――と言っても、エヴァンゲリオンのアスカ・ラングレーではない。
日本国家誕生の地とも言われる飛鳥盆地である。
講師は、相原嘉之先生。
昨年2月19日にNHKで放映された『歴史探偵-飛鳥の巨石は何を語る?-』に出演されている。
ソルティはこの番組をたいへん興味深く視聴した。
が、解説されたのが奈良大学の先生で、通信教育学部のスクーリングを担当されているとは気づかなかった。
が、解説されたのが奈良大学の先生で、通信教育学部のスクーリングを担当されているとは気づかなかった。
しかも、プロフィールによると、1967年大阪生まれで、奈良大学文化財学科の卒業生とのこと。
先輩からじきじき教わる栄誉に浴せたのであった。
- 1日目 学内講義・・・・概説と飛鳥の諸宮、飛鳥の寺院と古墳
- 2日目 学外実習
キトラ古墳(四神の館)⇒川原寺跡⇒飛鳥宮跡⇒酒船石遺跡⇒飛鳥寺⇒石舞台古墳⇒飛鳥資料館 - 3日目 学内講義・・・・飛鳥の遺跡について、まとめとレポート作成
講義内容は(ソルティにとって?)かなり高度かつ濃いものだった。
考古学の基礎知識はもちろん、古代史、関西方面の地理、仏教と葬送文化、主要人物たちの事績や系譜や人物関係などの前提知識がないと、なかなかついていかれないレベル。
通学生とは違って、スクーリングの限られた時間内でいろいろなことを一気に学ばなければならない通信教育のたいへんさを思った。
4ヵ月かけて『考古学概論』をしっかり学ばされた学んだ苦労が、ここで報われた。
世の中、無駄なことってないなあ。
貴重なスクーリング機会を十二分に生かすためには、テキスト科目を取る順番も工夫するのがベターと実感した。
それと、山岸涼子の『日出る処の天子』は読んでおきたい。
厩戸皇子はじめ漫画のキャラが飛鳥の地に揺曳するかのようで、“聖地”巡礼の気分が味わえる。
最終日の午後にレポート課題が出された。
これが結構ハード。
なかなか難しいテーマ2つを制限時間60分で原稿用紙にまとめなければならなかった。(持ち込み可だが電子機器類の使用は不可)
講義をしっかり聞いて適宜メモを取っておかないと、容易には回答できない。
「昨日の学外実習の印象を書きなさい」レベルのものを予想していたソルティは、大甘樫の丘だった。
以下、2日目の学外実習について。
厩戸皇子はじめ漫画のキャラが飛鳥の地に揺曳するかのようで、“聖地”巡礼の気分が味わえる。
最終日の午後にレポート課題が出された。
これが結構ハード。
なかなか難しいテーマ2つを制限時間60分で原稿用紙にまとめなければならなかった。(持ち込み可だが電子機器類の使用は不可)
講義をしっかり聞いて適宜メモを取っておかないと、容易には回答できない。
「昨日の学外実習の印象を書きなさい」レベルのものを予想していたソルティは、大甘樫の丘だった。
以下、2日目の学外実習について。

近鉄・樫原神宮前駅に集合

奈良観光のバス2台に分乗
約80名の受講者+お手伝いのゼミ学生さんを乗せて、いざ飛鳥へ!

キトラ古墳
7世紀末から8世紀初め頃に作られた。
1983年、石室内に彩色壁画が発見され、高松塚古墳に次いで2例目となる大陸風壁画古墳として一躍有名になった。(後ろ姿は解説する相原先生)

四神の館
ファイバースコープを使ったその後の調査で、青龍、白虎、天文図、朱雀、十二支像が確認された。が、カビ被害が発生していたため、2022年11月までにすべての壁画がはぎ取られ、現在、四神の館に保管されている。(予約制で観ることができる)

キトラ古墳の内部模型
石室に埋葬された人物(50~60代男性)の正体は不明である

壁画の玄武(亀)
キトラという名前は、
- 最初に発見された壁画である亀(キ)と虎(トラ)から取った
- 古墳の南側の小字「北浦(きたうら)」が訛った
- 古墳が明日香村阿部山集落の北西にあることから、北を司る玄武(亀)と西を司る白虎(虎) から命名された
1983年と言えばつい最近のこと(でしょう?)なのに、命名の由来がはっきりしないのが不思議である。ソルティは渡来系の語彙(古代朝鮮語)かと思っていた。

川原寺跡
660年代の創建
天智天皇が母・斉明天皇の菩提を弔うために建てたと言う。
中金堂があった場所に、現在、真言宗豊山派の弘福寺が建っている。

川原寺の再現模型(飛鳥資料館にて)

飛鳥宮の井戸の跡
694年に藤原京に遷都する前にあった「飛鳥●●●宮」と称される宮城はすべてここに重なって造営された。それぞれの宮の実態を探る発掘作業はいまも進行中。
645年の乙巳の変(かつては大化の改新と習った)で蘇我入鹿が討たれたのもこのあたりとか。

ここに天武天皇が造った巨大な宮城(飛鳥浄御原宮)があった。
この先の発掘調査次第で、「何が出てくるか分からない⇒これまでの歴史認識が大きく変わるかもしれない」ゆえの「アスカは怖い」なのである。「あんた、バカぁ?」のアスカ・ラングレーではない。

酒船石遺跡
昨年5月の奈良旅では、丘の上にある酒船石は見たものの、こちらは素通りしてしまった。
2000年に、湧き水を木製の樋で引いて亀形の石槽に溜める古代の導水施設が発見された。周囲の石敷や石垣も当時のままである。巨石&土木工事マニアであった斉明天皇が建造したもので、祭祀場と目されている。
(解説される相原先生)

飛鳥寺(安居院)
蘇我馬子が造った日本最初の本格的伽藍を備えた寺院。
飛鳥盆地の北端に位置する。
平城遷都とともに移転し、元興寺と名を変えた。

飛鳥大仏
飛鳥時代の土台から動いていないことが確認されている。
ここに南向きに座って、飛鳥の歴史を1400年以上目撃してきた。(目のあたりは当時の造形が残っているという)

飛鳥大仏の視線の先を望む
「こんなに狭い、奥まった(田舎めいた)土地で日本国家の基盤が形成されたのか!」と感慨もひとしお。

石舞台古墳
蘇我馬子の墓である。
蘇我氏が飛鳥盆地の一等地をことごとく占めているのを実感。
大化の改新は起こるべくして起こった。
天皇中心の国家をつくらんとした聖徳太子の遺志は中大兄皇子によって叶えられたのだ。

古墳めぐりゆえ階段や坂が多く、運動不足の中高年にはなかなかきつい。
昭和ヒトケタかと思われる男性もおられ、その学習意欲と根性には感嘆しきり。

飛鳥資料館
飛鳥で発見された遺物の宝庫。
見学時間が限られていたのと疲れとで、じっくり観られなかった。
またの機会に。

飛鳥資料館のパンフレット(表面)

飛鳥資料館のパンフレット(裏面)
主要展示物を配した凝ったデザインがすばらしい

斉明天皇時代に造られた石造物(レプリカ)
噴水の機能を持つ
なんか道祖神的なものを感じる自分はおかしい???

猿石(レプリカ)
斉明天皇は水と石にとり憑かれた女帝だった模様。
度重なる土木工事に徴用された庶民の悲鳴が聞こえる。

天智天皇が造った日本初の水時計(漏刻)
時を管理する=人民を支配する、の意図があった。
豊臣秀吉や徳川家康が、活字=印刷文化=マスコミを支配ようとしたのと同様であろう。現在にも通じる為政者のやり口である。

高松塚古墳壁画(レプリカ)

塼仏(せんぶつ)
粘土で型を抜き、焼いて作った板状の仏像。
唐から伝来し、近畿地方を中心に7世紀後半から奈良時代にかけて作られた。
装飾としてお堂の一面に貼り付けるなどした。
上記の仏像は、様式的に、神秘的な表情が特徴的な法隆寺の救世観音像(飛鳥時代)と、カワイイ系の深大寺の釈迦如来像(白鳳時代)とのちょうど中間地点に位置するように思える。
唐から伝来し、近畿地方を中心に7世紀後半から奈良時代にかけて作られた。
装飾としてお堂の一面に貼り付けるなどした。
上記の仏像は、様式的に、神秘的な表情が特徴的な法隆寺の救世観音像(飛鳥時代)と、カワイイ系の深大寺の釈迦如来像(白鳳時代)とのちょうど中間地点に位置するように思える。

古代飛鳥の想像ジオラマ
左上の小山が甘樫丘、その右手の広場が飛鳥寺西方遺跡(槻木の広場)
大きな槻(ケヤキ)があったという。
この広場での蹴鞠会がきっかけで中大兄皇子と中臣鎌足はタッグを組むことになった。
その右手が飛鳥寺である。

帰りの車窓からニ上山を望む
飛鳥時代は、国内の文献史料のほとんど無い古墳時代と、官僚機構ができあがってそれなりに文献が残っている奈良時代の間にあって、文献史学と考古学のカバー領域の重なりにある。
『古事記』や『日本書紀』の記述はあるが、為政者の都合のいいように編纂されているので、どこまで史実かわからない。
そこを考古学の方法論を用いて実証していくところに、この時代を研究する醍醐味があるのかな~と思った。












































































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