ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

  カーター・ディクスンを読む

● やっぱり名作! 本:『皇帝のかぎ煙草入れ』(ディクスン・カー著)

1942年原著刊行
1961年創元推理文庫(井上一夫訳)

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 高校時代に読んだとき、かぎ煙草入れ(snuff box)というものがどういうものか分からなくて、いま一つぴんと来なかった。
 それを言えば、そもそも「かぎ煙草」というのも日本人には馴染みのうすい風習である。

 ウィキによれば、コロンブスの新大陸航海の際にフランシスコ会の修道士がカリブ諸島からスペインに持ち帰ったのが、ヨーロッパに煙草が広まる端緒だったそうだ。
 またたく間に庶民の間に広まった葉巻や紙巻き煙草やパイプ煙草に対し、上流階級で好まれたのが、細かく砕いた煙草の葉を直接鼻腔内に吸い込む「嗅ぎ煙草」。
 18世紀にはヨーロッパの王室や貴族をはじめ、ネルソン提督ウェリントン公爵、アレキサンダー・ポープ、サミュエル・ジョンソンなど、数多くの著名人に愛用されたという。
 もちろん、皇帝ナポレオンもその一人だった。

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WikimediaImagesによるPixabayからの画像

 砕いた煙草を中に詰めてポケットに入れて持ち運びできる密封性の高いケースが「かぎ煙草入れ」。
 ケースの表面に肖像や風景を描いたものや、金、銀、宝石をあしらったものなど、贅を凝らしたものが競って作られた。
 当然、ナポレオンの使っていたかぎ煙草入れともなると、骨董的価値は高い。

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すず製のかぎ煙草入れ
コンドームケースとしても使える(⌒-⌒)
M.
によるPixabayからの画像

 ストーリーもトリックも真犯人の正体もすっかり忘れていた。
 約45年ぶりに読んで、面白さにびっくり!
 かのアガサ・クリスティを脱帽せしめたというトリックや話の構成、「かぎ煙草入れ」を使った解決の糸口も見事ながら、ストーリーが奇抜で先の展開が読めず、ハラハラするような人間ドラマ(恋愛ドラマ、家族ドラマ)が凝縮されていて、単純に普通の小説として面白い。
 美しく魅力的な主人公イヴが、周囲の人間の悪意とあり得ない偶然の連続で殺人事件の容疑者に仕立てられていくサスペンスは、ページをめくるのがもどかしいほどの吸引力を放つ。
 イヴをめぐる男たちの欲望や嫉妬やプライドや小狡さがひとつひとつ暴かれていき、最後にはイヴが真実の愛にたどりつくプロットは、ちょっとしたハーレクインロマンス。
 恋愛小説の名手でもあったクリスティが本作を激賞したのは、本格推理小説としての出来栄えだけではなく、人間ドラマとしての巧みさのせいもあったに違いない。
 一見、純真な好青年そのものだが一皮めくれば・・・・イヴの婚約者トビイ・ロウズの人物造型など、令和日本の現代でも普通にいそうなリアリティ。 
 やはり、カーの長編小説の中では本作がトップ1、少なくともトップ5に入るのは間違いないと思う。

 トリックと真犯人については、3分の1ほど読んだところでソルティは直感した。
 高校時代のうぶなソルティなら騙されただろうが、古今東西ミステリー数百冊読破のいまは、作者の手の内を見抜くのにさしたる苦労はない。
 と言って、その先は読むまでもないという気にはさせないところが、カーの筆力の凄さ。
 筆力と言えば、本作にはクリスティのある名作を彷彿させる文章上の仕掛けがある。
 いったん読み終えて真犯人を知ってからもう一度読み返すと、カーの叙述の巧みさに痺れる。
 読者は、あるパラグラフと次のパラグラフの間に、ある文章と次の文章の間に、書かれていない重要な事柄があったことを、最初に読んだときはちっともそこに注意を払わず通過していたことを、知ることになろう。
 作者にしてみれば「してやったり」だ。

 本作の最大の欠点は、「かぎ煙草」ならぬ「鍵」の問題だろう。
 同じ鍵を、同じブロックに建てられた6つの家の玄関ドアで共有しているという設定は、いくらなんでも不自然すぎる。
 そんな家など買いたくないし、買ったとしてもすぐに鍵を取り換えるのが常識だろう。

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おすすめ度 :★★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損






● 本:『赤後家の殺人』(カーター・ディクスン著)

1935年原著刊行
2012年創元推理文庫

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 「赤後家」とは何のことかと思っていたら、「赤い(血塗られた)+後家(未亡人)」、英語ならred widow、フランス語なら la veuve rouge という隠語が示す、恐ろしき器具のことであった。
 ギロチンである。

 先祖代々、赤後家部屋すなわちギロチン部屋と呼びならわされている“開かずの間”において、客として呼ばれたヘンリ・メルヴェル卿はじめ屋敷の住人たちの目の前で起こる密室殺人。
 犯人はどこから部屋に入って、どうやって殺人を行い、どうやって立ち去ったのか?
 カーお得意の不可能犯罪である。

 その部屋がギロチン部屋と呼ばれるようになったのにはもっともな理由があって、過去に一人っきりでこの部屋にいた4人が謎の死を遂げているからであり、さらには、この屋敷に住む一族がフランスの有名な処刑人サンソン家の血を引いているからである。

 死刑執行人の家系であったサンソン家の存在はまぎれもない史実。 
 とくに4代目当主シャルル=アンリ・サンソン(1739-1806)は、フランス革命に際して、ルイ16世と王妃マリーアントワネットはじめ、ダントン、ロベスピエール、シャルロット・コルデーらの首を刎ねたことで知られる。
 残虐な男のイメージを持たれがちだが、アンリ・サンソン自身は死刑廃止論者、しかも王党派だったという。
 自分が嫌なことでも仕事ならやらねばならない。
 ドイツならシュミット家の例にも見るように、家業は継ぐものという時代だったのである。

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kalhhによるPixabayからの画像

 赤後家部屋の由来や血塗られた歴史が、登場人物の一人によって語られる部分が興趣深い。
 歴史オタク、怪奇オタクだったカーター・ディクスンの面目躍如。
 人を殺す部屋という発想や冒頭の謎の提示の仕方はさすが巨匠の腕前、ぐんぐん引き込まれた。
 が、そこをのぞけば、小説としての出来は良くない。

 登場人物の描き分けが中途半端なため誰が誰なのか曖昧になって、途中何度も扉裏の登場人物表に立ち戻ることになった。もっとも、ソルティの記憶力の低下のためかもしれないが。
 構成もずさんで、次から次へと話が展開するため、読むほどに混乱し、いらいらするばかり。
 メルヴェル卿の独善とわがままに振り回されるマスターズ警部同様、読者も鼻面をあちこち引き回されて、じっくり推理の筋道を見つける暇がない。
 明晰な語り口の欠如という、カーター・ディクスンのミステリーの欠点がここに集約されている。

 事件の時系列や各々のアリバイや証拠や証言といったその時点で分かっている事実をきちんと整理して読者の前に呈示し、解明すべき謎がどこにあるのかリスト化することによって、読者が事件全体を概観し、容疑者一人一人について犯行の動機と機会を検討し、真犯人やトリックを自ら論理によって推理する――本格推理小説ならではの楽しみを与えてくれないのである。
 だから、最後にメルヴェル卿によって差し出されるトリックの解明には、催眠術師による目くらましを喰らった気分にさせられる。
 見事に引っかけてくれたことの快感とはほど遠く、詐欺にあったようなすっきりしない気分で読み終わる。

 メルヴェル卿なりフェル博士なりに、ホームズにおけるワトスン、ポワロにおけるへイスティングズのような客観的な記録者を相棒として付ければ、この欠点は回避できたのにと思う。
 逆に言えば、明晰な語りをあえて取らないことで、読者を煙に巻いている。
 物語が面白ければ、その欠点はある程度まで許容の範囲と思うけれど、本作は読者の心理を無視し過ぎ。 

 これが名作と言われるのは腑に落ちない。



おすすめ度 :★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損






● デブ専作家? 本:カー短編全集3『パリから来た紳士』(ディクスン・カー著)

2008年創元推理文庫(宇野利泰訳)

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収録作品(初出年)
  1. パリから来た紳士(1950)
  2.  見えぬ手の殺人(1958)
  3.  ことわざ殺人事件(1943)
  4.  とりちがえた問題(1945)
  5.  外交官的な、あまりに外交官的な(1946)
  6.  ウィリアム・ウィルソンの職業(1944)
  7.  空部屋(1945)
  8.  黒いキャビネット(?) 
  9. 奇蹟を解く男(1956) 
 短編全集2に収録されていた『妖魔の森の家』と並んで、カーの数ある短編作品の最高傑作と評判が高いのが、本刊のタイトルになっている『パリから来た紳士』。
 『妖魔』以上の驚くべきトリックや意外な結末が仕組まれているかと期待して読んだら、なんとまあ、思いがけずラストで泣いてしまった

 19世紀半ばのニューヨークの風情、密室で紛失した遺書のありかを探すというプロット、癖のあるアメリカ人たちを描き分ける巧みさ、そして「パリから来た紳士」によるあざやかな推理。
 これだけでも十分良作の名にあたいすると思うが、なんと言っても、「意外過ぎる結末!」にしてやられた。
 本格推理小説の愛好者で、この結末にシビれない者、感動しない者がいるだろうか?

 他も読みがいのある面白い作品ばかり。
 個人的に良かったのは、『外交官的な、あまりに外交官的な』と『ウィリアム・ウィルソンの職業』。
 トリックの発想力に関して言うなら、カーと並び賞されうるはコナン・ドイルとG.K.チェスタトンだけで、クリスティやクイーンや江戸川乱歩は後れを取る。
 ただ、ヘンリー・メルヴィル卿(100kg)にしろ、フェル博士(125kg)にしろ、マーチ大佐(107kg)にしろ、カーの創造した探偵はいま一つ華がない。
 だいたい、なんでみんな太っているのだろう?
 カーはデブ専だったのか?

肥満猫



おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損



● 本:『カー短編全集2 妖魔の森の家』(ディクスン・カー著)

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1947年原著刊行
1970年創元推理文庫(宇野利泰・訳)

 表題作含む5編から成る。
 ポオの短編を読むのははじめて。

妖魔の森の家
 扉ページの短い解説文で、「全作品を通じての白眉」、「ポオ以降の短編推理小説史上ベストテンに入る」と持ち上げられている。
 「どんだけのもんよ」
 さほど期待せずに読んだら、まったく驚かされた。
 トリックの奇抜さと叙述の巧みさとプロットの面白さが、見事に調合されている。
 ブラウン神父シリーズのいくつかの傑作に匹敵する怪奇性と仰天トリック。
 クリスティの『アクロイド殺し』を思わせるような、憎らしいほど卓抜な叙述。(もちろんフェアプレイである)
 長すぎず、短すぎず。
 人間消失のオカルトミステリーのつもりで読んでいたら、とんだスプラッタホラーに早変わり。
 中島河太郎による巻末の解説では、この短編を褒めちぎったエラリー・クイーンによる作品分析が紹介されている。
 同じ推理作家――それも読者に対するフェアプレイをとことん重視する本格推理の巨匠――の手によって露わにされた本作品の巧緻な構造、とくに読者の目の前に堂々と差し出しながらミスリーディングさせる仕掛けの数々に、再度ビックリする。
 こんな短編を一つでも書けたら、推理作家として本望であろう。

軽率だった夜盗
 夜中に屋敷に忍び込み、居間に飾られた名画を盗もうとした犯人の正体を暴いたら、それは屋敷の主人であった。
 いったい、なにがなにやら・・・?
 常識では説明のつかない不可解な現象を提示して、最後には納得のいく合理的説明をつけるところが、カーの独壇場である。

ある密室
 これも同様。密室で後頭部を鈍器で殴られた男は、一命を取り留めると、こう証言する。
「部屋には自分一人しかいなかったし、誰も入って来なかった」
 カーの編み出す不可能トリックの面白い点は、『軽率だった夜盗』のような不可解なシチュエイション、あるいは本作の密室のような不可能犯罪が成立する理由が、犯人のトリックがみごと成功したからではなくて、思わぬ障害が入ってトリックがうまくいかなかった結果として、犯人も予想しない形で生じてしまった――というところにある。
 考えてみれば、人を殺してわざわざ密室にする理由なぞ、自殺を偽装するくらいしかない。
 偶然、密室が生じてしまったことの理由付けこそが、肝なのだ。

赤いカツラの手がかり
 公園のベンチで発見された女性の死体は、裸のままきちんと座っていて、その横にはたたんだ衣服やカツラが置いてあった。
 これも不可解なシチュエイションの謎を解くのが主筋。
 英国人らしく寡黙で冷静なアダム・ベル警視と、はねっかえりのフランス人ジャーナリストのジャクリーヌの英仏コンビが楽しい。
 このコンビで(恋愛の進行を絡めて)連作してほしかった。

第三の銃弾
 これは中編。
 ペイジ刑事の目の前で、二つの銃声が響き、殺人が発生した。
 しかし、殺された元判事の体から発見された銃弾は、容疑者の撃った銃によるものでも、現場に落ちていたもう一つの銃によるものでもなかった。 
 現場となった部屋には、被害者と容疑者しかいなかった。
 いったい、これをどう解く?
 謎が錯綜し、手がかりが次々と現れ、もう一つ殺人が起こり、事件は混迷化する。
 ちょっと話を複雑にし過ぎて、読んでいてわけが分からなくなる。
 謎の解明もかなり強引。
 これは失敗作かな。

 カーは長編だけでなく、短編も魅力ある。
 しばらくはカーマニアになりそうだ。




おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
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● 本:『曲がった蝶番』(ジョン・ディクスン・カー著)

1938年原著刊行
2012年創元推理文庫(訳・三角和代)

 原題は The Crooked Hinge
 邦題は直訳である。
 蝶番(ちょうつがい、hinge)とはこれである。

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 曲がった蝶番が、トリックの要あるいは真相解明の鍵なのかと思って読み始めたが、全然関係なかった。
 なんと、タイタニック号沈没事件(1912年)の生存者の記憶に鮮明に残った映像がそれなのであった。
 本書のメインとなる殺人事件とはまったく関係ない事物なので、このタイトルの選び方は面白いなと思った。
 本書の内容に見合ったタイトルをいつものカー流につけるなら、『金髪の魔女殺人事件』あるいは『自動人形は見ていた』ってところか。
 17世紀にオルガン奏者によって作られ宮廷で披露された機械仕掛けの人形「金髪の魔女」が、重要な役を担っているのだ。

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カバーイラスト・榊原一樹
 25年ぶりにアメリカからイギリスに帰ってきたジョン・ファーンリーは、兄の死による爵位と広大な屋敷と財産を手に入れ、幼馴染のモリ―と結婚した。
 だが、1年後、パトリック・ゴアと名乗る男が弁護士と共に現れ、自分こそが真のジョン・ファーンリーであり正当な相続人であると主張する。
 パトリックの語るところによれば・・・
 25年前アメリカに向かうタイタニック号で出会った身分の異なる二人の少年は、互いの身の上話をするくらい親しくなった。タイタニック沈没の混乱の中、貧しいサーカスの少年は裕福な貴族の少年の頭を殴り気絶させ、衣服や所持品を交換し、入れ替わった。その後、二人は九死に一生を得て、アメリカでそれぞれの新生活を始めた。行方不明者リストに名前が載っていたお互いが、とうに死んでいるものと確信して・・・・。
 英国に戻って今もパトリックとして気ままに暮らしていた男(真の正体はジョン)は、ある日、ジョン・ファーンリー(真の正体はパトリック)が生きていて爵位を継いだというニュースに吃驚仰天。
「あいつ、生きていたのか! 俺のフリしてウマい汁を吸っていたのか!」

 物語は、この2人(ジョンとパトリック)がファーンリー家の屋敷で対面し、証人たちのいる前でどちらが本物のジョン・ファーンリーかを証明せんとする場面から始まる。
 まったくのっけから読む者を惹きつけワクワクさせる。
 つかみはバッチリ! 
 あっという間に物語の世界に没入し、ページをめくる手が止まらない。
 そこに殺人事件が起こり、それはどうやら“姿の見えない殺人者”という不可能犯罪のようであり、数週間前に近隣で起きた独居女性殺人事件も絡んでいるようであり、背景には村で密かに広がっている悪魔信仰の匂いもあり、屋敷の屋根裏にしまわれた不気味な自動人形が事件の鍵を握る。
 これでもか、これでもか、というような謎とオカルトの波状攻撃。

 ここまで物語をあちこち膨らませて、いったいどう回収するのかと思っていたら、ものの見事に回収して一件落着させてしまう。
 さすが不可能犯罪の帝王、カーである。
 もっとも、読者が結末にそれなりに満足を得るのは、回収の仕方が上手いから、あるいはギディオン・フェル博士の見事な推理に感銘を受けたから、というよりは、本作の一番のトリック――真犯人の持っているある秘密――に吃驚させられ、言葉を失うからである。
 冷静に考えると、25年ぶりに会った人間を偽物と見抜けない幼馴染たちのトロさとか、たいして害のない悪魔信仰がバレるのを恐れて殺人を犯す愚かさとか、真犯人の秘密をまったく見抜けない周囲の人間たちの鈍感さとか、不自然な設定がいろいろある。
 が、そういった不自然さを、ストリーテリングの巧みさとこれまた非現実的で奇想天外なトリックで覆い隠し、読者をねじ伏せてしまうところが、カーのミステリーの凄さなのだろう。
 このトリックは一度しか使えないもので、カーが最初で最後なのではないか。

 Hinge は「自由な可動を許しながら、物と物とをつなぐ」という意味で、hinge joint 「蝶番関節」という使われ方もするようだ。
 本作の原題はあながち的外れなものではないのかもしれない。


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おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● 本:『白い僧院の殺人』(カーター・ディクスン著)

1934年原著刊行
2013年創元推理文庫(訳・厚木 淳)

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 本作もカーター・ディクスン、またの名をジョン・ディクスン・カーのベスト10に上げられる名作。

 雪と凍った湖に囲まれた屋敷で、ある朝、一人の有名な女優の他殺死体が発見された。
 死亡時刻には雪はやんでおり、その後は降っていなかった。
 屋敷に向かうただ一つの足跡は、最初の発見者のもので、真新しい足跡におかしなところはない。
 屋敷から出る足跡はついていない。
 むろん、犯人は屋敷の中に隠れているのでもなく、屋敷に秘密の抜け穴のようなものがあるのでもない。
 いったい、犯人はどうやって現場から逃げたのか?

 密室物の変形と言える。
 このトリックは秀逸で、ソルティにも思いつかなかった。
 ただし、現在の科捜研の目をごまかすことは到底できないレベルのトリックなので、思いつかなかったというのもある。
 クリスティやカーがミステリー黄金時代を築けたのは、科学的犯罪捜査が端緒を開いたばかりで未熟だった20世紀初頭という時代のおかげもあろう。
 いろんな奇想天外なトリックが考案できる余地があったのである。
 令和のいまなら、科捜研マリコは現場に残された遺留品や血痕やなにやから、ただちに本作のトリックを見破るであろう。

 主要トリック自体が秀逸なのは間違いないが、カーの作風もまた、ある種のトリックというか隠れ蓑を成している点も指摘できよう。
 それは怪奇趣味を仕込んだり、登場人物たちの冗長な会話で読者を煙に巻いたり、という点である。
 フェアなミステリーを標榜したいのであれば、本来読者に伝えるべき客観的な事実を、登場人物たちの主観的な会話の中に潜り込ませ、小出しに提出したりする。
 たとえば、この物語であれば、時間がとても重要な要素になるのであるが、夜間のどの時刻に、容疑者たちがそれぞれどこにいて何をしていたかが、整理整頓されていない。
 通常の推理小説なら、探偵役が容疑者一人一人に尋問し、本人や第三者の証言からそこを明らかにし、探偵の助手役が(読者の便宜をはかって)時系列で一覧表にでもするだろう。
 そうあってこそ、読者は犯人当て推理ゲームに参加する楽しみが得られる。
 本作は、そこのところが非常に不親切で、時系列をわざと曖昧にしている。
 その結果、読者は簡単に真相に近付かないよう誘導される。
 “公明正大”を謳うエラリー・クイーンの国名シリーズとは対照的と言える。
 若い頃のソルティは、それを作家の狡さと受け取って、カーがあまり好きでなかった。
 今は逆に、読者の鼻面を引きずり回して迷路に陥れるカーの叙述の巧みさを、「天晴れ!」と思えるようになったが・・・。

 ちなみに、本記事の冒頭の解説文も、注意が凝らしてある。
 本作のトリックを知る人なら、ソルティの巧みさを評価してくれよう。



 
おすすめ度 :★★★★

★★★★★
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● 元祖リベンジポルノ 本:『ユダの窓』(カーター・ディクスン著)

1938年原著刊行
2015年創元推理文庫(訳・高沢 治)

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 『三つの棺』『火刑法廷』など、このところカーター・ディクスンまたはジョン・ディクスン・カーの代表作をさらっている。
 いまのところ文句なしのベストワンはこの『ユダの窓』である。
 トリックの巧みさといい、謎解きの妙といい、サスペンスといい、物語の面白さといい、探偵の魅力といい、伏線の仕込みと回収といい、緊密な構成といい、オールマイティの出来栄え。
 これほどの傑作を読んでいなかったのが不思議。
 つくづくカーとは縁がなかった。

 ジェームズ・アンズウェル青年は、ある晩、婚約者の父親エイヴォリーにはじめて会うため、ロンドンに出かけた。二人の婚約はエイヴォリーに祝福されていた。
 しかし、緊張しつつ通された書斎で、ジェームズはエイヴォリーの敵対的な対応を受け、面食らう。
 「お嬢さんを僕にください」
 意を決して口にし、供されたウイスキーソーダに口をつけた途端、ジェームズの意識は朦朧としていく。
 気がつけば、目の前には胸に矢がつき刺さったエイヴォリーの死体があり、窓もドアも内側から鍵の掛かった完全な密室に、ジェイムズと死体だけが取り残されていた。
 誰がどう考えても犯人はジェイムズしかいない。
 ジェイムズの無実を信じる法廷弁護士メルヴィル卿が立ち上がる。

 密室殺人物として巧くできていて、奇抜なトリックにはそれなりの(試してみたくなる)リアリティがある。圧倒的に不利な状況のもと殺人容疑で捕らえられた男をめぐっての検察側と弁護側の息詰まるやりとりが、読む者をとりこにして離さない。
 ソルティは、仕事が休みの日に、JR一筆書き関東大回りをして本書を読み上げたのだが、本書に夢中になるあまり、今自分が何県のどこらあたりを走っているのか分からなくなった。
 カーやクリスティの筆力や発想力に比べられ得る本邦の推理作家は、結局、江戸川乱歩、横溝正史、松本清張だけなんじゃないかなあ。
 単発では素晴らしい作品を書く人はいるが、何十作も続けてある程度の水準で、しかも亡くなったあとも人気が衰えず・・・・となると、なかなかいないように思う。
 特に、人間を生き生きと書く力ってのは天賦の才であろう。

 ユダの窓とは、独房のドアに付いている四角い覗き窓のことじゃ。蓋があって、看守が自分の姿を見られずに囚人を観察できるようになっておる。(本書中の探偵ヘンリ・メルヴェール卿のセリフ)

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Frank BeckerによるPixabayからの画像

 “ユダの窓”を使った密室トリックも画期的で面白いし、ジェイムズ青年が陥った死刑必至の危機的状況――気がつけば密室の中に死体と2人きり――を作り出すプロットの精緻さもすごい。
 が、ソルティがなにより感心した(見抜けなかった)のは、名前を利用したトリックであった。
 詳しい説明はしないでおく。

 ときに、犯罪動機に絡んで、ある未婚女性が別れた恋人から恐喝される話が出てくる。
 恐喝のネタは、つき合っている間に撮影した女性のヌード写真。
 いわゆるネットで話題のリベンジポルノ。
 そんなことが20世紀初頭のカーの時代からあったわけだ。
 というより、1826年に世界最初の写真が生まれてからというもの、写真の歴史はそのままヌード写真の歴史であった。リベンジポルノという犯罪もそのとき産声を上げたのである。
 一度は愛し合い、信じ合い、一糸まとわぬ裸体をさらけ出し、写真撮影まで許した男に、別れた後で仕返しされる。
 裏切ったのは男か女か・・・・。
 ユダの窓とは、カメラのファインダーの謂いなのかもしれない。
 
 
 
おすすめ度 :★★★★★

★★★★★ 
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● フェア or アンフェア? 本:『火刑法廷』(ジョン・ディクスン・カー著)

1937年原著刊行
2011早川ミステリー文庫(加賀山卓朗・新訳版)

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 ディクスン・カーは、アガサ・クリスティやエラリー・クイーンに並ぶ、言わずと知れた本格ミステリー黄金時代の大御所の一人で、早川ミステリー文庫(緑色の背表紙)や創元推理文庫などで数多くの作品が翻訳されている人気作家である。
 いやしくもミステリーファンを自称するなら、その生涯に書き残した80冊以上の全作品とは言わないまでも、一般に評価の高い20冊くらいは読んでおくべき古典作家である。
 
 しかしながら、ミステリーファンを自称するソルティ、『夜歩く』『皇帝のかぎ煙草入れ』『蝋人形館の恐怖』『殺人者と恐喝者』くらいしか読んでおらず、カー作品の読者投票すれば必ずベスト10に入れられる『ユダの窓』『三つの棺』『ビロードの悪魔』そして本作『火刑法廷』は読んでいなかった。
 自分にしてみればそれ自体がミステリーで、「いったいなんでカーを読んでいなかったのだろう?」と不思議千万な今日この頃。

 思い当たる理由の一つは、ディクスン・カーの本が書店や図書館になぜか見当たらないことが多いこと。
 早川ミステリー文庫で言えば、クリスティの赤やクイーンの青は書店や図書館の棚にずらりと並んでいるのに、カーの緑はなぜか目に入らない。(本作を普段は利用しない都内の図書館で見つけた時は思わず驚きの声が出た)
 また、カーの作品は本格ミステリーとは言い条、オカルティックな装いのものが多く、そこがミステリー小説に明晰で日常的な論理を求めるソルティの意に添わなかったこともあろう。(とはいえ、乱歩や横溝正史の怪奇趣味は好き)
 ともあれ、いまだ読んでいない黄金時代の傑作ミステリーを発見できる楽しみが残されているのは、幸いである。

ジョーカー

 本作は題名からして、カーには珍しい法廷サスペンスかと思っていた。
 殺人罪をなすりつけられた若き青年と真相究明の依頼を受けた探偵の孤軍奮闘、あるいは夫殺しの容疑で捕まった美しき妻と彼女を支える敏腕弁護士の世間を敵に回した共闘――って予想であった。
 目次にある章題をみても、「起訴」「証拠」「弁論」「説示」「評決」という法廷用語が並んでいるので、証拠や証人の信憑性をめぐる弁護士と検事との激しいバトルが展開されることを期待したとても無理はあるまい。
 しかるにページをめくると、すでに第1章の第1節からオカルティックな気配濃厚で、「タイトルに偽りあり」という印象が迫ってくる。
 殺伐とし日常的な法廷の光景がかき消され、おどろどろしい中世ゴシック調の洋館が浮かび上がる。
 ただ、そこに失望や落胆はみじんも起らず、一気に好奇心が高まって、小説世界に引きずり込まれてしまい、ページが進んでしまうところが、さすが巨匠の筆力である。

 殺人現場から煙と消えた貴婦人の謎。
 堅牢な霊廟の棺から消えた死体の謎。
 2つの完璧な密室と完璧なアリバイによる不可能犯罪は、秘密の通路や魔女の復活を信じる以外に説明しようがなく・・・・。
 謎が謎を呼び、怪奇が怪奇を生み、興奮が興奮を焚きつける。
 語り口の上手さと怪奇な雰囲気の醸成、緊迫のサスペンスは比類ない。
 これは推理小説なのか? それともオカルト小説なのか?
 いったいどういう結着がつくんだろう?
 真夜中を超えて、もはやページをめくる手がとまらない。

 結末は書かないのがルール。
 が、ディクスン・カー作品ベストテン入りも納得のあざやかな論理的解決が(一応)待っている。
 『火刑法廷』というタイトルも「偽り」でなく、事実に則った本作の内容にふさわしいものであることが分かる。
 傑作の名に恥じない。

 しかしソルティは、本小説の最後5ページが気に入らなかった。
 この5ページさえなければ、黄金時代本格ミステリーの十指に入れたいくらいなのに・・・。
 
 オカルティックな推理小説であっても全然かまわない。
 怪奇色が謎を深め、探偵の推理を混乱させ、雰囲気を盛り上げるのに使われる限りは。
 本作はそこを逸脱している。
 オカルトが論理を、非日常が日常を凌駕してしまっている。
 推理小説のオカルト的解決――ソルティにしてみれば、それは『アクロイド殺し』どころでないアンフェアな結末であり、残念なオチである。
 これをやったら、せっかくの推理が水の泡。
 なんでもありの世界が現出し、推理小説を支える日常的物理法則の根幹が崩れてしまう。
 解説を書いている豊崎由美(書評家)は、逆にそこ(最後の5ページ)が傑作たるゆえんと褒めたたえている。
 見解の相違というものだ。 




おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損

 
 
 
 

 

● 本:『殺人者と恐喝者』(カーター・ディクスン著)

1941年原著刊行
2004年原書房

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 黄金期本格推理小説の大御所の40年ぶりの新訳。
 原題は、Seeing Is Believing 「百聞は一見に如かず」。

 今読むと、殺人トリックも名探偵メリヴェール卿の推理もかなり荒唐無稽で、子供だましな感がする。
 真犯人の殺人動機を隠蔽する叙述トリックもまたフェアとは言い難い。
 しかし、巧みなストーリーテリングと会話の上手さ、そして平易な言葉で簡潔に状況を描写する文章力に、巨匠の腕前を見る。

 クリスティやクイーンもしかり。
 奇抜なトリックや明晰な推理で読者を唸らせる以前に、物語作家としての天分がすごいのだ。
 だから、ついつい夜更かししてしまい、他の作品にも手が伸びてしまい、気づいたら書棚の一角を占めることになる。

 カーター・ディクスンはなぜか未読が多い。
 これからの楽しみとする。



おすすめ度 : ★★

★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
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