1935年松竹
80分、白黒、サイレント(音楽付き)
神保町シアター「戦前戦後 東京活写」特集にて鑑賞。
1926年に監督デビューした小津安二郎がサイレントからトーキーに乗り換えたのは、1936年『鏡獅子』(記録映画)、『一人息子』であった。
本作はフィルムが残っているものとしては小津の最後のサイレント映画であり、すでに自家薬籠中のものとなったサイレントのテクニックがあますところなく活用されている。
くわえて、ローポジションカメラ、無機物のみの空ショット、対話する人物の切り返しショットなど、後年トレードマークともなった小津スタイルの片鱗があちらこちら散見されて興味深い。
監督名を知らされずに本作を観たとしても、多くのベテラン邦画ファンは、これを小津作品と見抜くであろう。
もっとも、主演が坂本武で、息子役の一人が突貫小僧ときては、正体を見抜くのは難しくあるまいが。
球形のガスタンクや工場が点々と並ぶ砂漠のような光景は、1930年代の東京湾岸の埋立地という。
猿江という地名が出て来るので、今の江東区あたりだろうか。
そのがらんとした無味乾燥な景色の中を、失業中の喜八(坂本武)と息子二人がとぼとぼと歩いて行く。
仕事の口がなかなか見つからず、今夜の泊りも見知らぬ人との雑魚寝が基本の木賃宿。
これは一介の貧しい庶民の物語なのである。
原作者のウィンザード・モネは、小津安二郎、池田忠雄、荒田正男の合体ペンネーム(without
moneyをもじったもの)というから、小津自身、生活費の工面に苦しんでいた頃だったのかもしれない。
喜八親子は、同じく失業中の母子に出会う。
この母親役が岡田嘉子。
若い頃から数々の浮名を流し、撮影中に共演者と駆け落ちするなど奇行を重ね、挙句の果てには共産主義者の愛人とソ連に逃避行をはかったスキャンダル女優の花形である。
たしかに美人であるし、演技も上手い。
演出や演技のレベルではなしに、男に庇護心を起こさせる魔力がうかがえる。
それはヴァンプ女優のわかりやすい色気とはまた違う、しいて言えば、若い頃の大竹しのぶのような「脆弱さを装ったしたたかさ」。
岡田が持つこのような個性が、本作の役柄に活かされている。
この女優について調べたくなった。
坂本武、突貫小僧、飯田蝶子、それぞれ名演である。
突貫小僧は、『博多っ子純情』の六平少年(光石研)を想起させる。
おすすめ度 :★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損