき問題を生むのは目に見えている。
 対抗概念としての社会主義が終わった今、「世界はどうなってしまうんだろう?」という懸念を持った。
 そのあたりから(30歳前後)ソルティは左傾化し、市民活動や人権支援などの運動に関わり始めたのである。

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ベルリンの壁


 本対談を通じて、日本の近現代史を「左派の視点」から捉え直す作業をしようと思った理由として、佐藤は次のように語っている。

佐藤 まず一つ目の理由として、私は「左翼の時代」がまもなく到来し、その際には「左派から見た歴史観」が激動の時代を生き抜くための道標の役割を果たすはずだと考えているからです。

 格差や貧困といった社会矛盾の深刻化(とくにコロナ以降)、アメリカに典型的にみられる民主主義の機能不全、北朝鮮や中国との戦争の危機・・・・。
 こうした脅威に対処するには、「格差の是正、貧困の解消、反戦平和、戦力の保持」といった問題で議論を積み重ねてきた左翼の論点が重要となるというのである。

佐藤 第二の理由は、左翼というものを理解していないと、今の日本共産党の思想や動向を正しく解釈できず、彼らの思想に取り込まれる危険があるということです。

 そう、今や旧社会党の末裔たる社民党は風前の灯火、一度は政権を奪った民主党の衣鉢を受け継ぐ立憲民主党も前回の選挙では票が伸びず、党首交代の憂き目を見ている。
 左派野党では共産党だけが元気なようで、昨今では格差社会に憤る若者の支持も増えていると聞く。
 ソルティも実は前回の比例区では共産党に入れたのだが、別に共産党を支持しているわけでも社会主義や共産主義を信奉しているわけでもない。
 右傾化(とくに安倍元首相周辺)の重しが増えて天秤のバランスが悪くなるのを防ぐために、反対側の皿に重しを置いているのだ。(たぶん、今のソルティの政治的位置は、左翼席の一番右あたりだろう。本書によれば「右派左翼=社会民主主義者」か)
 ソ連崩壊後の、かつ今の中国の実態を目の前にしての、日本共産党の位置づけというのがソルティには正直良く分からない。 

 実を言えば、共産党と旧社会党の区別も関係性もよく分かっていなかった。
 共産党が一番左、その右隣が旧社会党となんとなく思っていたのだが――というのも社会主義は共産主義に至る前段階と学校で習っていたから――本書によればそう事は単純ではないらしく、共産党より社会党のほうが過激な時代もあったという。(新左翼と言われる革マル派や中核派は、共産党より社会党左派とシンパシー感じていたとか)
  
 本書の帯には「左翼の歴史は日本の近現代史そのものである」と書いてある。
 戦後の日本人が出発点において、「もう二度と戦争はごめんだ!」、「国家主義や全体主義はいやだ!」、「飢えはもうたくさんだ!」というところから始まったことを思えば、大衆の中で社会主義に期待する声が高まったのも十分うなづける。
 ソ連の失敗はまだ表沙汰になっていなかったし、現在の中国や北朝鮮のありさまなど想像できるわけなかったろうし・・・・。
 日本の近現代の政体は、左に触れていた針がだんだんと中心に戻って、中心を過ぎて右に傾いてきた――っていう感じだろうか。

 それにしても、平和と平等の理想社会を目指した社会主義者や共産主義者たちが、思想や手段の違いから内部分裂を繰り返し、互いを批判し、内ゲバに至るありさまを読んでいると、結局、男というものは「自分のほうが上だ」のマウンティング体質から抜けきれないのだなあ、と慨嘆せざるをえない。
 猿山の猿か。
 これには右も左も関係ない。
 思想や理念の前にジェンダーの問題だ。

 日本でほぼ死語になっている社会主義(socialism)という言葉が、ヨーロッパのみならず伝統的に社会主義に対する抵抗感の強い米国においても、最近、頻繁に用いられるようになっている。日本でも近未来に社会主義の価値が、肯定的文脈で見直されることになると思う。
 その際に重要なのは、歴史に学び、過去の過ちを繰り返さないように努力することだ。日本における社会主義の歴史を捉える場合、共産党、社会党、新左翼の全体に目配りをして、その功罪を明らかにすることが重要だと私は考えている。
(佐藤優による「おわりに」より)

 次の対談では、学園紛争、70年安保闘争、あさま山荘事件などが語られる予定。
 発行が楽しみ。




おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● ゲバゲバ、ぱぱや! 本:『激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972』(池上彰、佐藤優共著)

2021年講談社現代新書

 前著も面白かったが、今回はそれを上回る面白さと満足感があった。
 一気読みした。 
 
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 面白さの理由は、やはり新左翼の登場。
 ソ連や中国の顔色をうかがい右顧左眄し官僚化した共産党――その様子は大島渚監督『日本の夜と霧』に描かれている――と、学生や労働者らの支持を集めるも平和革命絶対主義を崩さない社会党。そこに颯爽と登場した新たなるエースが新左翼であった。
 この切れる頭と勇猛果敢な精神と抜群の行動力をもつ若きエースが、社会党左派の大人たちの贔屓にあずかり、あり余るエネルギーと時間を持つ全国の学生たちの支持を集め、ベトナム戦争や日米安保延長に反対する世論の波に後押しされて、いっときは檜舞台に躍り出て時代の寵児と輝くも、思想や運動方針の違いからセクト化し、革マル派V.S.中核派に象徴されるように互いに憎み合い暴力団まがいの抗争(内ゲバ)を繰り返すようになり、市民を巻き添えにするゲリラ戦を行い、一転、党や世論に見放され、一般学生が離反し、孤立化していく。
 その先に待っていたのは、連合赤軍による「よど号ハイジャック事件(70年3月)」や「あさま山荘事件(72年2月)」といった世を震撼とさせる残虐非道であった。
 もはや、「世界平和と平等のための共産主義革命」といった文句が、「ポア(殺人)によって相手の魂を浄化させる」というオウム真理教の犯行動機さながらの狂言としか聞こえない。

 一方で、見ようによっては、新左翼は、ずるがしこく保身能力に長けた世間や大人たちに振り回された、純粋で理想主義の若者たちの悲劇という感がしないでもない。
 そこが、映画『アラビアのロレンス』のような栄光と挫折と破滅のドラマを思わせるのである。

 面白さのもう一つは、これまでソルティがあちこちで読んだり聞きかじったりしていた、あるいは記憶の底に埋もれていたこの時代(1960-72)の様々な固有名詞――人名、地名、事件名、流行歌、国際指名手配の写真、社会現象、世界のニュースなど――が、パズルのピースが埋まっていくように一つの絵となり、全体像が浮かび上がってくる快感があったからである。

 一例であるが、ソルティが小学一年の時に『老人と子供のポルカ』(1970年)という歌が流行った。
 左卜全という名の人の良さそうなヨボヨボのお爺さん俳優が、小さな子供たちに囲まれて、やや調子っぱずれなふうに、「やめてけ~れ、ゲバゲバ」と歌う。
 軽快なリズムで歌詞もメロディも覚えやすかったので、幼いソルティは意味も分からずよく口ずさんでいた。
 当時、大橋巨泉と前田武彦の『ゲバゲバ90分』というバラエティ番組が大人気で、火曜の夜にはいつも家族で観ていた。ナンセンスなショートコントやギャグ満載で、今思い返しても質の高いセンスのいい番組であった。
 ソルティは、左卜全と子供たちが『なぜ「ゲバゲバ90分」をそんなに嫌うのだろう?あんなに面白いのに・・・』と幼心に不思議に思ったのである。
 長じてから、ゲバとはゲバルト(ドイツ語 Gewalt 暴力)の略で、ヘルメットをかぶり角材を手にした若者たちのやっていた実力闘争のことだと知り、「左卜全は暴力反対を訴えていたのだ」と知るわけだが、問題はこの曲が発売されヒットした70年という年の意味である。
 1965年に慶応義塾大学から始まった学園紛争が他大学にも広がって、全共闘が結成され、東大闘争や日大闘争(日大の体質ってほんと今も変わっていない!)へと発展していく。と同時に、北爆によって残虐化していったベトナム戦争や70年の日米安保延長に向けて反対世論が高まっていく。
 このあたりは新左翼にとって追い風だった。
 それが69年1月に東大安田講堂が陥落、70年6月に安保条約は自動延長される。
 70年という年は、世間が「もうゲバはいい加減にしてくれ」と新左翼や学生運動家に対して最後通牒を突き付けた頃合いだったのだろう。
 それが「左」という名の76歳の明治生まれのお爺さんの口を借りてだったというのが面白い。
 この世間の声を無視して突き進んだ結果、新左翼は修羅へと転落していった。
 ちなみに、三島由紀夫の自決(自分に対するゲバルト)も70年11月である。

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高知県宿毛市名物・だるま夕日
(令和4年元日友人撮影)


 これら新左翼の運動とその後の日本社会への影響について、佐藤と池上はこう総括(という言葉も左翼用語であるが)している。

●佐藤の言 

 新左翼の本質はロマン主義であるがゆえに、多くの者にとって運動に加わる入り口となったのは、実は思想性などなにもない、単純な正義感や義侠心でした。そのために大学内の人間関係などを軸にした親分・子分関係に引きずられて任侠団体的になり、最後は暴力団の抗争に近づいていった。

 理想だけでは世の中は動かないし、理屈だけで割り切ることもできない。人間には理屈で割り切れないドロドロした部分が絶対にあるのに、それらすべて捨象しても社会は構築しうると考えてしまうこと、そしてその不完全さを自覚できないことが左翼の弱さの根本部分だと思うのです。

 正義感と知的能力に優れた多くの若者たちが必死に取り組んだけれど、その結果として彼らは相互に殺し合い、生き残った者の大半も人生を棒に振った。だから彼らと同形態の異議申し立て運動は今後決して繰り返してはいけない、ということに尽きると思います。

●池上の言
 日本人を「総ノンポリ」化してしまった面は間違いなくあったでしょうね。若い人が政治に口出すことや、政治参加することに対して大変危険なことだというイメージを多くの人が持つようになってしまった。

 80年代初期、ソルティが大学キャンパスの片隅で見かけた二つの勧誘団体――新左翼の残党と原理研。
 頭はいいが孤独で純粋でノンポリな若者たちを惹きつけたのは、いまや後者だったのである。 
 


おすすめ度 :★★★★

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● 本:『漂流 日本左翼史 理想なき左派の混迷』(池上彰、佐藤優共著)


2022年講談社現代新書

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 池上、佐藤両氏による戦後『日本左翼史』シリーズの三巻目にして完結編。
 敗戦から新左翼の誕生まで(1945-1960)の『真説編』、日米安保闘争から連合赤軍あさま山荘事件まで(1960-1972)の『激動編』に次いで、本編では、新左翼の失墜、労働運動の高まりと衰退、大量消費社会の到来、そしてソ連の崩壊と冷戦終結がもたらした左派陣営への打撃と現在まで続くその余波、が語られている。

 ソルティが小学校高学年くらいからの話なので、まさにリアルタイムで見て生きてきた日本なのだが、やはり知らないことが多かった。
 子供の頃、ストライキという言葉が頻繁に飛びかって、それになると会社員だった父親がなぜか仕事を休んで家にいたので、「ストライキっていいなあ」と単純に思ったものだ。
 国鉄のストライキ(順法闘争)――当時公務員であった国鉄職員はストライキ権を持っていなかったので、法に違反しない形での労働停滞闘争をした――が原因で起こった1973年の上尾駅事件、首都圏国鉄暴動など今回はじめて知った。

 赤羽駅ホームにいた約1500人の乗客が勤労の順法闘争により下り列車に乗車できなくなったことに激怒し、電車停止中に運転士を引き摺り下ろして電車を破壊し始め、赤羽駅での列車運行がすべて停止してしまったのです。その影響が山手線など他の路線にも及んだことで、上野、新宿、渋谷、秋葉原、有楽町など合わせて38駅でも同時多発的に暴動が起きてしまいました。
 上野駅ではいつまで経っても電車が発車しないことに怒った乗客が列車に投石して運転士を引き摺り下ろし、改札事務室や切符売り場を破壊。危険を感じた職員たちが逃げ出し無人状態となった駅で放火騒ぎが起きました。(池上による「首都圏国鉄暴動」の解説)

 日本人、熱かったなあ~。
 というより、今ならそこまでして会社に行こうとは思わないだろう。
 国鉄のストライキがある前の晩には多くのサラリーマンが会社に泊まり込んだため、都内の貸し布団屋が大繁盛したとか、まるで「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいな笑い話である。
 エコノミック・アニマルと言われ、愛社精神の強い当時の日本人ならでは、である。
 
 それで思い出したのだが、90年代初めにイタリア一周旅行したとき、南イタリアの小さな駅で列車が止まったまま、なかなか出発しない。
 発車時刻を1時間以上過ぎて、やっと車内放送があった。
 何を言っているかわからなかったので、同じコンパートメントの学生風のイタリア青年に片言の英語で尋ねてみたら、「ショーペロだ」と言う。
 ショーペロ?
 イタリア語でストライキのことであった。
 予告もなく急にストライキが始まって、そのまま乗客は立ち往生。
 でも、誰一人騒いだり、怒ったり、駅員に詰め寄ったりすることはなく、困っているふうにも見えない。「やれやれ」と言った風情で、オレンジなど食べている。
 なんて暢気な国民性だ!と感心した。
 結局、3時間待っても列車は動きださず、その街に泊まるはめになった。
 アンコーナという街だった。
 ドーモ(教会)のある丘から見た夕焼けは、生涯見た最も美しい景色の一つであった。

イタリアの夕焼け


 副題にある通り、現在の左翼は「理想なき混迷」にある。
 マルクス主義に則った「プロレタリア革命による共産主義社会の設立」という夢の残滓に漂っている。
 池上はこう述べる。
 
現在の左翼の元気のなさというか影響力の弱さは、もはや彼らが「大きな物語」を語り得なくなってきていることにあるかもしれませんね。「いずれ共産主義の理想社会が到来する」という、かつて語られていた「大きな物語」を語り続けるのが難しくなっている。

 その通りであろう。
 実際、今の共産党員の中に、それが武力だろうが無血だろうが選挙によるものだろうが、「革命による共産主義社会の設立」を本気で目指している人が、いったいどれくらいいるのだろう? 
 一度党員アンケートを取って公表してほしいところである。
 とは言え、本来の「物語」の代わりに、「平和=憲法9条護持」や「暮らしの安定」を党是として掲げて、冷戦終結後の逆境を乗り越えてきたその戦略性と組織力の高さはたいしたものだと思う。
 社民党(旧・社会党)が青息吐息の状態であることを思えば、自民党を筆頭とする保守勢力に対抗できる最後の砦としての日本共産党の意義は決して小さくはない。
 それだけに、社会主義・共産主義なんていう世迷言から一日でも早く脱却してほしい、とソルティは願っている。

共産主義者
よろしく!


 ときに、本書の発行は2022年7月。
 佐藤優による「あとがき」に付された日付も2022年7月であるが、そこでは安倍元首相の銃殺事件について触れられていない。おそらく、7月8日以前に書かれたのであろう。
 もし、池上と佐藤の対談が7月8日以降に行われたのなら、本書の内容はずいぶん違ったものになったのではないか、少なくとも最終章はまったく異なった展開となり、まったく異なった終わり方をしたであろう。
 この一日を境に、日本の政治状況はどんでん返しと言ってもいいほど変わってしまった。
 特に、日本の右翼(保守勢力)の内実がよくわからない不気味なものに転じてしまった。
 「愛国、天皇主義」を御旗に掲げてきたはずの自民党右派とくに安倍派が、「反日、反天皇主義」のカルト教団と深く結びついてきたことがあからさまになって、世の中がひっくり返ってしまった。

 目的を失って漂流しているのは左翼だけではない。
 右翼もまた漂流、いや転覆してしまった
 三島由紀夫がこの様を見たら、どんなに激怒することか!

 おそらく、しばらく前から「右翼、左翼」といった対立概念で説明できるような時代はとうに過ぎていたのだろう。
 一部の篤い宗教信者はのぞいて、右も左も誰もみな本気で「大きな物語」など信じていなかったのだ。
 「右翼と左翼」という物語の終焉――それが安倍元首相銃殺事件が白日のもとに晒した、令和日本の現実なのではなかろうか。




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● 本:『黎明 日本左翼史 左派の誕生と弾圧・転向1867‐1945』(池上彰、佐藤優共著)

2023年講談社現代新書

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 彰優(えいゆう?)コンビニよる日本左翼史シリーズ第4弾。
 今度こそ完結編だ。
 明治維新から太平洋戦争までの左翼史を扱っている。
 4冊目ということで、二人の対話も役割分担もスムーズで、概して読みやすいものになっている。
 おそらく、前3冊と合本にして、かなり厚めの新書『日本左翼史』がそのうち刊行されることになるのだろう。
 よい企画だったと思う。

 日本の左翼がいつ誕生したかを特定するのは難しい。 
 板垣退助らによる自由民権運動(1874~)か、秩父事件(1884)か、幸徳秋水や片山潜らによる社会主義協会の設立(1990)か、日本社会党の結成(1906)か、日本共産党の結成(1922)か・・・。
 それはたぶん、左翼をどう定義するかによって変わってくるのだろう。
 マルクス主義に根差した改革(革命)運動という意味でとれば、社会主義協会の設立をもって左翼の誕生と言えそうな気もするが、1917年ソ連成立の影響を受けた、国体(天皇制)の変革を前提にした共産社会に向けての組織的運動という意味でとれば、日本共産党の結成が起点となるように思う。
 1922年には日本で初めての人権宣言である水平社宣言が発表されてもいる。
 この年が、日本左翼史において一つのメルクマールであることは疑いえない。

水平社宣言記念碑
奈良県御所市柏原に建つ水平社宣言記念碑

 いずれにせよ、戦前の左翼史についてはひと言でまとめることができる。
 「弾圧」である。
 開国このかた、欧米の植民地になることを防ぐための国民一丸となっての富国強兵・殖産興業、すなわち近代化を焦眉の急とした大日本帝国政府が、その流れに竿さそうとする動きに対して弾圧を加えたがるのは、わからなくもない。
 また、伝統的国体である天皇制の解体を目指す、背後に人類初の社会主義国家ソ連の影が揺曳する組織に対し、保守的な層のみならず、天皇を敬愛していた国民の大多数が危険なものを感じたのも無理はない。
 ただし、弾圧の仕方は到底、近代民主主義国家にふさわしいものではなかったが。
 その意味では、日本の左翼の真の誕生は、言論・集会・結社の自由が保障された戦後と言えるのかもしれない。

 以下、引用

佐藤 戦前の世直し運動、異議申し立て運動には右翼と左翼に加えて宗教というもう一つの極があり、この三者がときに対立し、ときに相互に重複しつつ展開していったというのが実際のところだと思うのです。

佐藤 自由民権運動は佐賀の乱や西南戦争など明治初期の士族反乱の延長線上にあるものであって、維新政府の「負け組」が仕掛けた単なる権力闘争にすぎない、というのが私の評価です。この運動を左翼の誕生とダイレクトに結びつけるのは無理があるでしょうね。
 
佐藤 右翼は宗教との親和性が高いので宗教と結託し、宗教の力を利用することもできたわけですが、左翼の場合は核の部分に無神論があるがゆえに宗教の活用ということはなかなかできなかった。

池上 廣松渉が『〈近代の超克〉論〉』(講談社学術文庫)でも言っているように、戦前において革命はタブーではなかったし、社会主義も決してタブーではなかった。ただ天皇制の否定だけがタブーでした。


 最後に――。
 本シリーズのそもそもの目的の一つは、「格差の拡大や戦争の危機といった現代の諸問題が左翼の論点そのものであり、左翼とは何だったのかを問うことで閉塞感に覆われた時代を生き抜く上での展望を提示する」というところにあった。
 しかるに、4冊終わってみると、この目的が十分達しられたとは言い難い。
 池上も佐藤も、左翼批判とくに共産党批判の向きが強く、美点よりも欠点をあげつらってばかりいる。
 欠点や過ちを指摘するのはよいが、それを検証してより良い方法論を示し、時代を生き抜く上での「展望を提示する」ところまでは至っていない。 
 読者に託された課題ということか。





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