ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

  ショスタコーヴィチを聴く

● “現代音楽”としてのショスタコーヴィチ :新交響楽団 第269回演奏会

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日時: 2025年4月19日(土)18時~
会場: サントリーホール 大ホール
曲目:
  • 芥川 也寸志: オルガンとオーケストラのための「響」
     オルガン: 石丸 由佳
  • シチェドリン: ピアノ協奏曲第2番
     ピアノ: 松田 華音
  • 〈アンコール〉シチェドリン:バッソ・オスティナート(『2つのポリフォニックな小品』より)
  • ショスタコーヴィチ: 交響曲第4番
指揮: 坂入 健司郎

 今年は芥川也寸志生誕100年だという。
 ということは、三島由紀夫と同年生まれだ。
 父親の芥川龍之介は也寸志が生まれた2年後に自害しているから、龍之介と三島は面識がなかったのである。
 芥川也寸志の音楽を自分はほとんど知らないと思っていたのだが、実は映画音楽を結構つくっている。
 『地獄門』(1953年)、『戦艦大和』(1953年)、『猫と庄造と二人のをんな』(1956年)、『拝啓天皇陛下様』(1963年)、『八甲田山』(1977年)、『八つ墓村』(1977年)、『鬼畜』(1978年)。
 観たことあるものばかり。
 『砂の器』では音楽監督をつとめているが、あの印象的な主題曲をつくったのは、弟子の菅野光亮である。

 芥川也寸志は1954年にソ連に密入国し、半年間滞在した。
 その際に、ショスタコーヴィチに会って自作を見てもらっている。
 その縁もあって、1986年にショスタコーヴィチ交響曲第4番の日本初演を指揮した。
 そのときのオケが新交響楽団だったので、タコ4はこの楽団にとって名誉あるプログラムなのである。

 ロディオン・シチェドリン(1932-)はソ連生まれの現存する作曲家で、日本にも何度か来ている。
 入口でもらったプログラムによると、1988年にホリプロ(!)からの依頼で青山劇場のミュージカル『12月のニーナ 森は生きている』の作曲をするために、2ケ月間、真夏の伊豆の旅館に滞在したという。
 きっと浴衣うちわで曲作りに励んだのだろう。 
 奥さんは世界的に有名なバレリーナであるマイヤ・プリセツカヤである。
 当然、母国の大先輩であるショスタコーヴィチとは深いかかわりがあり、音楽的な影響も受けている。
 今回の曲目選定は、ショスタコつながりというわけだ。

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サントリーホール

 この渋くて難解なラインアップにもかかわらず、サントリーホール(約2000席)を9割がた埋める新交響楽団の人気はすごい。
 創立70周年近い歴史により積み重ねられた安定した実力と知名度、固定ファンの多さによるのだろう。
 これといった瑕疵も見当たらず、安心して聴いていられる。
 ホールの音響効果とあいまった迫力ある重厚な響き、空間を切り裂くような鋭い打楽器、共演のパイプオルガン(石丸由佳)とピアノ(松田華音)も見事なテクニックを披露し、日本アマオケ界のレベルの高さをつくづく感じた。

 しかし、残念なことに、前半は眠くて仕方なかった。
 実を言えば、半分寝てしまった。
 これは主として聴く側(ソルティ)に原因がある。
 まず、「メロディ・リズム・ハーモニー」が疎外された現代音楽が苦手である。
 美しさを感じることができず、心は宙にさまよう。
 次に、週末のアマオケ演奏会は午後2時開演が多いが、今回は午後6時開演だった。
 日中、都内の図書館で奈良大学のレポート提出のため、5時間ぶっ続けで勉強して、頭が疲れていた。
 さらに、桜が散った頃からヒノキ花粉症の兆候が現れた。
 ここ数日、のどの違和感と鼻づまり、倦怠感が続いている。
 音楽を聴くには、良い状態とは到底言えなかったのである。
 (3曲中せめて1曲は馴染みやすい曲を入れてほしかった)

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JoggieによるPixabayからの画像

 ショスタコーヴィチは活動年代的には現代音楽の人なのだが、作った曲はマーラーなど後期ロマン派の香りが強い。
 これは、スターリニズムによる芸術家への抑圧――社会主義リアリズムの勝利を表現する内容と形式の強要――ゆえに強いられた、反動的創作姿勢の結果なのかもしれない。
 そのおかげでショスタコーヴィチの作品が、現在も、ベートーヴェンやブラームスやマーラーと並んで演奏・録音される機会が多いのだとしたら、皮肉と言うほかない。
 もし、全体主義独裁国家で作曲するという抑圧が無かったら、ショスタコもまた、大衆にしてみれば「よくわからない、つまらない」現代音楽を量産していたのかもしれない。
 案の定、コンサート後半は覚醒した。
 
 第4番を聴くのははじめて。
 第3楽章までしかないのは未完成のためなのかと思ったが、全曲60分もあり、最後はチェレスタのもの悲しい響きで余韻を残しながら終わるので、これが完成形なのだろう。
 全体に面白い曲である。
 マーラーへのオマージュといった感じ。
 第2楽章は、マーラー交響曲第4番第2楽章の諧謔的な皮相「死神は演奏する」のパロディのように思われたし、第3楽章は、ビゼーの『カルメン』序曲っぽいフレーズも飛び出すものの、全般、さまざまな音楽の“ごった煮”のようなマーラーの絢爛たる世界を忠実になぞっているように感じられた。
 『マーラー交響曲』と名付けてもいい。

 ただ、マーラーの音楽が、どちらかと言えば、作曲家個人の精神遍歴の表現、つまり近代的自我の苦悩と喜びの表出とすれば、ショスタコの音楽は、自身が生きている環境の狂気と不条理の表現に聴こえる。
 20世紀初頭にマーラーが個人的に体験した“狂気と崩壊”が、「わたしの時代が来る」の予言通りに、ショスタコの生きたソ連において国家的に現実化してしまった――そんな因縁を想像させる。
 一方、スターリンの亡くなったあと(1953年)から作曲家としての活動を開始したシチェドリンの音楽からは、体制による抑圧や矯正の匂いが感じられない。
 “普通に”現代音楽である。
 比較的自由な時代の芸術家なのだ。

 いまのロシアはどうだろう?
 ウクライナ侵攻に反対した芸術家に禁固7年の実刑が下ったというニュースを見たが、スターリン時代に舞い戻ってしまったのではなかろうか。
 ロシアだけでなく、ミャンマーでも、イスラエルでも、中国でも、アメリカでも、全体主義の恐怖が募っている。
 ショスタコーヴィチこそが「現代音楽」だと思うゆえんである。

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● 世界初演「ミ・ファ・ミ・ラ・レ♪」 ザッツ管弦楽団 第22回定期演奏会

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日時: 2025年2月11日(火)13:30~
会場: すみだトリフォニーホール
曲目:
  • ラフマニノフ: ピアノ協奏曲第3番  
     ピアノ: 槙 和馬
  • (アンコール)即興演奏:「ミ・ファ・ミ・ラ・レ」
  • ショスタコーヴィチ: 交響曲第5番「革命」
  • (アンコール)ショスタコーヴィチ: 組曲『モスクワ・チェリュームシキ』より第1曲「モスクワ疾走」
指揮: 田部井 剛

 若目の大所帯ならではの迫力ある演奏と、観客を楽しませる心意気、それがザッツ管弦楽団の持ち味である。
 今回も、パワフルかつアメイジングなコンサートで、満腹になった。
 約1800席のすみだトリフォニーをほぼ満席にできる集客力は、アマオケ随一かもしれない。

 ラフマニノフのピアノ協奏曲なら、やはり浅田真央が日本中を感動の渦に巻き込んだ、2014年ソチオリンピックのフリープログラムに使用された第2番に尽きる。
 今でも、鮮やかなブルーの衣装をまとった真央ちゃんが、トリプルアクセルを含むすべてのジャンプを成功させ、全身全霊のステップから流れるような軌道を描いて圧巻のフィニッシュ!の映像を想起することなしに、第2番第1楽章を聴くことは困難である。
 ショートプログラムでの致命的失敗でメダルを逃したことがもはや決定的となった絶望のどん底から、不死鳥のごとく蘇り、あの完璧な演技が生み出されたとき、その悲哀と不屈の精神と自己超越の三重唱は、まさにラフマニノフの音楽をあますところなく表現していた。
 浅田真央は、演技でラフマニノフを表現したのでなく、生き方で表現したのだ。
 こんな芸当ができるスケーターは、なかなかいない。
 ピアノ協奏曲第2番第1楽章は、日本のフィギアスケート界における永久欠番といったところだろう。

 ピアノ協奏曲第3番は、2番にくらべるとつまらない。
 ソルティがあまり聴き込んでいないというだけで、クラシック通はむしろ3番を好むのかもしれない。
 ピアニストにとってたいへんな難曲であろうことは、3階席から槙和馬の手元をオペラグラスで観ていて、ありありと知られた。
 実に高度な技術と並々ならぬ集中力と甚大なパワーが要求される曲である。
 童顔でソフトな雰囲気の槙のどこにこんな馬力があるのか。
 天賦の才ってのはあるなあ、と思った。
 とくにアンコールでは、客席2人、オケメンバー2人、そして指揮の田部井の5人から、5つの音をアトランダムに選んでもらって、選ばれた「ミ・ファ・ミ・ラ・レ」を使って即興曲をつくった。魔術師のようなその才には舌を巻いた。
 リアルタイムで槙の手から生み出されホールに放たれていく曲は、そのままテレビドラマ『家族のメモワール(仮題)』のBGMとして使用しても、まったく遜色ない完成度であった。
 御年27歳。
 この人は、いつの日かNHK大河ドラマのテーマ曲を書くのでは?

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 ショスタコの5番を生で聴くのは3回目。
 聴けば聴くほど、この曲のテーマは、『プロレタリア革命の成功』でもなく、『苦難のち勝利』でもなく、ましてや『共産主義の栄光』でもなく、『独裁者の横暴と虐げられる庶民の悲劇』としか聴こえない。
 全曲通して安らげる瞬間は第3楽章の一部のみであるが、そこはおそらく、独裁者の暴虐の犠牲となった人々への鎮魂がうたわれている部分なので、結局、死者だけが安らぎを知ることができる。 
 残りのすべての部分は強い不安と緊張が持続している。
 それこそは独裁政権下の社会の空気そのものであろう。
 いまのロシアや北朝鮮や中国に嗅げるような。

 とりわけ、最終楽章で冒頭から最後まで鳴り続けるトロンボーンとトランペットの耳を聾するばかりの絶叫は、緊急避難警報としか聞こえない。
 この楽章のどこに「心からの歓喜」が見いだされよう?
 ソルティは、しかし、心をパニックに陥れるような警告の響きに、髭を生やしたスターリンや禿頭のプーチンやふてぶてしい面差しの習近平を思い起こすことはなかった。
 先ごろ米国第47代大統領に就任したドナルド・トランプの顔ばかりが浮かんだ。

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JR錦糸町駅北口 


 
   

● 怒りのショスタコ :横浜国立大学管弦楽団 第122回定期演奏会

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日時: 2024年5月25日(土)
会場: 大田区民ホール・アプリコ 大ホール(蒲田)
曲目:
  • A.ボロディン: 交響詩「中央アジアの草原にて」
  • A.ボロディン: 歌劇「イーゴリ公」よりダッタン人の踊り
  • D.ショスタコーヴィチ: 交響曲第5番「革命」
  • (アンコール) エルガー: エニグマ第9変奏 「ニムロッド」
指揮: 和田 一樹

 和田一樹のショスタコーヴィッチははじめて聴く。
 これまであまり振っていないのではないか?
 どう見ても“陽キャ”の和田と、“陰キャ”の極みとしか思えないショスタコーヴィチは相性が良くないように思われるが、どうなのだろう?
 そんな好奇心を胸に蒲田に馳せ参じた。

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太田区民ホール・アプリコ

 ボロディン『ダッタン人の踊り』については前に書いたことがあるが、やはり、アルタードステイツすなわち意識の変容を引き起こすスピリチュアルな音楽と思う。
 一曲目の『中央アジアの草原にて』も同様で、知らないうちに瞑想状態、いや催眠状態に引き込まれた。
 ボロディンについてはほとんど知らないが、ソロモン・ヴォルコフ編『ショスタコーヴィッチの証言』(1979)によれば、博愛主義者でフェミニストだったという。
 そのあたりのスピリチュアル性が音楽に反映されているのかもしれない。

 ボロディンはまた優れた化学者でもあり(むしろ作曲は副業)、ボロディン反応(別名ハンスディーカー反応)という化学用語を残している。
 意識の変容を起こすこの特徴も「ボロディン反応」と名付けたいところだ。

ボロディン反応
ボロディン反応

 ショスタコーヴィチの第5番『革命』をライブで聴くのは2回目、前回は東京大学音楽部管弦楽団(三石精一指揮)によるものだった。
 その時感じたのは、『革命』という標題はまったく合ってないなあということと、最終楽章で表現される「暗から明へ」の転換はどうにも嘘くさいなあということであった。
 むしろ、第1楽章から第3楽章で表現される「不安・緊張・恐怖・悲愴・慟哭」が限界に達し精神が崩壊したために生じた“狂気”――という印象を持った。
 その後、ショスタコーヴィチの伝記を読んだり、他の交響曲を聴いたり、彼が生きた時代とくにスターリン独裁時代のソ連の内実などを知って、自らが受けた印象があながち間違っていなかったと思った。
 最終楽章は、体裁上は「暗から明」の流れをとって「ソビエト共産党の最終的勝利」、「スターリンの偉大さ」を讃えているように見える。
 が、それは二重言語であり、裏に巧妙に隠されたメッセージは、「ファシズムの狂気」、「独裁者の凱歌」、「強制された歓喜」なのである。
 マーラーに匹敵する天才と官能性を兼ね備えていたショスタコーヴィチが、自らのもって生まれた個性を自由自在に表現することを禁じられた、その“抑圧の証言”こそが、彼の音楽の個性とも特徴ともなってしまったのは、悲劇である。
 が、一方それはまた、「巨大権力による抑圧と迫害」という、ロシアやガザ地区やミャンマーをはじめ現在も世界各地で起こっていて、インターネットで世界中の人々に配信・共有されている“悪夢の現実”を、内側(被害者の視点)から表現しているわけである。
 もしかしたら、しばらく前から音楽的な時代の主役は、「マーラーからショスタコーヴィチに」移っているのかもしれない。


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ガザ地区
 hosny salahによるPixabayからの画像

 和田一樹の第5番を聴いて“革命”的と思ったのは、最終楽章である。
 大太鼓の皮が破れるのではないかと思うほどの爆音の連打にソルティは、「狂気」でもなく、「悪の凱歌」でもなく、「強制された歓喜」でもなく、ショスタコーヴィチの「怒り」を聴きとった。
 それは指揮者の怒りと共鳴しているのやもしれない。
 そうなのだ。
 人民は抑圧する権力者に対して、いろいろな態度を取りうる。
 諦めたり、悲しんだり、絶望したり、流されるままになったり、従順になったり、抑圧に手を貸す側に回ったり、内に引きこもったり、他国に逃避したり・・・・。
 ショスタコーヴィチが置かれた境遇のように、たとえ表立って抗議するのが困難な場合でも、少なくとも怒りは持ち続けることができる。
 怒りは忘れてはならない。
 怒りこそ「革命」の源なのだから。

 横浜国立大学の学生たちの若いエネルギーを怒りのパワーに転換させたのが、今回の第5番だったように思った。
 





● シンフォニア・ズブロッカ 第16回演奏会


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日時: 2024年2月24日(土)
会場: すみだトリフォニーホール 大ホール
曲目:
  • リヒャルト・シュトラウス: 交響詩「ドン・ファン」
  • ショスタコーヴィチ: 交響曲第7番「レニングラード」
指揮: 金井 俊文

 このオケを聴くのは2度目。
 1度目は2016年7月パルテノン多摩。
 指揮は金山隆夫であった。

 今回7年半ぶりに聴いて、非常に上手くなっていることにビックリした。
 ソロもトゥッティも危うげなかった。 
 団員が増えたせいもあろうかと思うが、音に厚みがあり、かつ一体感があった。
 ハンガリーで活躍している金井俊文の指導も与って力あったのだろう。
 良い演奏会であった。

 『レニングラード』を聴くのはこれで3回目だが、やはり「恐ろしい曲」という印象が深まるばかり。
 第1楽章で「侵攻の主題」が繰り返されるごとに狂気の色を帯びていく様も恐ろしいが、第4楽章の最後の「暗から明へ」の転調が背筋が凍るほど恐ろしい。
 悪魔の哄笑を聞く思いがする。
 この恐怖を和らげてくれる唯一のものは、「侵攻の主題」を使用したバブルの頃のシュワちゃん出演のアリナミンVのCMだけである。 

 チ~チン、プイプイ!

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● ショスタコ祭り: 新交響楽団 第263回演奏会

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日時: 2023年10月9日(月)14:00~
会場: 東京芸術劇場コンサートホール
曲目: 
  • ショスタコーヴィチ: バレエ組曲「黄金時代」
  • ショスタコーヴィチ: 交響曲第9番
  • ショスタコーヴィチ: 交響曲第12番
指揮: 坂入健司郎

 ショスタコーヴィチ(1906-1975)の初期、中期、後期の作品から1曲ずつ選んだオール・ショスタコ・プログラム。
 「わ~い、ショスタコ祭りだ!」と喜び勇んで。 
 いずれもはじめて聴くものばかり。
 社会主義国の国民的作曲家であったショスタコーヴィチの作品は、いつ何年に作られたものなのか知ることが結構重要。
 そのときのソ連の政治状況や社会情勢が作品に強く反映しているからだ。

① バレエ音楽『黄金時代』(1930年)
 ソ連のサッカーチームが資本主義国の博覧会「黄金時代」に招待され、地元の人々と交流する筋立て。
 1930年と言えば、ソ連が誕生して7年。
 建国の英雄レーニンは亡くなったが、まだ人々が夢と希望に満ち溢れていた時代と言える。
 明るく狂騒的なタッチの曲で、20代のショスタコーヴィチの若々しい活力と無限の可能性が感じられる。

② 交響曲第9番(1945年)
 1934年よりスターリンの大粛清が始まった。独裁体制下、芸術には「社会主義的リアリズム」が求められ、いっさいの自由な表現が許されなくなった。

社会主義的リアリズム
社会主義を称賛し、革命国家が勝利に向かって進んでいる現状を平易に描き、人民を思想的に固め革命意識を持たせるべく教育する目的を持った芸術。
(ウィキペディア『社会主義的リアリズム』より抜粋)

 この方針に従わない芸術家は、党による厳しい処分を受けた。
 その様子はソロモン・ヴォルコフ編『ショスタコーヴィチの証言』に詳しい。
 ショスタコーヴィチの場合、交響曲第4番あたりから当局の監視や干渉に悩まされたようである。
 党(=スターリン)に気に入られ大成功に終わった第5番からあとの作品は、党の意を汲んだ「社会主義的リアリズム」の形態に準じて一見ソビエト政府を持ちあげながら、密かに独裁者の横暴や全体主義管理社会の狂気をたくし込んで批判している――というのがソルティの見解である。
 つまり、表現の両義性、ダブル・ミーニングが、芸術家ショスタコーヴィチの常套手段になった。
 第5番第7番「レニングラード」はそれがもっともうまくいった例ではないかと思う。
 この9番は、どちらかと言えばうまくいかなかった例で、当局から批判されることになった。
 
 個人的に、この9番は『山岳遭難交響曲』といったイメージが湧いた。
 第1楽章は、山登りする一行の喜びや活気が見える。かぐわしい森の空気、清冽な小川の流れ、小鳥や小動物との楽しい出会い、おしゃべりしながら浮かれ歩く一行。おやおや、歩きながら酒を飲んでいる者もいる。
 第2楽章は「遭難」。標識ひとつ見落として、一行は道に迷う。はじめのうちは楽観的でいたものが、歩けど歩けど本道には戻れず、そのうち怪我する者も出てきた。あたりは突如として暗くなり、落雷から豪雨に。もはや完全に遭難してしまった。日が暮れると雨は雪に変わった。雪にまみれ凍えるばかりの一行。
 第3楽章は「捜索」。家族から知らせを受けた警察が捜索隊の出動を要請する。大勢のレンジャーたちが山に入り、雪をかき分け、岩場を覗き込み、遭難した者の名を呼びながら、必死の捜索を続ける。空にはヘリコプターが旋回する。
 だが、捜索の甲斐むなしく・・・
 捜索隊が森の奥に発見したのは、凍え死んだ一行の姿。第4楽章のテーマは「葬送」。亡くなった者の死を悼み、冥福を祈る。山登りを侮ってはならない。決して。
 が、のど元過ぎればなんとやら。
 第5楽章で曲調は始まりに戻る。またもや、山登りに浮かれ騒ぐ一行の出現。人間はなかなか学ばない。

③ 交響曲第12番「1917年」(1961年)
 1953年にスターリンが死んだ。「雪解け」が始まった。
 とはいえ、体制批判は許されない。 
 表題の「1917年」とはもちろんレーニンによる10月革命のこと。
 1960年に共産党に入党したショスタコーヴィチは、党の委嘱を受け、共産党大会で発表するためにこれを作曲した。
 ショスタコーヴィチが、スターリンを憎んでいたのはまず間違いないと思うが、建国の英雄レーニンについてはどう思っていたのか不明である。
 レーニンを否定するということは共産主義を否定するようなもので、体制批判にならざるをない。
 ショスタコーヴィチはソ連という国を、自分も党員の一人となった共産主義をどう思っていたのだろう?
 本作は一応、「暗」から「明」という形をとり、苦闘を乗り超えて勝ち取った栄光をたたえるような、輝かしい終わり方をしている。
 レーニン万歳! 共産党万歳!
 そこがこの作品が西側音楽界で長いこと、「体制に迎合して書かれた作品」として低く評価されてきた理由であろう。

 しかしながら、ソルティの耳には、やはりダブル・ミーニングが聞こえる。
 第4楽章では、ベートーヴェン第9の「歓喜の歌」を思わせる主題が幾度も現れて、レーニン讃歌、共産党讃歌を歌っているように見えながら、その歓喜にはどこか恐怖の影がつきまとっている。
 強いられた歓喜と言うか、偽りの歓喜と言うか、ベートーヴェンの達した境地とはまったく異なる、ひどく地上的な、威圧的な歓喜。
 これは独裁者の歓喜、支配者の凱歌ではなかろうか?

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nathnlmbによるPixabayからの画像

 交響曲第9番というのは、作曲家にとっても、音楽ファンにとっても、特別なものである。
 人類の至宝と言えるベートーヴェンの「第9」が聳え立ち、そこにあたかも逆ベクトルで肉薄したかのようなマーラーの9番という未曽有の悲劇がある。
 ソ連政府も国民も、ショスタコーヴィチの9番に期待するところ大だったという。
 「ベートーヴェンもマーラーも超える偉大な第9を、輝かしきソビエト共産党のために作ってくれ」という期待から来るプレッシャーはあったに違いない。
 ところが、出来上がったものは全楽章合わせて30分足らずの小曲で、「山岳遭難」をイメージされてしまうくらいの痩せたテーマ性。(山岳遭難が重大なテーマであるのは、山登りを趣味とするソルティ、重々承知している)

 つまるところ、ショスタコ―ヴィチはこう言いたかったのであるまいか。
 
 この国で「歓喜の唄」なんて歌えるか!
 
 「ショスタコ祭り」と無邪気に喜べるのは、部外者なればこそ。
 日本が今のところ民主主義国家であればこそ。
 
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新交響楽団、今回も素晴らしい演奏でした!







 

● 本:『ショスタコーヴィッチの証言』(ソロモン・ヴォルコフ編)

1979年原著刊行
1980年中央公論新社より邦訳刊行(水野忠夫訳)
1988年文庫化

ショスタコの証言

 ソ連出身の音楽研究家ソロモン・ヴォルコフ(1944- )が、晩年のショスタコーヴィチにインタビューした内容をまとめたもの。
 ヴォルコフは、ショスタコーヴィチが亡くなった後、アメリカに亡命してこれを発表した。
 ショスタコーヴィチの回想録ではあるが、自身について語っている部分はそれほど多くなく、その人生において出会ってきた同じソ連の作曲家や演奏者や演出家や文学者についてのエピソードや評価、スターリン独裁下に生きた芸術家の苦悩や悲劇などが、多くを占めている。

 スターリンやソ連の社会体制に対する批判が書かれている以上、出版後、ソ連当局から「偽書」と断定されたのは仕方あるまい。
 たとえば、

 当然、ファシズムはわたしに嫌悪を催させるが、ドイツ・ファシズムのみならず、いかなる形態のファシズムも不愉快である。今日、人々は戦前の時期をのどかな時代として思い出すのを好み、ヒトラーがわが国に攻めてくるまでは、すべてがよかったと語っている。ヒトラーが犯罪者であることははっきりしているが、しかし、スターリンだって犯罪者なのだ。

 スターリンにはいかなる思想も、いかなる信念も、いかなる理念も、いかなる原則もなかった。そのときそのときに、スターリンは人々を苦しめ、監禁し、服従させるのにより好都合な見解を支持していたにすぎない。「指導者にして教師」は、今日は、こう言い、明日は、まったく別なことを言う。彼にしてみれば、何を言おうが、どちらでもよいことで、ただ権力を維持できればよかったのである。 

 一方、アメリカの音楽学者からも「偽書」疑惑を投げかけられ、議論を招いた。
 ヴォルコフがショスタコーヴィチに数回インタビューしたことは事実であるが、書かれている内容の多くは、ショスタコーヴィッチ自身の口から出たものではなく、ヴォルコフ自身がソ連にいた時に見聞きしたことを材にとった創作――必ずしも捏造ではない――なのではないか、という疑惑である。
 長年の研究の結果、現時点では「偽書」の可能性が高いようだ。
 ヴォルコフ自身が今に至るまでなんら反論していないというのが、確かにおかしい。

 ただ一方、偽書であるか否かは別として、すなわち、どこまでがショスタコーヴィチの“証言”で、どこからヴォルコフの“証言”なのかは不明であるものの、大変興味深く面白い書であるのは間違いない。
 登場する有名音楽家――ショスタコーヴィチの師であったグラズノフ、同窓生であったピアニストのマリヤ・ユージナ、ベルク、リムスキイ=コルサコフ、ムソグルスキイ、ストラヴィンスキー、ハチャトゥリアン、ボロディン、プロコフィエフ、トスカニーニ、ムラヴィンスキーなど――にまつわる豊富で突飛なエピソードの数々には興味がそそられる。
 とりわけ、グラズノフの天才的な記憶力や、ボロディンの博愛主義者&フェミニストぶり、スターリンに意見するを恐れないユージナの強心臓には驚いた。
 また、ショスタコーヴィチの崇拝者であった指揮者トスカニーニや、彼の曲の初演の多くを手がけた指揮者ムラヴィンスキーに対する辛辣な評価も意外であった。(ヴォルコフ評なのかもしれないが)

 あるとき、わたしの音楽の最大の解釈者を自負していたムラヴィンスキーがわたしの音楽をまるで理解していないのを知って愕然とした。交響曲第5番と第7番でわたしが歓喜の終楽章を書きたいと望んでいたなどと、およそわたしの思ってみなかったことを言っているのだ。この男には、わたしが歓喜の終楽章など夢にも考えたことがないのもわからないのだ。いったいあそこにどんな歓喜があるというのか。

 ソルティは、第5番第7番を最初に聞いたとき、終楽章が歓喜の表現とはとても思えなかった。
 ナチズムやスターリニズムのような独裁ファシズム国家における狂気や衆愚の表現と受け取った。
 「なんだ。ソルティのほうがムラヴィンスキーより、よく分かっているではないか」
 と一瞬鼻高々になりそうだったが、真相は別だろう。
 ムラヴィンスキーがどこかで本当に上記のようなセリフを吐いたことがあったとしても、それはおそらく、ショスタコ―ヴィチのためを思ってのことであろう。
 自らの発言が公になってスターリンの耳に入る可能性を思えば、友人を危険にさらすようなことは言えるはずがない。
 それがわからないショスタコーヴィチではないはずなのだが・・・。

 ともあれ、本書で何より読み取るべきは、ソ連社会とくにスターリン体制下において、芸術家たちが、いかに圧迫され、監視され、服従を求められ、自由な表現を禁止され、体制賛美の作品の創作を強制されていたか、それに抗うことがいかに危険であったか、という点である。
 スターリンの機嫌を損ねたら、その指ひとつで、地位も名誉も財産も奪われ、シベリヤに抑留され、処刑され、あまつさえ家族や親類縁者にも害が及びかねなかった。
 こんなエピソードが載っている。

 スターリンはたまたまラジオで聞いたモーツァルトのピアノ協奏曲を大層気に入って、そのレコードを部下に要望した。
 だが、そのレコードはなかった。それは生演奏だったのだ。
 機嫌を損ねることを恐れた周囲の者は、その夜のうちに再度オーケストラとピアニスト(ショスタコーヴィチの親友ユージナ)と指揮者をスタジオに集めて録音作業し、たった一枚のレコードを制作し、翌朝スターリンのもとに届けたという。

 ユージナがあとでわたしに語ってくれたことだが、指揮者は恐怖のあまり思考が麻痺してしまい、自宅に送り返さなければならなかった。別の指揮者が呼ばれたが、これもわなわな震え、間違えてばかりいて、オーケストラを混乱させるばかりだった。三人目の指揮者がどうにか最後まで録音できる状態にあったそうである。
 
 ショスタコーヴィチの友人、知人らも多く、あるは収容所送りとなり、あるは処刑され、あるは亡命を余儀なくされた。
 ショスタコーヴィチ自身も、幾度となく抹殺される瀬戸際にあったたらしい。
 その危機一髪のところを、軍の有力者に助けられたり、自らの作品の成功によって乗り超えたり、西側に知れ渡った名声によって救われたりしたようである。
 「自分の音楽で権力者のご機嫌をとろうとしたことは一度もなかった」と本書には勇ましくも書かれているが、実際には体制迎合的な作品も数多く残している。
 運よく地獄を生き残った者には、命を奪われた仲間たちの手前、自己弁護しなければいられないくらい、忸怩たるものがあったと想像される。

 生き残ったのは愚者ばかりだ、とわたしも本当は信じているわけではない。たぶん、最小限の誠意だけでも失わないようにしながら生き延びる戦術として仮面をかぶっていたにちがいない。
 
 それについて語るのはつらく、不愉快ではあるが、真実を語りたいと望んでいるからには、やはり語っておかなければならない。その真実とは、戦争(ソルティ注:独ソ戦)によって救われたということだ。戦争は大きな悲しみをもたらし、生活もたいそう困難なものになった。数知れぬ悲しみ、数知れぬ涙。しかしながら、戦争の始まる前はもっと困難だったともいえ、そのわけは、誰もがひとりきりで自分の悲しみに耐えていたからである。
 戦前でも、父や兄弟、あるいは親戚でなければ親しい友人といった誰かを失わなかった家族は、レニングラードにはほとんどなかった。誰もが、いなくなった人のことで大声で泣き喚きたいと思っていたのだが、誰もがほかの誰かを恐れ、悲しみに打ちひしがれ、息もつまりそうになっていたのである。
 
 わたしの人生は不幸にみちあふれているので、それよりももっと不幸な人間を見つけるのは容易ではないだろうと予想していた。しかし、わたしの知人や友人たちのたどった人生の道をつぎからつぎと思い出していくうちに、恐ろしくなった。彼らのうち誰ひとりとして、気楽で、幸福な人生を送った者などいなかった。ある者は悲惨な最期を遂げ、ある者は恐ろしい苦しみのうちに死に、多くの者の人生も、わたしのよりもっと不幸なものであったと言うことができる。 

 偽書であるかどうかは措いといて、一つの国の一つの時代の証言として、そしてまた現在のロシアの芸術家の受難を想像するよすがとして、読むべき価値のある書だと思う。
 
 
 
おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損






● 聖ペテルブルグ : 府中市民交響楽団 第87回定期演奏会


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日時: 2023年5月14日(日)
会場: 府中の森芸術劇場 どりーむホール
曲目: ショスタコーヴィチ: 交響曲第7番 ハ長調 作品60「レニングラード」
指揮: 大井剛史

 ちょっと前に漫画版『戦争は女の顔をしていない』を読み、今は同じスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ作の『セカンドハンドの時代』を読んでいる。
 前者は第2次世界大戦中の独ソ戦に関するソ連の女たちの証言集、後者は共産主義時代のソ連および1991年ソ連崩壊以降に起きたことに関する、かつてソ連邦に属した様々な人々による証言集である。
 重要なのはいずれも庶民の声であること。
 ソルティは近現代ロシア史を庶民の視線から学んでいる最中なのである。

 過去100年ソ連で起きたことを体験者の声を通して振り返ると、唖然とし、愕然とし、呆然とし、しまいには暗澹たる気持ちになる。
 日本だってこの100年、戦争や占領や暴動や災害やテロなどいろいろあったに違いないが、ソ連にくらべれば穏やかなものである。
 とくに戦後の日本は、もしかしたら、人類史上稀なる平和と繁栄と自由と平等とが実現された奇跡的空間だったと、のちの歴史学者は語るかもしれない。
 ロシアのウクライナ侵攻が国際的非難を浴びていて、ソルティも一刻も早いロシアの完全撤退とプーチン政権の終焉を望むものだけれど、しかし、近現代ロシア史を知らずにこの戦争を安易に語ることはできないのではないかと思う。
 なんといっても、ロシアとウクライナはもとは同じ一つの国であり、ロシア人とウクライナ人は同じソヴィエト国民だったのだ。

 同じように、近現代ロシア史を知らずに、ショスタコーヴィチを鑑賞することは難しいのではないかと思う。
 少なくとも、今はまだ・・・・。
 『セカンドハンドの時代』には、スターリン独裁体制下を生き延びた人々の証言が数多くおさめられている。
 徹底的な言論・思想統制、密告奨励、不当逮捕、強制収容、シベリア流刑、拷問、虐殺・・・・。
 恐怖と圧迫と洗脳と諦念と擬態と黙殺と。
 厄介なのは、スターリンは独ソ戦でナチスドイツに勝利した英雄でもあることだ。
 スターリンを讃美し、スターリン時代を懐かしがる老人が今もロシアに残っているのである。
 ソ連国民は、他国のヒトラーを退けるために、自国のヒトラーを受け入れざるを得なかった。 
 ショスタコーヴィチの音楽を、こうした酷すぎる歴史の現実から切り離して、純粋音楽として指揮したり、演奏したり、聴いたりすることは、あまりに脳天お花畑の仕草に思われる。
 スターリン体制下あるいはKGBによって拉致や拷問や処刑された命に対する軽侮のように思われる。
 当の作曲家だってそれを望んじゃいまい。

 そしてまた、聴く者が過去100年のソ連の歴史と庶民の生活について知れば知るほど、ショスタコーヴィチの音楽は深みを増す。
 作曲家が楽譜に描き込んだ、恐怖や苦痛や不安や苦悩や絶望や悲しみ、あるいは夢や懐旧の念や死者への祈りや平和への願いや愛、あるいは全体主義にたいする批判や嫌悪や抵抗――それらが聴く者の胸の奥に届き、倍音をもって(つまりは対ドイツのそれと対ソヴィエトのそれ)響くのである。

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府中の森芸術劇場
 
 今回ライブ2度目となる『レニングラード』
 それぞれの楽章について、次のような章題を思いついた。
  • 第1楽章 ファシズムは最初、軽快なマーチのリズムに乗って、親しみやすい正義の顔してやって来る。
  • 第2楽章 今さら嘆いても遅い。夢じゃない、これが我々の現実だ。
  • 第3楽章 死者だけが戦争を終わらせることができる。
  • 第4楽章 人間は学ばない。喉元過ぎれば熱さ忘れる。
 演奏は第1楽章が一番良かった。
 小太鼓の単調なリズムから始まる「侵攻の主題」において、単純なメロディが繰り返されるたびに加わる楽器が増えていき、次第に狂気の色を濃くしながら盛り上がっていく様は、各楽器のソロ奏者の安定した技術とオケ全体のバランスの良さに支えられ、背筋がゾッとなるほどの迫力とリアリティがあった。
 
 ちなみに、現在レニングラードという都市はない。
 ソ連崩壊と共に、レーニンは神棚から引きずり降ろされてしまった。
 革命前のロシア帝国時代の旧名「聖ペテルブルグ」に戻っている。

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府中の聖地、大国魂神社




● キャッチ22 : みなとみらい21交響楽団 第24回定期演奏会


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日時: 2023年4月1日(土)14:00~
会場: ミューザ川崎シンフォニーホール
曲目: 
  • セルゲイ・プロコフィエフ: バレエ音楽『ロメオとジュリエット』第2組曲
  • ドミトリ・ショスタコーヴィチ: 交響曲第10番
  • 《アンコール》 アレクサンドル・モロソフ: 交響的エピソード「鉄工場」
指揮: 田部井 剛

 ロシアv.s.ウクライナ戦争が始まってから、ロシア(ソ連)出身の芸術家が矢面に立たされるような状況が続いているが、国内の演奏会でもまた、ロシア(ソ連)の作曲家が取り上げられる機会が減っているようだ。
 とりわけ、スターリン独裁時代のソ連で、体制賛美の国民的作曲家として“利用された”ショスタコーヴィチの凋落が激しい。
 i-Amabileの「演奏される機会の多い作曲家ランキング」を見ても、ここ40年間30位以内をキープしていたショスタコーヴィチが、2020年以降は圏外に落ちている。
 ショスタコーヴィチを演奏する=ソ連(ロシア)の味方、みたいなイメージがあるのだろうか。
 としたら、残念な話である。

 アメリカ作家ジョセフ・ヘラーが1961年に『キャッチ=22』(Catch-22)という小説を発表した。
 堂々巡りの戦争の狂気を描いた作品としてベストセラーとなり、1970年にはマイク・ニコルズ監督により映画化された。
 その後、「キャッチ22」という言葉は、「ジレンマ、板挟み(の状況)、不条理な規則に縛られて身動きが取れない状態、お手上げ」を意味するスラングとして定着した。
 I'm in a catch-22 situation. (どうにもならない状況です)のように使う。
 ショスタコーヴィチの伝記を読んでいて浮かんでくるのは、この「キャッチ22」という言葉である。

 「才能ある芸術家としての自由な表現=ショスタコーヴィチの個性や魂」が、「スターリン独裁体制=ファシズム共産主義」の圧迫によって窒息寸前にまで追い詰められ、文字通り生きのびるために体制に肯定される曲を作らなければならなかった。
 一方、魂を殺してしまっては元も子もない。
 まさに板挟み。 
 そこで苦肉の策として、ベートーヴェン由来の交響曲の伝統的な型であり、かつマルクス主義者の好きな「苦闘から勝利へ」というドラマになぞらえることのできる《暗から明へ》によって、表面的には体制順応的な姿勢を見せながら、実質は「殺される危機にある魂の叫び」を表現したのではないか。
 ――というのが、現時点のソルティのショスタコーヴィチ観である。
 周囲の社会が、政治的状況が、作曲家としてのスタイル(文体)を決定した典型的なケースのように見える。
 もっともそこには、作曲家廃業、あるいは体制への徹底的抵抗、あるいは他国への亡命、のいずれをも選ばなかったショスタコーヴィチ自身の性格や生き方が反映されているわけであるが・・・。
 
 結果的に見れば、「キャッチ22」状態において作られた数々の曲が、白黒はっきりつけられない、混沌として複雑極まる世界の中で生きる、現代人の閉塞した状況を見事に表現しているわけで、その意味ではやはり、時代に選ばれた作曲家なのだと思う。

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 交響曲第10番は、宿敵とも言えるスターリンの死(1953年3月)の直後から作曲され、同年12月に発表された。
 雪解けの気配は漂っているが、まだまだ先の見通しは立たない。(スターリンの衣鉢を継ぐ、スターリン以上の暴君が出現するかもしれない)
 しかし、ともあれ独裁者は死んで、希望の光が生まれた。
 ソビエト社会も国民も混乱していたことだろう。
 今回はじめて10番を聴いて頭に浮かんだ単語は、まさに「混乱」であった。
 構成の混乱、主題の混乱、曲想の混乱、曲調の混乱・・・ショスタコーヴィチの混乱した精神状態がそのまま楽譜に写し取られたような感じを受けた。
 
 この日の午前中、コロナワクチンの5回目接種をした。
 副反応のせいか、頭がポーっとなっていた。
 前半のプロコフィエフ『ロメオとジュリエット』は、半スリープの朦朧状態で聴いた。
 休憩後にやっと起動したけれど、いま一つ身が入らなかった。
 「混乱」という印象は、聴き手に要因があったのかもしれない。
 機会あれば、また聴いて確かめたい。
 
 アンコールは、昨年10月のクラースヌイ・フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会で聴いたA. モソロフ作曲の『交響的エピソード《鉄工場》』。
 指揮者の田部井は、工事現場用ヘルメットをかぶり、ハンマーを手に登場した。
 オケの数名も色とりどりのヘルメットをかぶった。
 以前、別のオケでアンコールに「スターウォーズのテーマ」をやった時は、ダースベーダーの恰好で指揮していた。
 こうした遊び心がこの指揮者の身上である。

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川崎駅







 
 

● 本:『作曲家◎人と作品シリーズ ショスタコーヴィチ』(千葉潤著)

2005年音楽之友社

 交響曲第5番で興味を惹かれ、1番で衝撃を受け、7番で真価を知ったショスタコーヴィチ。
 マーラーに次いで、演奏会を追っていく存在になりそうである。

 もともと20世紀のソ連の作曲家というくらいしか知らなかった。
 それも、名前の終わりに「~ヴィチ」がつくからソ連だろう、おそらくソ連からどこかに亡命して活動していたんだろう、絵画で言えばピカソのような「よく分からない」現代音楽の人だろう、というイメージがあった。
 実際に聴いてみたら、伝統的な構成(ソナタ形式)から大きくはずれておらず、分かりやすいメロディもあり、民族音楽風の大衆的な要素もある。
 マーラーに近いと思った。
 「これなら聴ける!」 
 
 演奏会でもらったプログラムを読んで、ショスタコーヴィチは生涯ソ連に住み続けた人で、スターリン独裁体制(1929-53)の中で自由な曲づくりができなかった。どころか、意に反して体制翼賛的な音楽を作らざるをえなかったと知って、俄然興味が湧いた。
 ショスタコーヴィチの親類や友人の多くは、亡命するか、さもなくば、流刑や処刑を免れなかった。
 苦難の人生を歩んだ人だったのである。
 
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 本書は、音楽之友社が発行している『作曲家◎人と作品シリーズ』の一巻で、最新の研究結果をもとにした「生涯篇」、代表的な作品を解説した「作品篇」、詳細な作品表・年譜などを収録した「資料篇」から成る。
 全般わかりやすい平易な文章で書かれ、読みやすい。
 2023年4月に発行予定の『シェーンベルク』で全24巻が完結するようだ。
 日本人の『武満徹』が入っているのが嬉しい。

 本書を読んで、ますますショスタコーヴィチという人物とその音楽に関心が湧いた。
 なにより面白いのは、ショスタコーヴィチの作曲家としての評価の豹変ぶりである。

 20世紀の作曲家としてのショスタコーヴィチへの評価は、少なくとも、社会主義圏以外では、生前からすでに凋落の一途をたどっていた。戦後の前衛音楽の圧倒的な展開を経験した西側の音楽家にとってみれば、たび重なる党の批判を受け入れて、芸術的な妥協を重ね続け、交響曲や弦楽四重奏曲といった前世紀的なジャンルで、社会主義を讃美する調性音楽を書きつづけたショスタコーヴィチは、政治的な日和見主義と大衆迎合的な作曲家の典型と見なされていた。当時の西側の音楽界は、冷戦時代のイデオロギーと前衛的な価値観に、いまだ強く支配されていたのである。だが、没後からまもなく、ショスタコーヴィチをとりまく状況は、劇的に変化することになった。(本書より、ゴチはソルティ付す)

 そのきっかけとなったのが、ショスタコーヴィチ逝去から4年後の1979年にアメリカで出版された、ソロモン・ヴォルコフ著『証言―ショスタコーヴィチの回想録』である。
 ヴォルコフはソ連(現・タジキスタン共和国)出身の音楽学者で、生前ショスタコーヴィチに数回にわたってインタビューした内容をもとに、『証言』を書いたという。
 そこには、「生涯におよぶショスタコーヴィチの共産主義にたいする根深い嫌悪や、その作品に隠された反体制的なメッセージ、スターリン体制下での知識人弾圧の実態」などが赤裸々に書かれていた。
 この本の発表によって、それまで共産党の忠実な息子と思われていたショスタコーヴィチのイメージが一転し、共産主義の殉教者へと格上げ(?)したのである。
 そこから西側音楽界におけるショスタコーヴィチの見直しと再評価が起こり、演奏会のプログラムに名を列ねるようになり、カラヤンやバーンスタインなど西側の有名な指揮者によってレコーディングされるようになっていく。
 その音楽も、「政治的な日和見主義と大衆迎合的」な見かけの裏に、反ファシズム・反スターリン・反戦の思いを密かに隠し入れた、もっと複雑で、もっと奥深いものと解され、矛盾と懊悩に満ちた作曲家の精神の軌跡が読まれていくようになる。
 つまり、1980年代になってようやくその真価が世界に発見され、国際的人気を博するようになったのである。

ショスタコーヴィチ肖像
ショスタコーヴィチ(1906-1975)

 ソルティがよく利用するアマオケ演奏会情報サイト i-Amabile に掲載されている、過去の演奏会履歴によれば、国内でのショスタコーヴィチの各年代ごとの演奏回数は以下の通り。
  • 60年代  ゼロ
  • 70年代  13回
  • 80年代  37回 (前年代比2.8倍)
  • 90年代  98回 (同2.6倍)
  • 2000年代 189回 (同1.9倍)
  • 2010年代 317回 (同1.7倍)
 回数自体の増加は、コンサートホールやアマオケ数の増加、インターネットの普及など、いろいろな要因がある。
 そこで、西側の代表的人気作曲家であるブラームスの場合を並べて、増加率に注目してみると、
  • 60年代  64回
  • 70年代  171回
  • 80年代  339回 (前年代比2.0倍)
  • 90年代  603回 (同1.8倍)
  • 2000年代 973回 (同1.6倍)
  • 2010年代 1648回 (同1.7倍)
 明らかに、ショスタコーヴィチの曲が演奏会で取り上げられる割合が増えていることが分かる。
 ブラームスは、各年代を通じて、「演奏される機会の多い作曲家ランキング」のトップ5に入っている。(ちなみに、1位はベートーヴェン、2位はモーツァルト)
 ショスタコーヴィチは、70年代は圏外、80年代30位→90年代20位→2000年代16位→2010年代20位、と躍進が見られる。(ショスタコーヴィチの音楽は、ブラームスと違って難解で陰鬱で、男性を中心とするコアなファンを獲得するタイプなので、15~20位あたりが頭打ちだろう)

 そんなわけで、死後に一躍脚光を浴びて、人気作曲家の一人に数えられるようになったショスタコーヴィチであるが、またしても面白いことには、1980年にアメリカの音楽学者であるローレル・フェイが書評で、ヴォルコフの『証言』の内容に疑問を投げかけた。
 端的に言えば、『証言』の中味は、ショスタコーヴィチ自身によるものではなく、著者であるヴォルコフの創作(捏造)によるところが大きいのではないか?――というものである。
 生涯多作の作曲家――交響曲だけで15番まである――として商業的価値が高まる一方で、ショスタコーヴィチの正体や真意をめぐっての、『証言』の真贋論争が始まった。
 問題の究明を続けたフェイは、2002年にさらなる証拠を提出して、事実上、真贋論争にとどめを刺した。 
 ヴォルコフの『証言』は偽書と言っていいものだったのである。

 となると、「反体制の平和主義者」「共産主義の殉教者」という、西側音楽界が与えたショスタコーヴィチの名誉ある称号はどうなるのか?
 これもまた偽りなのか?
 彼の作った音楽は、どう解釈され、どう演奏され、どう聴かれるべきなのか?
 ショスタコーヴィチの真意はどこにあったのか?

 生きている間だけでなく、死んでからも、政治と商業主義とメディアと学者や評論家に翻弄され続ける天才作曲家。
 いまショスタコーヴィチを聴く面白さは、そんな現代的混沌を生きる人間の矛盾に満ちた多面的な生を、作品から感じとるところにあるように思う。
 それこそ、真の意味での現代音楽である。

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おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● 粛清された官能 クラースヌイ・フィルハーモニー管弦楽団 第4回定期演奏会


 クラースヌイとはロシア語で「赤」あるいは「美しい」「情熱」を意味する言葉だという。
 2018年に発足した20~30代中心のアマオケで、ロシア音楽を中心に演奏している。
  
 発足時にはよもや今のような状況になるとは思わなかっただろう。
 ロシアのウクライナ侵攻が始まって、ロシアの国際評価は急降下。
 海外で活躍するロシア出身の音楽家たちも肩身の狭い思いをしている。
 配布プログラムによれば、当オケの団長さんも、「このままロシア音楽中心のオケでいいものだろうか」と逡巡したそうだ。
 
 しかし、音楽自体に罪はないこと、そして、特定の国家の文化をすべて拒絶してしまうことは、その国家への差別や偏見を生み、果ては惨事を生み出す基となると考え、音楽活動を継続することを決意しました。(第4回定期演奏会プログラムより抜粋)
 
 そのとお~り!
 音楽にお国柄はあっても国境はない。
 むしろこういう時期だからこそ、人間らしさ・庶民らしさてんこ盛りのロシア音楽の神髄を市民に送り届けて、ロシア国民もまた日本人を含む全世界の人々同様、赤い血潮に満ち、愛する人のために熱い涙をこぼす人間であることを訴えてほしい。

クラースヌイ演奏会


日時 2022年10月29日(土)18:00~
会場 和光市民文化センター・サンアゼリア大ホール
指揮 山上 紘生
曲目
  • 伊福部 昭: SF交響ファンタジー 第1番
  • G. スヴィリードフ: 組曲《時よ、前進!》
  • A. モソロフ: 交響的エピソード《鉄工場》
  • D. ショスタコーヴィチ: 交響曲第1番 ヘ短調
サンアゼリア
和光市民文化センター・サンアゼリア

 まずもって選曲のユニークさに惹かれた。
 《SF交響ファンタジー第1番》は、伊福部昭が音楽を担当した東宝の『ゴジラ』『キングコング対ゴジラ』『宇宙大戦争』『フランケンシュタイン対地底怪獣』『三大怪獣 地球最大の決戦』『怪獣総進撃』の6本の特撮映画の楽曲から構成されている。
 幼い頃からスクリーンやTVモニターを通して聴いたことある曲ばかりだが、生演奏で聴くと迫力が違う!
 金色に輝くチューバの巨大な朝顔部分を、キングギドラの首と錯覚した。

 映画音楽作家としての伊福部昭の才能はいまさら言うまでもないところだが、ソルティが特に感心したのは、東宝の『日本誕生』である。
 古代が舞台の物語において、ヤマト(和風)、熊襲(中国・朝鮮風)、蝦夷(アイヌ風)と場面ごと民族ごとにふさわしい調子で書き分ける器用さには舌を巻いた。
 昨今、『砂の器』などシネマコンサートが流行りであるが、デジタルリマスタ―した『日本誕生』も上演候補リストに入れてもよいのではなかろうか。
 アマテラスを演じる原節子の類なき美貌や、ヤマトタケルを演じる三船敏郎の名演とともに、伊福部の天才を若い人々に伝導する機会となること間違いなし。

 G. スヴィリードフとA. モソロフは初めて耳にする名前。
 むろん曲を聴くのも初めて。
 組曲《時よ、前進!》は、1965年にソ連で上映された同名のドラマ映画のために作られた。1930年代の製鉄所を舞台とする話だとか。
 一方、交響的エピソード《鉄工場》は、1926年に作曲された短い(たった4分)管弦楽曲。タイトル通り、人類初の社会主義国家として誕生したばかりのソ連の製鉄所の風景が描かれている、いわゆる叙景音楽。
 製鉄という共通項がある。

 ソ連の国旗を見ると分かるが、鎌と槌こそは農民と労働者階級との団結を示し、共産主義の最終的勝利を象徴するシンボルだった。
 リズミカルに力強く響きわたる鉄打つ槌の音に、指導者も人民も、古い世界を打ち壊して新しい世界を創造する「希望と力と連帯」とを感じ取ったのだろう。
 いまや100年も昔の話である。
 《鉄工場》の最後のほうに、舞台上で実際に鉄板を木槌で打ち鳴らす箇所がある。
 プログラムには、理想の鉄板を求めて徳島の鉄工所まで旅する団員達のエピソードが載っていた。
 苦労の甲斐あって、本番では「希望と力と連帯」を感じさせるイイ音を発していた。
 鉄板奏者に限らず、全体的に金管楽器奏者の奮闘が目立った。 

ソ連国旗

 最後のショスタコーヴィチ。
 衝撃的であった!
 ソルティは今年1月に、東京大学音楽部管弦楽団の定期演奏会でショスタコーヴィチを初めて聴いた。
 交響曲第5番《革命》、指揮は三石精一であった。
 そのときに、スターリン独裁の地獄と化してしまった全体主義国家における、一人の芸術家の苦悩と鬱屈、抑圧され歪んでしまった才能を感じ取った。 
 滅多にない素晴らしい才能であるのは間違いないけれど、ショスタコーヴィチの本来の感性や生まれもっての個性が不当に歪められ押し潰されている。
 そんな印象を受けた。

 今回衝撃だったのは、第1番を聴いて、ショスタコーヴィチの本来の感性や個性がいかなるものであるか知らされた気がしたからである。
 そう、第1番作曲は1925年。誕生して間もないソ連では革命の英雄レーニンが亡くなり、スターリンが最高指導者に就いたばかり。ショスタコーヴィッチはまだ19歳の学生だった。
 スターリンによる大粛清が始まったのは30年代に入ってからなので、この頃はまだ自由に好きな曲が作れたわけである。
 1937年に作られた第5番との曲想の違いがとてつもない。
 同じ作曲家の手によるものとは思えないほどだ。
 
 なにより驚いたのが、全曲に染み渡っている〈美と官能〉。
 まるでワーグナーとシェーンベルクの間に生まれた子供のようではないか。
 とりわけ、第3楽章、第4楽章のエロスの波状攻撃ときたら、客席で聴いているこちらのクンダリーニを刺激しまくり、鎖を解かれた気の塊が脊髄を通って脳天に達し、前頭葉からホールの高い天井に向けて白熱する光が放射されている、かのようであった。
 こんなエロチックで情熱的な作曲家だったなんて!
 まさに、モーツァルト、マーラー、ワーグナー、サン・サーンス、シェーンベルク、モーリス・ラヴェル、R.シュトラウスら“官能派”の正統なる後継ではないか。(スクリャービンは聴いたことがありません、あしからず)
 
 クラシック作曲家の才能とは結局、音を使って「美」を表現する天賦の才のことだと思うが、その意味ではショスタコーヴィチの天賦の才は、ひょっとしてワーグナーやマーラーを超えるものがあったのではなかろうか。
 というのも、19歳でこのレベルなのだから。
 交響曲第1番は、これから作曲家として世に出ようとする将来有望な若者が、美の女神に捧げる贈り物であると同時に、人生を音楽にかける決意といった感じ。
 この才能が、体制によって歪められたり矯正されたり忖度を強いられたりすることなく、そのまま素直に伸びていったら、どんなに凄い(エロい?)作曲家になっていたことだろう。
 いや、いまだって十分に凄いわけであるが、進取の気と創造力と愛欲みなぎる人生の数十年間を、無駄に費やしてしまったのではないか?と思うのである。
 
 この美と官能の世界に見事にジャンプインして、巧みに表現した山上紘生には恐れ入った。
 初めて接する指揮者であるが、貴公子然とした清潔感あふれる穏やかな風貌の下には、おそらくエロスと情念の渦がうごめいているのだろう。
 若いオケとの相性もばっちり。

 次回(2023年3月11日)は、ショスタコーヴィチ第7番《レニングラード》をクラースヌイ&目白フィル合同で振るという。
 これは聴きに行って事の真偽を確かめなければ。
 
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 ホール内にあったハロウィン飾り
 




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