1979年松竹
2021年4Kデジタルリマスター版公開
120分
池袋・新文芸坐でかかっているのを知って、仕事帰りに鑑賞。
泉鏡花原作&坂東玉三郎主演のこの作品を観ていなかったのは不覚であった。
――と思ったら、観ていないのも不思議でなかった。
この映画、79年に公開され、81年にテレビ朝日で一度放映されたきり、封印されていたのである。
再上映はおろか、VHSビデオにもDVDにもなっていなかった。
ウィキによると、「一部の権利者がソフト化を拒否」したとの由。
公開時もテレビ放映時も見損ねたソルティが、観たことないのも無理なかった。
2020年に篠田監督と玉三郎が再会し、両人監修のもと音や映像の修復作業を行い、4Kデジタルリマスター版を完成させ、実に42年ぶりの再上映が叶ったのである。
夜叉ヶ池(福井県と岐阜県の境界付近にある)
Alpsdake - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, リンクによる
泉鏡花と玉三郎は“白雪姫フィット”ならぬ“シンデレラフィット”の組み合わせであることは今さら言うまでもないが、篠田監督が泉鏡花を撮れるとは思えず、ちょっと怖いもの見たさであった。
そしたら、まさに的中。
怖いもの(笑)であった。
この怖さをどう言葉にしたらいいものか。
篠田監督はアーティスティックな映画は撮れる(たとえば『心中天網島』)、時代劇も撮れる(たとえば『鑓の権三』)、おどろおどろしい作品も撮れる(たとえば『悪霊島』)、哀しい性もつ女も撮れる(たとえば『はなれ瞽女おりん』)
が、耽美や幽玄を撮れる資質はない。
自身それを分かっていたのかどうかは知るところでないが、結果的に、泉鏡花のエッセンスは完全に干上がってしまい、特撮妖怪パニック映画になってしまった。
これが溝口健二なら、黒澤明なら、市川崑なら、実相寺昭雄なら、大林亘彦なら、もっと鏡花世界を構築できただろうに・・・・と残念に思う反面、自らの才能の限界を知って(?)中途半端にアーティスティックにも文芸調にも怪談風にもしなかった篠田の潔さを称えるべきなのかもしれない。
鑑賞途中までは、「世紀の駄作」「篠田と玉三郎の生涯最大の汚点」「封印が正解」「松竹の恥」「カノッサの屈辱」といった最悪の感想しか持てず、席を蹴る寸前まで行ったのであるが、「陰極まれば陽に通ず」、幾度も押し寄せる荒唐無稽の波がついに喫水線を超えてパラダイム変化を生ぜしめ、上映終了時には「これはこれで天晴なり!」の大洪水に流される。
邦画史上、指折りの怪作、珍作、奇作と言っていい。
水野晴男の『シベリア超特急』シリーズのごとく、この先、カルト映画として熱狂的なファンがつく可能性は十分にある。
公開当時29歳の玉三郎の美しさと芸の高さは折り紙付き。
とくに、所作の美しさときたら!
これだけ美しい動きのできる女優は、現在、日本中いや世界中探してもいやしない。
玉三郎が画面に登場すると、否応なく惹きつけられてしまう。
歌舞伎で鍛えた口跡も見事。
玉三郎の突出した存在感と才能と鏡花作品に対する熱い思いに、共演者もスタッフもついていくことができず、物語が進むにつれそのギャップが広がっていったことも、ヘンテコリン映画になってしまった一因かもしれない。(白雪姫の姥役の丹阿弥谷津子はかろうじてついていってる)
そのヘンテコぶりが積み重なって堪えがたくなる寸前に、松竹スタジオに設営した20トンのタンクおよびロバート・デ・ニーロ主演『ミッション』で一躍有名になったイグアスの滝をロケに使っての“すべてを水に流す”大洪水と、ひたすら神々しい白雪姫ご一行のひらひら昇天。
このカタルシスにより、壮大なファンタジーを観たような錯覚に酔わされる。
加藤剛、山﨑努、常田富士男、阿藤海、浜村純、三木のり平、矢崎滋、小林トシ江、唐十郎、金田龍之介など錚々たる役者陣に加え、音楽に冨田勲、美術に粟津潔、特撮に矢島信男という80年代バブルを予告するゴージャスな顔ぶれ。
Nancy MartinezによるPixabayからの画像
おすすめ度 :★★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損















