ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

  小津安二郎監督

● 昭和10年代の東京湾岸 映画:『東京の宿』(小津安二郎監督)

1935年松竹

80分、白黒、サイレント(音楽付き)


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 神保町シアター「戦前戦後 東京活写」特集にて鑑賞。

 1926年に監督デビューした小津安二郎がサイレントからトーキーに乗り換えたのは、1936年『鏡獅子』(記録映画)、『一人息子』であった。

 本作はフィルムが残っているものとしては小津の最後のサイレント映画であり、すでに自家薬籠中のものとなったサイレントのテクニックがあますところなく活用されている。

 くわえて、ローポジションカメラ、無機物のみの空ショット、対話する人物の切り返しショットなど、後年トレードマークともなった小津スタイルの片鱗があちらこちら散見されて興味深い。

 監督名を知らされずに本作を観たとしても、多くのベテラン邦画ファンは、これを小津作品と見抜くであろう。

 もっとも、主演が坂本武で、息子役の一人が突貫小僧ときては、正体を見抜くのは難しくあるまいが。


球形のガスタンクや工場が点々と並ぶ砂漠のような光景は、1930年代の東京湾岸の埋立地という。

猿江という地名が出て来るので、今の江東区あたりだろうか。

そのがらんとした無味乾燥な景色の中を、失業中の喜八(坂本武)と息子二人がとぼとぼと歩いて行く。

 仕事の口がなかなか見つからず、今夜の泊りも見知らぬ人との雑魚寝が基本の木賃宿。

 これは一介の貧しい庶民の物語なのである。

 原作者のウィンザード・モネは、小津安二郎、池田忠雄、荒田正男の合体ペンネーム(without moneyをもじったもの)というから、小津自身、生活費の工面に苦しんでいた頃だったのかもしれない。

 

 喜八親子は、同じく失業中の母子に出会う。

 この母親役が岡田嘉子。

 若い頃から数々の浮名を流し、撮影中に共演者と駆け落ちするなど奇行を重ね、挙句の果てには共産主義者の愛人とソ連に逃避行をはかったスキャンダル女優の花形である。

 たしかに美人であるし、演技も上手い。

 演出や演技のレベルではなしに、男に庇護心を起こさせる魔力がうかがえる。

 それはヴァンプ女優のわかりやすい色気とはまた違う、しいて言えば、若い頃の大竹しのぶのような「脆弱さを装ったしたたかさ」。

 岡田が持つこのような個性が、本作の役柄に活かされている。

 この女優について調べたくなった。

 

 坂本武、突貫小僧、飯田蝶子、それぞれ名演である。

 突貫小僧は、『博多っ子純情』の六平少年(光石研)を想起させる。


突貫小僧
突貫小僧こと青木富夫




おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損



 

● 日日是好日 映画:『パーフェクト・デイズ』(ヴィム・ヴェンダース監督)

2023年日本、ドイツ
124分

 1987年公開の『ベルリン・天使の詩』以来、実に37年ぶりにヴェンダース作品を観た。
 ハリー・ディーン・スタントンとナスターシャ・キンスキー共演で大ヒットした『パリ、テキサス』の砂漠の青空の印象が強いせいか、「ヴェンダース=青色系」というイメージがあるのだが、やはり本作も「青色系」であった。
 ただし、BLUEやINDIGOのような主張の強い「青・藍」ではなく、淡く曖昧な寒色系といった「あお」である。
 この色彩感覚が、ヴェンダース作品が日本人に好まれる理由のひとつではないかと思う。
 「あお」で描き出される東京、とりわけ下町が本作の舞台である。

 都内の公衆トイレの清掃員である平山(演・役所広司)の何気ない日常を切り取った、ただそれだけの映画。
 大きな事件も起こらず、濃い人間ドラマが展開することもなく、ことさら観る者の感情を煽るような仕掛けもない。
 波乱万丈のストーリー、起承転結あるプロットを期待する者は肩透かしを喰らうだろう。
 カメラは、ほぼ一週間、朝から晩まで平山に密着し、平凡な初老の男の日常を映す。
 つまらないと言えば、これほどつまらない話もあるまい。
 だれが60歳をとうに過ぎた独身男、それもトイレ清掃員の日常生活を追いたいと思う?
 
 そういう意味で、観る人によって評価が分かれる作品、観る者を選ぶ映画と言える。
 おおむね、将来ある若者や現役バリバリの中年世代より、一線をリタイアした高齢者のほうが共感しやすいと思うし、いわゆる「勝ち組」よりは「負け組」のほうが胸に迫るものがあると思うし、富や出世や成功など目標達成的な生き方を好む人より、日常の些細な事柄の中に喜びを見つけるのが得意な人のほうが、本作のテーマをより理解しやすいと思う。
 批評家の中条省平が本作をして、「日常生活そのものをロードムーヴィ化している」と評したそうだが、まさにそれに尽きる。
 ソルティ流に言うなら、こうだ。
 
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四国遍路・別格7番金山出石寺付近
 
 本作のミソは、主人公・平山の背景や過去が語られないところにある。

  年はいくつなのか?
  出身はどこなのか?
  どういう人生を歩んできたのか?
  もともと何の仕事をしていたのか?
  結婚したことがあるのか?
  子供はいるのか?
  なぜ、トイレ掃除の仕事をしているのか。
  なぜ、安アパートで一人暮らしなのか。
  なぜ、無口なのか。
  いつから、なぜ、こういう生き方をするようになったのか?
  ・・・・・等々
 
 観る者は、役所広司演じる平山の表情や振る舞いや趣味嗜好を通して、平山の背景や過去を想像、推理するほかない。
 たとえば、
  • 外見からは60代~70代(役所は68歳)だが、姪っ子(妹の娘)がハタチそこそこに見える。若く見つもって50代後半~60代前半? いや、しかし、聴いている音楽は70年代に流行った洋楽ばかりで、しかもカセットテープ世代である。愛用しているカメラもデジタルではなくフィルム式。となると、60代後半?
  • ノーベル文学賞作家のウィリアム・フォークナー、『流れる』『木』の幸田文、『太陽がいっぱい』『11の物語』のパトリシア・ハイスミスを愛読しているからには、かなりのインテリ。大卒の一流企業社員であったのかもしれない。あるいはカメラ関係の仕事か。
  • 疎遠になっている裕福そうな妹がいて、二人の父親は認知症で老人ホームに入っているらしい。平山は、この父親とかなり険悪な関係であったようで、今も会う気はない。子供の頃、虐待を受けていたのか?
  • 結婚して家庭をもったけれど、うまくいかず、離婚したのか。妻子に死なれたのか。あるいはゲイ?(それなら、父親との関係も説明がつく)
  • 整理整頓の習慣が身についているのは、ひょっとして、自衛隊にいた? あるいはムショ暮らしが長かったのか。(前科者ゆえ、出所後に就ける仕事が限られたのかもしれない)
  • 住んでいる地域は映像から見当がつく。スカイツリーの近くで、「電気湯」という名の銭湯や浅草駅や亀戸天神に自転車で通える範囲で、隅田川にも荒川にも出られる。となると、墨田区曳舟だろう。
  • ひとつ確かなことがある。平山は今も「昭和」に住んでいる。

駄菓子屋
 
 主人公の過去をあえて饒舌に語らないでいることは、観る者に想像の余地を与えて、その空白部分に観る者自身の過去を投影させる。(たとえば、上記でソルティが平山をゲイと仮定したように)
 観る者は、平山を通して自らの過去を点検する。と同時に、平山の「現在」と自らの「現在」を自然と比べてしまうことだろう。
 「ああ、自分はトイレ掃除で日銭を稼ぐような、落ちぶれた独り者にならなくて良かった」と思う人もいよう。
 「自分の境遇は平山よりずっと恵まれているのに、なぜ自分は平山のように安穏と生きられないのだろう? 熟睡できないのだろう? 女にモテないのだろう?」と思う人もいよう。
 要は、世間的には「負け組」のカテに放り込まれるであろう平山の「現在」を通して、幸福の意味の問い直しを促すところに、本作のテーマはある。
 
 どんな人も、人生のある瞬間に――たいていは老年になってから――自らの過去を振り返り、そこに後悔や未練や失敗や恥を見る。
 他人から見て、すべてを手に入れ成功した人生(パーフェクト・ライフ)を歩んできたように見えても、当人の中では、「こんなはずじゃなかった」と思っている場合も少なくない。
 そこで過去に囚われて、「あるべきはずだった人生」と「そうはならなかった人生」をくらべて落ち込み、残りの人生を鬱々と過ごす人も多い。
 そのとき、もはや繰り返される日常は、苦痛で退屈で疎ましいものでしかなくなる。
 過去の記憶が、現在の幸福を邪魔する。
 
 正確に覚えていないのだが、『パリ・テキサス』の中で、ハリー・スタントン演じる男は、こんなセリフを吐く。
 「二人にとっては、毎日のちょっとしたことがすべて冒険だった」
 そう、平山にとっても、毎日が冒険と発見の連続なのだ。
 毎朝出がけのBOSSの缶コーヒー、通勤途中のスカイツリーへの挨拶、トイレ掃除を通じて起こる些細な出来事、苗木との出会い、公園のホームレスとの無言の存在確認、見知らぬ誰かとの〇×ゲーム、仕事仲間の恋愛に巻き込まれること、古本屋の店主とのマニアックな会話、家出してきた姪っ子とのサイクリング、妹との再会、飲み屋のママの過去を知ってしまうこと、その元亭主のうちわ話を聞くこと、爽やかな早朝の大気、刻々と色彩を変える夕空、突然の土砂降り、木漏れ日のきらめき、荒川の水面に映るネオンサイン・・・・。
 同じことの繰り返しのように見える毎日毎日の暮らしの中に、さまざまな新しい出会いが生じ、その都度「生」は我々に応答をもとめている。日常の中に潜む美しさや深さは、常に発見されるのを待っている。(ドイツ人監督であるヴェンダースによって撮られたあおい TOKYO が、異国のように美しくエキゾチックに感じられるのは、まさにその一例だ。普段、自らの頭の中に拵えた“東京”に安住している我々は、その美しさに衝撃を受ける)
 
 生きている限り、毎日、いろんなことが起こっている。変化している。
 同じ一日、同じ一時間、同じ瞬間、同じ出会いはあり得ない。
 それこそ諸行無常。
 いいことも、悪いことも、一瞬ののちには去り行く。
 ならば、いっそ諸行無常を楽しんだほうが得であるのは間違いない。
 平山が見つけた幸福の極意は、おそらく、ここにある。
 
灌頂滝の虹
 
 映画のタイトルは、アメリカ出身のミュージシャンであるルイス・アレン・リードが1972年に発表した楽曲から採られている。映画の中でも、平山のお気に入りの一曲として、仕事場へ向かう車の中でカセットデッキで流される。
 ソルティは洋楽に詳しくないので、どういう歌なのか知らないのだが、本作において『パーフェクト・デイズ』が意味するところを、我々日本人がよく見聞きする言葉に置き換えるなら、これだろう。
 
 本作で役所広司は、日本人としては『誰も知らない』の柳楽優弥以来19年ぶりに、カンヌ国際映画祭男優賞を獲得した。
 それも十分納得の名演であるが、凄いところは、鑑賞直後よりも半日後、半日後よりも24時間後、24時間後よりも3日後・・・・というように、時がたつほどに映画の中の「役所=平山」の表情や仕草が眼前に鮮やかに浮かび上がってくるところである。
 それに合わせて、映画の感動もじわじわと心身に広がっていく。むろん、評価もまた。
 こういう、あとから効いてくる、中高年の筋肉痛のような作品は珍しい。

 ほかの出演者では、平山の仕事仲間でいまどきの若者を演じる柄本時生(柄本明の次男坊)、スナックのママ役の石川さゆり、その元亭主の三浦友和、公園のホームレス役の田中泯など、印象に残る演技である。
 平山の行きつけの写真店の主人を演じているのは、アメリカ文学者にしてポール・オ-スターの小説を翻訳している柴田元幸。
 なぜ、この人が???
 
 最後に――。
 平山と姪っ子が自転車で並んで走るシーンは、まず間違いなく、小津安二郎『晩春』へのオマージュだろう。
 ヴェンダースの小津愛が感じられて、うれしかった。
 
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 小津安二郎監督『晩春』の宇佐美淳と原節子
 
 
おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損


● 川口隊長の初探検 映画:『浮草』(小津安二郎監督)

1959年大映
119分

 本作は未見であった。
 これほどの傑作を観ていなかったとは不覚。
 小津作品の中ではあまり話題に上ることもないので、失敗作とは言わないまでも、凡作という位置づけなのかと思っていた。

 なにより小津作品としては異色ずくめ。
 制作はいつもの松竹ではなくて大映。
 撮影はいつもの厚田雄春でなくて宮川一夫。
 核となる女優陣も、当時大映所属の京マチ子、若尾文子。
 小津映画の常連である笠智衆、杉村春子、高橋とよらは出ているものの、芸達者で演技幅の広い後者二人はともかく、松竹ワールドに安住している笠智衆は、大映ワールドから完全に浮いている。
 そう、本作の異色性の最たる点は、小津の代表作と世界的に認められ笠智衆&原節子コンビが主役を張る『晩春』『東京物語』『麦秋』の紀子3部作で描かれる世界とは、まったくかけ離れた世界が題材となっているところにある。

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『東京物語』より熱海海岸シーン

 3部作は、家族の別れや死、世代交代のありさまを禅的なタッチで淡々と描いた、どちらかと言えばもの寂しいドラマで、モノクロ撮影が寂寥感をいや増していた。
 この無常観が小津の真骨頂であるのは万人が認めるところであろう。
 端的に言うなら、ベクトルが向かっているのは「死」である。

 一方、『浮草』で描かれるのは、タイトル通りの「浮草稼業」すなわち旅芸人一座をめぐるコテコテの人情ドラマであり、父と息子の浪花節そのものの切ない交流はあるわ、女の嫉妬が暴走して土砂降りの中の派手な痴話喧嘩はあるわ、純朴青年を誘惑する小悪魔はいるわ、下ネタが飛びかうわ、ねっとりしたキスシーンは頻出するわ、仲間の金品を盗んでとんずらする悪党はいるわ、禅的とはほど遠いドタバタ人間喜劇の様相をみせている。
 宮川一夫の美しい撮影は、小津の色彩センスをいやがおうにも知らしめ、あでやかな色調の氾濫が画面に生命力をもたらしている。
 くわえて、大映の大部屋役者たちが放つコッテリした庶民性は、小津作品には珍しい猥雑さと毒を醸し出す。松竹制作ではこの味は出せなかったろう。
 とりわけ大映の看板女優たる京と若尾の二人は、小津作品に不足していた馥郁とした性の香りをここぞと巻き散らして、画面に艶を与えている。
 ベクトルは「生」を向いている。

 この作品は、『東京物語』を小津監督の“極北”としたとき、“極南”に位置する傑作と言える。
 これは大映で撮って正解だった。
 のちに「大映ドラマ」と揶揄されることとなった、えぐ味あるリアリティと現世至上主義を信条とする大映であればこそ、これだけ生命力旺盛な傑作が撮れたのだと思う。

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舞台化粧する京マチ子(左)と若尾文子
色彩設計の見事さに着目!
 
 小津映画の俳優たちは、小津の思い描いたデッサン通りの、型にはまった芝居しかさせてもらえなかったと言われる。3部作を観ればその真なることが理解できる。よく言えば“能”的な芝居、悪く言うなら“書き割り”的でつまらない。
 が、本作を観ていると、どうもこれはその例外ではないかという気がしてくる。
 旅芸人の座長を演じる中村鴈治郎、その連れ合いの女芸人を演じる京マチ子、この2人が実にリアリティある熱い芝居をしている。
 土砂降りの中で痴話喧嘩するシーンなど大層な迫力で、アドリブでやっているのかと思うほどである。京マチ子の表情にはぞくっとする。
 ラストの停車場での和解シーンの息の合った芝居もたいへん自然であり、作為的な匂いを感じさせない。
 小津はいつも松竹でやっているように細かく演技をつけたのだろうが、二人の役者のはちきれんばかりの“生”のパワーは、小津の描いたデッサンにふくよかな肉付けを与えずにはいなかった。
 とりわけ、京マチ子はTVドラマ『犬神家の一族』における松子夫人と並ぶ、スクリーンにおける生涯の一本と言える好演。
 溝口健二や黒沢明のもとでしごかれ抜いた成果が、小津の作品で開花しているというのも面白い。
 
 若尾文子にかどわかされる純朴青年を川口浩が演じている。
 川口浩と言えば、シリーズ全43回に及ぶ人気を博した『水曜スペシャル 川口浩探検隊』(テレビ朝日系で1977年より)で隊長を務め、お茶の間の興奮と失笑をさらった昭和の人気スター。
 若き日の川口の清潔感あるイケメンぶりとチャーミングな笑顔にどきっとした。
 最初の探検相手は“バロックの秘境”若尾文子だったのか・・・。

 『お早う』(1959)で抜群の愛くるしさで大人役者を食った島津雅彦が、本作では役者一座のマスコット的存在として登場する。
 一座解散という悲しいシーンで驚くほどの名演をみせて、舌を巻いた。

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島津雅彦くん(撮影時6歳)



おすすめ度 :★★★★★

★★★★★
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★★    いい退屈しのぎになった
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● 無 映画:『生きてはみたけれど』(井上和男監督)

1983年松竹
123分

 小津安二郎監督没後20年に公開された伝記ドキュメンタリー。
 『大学は出たけれど』『一人息子』『父ありき』『戸田家の兄妹』『風の中のめんどり』『晩春』『麦秋』『東京物語』『早春』『秋刀魚の味』等々、無声映画からトーキーを経てカラー作品に至る小津作品の名場面の数々や、小津とゆかりのあった役者、映画監督、スタッフ、文化人らへのインタビューをつなぎながら、60年の生涯を城達也のナレーションでたどる。
 没後60年にあたる今年は回顧展が催された。
 
 小津とのエピソードを語る出演者の顔触れがとにかく豪華。
 笠智衆、岸恵子、司葉子、有馬稲子、淡島千景、岡田茉莉子、杉村春子、岸田今日子、岩下志麻、東野英治郎、中村伸郎、木下恵介、今村昌平、新藤兼人、山田洋次、厚田雄春、川喜多かしこ、ドナルド・リチー、佐藤忠男、中井貴恵、山内静男(里見弴の四男)、小津新一(実兄)、小津信三(実弟)、山下とく(実妹)等々。
 戦後の銀幕を彩った大女優たちの中年期の美貌と風格が圧巻である。(杉村春子はちょっと別枠だが・・・)
 小津安二郎の実兄と笠智衆の風貌や雰囲気がなんとなく似ており、もしかしたら小津監督は笠智衆に自らの父親を見ていたのかもしれないと思った。
 笠さんはほんと、老いていい顔している。

 役者たちは一様に、撮影現場で何十回と繰り返されたテストの話をする。
 セリフから、動きから、表情から、視線から、タイミングから、小津監督が前もって決めた通りに演じなければOKが出なかった。
 役者を一つの型にはめる演出は、家族ドラマという古くてマンネリなテーマと共に、評価が分かれるところであるが、今観ると、それぞれの役者の個性や良さはちゃんと引き出されている。
 笠智衆と原節子がその典型だろう。
 つまり、小津監督がそれぞれの役者の本質を見抜き、キャスティングしていたことを示している。
 現場ではもはや余計な演技をする必要がなかったのだ。

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 鎌倉円覚寺にある小津安二郎の墓には「無」の一字が刻まれている。
 そこに托した思いを本作では「無常観」と解していたが、そもそもなぜ小津が無常観を抱くようになったかについては深掘りされていなかった。
 ソルティはやはり、従軍体験が大きかったのではないかと思う。

 京橋の国立映画アーカイブにて鑑賞。
 客席は高齢男性“おひとりさま”が圧倒的に多かった。
 年を取れば取るほど、小津の描いた世界が切に感じられてくるのだろう。
 超高齢化時代、小津人気は今後も高止まりを続けるのは間違いない。
 隣席の男が上映中しきりに鼻を啜っていた。
 
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国立映画アーカイブ



おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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● 岸恵子、讃嘆! 映画:『早春』(小津安二郎監督)

1956年松竹
144分、白黒

 この映画の主眼はなんといっても岸恵子。
 岸の美しさとパッション、演技の上手さが、他の名だたるベテラン役者陣および前作『東京物語』で究極の完成をみた小津映画のスタイルを食っている。
 これは原節子はもちろん、岡田茉莉子にも司葉子にも岩下志麻にも山本富士子にもできなかったことである。
 岸恵子の出演作では、大庭秀雄監督『君の名は』(ソルティ未見)、市川崑監督『おとうと』『悪魔の手毬唄』、豊田四郎監督『雪国』にならぶ印象に残る代表作と言ってよいのではなかろうか。
 岸は小津に気に入られたそうだが、この翌年、本作と同じ池部良とのコンビで『雪国』を撮ったあとイヴ・シャンピ監督と結婚、フランスに行ってしまった。
 結局、小津映画への出演はこれ一作きりとなった。
 もし日本に残って小津作品に出続けていたら、晩年の小津作品は今あるものとはかなり作風の異なったものになっただろう。
 そのくらい、スクリーンにおける岸の威力は強い。
  
 倦怠期の夫婦の危機と再生を描くホームドラマで、夫・杉山正二役に池部良、妻・昌子役に淡島千景、夫の浮気相手・金魚(あだ名)役が岸恵子である。
 池部と淡島の演技もすばらしい。
 岸演じる金魚は、妻がいると知りながら正二に目をつけ、積極的にアプローチし、自ら誘いかけて関係を結び、いったん「裏切られた」となれば正二の家まで押しかけて昌子の目の前で正二を誘い出し、激しい感情をぶつける。
 この、異性にはモテるが同性には嫌われる、いわゆる“小悪魔”を、岸は見事に演じきっている。
 小津映画で役者たちは、監督の指示通りの「型にはまった」演技を求められ、自由な表現が許されなかったと言われるが、岸の演技を見ていると、「ここに例外があるじゃないか」と思わずにはいられない。
 料亭の一室で正二を“落とす”場面など、手つきといい目つきといい身を寄せるタイミングといい、演技とは思えぬほど堂に入っており、小津の指示にただ随っているようには見えない。
 この手でシャンピ監督を落としたのか、と納得した。

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料亭シーンの岸恵子と池部良
「狙った獲物は逃さない」という金魚(岸)の目に注目

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「裏切った」正二(池部良)をビンタする金魚(岸)
フィルムで捉えきれない手の速さに注目

 さらに勘繰れば、不倫というドロドロした反道徳的テーマといい、岸や池部の初起用といい、平穏無事な世界に善人ばかり登場する『晩春』『麦秋』『東京物語』3部作で出来上がった小津映画のイメージを、小津自身、ちょっと壊したかったのではなかろうか。
 結果として、登場人物の感情表現が抑制され、空ショットや紋切り型の挿入歌やセリフを多用する3部作続きのスタティックな世界と、岸恵子に象徴される荒々しい感情が流出するドラマチックな世界とが、不思議な混在を見せている。
 それは見ようによってはアンバランスな感じも受けるけれど、作品自体を壊すことなく、微妙なところで均衡を保っている。
 田中絹代主演の『風の中の牝鶏』(1948)ではそれに失敗した。

 常連の杉村春子、笠智衆、中村伸郎、東野英次郎、山村聡はじめ、役者陣も充実。(ただし、ここでの笠智衆の下手さは目にあまる)
 とくに、昌子(淡島)の母親役をつとめる浦邉粂子、正二の友人役の高橋貞二、正二の元戦友役の加東大介らの滑稽味が好ましく、ドロドロした物語の清涼剤となっている。
 高橋貞二は小津の『彼岸花』(1958)でも、だらしないが愛敬あるサラリーマンを好演していた。
 ウィキによると、33歳の若さで飲酒運転で事故死している。
 それを知るとますますスクリーンでの彼の駄々っ子のような演技が愛おしくなる。

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名バイプレイヤー、高橋貞二


 
 
 

● 女優!女優!女優! :小津安二郎展 @横浜

 久しぶりの横浜。
 前回がいつだったか思い出せない。
 目的は神奈川近代文学館で開催中の小津安二郎展である。
 今年は生誕120年、没後60年の節目なのだ。
 小津の人生はその映画スタイルのようにきっちりしていて、60歳の誕生日(12/12)に亡くなった。
 なかなかできることではない。

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マリンタワー
ソルティの中の横浜は「マリンタワー、氷川丸、中華街」で止まっている
いつの時代だ

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港の見える丘公園

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レインボーブリッジ?
いやいや、横浜ベイブリッジ

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マリンタワーと氷川丸

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巨大ガンダム
ここ(山下埠頭)にあったのか・・・

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神奈川近代文学館
来たことあるような、ないような・・・

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一般800円、月曜休館
近代文学と神奈川の関わりを辿った一般展示も見ることができる
三島由紀夫の『午後の曳航』は横浜港が舞台だったのか・・・

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入口にあった撮影コーナー(会場内は撮影禁止)
小津の代名詞であるローポジションを体感することができる
テーブルの上にカメラやスマホを置くと・・・

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小津調となる
これは『秋刀魚の味』のワンシーン

展示はとても内容が濃くて、見ごたえあった。
  • 小学校時代の小津の作文や写真(かわいい!)
  • 母親や親友たちとやりとりした手紙
  • 幻の第1作『懺悔の刃』のあらまし(フィルムが残っていない)
  • 全作品の内容紹介
  • 往年の大スターてんこもりのポスターやスチール
  • 監督デビューのきっかけとなった「カレーライス事件」など様々な逸話
  • 中国大陸従軍中の様子を伝える新聞記事や現地からの絵葉書
  • 山中貞雄、志賀直哉、谷崎潤一郎など同時代の映画監督や文学者とのつきあい
  • 愛用していた数々の日用品(机、撮影用椅子、帽子、パイプ、スーツ、時計、ライター等)
召集された小津は、南京虐殺(1937年12月)から間もない時期に南京入城している。
おそらく、いろいろな見聞あったことだろう。
戦後、小津は戦時中のことをほとんど語らなかったし、映画のテーマに据えることもなかった。
どんな思いを抱えていたのだろう?
戦争体験がどのように作品に影響したか興味ある。

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『晩春』のワンシーン
この作品は『東京物語』と並び、世界的評価が高い。
やっぱり原節子は日本映画史上一の美貌と思う。
ほかにも、栗島すみ子、山田五十鈴、高峰三枝子、高峰秀子、岡田茉莉子、久我美子、山本富士子、岩下志麻など、錚々たる大女優の写真がずらり。
「昔の女優さんは品があってきれいだね」
ご高齢夫婦が横で会話しているのが耳に入った。

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館内にある喫茶店で一服
なんと入館から3時間も経っていた

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喫茶店からベイブリッジを望む

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港の見える丘公園は薔薇園で有名
まさに見頃であった

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その後、中華街を散策
修学旅行の高校生でいっぱいだった

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店を冷やかしながらの肉マン食べ歩きは楽しい
横浜中華街=値段が高い、というイメージがあったが、千円以下で6点セット(ご飯、スープ、副菜2点、小籠包、デザート)の定食を提供している店がたくさん並んでいた。

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中華街のソウルスポット、横濱媽祖廟(よこはままそびょう)

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媽祖様は「天上聖母」とも呼ばれ、仏教、儒教、道教における最高位の女神とされる
中国人が熱心に礼拝していた

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横浜スタジアムを抜けて、JR桜木町駅まで歩いた
本日の歩数は約25000歩









● 小津監督の遺作 映画:『秋刀魚の味』(小津安二郎監督)

1962年松竹
113分、カラー

 「秋刀魚の味」というタイトルが示すのは「庶民の哀歓」といったほどの意味だろうか。
 作中、東野英次郎演じる元教師が元生徒たちにご馳走されて泣いてよろこぶ鱧(ハモ)は出てくるが、サンマは出てこない。

 かつて原節子が演じた年頃の未婚の娘を、21歳の岩下志麻が演じている。
 岩下の小津作品出演は『秋日和』(1960)が最初だが、そのときは端役であった。
 2作目にしてヒロイン抜擢。凛とした美しさと原節子にはなかった快活感が光っている。
 岩下にとっては世界的大監督との貴重な共演機会となったわけであるが、後年の岩下の演技派女優としての活躍ぶりを思うと、俳優を型にはめ込む小津演出では岩下の真価は発揮できなかったであろうし、岩下自身もそのうち飽き足らなく感じたであろう。
 本作で小津演出に嵌まり込んで上手くいったのは、志麻サマが新人女優だったゆえ。
 その意味でも貴重な邂逅と言える。
 
 一方、父親役の笠智衆はこのとき58歳。
 若い頃から老け役を演じてきたが、ついに実際の年齢が役に追いついた。
 年相応の哀感あふれる演技は年輪を感じさせる。
 やっぱり実際に歳をとらないと出てこない味や風格、老けメイクではどうにもならないものがあることをフィルムは証明している。
 本作の笠の演技は、数多い出演作の中でも高評価に値しよう。
 それにしても、昭和の58歳は令和の70歳くらいの感覚だ。

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笠智衆58歳

 中村伸郎、東野英治郎、杉村春子、高橋とよ、三宅邦子ら小津作品のお馴染みは、それぞれに手堅い演技のうちに個性が醸し出されて楽しい。
 岸田今日子が珍しい。小津作品はこれ一作のみではなかろうか。
 翌年の文学座脱退騒動で仲違いした杉村春子との数少ない最後の映画共演作ということになる。(出番は重ならないが)

 娘のような若い嫁をもらって夜毎に励み、友人の平山(笠智衆)から「不潔!」と非難されてしまう男を北竜二という役者が演じている。
 これまで注目したことのない役者であるが、渋くて端正で、いい味出している。
 しかし「不潔!」はあんまりじゃないか・・・・。

 『晩春』(1949)で確立された小津スタイルが踏襲され、妻を亡くした男と婚期の娘、あるいは家族を失って孤独になった老境の男、すなわち家族の崩壊や老いというテーマもこれまで通り。
 ただ、どうにも気になるのは、本作は『晩春』や『東京物語』などとくらべて全般暗い。
 話の暗さや照明の暗さではない。
 原節子が出ていないからでもない。
 零落した元教師を演じる東野英次郎の演技が、あまりに真に迫っているからでもない。
 画面全体を厭世観のようなものが覆っている感があるのだ。
 この暗さはなにゆえだろう? 
 同じ年の初めに、小津が最愛の母親を亡くしたせいだろうか。
 体調の異変で死を予感していたのだろうか。
 『晩春』や『東京物語』の時とは違って、小津監督はもはや自らが撮っている世界を信じていない、愛していない。
 そんな気配が濃厚なのである。
 その暗さの中で唯一光を放っていた娘(志麻サマ)が家を出ていって、小津作品は幕を閉じる。

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嫁ぐ娘を演じる岩下志麻




おすすめ度 :★★★

★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● 天然子役 映画:『お早う』(小津安二郎監督)

1959年松竹
94分

 ずいぶん昔に観て白黒映画と記憶していたのだが、カラーであった。
 『彼岸花』に続き2作目のカラー作品という。
 デジタルリマスター修復による画面の鮮明さに驚いた。
 小津監督の色彩感覚の鋭敏さがうかがえる逸品である。

 土手下の新興住宅地で起こるご近所騒動をユーモラスに描いた喜劇。
 騒動と言ってもなんのことはない。
 集めた町会費を組長が納め忘れただの、親に叱られて拗ねた子供が夜になっても家に帰ってこないだの、昭和30年代のありふれた庶民の日常である。(夜9時過ぎても小中学生が家に帰って来なければ、令和の現在なら大事件になるかもしれない)
 平凡なストーリーでもこれだけ面白く描けるというところに、脚本家と演出家の才を感じる。(脚本は野田高梧と小津コンビ)
 黛敏郎の音楽はモーツァルトの軽い長調曲をポンコツにした感じ。作品のトボけた空気を助長している。

 あいかわらず役者もそろっている。
 トラブルメーカーの組長を演じる杉村春子、その母親で肝の据わった産婆を演じる三好栄子(木下惠介『カルメン純情す』で佐竹熊子女史を怪演した東宝女優)、他人の噂話大好きな主婦を演じる高橋とよ、3人のベテラン女優の競演が楽しい。
 小津組常連の笠智衆、三宅邦子、久我美子、東野英治郎もさすがの安定感で、小津カラーに染まっている。
 しかるに、これら豪華俳優陣のすべてを食ってしまっているのが、子役の島津雅彦である。
 林家の次男坊・勇として、いつも長男・実のあとをついて真似ばかりしている小学生に扮しているのだが、これがもう可愛いったらない。
 出演シーンでは、この子ばかりに目が行って、他の役者に注意が向かないほど。

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林家の兄弟を演じる設楽幸嗣(右)と島津雅彦(左)
 
 小津映画に出る役者は、あらかじめセリフや動きや間合いが完璧に決められていて、寸分狂いなくその通りに演じることが要求されたのは有名な話で、もちろん子役も例外ではなかったろう。
 ここでの勇も、脚本に書かれた通りのセリフを小津の指示した通りに口に出しているに違いない。ロボットのように。
 その点、小津の親友であった清水宏監督の作品、たとえば『風の中の子供』や『みかへりの塔』に出てくる子供たちの野放図で自然な演技とはまったく質が異なる。
 人工と自然といったくらいの差がある。
 小津映画の子供たちは、人工の極みにおいて抽出された“子供らしさ”を演じていると言えよう。
 そうした監督の作為を超えてなお「可愛い」としか言いようがないのだから、島津雅彦の天然ぶりはたいしたものである。
 
 その後、どんな役者になったのだろうとウィキで調べたら、小津の『浮き草』『小早川家の秋』『戸田家の兄妹』、黒澤明の『天国と地獄』、松山善三の『名もなく貧しく美しく』、木村恵吾の『瘋癲老人日記』 など数多くの名作に出演後、公開時17歳の『喜劇 満願旅行』(瀬川昌治監督)を最後に引退していた。
 その後、慶應義塾大学法学部に進学し、学生結婚したとある。
 現在、69歳。
 どんな顔になったのだろう?
 見たいような、見たくないような。
 もし孫がいるなら、孫の顔は見たい気がする。




おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● マルタン・デュ・ガール著『チボー家の人々』を読む 1


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第1巻『灰色のノート』(1922年発表)
第2巻『少年園』(1922年)
第3巻『美しい季節』(1923年)
1984年白水社より邦訳刊行
 
 新書サイズの白水Uブックスで8部13巻からなる大長編。
 今年のゴールデンウィークの楽しみ(と暇つぶし)はこれと決めた。
 骨折休職中に読んだ住井すゑ著『橋のない川』以来の文芸大作にちょっと及び腰のところもあり、おそるおそるページを開いたら、なんとこれが面白いのなんの!
 連休に入る前に第3巻まで読んでしまった

 作者はフランスの小説家ロジェ・マルタン・デュ・ガール(1881-1958)。
 本作でノーベル文学賞を獲った。
 第一次世界大戦期のフランスを舞台に、厳格なカトリックで富裕なチボー家に生を享けた2人の男子アントワーヌとジャック、かたやプロテスタントで自由な家風に生まれ育ったダニエル、3人の若者の人生行路が描かれる大河小説である。

 とにかく物語のスピードが早く、起伏に富んでいる。
 『少女に何が起こったか』や『スチュワーデス物語』などの往年の大映ドラマか、大ヒットしたBBC制作の英国上流階級ドラマ『ダウントン・アビー』を思わせる波乱万丈と濃い人間ドラマが繰り広げられる。
 たとえば、初っぱなの第1巻だけで以下の事件が立て続けに起こる。
  • 幕開けは同じ中学に通うジャックとダニエルの熱いボーイズラブ。
  • 2人の関係がバレて教師や親から責められる。ダニエルは放校処分。
  • 思いつめた二人は手に手を取って駆け落ち。
  • 港町で2人ははぐれてしまい、ダニエルはその夜泊めてくれた女の家で初体験。
  • 2人は警察につかまり親元に連れ戻される。
  • ジャックは、業を煮やした父親の命によって感化院に放り込まれる。
といった具合だ。
 第2巻も第3巻もこの調子で続く。
 先の見えない展開にワクワク&ハラハラさせられる。
 これをそのまま映像化あるいは漫画化したら面白いことであろう。
 フランスでは過去に2度テレビドラマ化されているらしいが、邦訳はされていないようだ。
 映画化されていないのが不思議。

 もちろん、豊かな物語性だけでなく、近・現代小説としての巧さもたっぷり味わえる。
 フランス近代文学にありがちな延々と続く情景描写や高踏なレトリックが抑えられる一方、キャラクター造型と心理描写が卓抜で、登場人物たちの(本人さえ気づいていない)心の底を恐いほど抉り出して、それを見事に文章化する。
 夏目漱石と三島由紀夫を足して赤川次郎フィルターをかけたような感じ・・・(かえってよく分からない?) 
 小津安二郎監督の映画『麦秋』の中で、紀子(原節子)がのちに結婚することになる謙吉(二本柳寛)と緑濃き北鎌倉駅で『チボー家の人々』の話をするシーンがある。
 明らかに小津安二郎もチボー家ファンだったのだ。

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「どこまでお読みになって?」「まだ4巻目の半分です」
(映画『麦秋』より)

 第2巻では、感化院の虐待まがいを知った兄アントワーヌの手によって、ジャックは家に連れ戻される。心の健康を取り戻す過程で、ある年上の女性に恋をして初体験する。(ジャックもダニエルもそうだが、「年上の女性との初体験」というのはどうもフランス文化の十八番のようだ)
 一方ダニエルは、どうしようもない放蕩者で女ったらしの父親が、優しい母親を泣かせているのを目の前で見ながら育ったにも関わらず、自分の中に目覚めてくる父親の血を押えつけるすべを持たない。すでにジャックとのボーイズラブは、彼の中では過去のお遊び。

 第3巻では、ダニエルの放蕩者の資質が全開する。狙った獲物を逃さないスケコマシぶりがいかんなく発揮される。
 アントワーヌは新進の医師としての力と自信を着けはじめ、人生で最初の情熱的な恋に陥る。野心的で仕事第一のアントワーヌの恋による変貌が面白い。
 二人に比べて不器用で潔癖なところもあるジャックは、なかなか世間や社会に馴染まない。ダニエルの妹ジェンニーの存在が気になりだすが、恋の成就は先のことになりそうな気配。
 
 実を言えば、大学時代に本書を読んだような気がするのだが、こんなに面白い小説を覚えていないはずもなく、誰かにあらすじや感想を聞いて読んだ気になっただけなのだろうか?
 それとも本当に忘れてしまった!? 痴呆け?
 この先読み進めていくうちにはっきりするかもしれない。
 しないかもしれない。





● モダニズム建築小津風 映画:『コロンバス』(コゴナダ監督)

2017年アメリカ
103分

 コロンバスはアメリカのオハイオ州にある小都市。
 モダニズム建築の街として知られている。

モダニズム建築または近代建築は、機能的、合理的な造形理念に基づく建築である。産業革命以降の工業化社会を背景として19世紀末から新しい建築を求めるさまざまな試行錯誤が各国で行われ、1920年代に機能主義、合理主義の建築として成立した。19世紀以前の様式建築(歴史的な意匠)を否定し、工業生産による材料(鉄・コンクリート、ガラス)を用いて、それらの材料に特有の構造、表現をもつ。(ウィキペディア「モダニズム建築」より抜粋) 

 有名なところでは、アール・デコ、フランク・ロイド・ライト、シドニーのオペラハウス、国立代々木競技場なんかが入るらしい。

シドニーオペラハウス
シドニーのオペラハウス

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コロンバスのモダニズム建築


 この映画の主役はまさにモダニズム建築である。
 観光ビデオさながらに、コロンバスにある有名な建築物が次から次へと映し出される。
 よって、映像の美しさの半分は被写体の美しさに拠っているわけだが、ズームも引きも移動もほぼない固定ショット限定というスタイルが、残りの半分の因を占めている。
 このスタイルこそ、本作が小津安二郎に対するオマージュと言われるゆえんであろう。
 確かに人がメインのシーンでも、『東京物語』や『晩春』を想起させるショットがいくつかあった。

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主人公の少女が母親との別れに泣く場面

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『東京物語』で義母との別れに泣く紀子(原節子) 
 
 本作がコゴナダ監督の長編デビューとのこと。
 素晴らしい映画的感性の持主であることはこれで証明された。
 これからどんなオリジナルなテーマを打ち出していくのか、自作を待ちたい。
 

おすすめ度 :★★★

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