ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

  三島由紀夫

● すかんぽ畑の中のきみ 本:『手長姫/英霊の声』(三島由紀夫著)

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2020年新潮文庫
収録作品
 酸模――秋彦の幼き思い出(1938)
 家族合せ(1948)
 日食(1950)
 手長姫(1951)
 携帯用(1951)
 S・O・S(1954)
 魔法瓶(1962)
 切符(1963)
 英霊の声(1966)

 三島由紀夫13歳から41歳までの軌跡を味わえる短編集。
 これはとても良い企画。
 宇能鴻一郎の2つの短編集、川端康成のBL小説『少年』など、新潮文芸部にはセンスのいい編集者がいるのだなあ。

 選ばれている作品も、ファンタジー風あり、私小説風あり、犯罪譚あり、現代風俗あり、怪談あり、檄文調あり、とバラエティに富んでいて、三島の圧倒的な文才に唸らされつつ、楽しく読むことができた。
 修辞の卓抜さ、表現の精度、語彙の豊穣、日本語に対する感覚の鋭敏さ。
 これだけの文章が作れる作家は、100年に1人と現れまい。

 とくに印象に残った作品について、発表時の三島の年齢とともに記す。

『酸模』(13歳)
 酸模(すかんぽう)とはスイバのことである。
 タデ科スイバ属の多年草で道端などに生え、丈は60~100cm。初夏から夏にかけて赤褐色の花穂をつける。
 春の山菜で天ぷらにすると美味しいイタドリ(虎杖)のことをスカンポという地域があるが、虎杖の花は夏から秋に咲き、花の色は白いので、この作品の酸模とは違う。

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松岡明芳 - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

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KENPEI - KENPEI's photo, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

 13歳でこれほどの小説が書ける早熟さには驚くばかり。
 泉鏡花『朱日記』を思わせる郷愁をあおる美しいファンタジーである。
 『朱日記』は美しい少年と山から下りてきた不思議な美女との邂逅を描いた作品で、一方『酸模』は6歳の秋彦少年と丘の上の刑務所から脱獄した男との出会いを描いたものである。
 『朱日記』から、泉鏡花の花柳界の女性および幼くして亡くした母親への尽きせぬ思慕の念を読み取ることができるように、『酸模』からは思春期の三島=平岡公威少年のすでに芽生えている同性愛志向をうかがうことができる。
 それも、『仮面の告白』でも吐露されたとおり、囚人や汚穢屋(糞尿汲取人)や鳶職人といった下層階級に属する、インテリとはほど遠い男衆に対する愛である。

 昭和の昔、同性愛者向けのエロ雑誌がいくつか発売されていた。
 老舗どころの伊藤文学編集長『薔薇族』が有名だが、ほかにも読者の性的指向に合わせて、『さぶ』、『アドン』、『サムソン』、東郷健編集長『The Gay』、遅れて『バディ』などの棲み分けがあった。
 後年、角刈りに褌、色黒、マッチョのスタイルを好んだ三島の性的指向は、「漢・野郎・SM・硬派」のハードコア路線で、読み物の中に下町の職人や飯場の土方や軍人が多く登場する『さぶ』だったのではないかと思う。
 『さぶ』は愛読者にインテリが多いことで知られ、紙面は圧倒的に活字が多かった。

『家族合せ』(23歳)
 三島の自伝的小説で出世作となった『仮面の告白』の素材が散らばっている点で興味深い。
 女中に囲まれた幼年時代、自慰の習慣に対する罪悪感、柔弱な体に対する劣等感、周囲の少年たちとの齟齬、初恋相手となった年上の青年近江を連想させる堀口、女郎屋での初体験と失敗の屈辱。
 この短編の発表後、大蔵省を退職し、『仮面の告白』執筆に専念した。

『手長姫』(26歳)
 お姫様(おひいさま)と呼ばれた高貴な出でありながら、少女の頃から手癖が悪く、万引き常習犯となった女性の半生を描いた異色作。
 ソルティが高齢者介護施設に勤めていたときに出会ったS子さんを思い出した。
 良い家柄の出で裕福な専業主婦であったS子さんは、白く細い腕で車いすを器用に操って、我々スタッフの目を盗んでは他の入居者の部屋に入り込み、物色した物を自分の部屋に持ち帰っていた。
 彼女が好んで集めるのは、カナリアの羽のような美しい色合いの仕立ての良い洋服であった。
 施設の相談員は、S子さんと同じフロアの入居者の家族に、「お持ち込みになる洋服には必ず名前を書いてください」と頼むことになった。
 じかにS子さんに言っても無駄なのは、認知症だったからだ。

『切符』(38歳)
 非常によくできた怪談。こんなものを書いていたとは知らなかった。矢本悠馬あたりを主演でショートドラマにしたら面白いと思う。名作!

『英霊の声』(41歳)
 ずっと「えいりょう」の声だと思っていた。
 「えいれい」である。

英霊
① 死者、特に戦死者の霊を敬っていう語。
② (英華秀霊の気の集まっている人の意)才能のある人。英才。
(小学館『大辞泉』)

 2・26事件で処刑された青年将校らと太平洋戦争で死んだ特攻隊員らの“霊言”という①の意味で使われているのだが、②の語義によって三島由紀夫の“肉声”という意味とも取ることができる。
 つまり、これを書いた時の三島由紀夫と青年将校と特攻隊員とは三位一体、後者二つの霊団が三島に憑依したかのような気迫が文面に漲っている。
 構成といい、表現といい、力強さといい、完成度といい、読後に残る強烈な印象といい、一編の短編小説として見たとき、これは三島の傑作のひとつと言っていい。
 なんとなく気色悪くて、これまでまともに読むのを避けてきたのだが、これほど見事な作品とは思わなかった。
 三島作品は英語をはじめ多くの外国語に翻訳され海外で読まれているけれど、この短編だけは翻訳不可能、というか外国語に変換したとたん作品の持つ魅力と価値が根こそぎ奪われてしまうと思う。
 言霊(ことだま)が充満しているゆえに。
 あたかも神社の祝詞のような作品である。

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Kohji AsakawaによるPixabayからの画像

 いろいろな読み方を可能ならしめる奥の深い作品という点でも秀逸である。

 まず、オカルト小説と読める。
 審神者(さにわ)と霊媒が出てきて降霊を行うという禍々しい設定が、ポーやホーソンやコナン・ドイルや『エクソシスト』といった西洋ゴシックの系譜を思い起こさせる。
 と同時に、おどろおどろしい中にも日本的な物悲しい湿気をまとった小泉八雲や泉鏡花の怪談に通じるものがある。
 寒気がするような結末の不気味さは言わんかたなし。 

 軍人が心情を吐露する、広い意味での戦争小説でもある。
 むろん反戦小説ではない。
 2・26事件、特攻隊の当事者として結果的に無益な死を遂げさせられた者の怒り、恨み、慚愧の念が渦巻いている。
 『平家物語』のような敗残者の呪詛に満ちている。

 政治小説でもある。
 天皇を現人神(あらひとがみ)に祀り上げ、皇国史観、尊王論、神風神話、武士道精神、玉砕上等を旨とする祭政一致の国体顕揚である。
 少なくとも晩年の三島由紀夫が、そうした思想の持主にして吹聴者であったことは確かである。
 その意味で、一種のプロパガンダ小説とみなすことも可能だ。

 ただ、プロパガンダ小説にありがちの生硬さはここには見られない。
 それは一水会の鈴木邦男(2023年没)が『右翼は言論の敵か』に書いているように、

もともと右翼は左翼との論争を嫌う。左翼は論理で迫るが、右翼は、天皇論、日本文化論などは日本人として当然の考え、常識と思っているし、それ以上に信仰的な確信をもっている。だから、左翼とははじめから相容れない。論争など無用と思っている。「言挙げ」を嫌うのだ。憂いや憤怒は和歌をつくって表現すればよい。

 左翼が理屈、理性、論理を振りかざすのに対し、右翼の言動は信仰に裏打ちされている。だから、言挙げ(プロパガンダ)を嫌う。
 大切なのは、プロパガンダではなくて、神託である。神の言葉である。
 それを無条件に信じ、それに従って“生き死に”し、自らの行動によって神への信仰の篤さを示すことが大切である。
 なので、この“右翼的プロパガンダ”は、檄文の形をとる。
 言霊となる。詩となる。
 本作の美しさは、これが一編の詩であるからだ。
 作中で、霊媒の若者の口を借りて青年将校や特攻隊員らが歌う「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」を畳句とする詩だけでなく、この短編小説は全体でひとつの詩なのである。
 理屈や理性や論理の介入する余地はそこにない。
 この美しさに共感できるか否か、この“耽美”を味わえるか否か、である。

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 天皇主義者でも国粋主義者でもないソルティは、共感できなかった。
 この作品の完成度の高さ、神レベルの表現力、全編に漲る気迫、行間に込められた作者の魂魄には恐れ入るけれど、ここに吐露された2・26事件の青年将校らや太平洋戦争の特攻隊員ら、ひいては三島由紀夫自身の思いは、ソルティの目には歪んだものとしか映らなかった。

 「などてすめろぎは人間となりたまひし」の言葉に象徴されるように、英霊たちの恨みの焦点は天皇の人間宣言にある。
 
 日本の敗れたるはよし
 農地の改革せられたるはよし
 社会主義的改革も行はるるがよし
 わが祖国は敗れたれば
 敗れたる負目を悉く肩に荷ふはよし
 わが国民はよく負荷に耐へ
 試練をくぐりてなほ力あり。
 屈辱を嘗めしはよし、
 抗すべからざる要求を潔く受け容れしはよし

 すなわち、敗北もGHQ占領も農地改革も財閥解体も日米安保条約も東京裁判も問題ではない。それこそ日本が共産主義国家となってもかまうところではない。

 されど、ただ一つ、ただ一つ、
 いかなる強制、いかなる弾圧、
 いかなる死の脅迫ありとても、
 陛下は人間なりと仰せられるべからざりし。

 昭和天皇が神たることをやめて人間になったことだけは許せない、というのである。
 なんとなれば、

 陛下がただ人間と仰せられしとき
 神のために死したる霊は名を剝奪せられ
 祭らるべき社もなく
 今もなほうつろなる胸より血潮を流し
 神界にありながら安らひはあらず

 天皇を神と信じればこそ捧げるに価値あった、自らの命が、人生が、いさおしが、男が、無駄になってしまったからである。
 いわば、“推し”アイドルの結婚によって裏切られた熱狂的ファンの心理である。

 勝手に祭り上げられ、神格化され、妄想の対象とされた昭和天皇こそ“いい迷惑”ではなかろうか?
 昭和天皇ご自身が「われは神なり。崇拝せよ。」と言ったわけではあるまいに。
 英霊たちが恨むべきは、そのような天皇の神格化を図って国民を洗脳した大日本帝国であり、元老たちであり、政治家であり、軍部であり、マスメディアであり、学校の教員たちであり、祖父母であり、父母であり、隣近所の大人たちであり、それを見抜けなかった自身のアタマであろうに。

 いま、旧統一教会のマザームーンこと韓鶴子が突然改心し、「自分は全人類の真(まこと)の母ではない。総裁は下りる。教団は解散する」と宣言したとして、それにショックを受けた信者がマザームーンを恨んで暴動を起こしたとしたら、世間に向かって、「マザームーンは真の母の座を降りるべきでなかった」と訴え出たとしたら、彼らに理があると思うだろうか? 彼らに共感するだろうか?
 たいていの人は「自業自得」と思うのではないだろうか。
 「いい機会だから、目覚めなさい」と諭すのではないだろうか。
 彼ら信者がマザームーンと教団のために費やしてきた時間やお金やエネルギーなどがあたら無駄になってしまったことについては、いささかの同情を寄せないものでもない。
 けれど、彼らが奪われた人生の補償を求めてマザームーンと教団を訴えるというのならともかく、「マザームーンは止めるべきでなかった」と憤るのは、到底受け入れ難いトンチンカンと思う。
 
 しかも、マザームーンや“推し”アイドルは、ある程度まで最初から自らを神格化すべき企図して、意識的にそのように振る舞っているわけだが、昭和天皇自身が国民に信者たることを強いたわけではあるまい。
 昭和天皇もまた、“国のため、国民のため”、元老や閣僚や御前会議が決めたように振る舞うほかなかったろう。
 つまり、英霊たちが昭和天皇を恨むのは「お門違い」と思うのだ。

壺を拝む女

 ソルティは、1970年11月25日市ヶ谷自衛隊駐屯地における三島由紀夫の映像や写真を見たり、自決までの経緯を記した記事を読んだりするたびに、いたたまれないような、目をそむけたくなるような居心地の悪さ、しいて言えば気色の悪さを感じてきた。
 本作を読んでそれがどうしてなのか、明確になった。
 英霊たちや三島由紀夫は、昭和天皇を、言わば、“ズリネタ”にしていたのだ。
 頭の中で勝手にこしらえた妄想という名の耽美小説の偶像(まさにアイドル)に据えていたのだ。

 2・26事件の青年将校らと太平洋戦争の特攻隊員らはまだしも、ホモソーシャルな愛の対象として、つまり天皇との精神的な紐帯を求めていたにすぎない。
 しかるに三島由紀夫の場合は、明らかにホモセクシュアルな愛(エロス)が潜んでいる。
 三島由紀夫の割腹自殺とは、「神への信仰のために犠牲となり、裸体を射抜かれた」聖セバスチャンの殉教の再現である。
 そのシチュエーションこそ、かつてグイド・レーニ作『聖セバスチャンの殉教』でマスターベーションを覚えた『仮面』の少年の至高のセクシャルファンタジー、すなわちズリネタであった。
 『仮面』の少年が三島由紀夫その人であることは、後年になって、カメラマン細江英公による『薔薇刑』において三島自身が聖セバスチャンに扮しているところからも明らかである。

 三島由紀夫の公開オナニー。
 ――それが三島事件の核心なのではないか。
 ソルティが感じる気色悪さの因はそこにある。

聖セバスチャンの殉教
グイド・レーニ作『聖セバスチャンの殉教』
 

 『英霊の声』は、霊媒となった青年が怨霊に命を奪われるところで終わる。

死んでいたことだけが、私どもをおどろかせたのではない。その死顔が、川崎君の顔ではない、何者とも知れぬと云おうか、何者かのあいまいな顔に変容しているのを見て、慄然としたのである。

 このラストが昔読んだ何かの小説を連想させたのであるが、それが何だったのかどうにも出てこない。
 死と同時に美青年から醜い老人に成り変わったドリアン・グレイか?
 人々が仮面を剥いだら、その下には何もなかった『赤死病の仮面』か?
 どうも違う。
 手がかりを求めてウィキ『英霊の声』を読んだら、次のようなエピソードがあった。

瀬戸内寂聴は、最後の〈何者かのあいまいな顔に変貌〉した川崎青年の死顔の、その変容した顔が天皇の顔だといち早く気づき、「三島さんが命を賭けた」と思い手紙を送ったと述べている。すると三島から、〈ラストの数行に、鍵が隠されてあるのですが、御炯眼に見破られたやうです。以下略。〉

 「あいまいな顔」とは人間宣言した天皇だというのだ。
 どうもソルティはこの解釈にはすっきりしない。
 百歩譲って、瀬戸内寂聴の見抜いた通り、三島が、「もはや神でなくなった天皇という存在の虚偽や空虚を比喩的に表現した」と認めるにしても、読者にはその奥に隠されている真相を想像し、自由に解釈する権利がある。  
 文庫の解説では、保阪正康が次のように書いている。

この最後の一節が語っていたのは何か。三島の中に「合一」した時の、自らの姿が予兆されていたという意味に解釈できるだろう。

 すなわち、この死んだ川崎青年は、この作品の書かれた4年後に自決した三島を予兆するものだったというのである。
 ソルティの感じたのも保阪説に近い。

 読後数日たったある晩、そろそろ眠ろうと布団に横になった瞬間、パッと脳裏に浮かんだ言葉があった。

 芥川龍之介『ひょっとこ』

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 主人公の平吉は、いつも嘘ばかりついていて、酔っぱらうと、ひょっとこのお面をつけて馬鹿踊りする癖があった。
 あるとき、隅田川の船の上で群衆に野次られながらいつもの馬鹿踊りをしていた平吉は、脳溢血で倒れて、そのまま息を引き取ってしまう。
 駆けつけた人々がお面をとると、そこにはいつもの平吉の顔とはまったく似ても似つかぬ見知らぬ男の顔があった。

 「あいまいな顔」の死者とは、まさに『ひょっとこ』の主人公平吉のことではないか!
 嘘をつくのが習い性となったがゆえに、真実の顔が人から見分けられなくなった平吉。
 それと同じように、霊媒となって様々な霊たちに憑かれ、その代弁者となることを職としてきたがゆえ、おのれの顔を失った川崎青年。
 偽りの「仮面」をかぶり続けざるを得なかった人間の悲劇がそこには暗示されている。
 
 我々はこの珠玉の短編集を通して、いくつもの厚い仮面の下に埋もれた13歳の三島由紀夫と、そして6歳の秋彦少年と出会うことができる。
 一面のすかんぽ畑の中で。

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HansによるPixabayからの画像 
 



おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損



●  わたしはとうに滅んでいる 本:『朱雀家の滅亡』(三島由紀夫著)

1967年発表、初演
2005年河出文庫(併録『サド侯爵夫人』)

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 三島由紀夫晩年(と言っても42歳!)の戯曲。
 ウィキ『三島由紀夫』によれば、同じ年に、『豊饒の海第2部 奔馬』連載開始、最初の自衛隊体験入隊、『平凡パンチ』の「オール日本ミスター・ダンディはだれか?」で第1位獲得(2位は三船敏郎)、空手を習い始め、自決の介錯人となった森田必勝と出逢っている。
 今から思えば、1970年11月25日の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地での壮絶な最期に向けての“秒読み段階”に入った頃合いという感がある。
 そのせいか、「承詔必謹の精神の実存的分析」と三島自身が解題し、「滅亡」というタイトルを持つこの戯曲は、三島の遺書のようにも読める。
 承詔必謹(しょうしょうひっきん)とは「詔(みことのり)を承りては必ず謹め」で、「絶対君主としての天皇を仰ぎ奉り、その御言葉に無条件に従え」ということである。
 承詔必謹の精神のもと侍従として代々の天皇に仕えてきた朱雀家の滅亡を描いたこの戯曲は、忠臣愛国を掲げて自衛隊に乗り込み、自衛隊員を前に憲法改正を訴え、「天皇陛下、万歳!」を三唱し割腹自殺を遂げた三島由紀夫の、あたかも文学的リハーサルのような感じがする。
 ソルティは初読であった。

 時は1944年春から1945年冬にかけて。
 場所は朱雀家の庭園。
 登場人物わずか5人の4幕物。
 第37代朱雀家当主朱雀経隆は、天皇に忠義を尽くすことを生きがいとしている。
 妻の顕子は嫁いで来てすぐに亡くなり、経隆は側仕えの女おれいとの間に、朱雀家の後継たる経広をもうけた。
 顕子の姪にあたる松永瑠津子と経広は、幼馴染で許嫁の間柄にある。
 他家の婿養子となった経隆の弟宍戸光康は、兄とは違い、世慣れた実際的な男である。

第1幕(1944年春)
 次第に日本の敗色が濃くなっている。
 経隆は、天皇の意を汲み、首相更迭のために奔走し、成果を得た。が、分を超えた自らの行動を潔しとしない経隆は侍従職を退き、今後は遠くから天皇に仕えると宣言する。
 一方、経広は海軍予備学生に志願したことを家族に報告する。

第2幕(1944年秋)
 経広は海軍少尉を任じられ、沖縄(ある島、とぼかされている)への出兵が決まった。
 それは死地に赴くのと変わりない。
 朱雀家の血が途絶えることを憂慮する光康と、実の息子の命を守りたいおれいは、コネを使って経広の任地を変えてもらうよう、経隆に迫る。
 が、経隆は首を縦に振らない。
 おれいは一計を案じ、経広自らが任地替えを望んでいると経隆に思わせようと画策する。
 が、下手な思いつきはすぐ露見してしまう。
 おれいの画策を知った経広は誇りを傷つけられ、実の母であるおれいを罵倒する。
 一方、瑠津子は「今夜自分と経広は結婚する」と宣言するが、経隆はこれをよしとしない。

第3幕(1945年夏)
 沖縄は玉砕し、日本の敗北はもはや目前に迫っている。
 さすがの朱雀家も貧窮に陥り、庭は荒れ放題。
 経隆とおれいは、経広の戦死を電報で知る。
 ショックと悲しみから、おれいは経隆を責める。「あなたが息子を殺した」
 二人の喧嘩の最中に空襲警報が鳴り響き、防空壕に逃げたおれいは爆死し、庭に残った経隆は九死に一生を得る。

第4幕(1945年冬)
 一面の瓦礫と焼け跡。
 日本はGHQ配下に置かれ、国の行く末は混沌としている。
 いまや一人ぼっちとなった経隆のもとに、弟の光康が見舞いに来る。
 光康は、西洋人相手の新しい事業の計画に兄の参加をもとめるが、経隆は断る。
 光康が去った後、庭の高台の弁天社から琵琶の音が聞こえ、中から十二単を来た瑠津子が現れる。
 その姿に、亡くなった元妻・顕子の面影をだぶらせた経隆は、瑠津子が朱雀家の花嫁であることを認める。
 瑠津子はその言葉を喜ぶ一方、息子経広と妻おれいを見殺しにし、何もせず一家が滅びるにまかせた経隆を責め立てる。
 「今すぐこの場で滅びてしまいなさい」と迫る瑠津子。
 経隆は答える。
 「どうして私が滅びることができる。夙(と)うのむかしに滅んでいる私が。」

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MollyroseleeによるPixabayからの画像

 この芝居は『鹿鳴館』、『サド侯爵夫人』、『わが友、ヒットラー』、『癩王のテラス』、『近代能楽集』など他の三島の代表的な戯曲にくらべれば、成功作とは言い難い。
 内容も内容なので、上演の機会も少ない。
 現在、「承詔必謹」「忠臣愛国」をテーマとし小難しいセリフが飛びかう芝居をわざわざ観に行きたがるのは、三島の熱狂的ファンかインテリ右翼くらいなものだろう。
 しかし、三島由紀夫という作家、平岡公威という人物、昭和を代表する一人の芸術家の衝撃的な最期を理解しようと試みるのであれば、この作品は非常に重要な位置を占めると思う。
 筋書きを記したのは、それゆえである。

 一読してすぐ思い当たることは、この戯曲はほとんど『鹿鳴館』の二番煎じである。
 二番煎じという言葉が作者に失礼なら、同工異曲である。
 『鹿鳴館』は明治の文明開化の政治がらみの話、『朱雀家』は昭和の太平洋戦争末期の家庭内の出来事という違いはあれど、男性原理と女性原理の衝突という点において両作は通じている。
 以前、ソルティは『鹿鳴館』について次のように書いた。

 この戯曲は男の論理(=政治、理想、計略)と女の論理(=愛、現実、感情)とが拮抗する物語である。あるいは、『サド侯爵夫人』同様、「女」の視点から描く「男」の姿である。むろん、女の典型が朝子、男の典型が影山伯爵や清原永之輔である。
 朝子と清原の息子久雄が、女(母親)の論理と男(父親)の論理との間で揺れ動き、最後には父親の手による銃弾を受けて殺されるというマゾヒスティックな筋書きに、作者三島由紀夫の分身と密やかなる欲望を見ると言ったら、うがち過ぎだろうか。 

 『朱雀家』で男性原理を体現するのは、むろん、当主の朱雀経隆である。
 ここでの男性原理は、「承詔必謹」「忠臣愛国」「滅私奉公」という形をとっている。
 “わたくし”より、妻や息子より、家系より、琵琶の名家としての伝統より、財産や世間的栄誉より、天皇に仕えることを優先する滅私奉公の他律的理想主義。明治天皇を追って殉死した乃木大将のような生き方である。
 『三島由紀夫 石原慎太郎 全対話』(中公文庫)において、「最後に守るべきものは何か」という問いに対して、石原が「自由」と答えたのに対し、三島が出した答えは「三種の神器」すなわち天皇制であった。
 こう言っている。

三島 形というものが文化の本質で、その形にあらわれたものを、そしてそれが最終的なもので、これを守らなければもうだめだというもの、それだけを考えていればいいと思う、ほかのことは何も考える必要はないという考えなんだ。
石原 やはり三島さんのなかに三島さん以外の人がいるんですね。
三島 そうです、もちろんですよ。
(ゴチックはソルティ付す)

 朱雀経隆という人物は、明らかに三島由紀夫の分身である。
 モデルは三島自身である。
 ただし、おれいや顕子ら女たちの口を借りて経隆を批判し責め立てていることから分かるように、必ずしも経隆の生き方、すなわち男性原理を全面肯定しているわけでも賞揚しているわけでもない。
 最後には「自分は夙うに滅びている」と経隆自身に告白させている。
 その意味で、経隆は三島の“自己戯画化”ということができる。

 一方、女性原理を受け持つのが、経隆の側妻(そばめ)にして大っぴらに名乗ることのできない経広の母親であるおれい、そして経広の許嫁である瑠津子である。  
 おれいは『鹿鳴館』の朝子の分身、瑠津子は朝子の息子久雄に恋する大徳寺顕子の分身である。(奇しくも、顕子という名は朱雀経隆の若くして亡くなった妻と同じであり、また瑠津子という名は17歳で亡くなった三島の妹美津子と響き合う)
 理想や観念を掲げそれに自己投棄するのを誉れとする男たちとは違い、近親者への情愛と日々の生活に生きる女たちは、常に男性原理によって圧迫される。
 我慢や忍耐を強いられ、あきらめることに馴れていく。
 父権社会の中ではとくに。
 戦争や内乱や革命がある混乱の時代にはとくに。

 『鹿鳴館』の清原久雄が、男性原理(父親)と女性原理(母親)の間で引き裂かれ、実の父親(清原栄之輔)の手によって殺されてしまうように、『朱雀家』の息子経広もまた、父・経隆と母・おれいの間で引き裂かれ、国体維持のための戦争という男性原理によって殺されていく。
 第2幕で経広は、大和男児たる誇りが傷つけられたことで生みの母おれいを罵倒し、任地替えを自ら拒否し、十中八九生きては戻れない沖縄へと旅立つ。
 柔弱な女性原理を拒絶し、武士道の男性原理をまっとうしたと言えば聞こえがいいが、無駄死には違いない。特攻同様の自殺行為には違いない。
 本来、経広は臆病でやさしい子供であった。
 脇腹の負い目を人一倍感じていた経広は、父親=朱雀家に認められんがために男性原理を内面化し、実の母親や愛する瑠津子よりも、父親が崇拝する天皇に身を捧げることを選び取ったのである。
 第3幕のおれいのセリフにある通り、

あの子は勇気があったのではなく、勇気を証明する必要があったのです。

 (間違いなく、戦死する直前の経広の言葉は「天皇陛下、万歳!」ではなく、「おかあさん!」だったろう)

ゼロ戦

 男性原理と女性原理の相克、その間で引き裂かれ犠牲となる息子。
 構造を同じくする『鹿鳴館』と『朱雀家』には、しかし、明らかな違いがある。
 それは終幕のニュアンス。
 『鹿鳴館』のラストでは、男性原理を象徴する影山伯爵は、朝子に象徴される女性原理に勝利し、日本の偽りの西洋化と列強仲間入りに向けて、ワルツのステップよろしく突き進んでいく。不敵な笑みを浮かべながら。
 一方、『朱雀家』のラストは悲愴そのもの。
 妻と息子を失った朱雀経隆は、朱雀家の滅亡を前になすすべもない。
 日本は敗北し、経隆の生きがいのすべてであった国体が崩れようとしている。
 GHQが天皇をどう処分するか、天皇制が存続するのか、見当もつかない。
 大和魂という男性原理は地に落ち、すべてが文字通り灰燼に帰した。
 戦争未亡人となった瑠津子に責め立てられるも、もはや返す言葉も知らない。
 ただ、「夙うに私は滅びていた」と呟くばかり。
 『鹿鳴館』が男性原理の勝利の物語なら、『朱雀家』はその敗北の物語である。

 この違いは、明治の文明開化と昭和の太平洋戦争敗戦という時代設定の違いだけが原因だろうか。
 ソルティにはどうもそうは思えない。
 『鹿鳴館』発表の1956年から『朱雀家』発表の1967年まで、11年間における三島由紀夫自身の内面的変化が関与しているように思われるのである。
 そこで気になるのが、朱雀経隆によって発せられる幕切れのセリフ。
 「どうして私が滅びることができる。夙うのむかしに滅んでいる私が。」

 「夙うのむかし」とはいつだろうか?
 日本の敗北=天皇制の危機?――ではない。それは最近の出来事だ。
 側女として仕えたおれいの爆死?
 息子経広の戦死と朱雀家の滅亡?
 あるいは、20年ほど前にあった妻顕子の死?
 その「とき」は、作品中にはっきりと明示されていない。
 だが、「夙うのむかし」はこの戯曲が始まる「とき」よりかなり前であることは、次の瑠津子のセリフから察しられよう。

あなたのうつろな心の洞穴が、人々を次第に呑み込み、何もなさらぬことを情熱に見せかけ、この上もない冷たさを誠と呼ばせ、あなたはただ、夜を昼に、昼を夜につないで生きておいでになった。そして朱雀家の37代を、御自分の一身に滞らせ、人のやさしい感情の流れを堰き止めておしまいになった。

 「夙うのむかし」とは、経隆の心が「うつろな洞穴」に成り変わった日、存在が虚無へと変容した日のことではないかと思う。
 そこで思い当たるのが、作家三島由紀夫の誕生を告げた長編『仮面の告白』のラスト近くにある次のくだりである。

「あと5分だわ」
この瞬間、私のなかでなにかが残酷な力で二つに引裂かれた。雷が落ちて生木が引裂かれるように。私が今まで精魂込めて積み重ねてきた建築物がいたましく崩れ落ちる音を私は聴いた。私という存在が何か一種のおそろしい「不在」に入れかわる刹那を見たような気がした。目をつぶって、私は咄嗟の間に、凍りつくような義務観念にとりすがった。

 『仮面の告白』の主人公(=語り手)の数十年後が、朱雀経隆ではなかろうか。
 もっとも、朱雀経隆には天皇への純愛を別とすれば、『仮面』の主人公のような同性愛志向はないけれど。
 「夙うのむかし」、存在が不在に入れかわった。
 それ以降、「うつろな心の洞穴」をつねに覗き込んでいた経隆がその空虚を埋めるのに役立てたのが、「承詔必謹」という生きがいであり、天皇制という男性原理だったのではあるまいか。
 そしてそれは、三島由紀夫自身についても言えることなのではなかろうか。

三島由紀夫
市ヶ谷自衛隊駐屯地の三島由紀夫

 自衛隊突入と自決という終着につながった晩年の三島由紀夫の言動について、ソルティもまた違和感をもつ一人である。
 石原慎太郎が述べているように、「三島さんのなかに三島さん以外の人がいる」としか思われない。
 芝居がかった幼稚性、柄にもなさ、すなわち“茶番”を強く感じる。
 前記の対談集のあとがきで、石原はこう述べている。

 結局、あの人は全部バーチャル、虚構だったね。最後の自殺劇だって、政治行動じゃないしバーチャルだよ。『豊饒の海』は、自分の人生がすべて虚構だったということを明かしている。最後に自分でそう書いているんだから、つらかったと思うし、気の毒だったな。三島さんは、本当は天皇を崇拝していなかったと思うね。自分を核に据えた一つの虚構の世界を築いていたから、天皇もそのための小道具でしかなかった。彼の虚構の世界の一つの大事な飾り物だったと思う。

 一見すると、三島由紀夫は乃木将軍のように天皇制という男性原理に殉じて死んだように見えるけれど、実際には、それを信じていなかった、それを虚構あるいは虚妄と知っていたというのである。
 ソルティは石原慎太郎が好きでなかったけれど、この説にはおおむね同意する。
 自分の人生が虚構であると知りながら、虚構の中核に天皇を据えた以上、それを信じ、それに殉じるしかなかった。
 その意味で、三島由紀夫のほんとうの分身は、朱雀経隆ではなくて、息子の経広である。
 経隆は息子についてこう語る。

一つの誉れの絵すがたに同化することを望んだのは経広自身だ。あれはこの世に生きるということの目的が、それ以外にないことを知っていた。若いながらにそれを知っている天晴な奴だった。

 だが、息子をそのように育てたのはほかならぬ経隆である。
 元来臆病でやさしい子であった経広は、父親に認められたいがゆえに、まぎれもない朱雀家の跡継ぎとして世間に認められたいがゆえに、自分の中の女性原理を否定し、男性原理を過剰に内面化し、男性原理を過剰に貫いて、しまいには男性原理そのものによって殺されたのである。それが虚構にほかならないことを目前の敗戦をもって悟りながら。

 三島由紀夫が敗戦によって失われた大和魂や日本古来の風土文化を偲び、天皇を「人間」に引きずり下ろした戦後民主主義を嫌悪していたのは事実であろう。
 なんといっても、平岡公威のアイデンティティは戦前につくられたのだから。
 しかるに、戦後保守派の言論人として発言するだけにとどまらずに、あのような過激な行動と終結に走ったのは、「うつろな心」が呼び込んだ男性原理への過剰適応が原因だったのではないかと思うのである。

 夙うのむかしに滅んでいる。

 幕切れのこのセリフは三島由紀夫の遺書の一行のようで、なんとも痛ましい。

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おすすめ度 :★★★★

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★★    いい退屈しのぎになった
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● 飯能の空、ふたたび 映画:『美しい星』(吉田大八監督)

2017年日本
127分

美しい星

 『桐島、部活やめるってよ』『紙の月』で、映像作家としての才とソルティ好みを感じた吉田監督。
 この作品を観んがために、三島由紀夫の原作をまず読んだのであった。

 結論から言えば、原作より映画のほうがいい!
 SF小説にも純文学にも詩にも娯楽小説にもなりきれていない、中途半端なぎこちなさがある原作に対し、本作には映画としての、映画ならではの、すっきりした美しさがある。
 『桐島』ほどの傑作ではないけれど、忘れ難い佳品である。

 時代設定を原作の1960年代から2010年代に変更するに伴い、人類破滅の危機をもたらす要因が、冷戦下の核戦争から地球温暖化に変えられている。
 人類救済の使命に目覚めた一家の父親の職業を気象予報士にしたのは、アイデアもの。
 60年代だったら機関誌や書籍や講演によって地道に訴えるしかなかった警告が、テレビを通じて一気に大衆に呼びかけられるという、まさに映像ならではの演出効果を生み、原作にはないコメディ色が強まった。
 原作では、地球平和のために立ち上がった4人家族に敵対する宇宙人として、仙台在住のダーク3人組を登場させ、小説の終幕において両者間で人類を原告とした疑似裁判が持たれる。飯能4人家族が弁護側、仙台3人組が検察側である。
 映画では仙台3人組は出てこない。
 よって、原作の主要場面をなす議論も割愛されている。
 言葉(活字)によってテーマを表現する小説と、映像によって表現する映画とは様式が異なるので、これは正解だったのではないかと思う。
 そのぶん、3人組の立場を集約した存在である謎の代議士秘書・黒木が重要キャラとなっている。
 黒木役の佐々木蔵之介は、地球人離れした不気味さを宿して、演技の幅の広さを見せつけた。

 一家の父親(火星人)役のリリー・フランキーの“真剣になるほどコメディになる”演技、娘(金星人)役の橋本愛の“真剣になるほど冷え冷えと美しくなる”演技。
 どちらも印象的である。
 本作は、カルト的人気作として後世に残るんじゃないかと思う。
 土星人ソルティ(by細木数子先生)はとても気に入った。

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政徳 吉田によるPixabayからの画像>


おすすめ度 :★★★★

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● 飯能の空 本:『美しい星』(三島由紀夫著)

1962年新潮社刊行
1967年文庫化

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カバー装画:牧野伊三夫

 SF思弁小説とでもいった感じの三島文学における異端作。
 自分たちが地球人(=人間)ではなく、他の天体からやって来た宇宙人だと自覚した埼玉県飯能市に住む4人家族のドラマである。
 これが4人そろっての錯覚とか妄想とか精神異常とかであるなら、現代日本社会で生きる人間のストレスや心の闇を抉り出した、あるいは個人を狂気に追いやる社会の不条理を弾劾したといった態の、まさに純文学っぽい話になりそうなのだが、あきれたことに、4人はほんとうにUFO(空飛ぶ円盤)を目撃したのであり、それをきっかけに自らの正体や出自を思い出したのであり、実際に宇宙人であった、という大真面目な設定。
 本書が発表されたときの読者諸氏の戸惑いや驚きが想像される。
 早川書房『SFマガジン』刊行が1960年で、日本SF界の大御所にして礎石たる小松左京のデビューが1962年というから、本作はある意味、日本SF小説史における起爆点と言えるのではなかろうか?
 三島由紀夫のような時代の寵児たる純文学作家がSFをものしたという事実は、日本におけるSF小説の社会的認知度を高めるのに益したのではあるまいか?

 それはともかく、純文学におけるSF設定が奇抜でも画期的でもなくなった現在から見たときに、SFという機構はきわめて三島っぽい、三島文学と相性の良いものなのではないかと思う。
 三島文学の特質である「人工的、観念的、論理的(理屈っぽい)、修辞的」といった要素が、そのままSF小説の特徴と重なるからである。
 小島の漁師を主人公としながらも土着性、肉体性、生活臭を妙に欠いた『潮騒』の虚構性や、人工的な美への憧憬と破壊を描いた『金閣寺』の観念性などは、まさに三島文学の特質を物語っている。
 黄金色に輝く金閣寺と大気を橙色に染めるUFOの光は、なにかとても似通った三島的アイテムといった感じがする。

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 本作で三島が「SF、空飛ぶ円盤、宇宙人」という設定を用いたことについて、奥野健男が解説でこう書いている。

 三島由紀夫は、現実の泥沼をとび超え、いきなり問題の核心をつかむ画期的な方法を、視点を発見したのだ。それが『美しい星』の空飛ぶ円盤であり、宇宙人である。つまり地球の外に、地球を動かす梃子の支点を設定したのだ。宇宙人の目により、地球人類の状況を大局的に観察し得る仕組を得た。人間を地球に住む人類として客観的に眺めることができる。そこから自由に奔放に地球人の運命を論じることができる。問題の核心に一挙にして迫ることができるまことに能率のよい仕掛けである。これはまさにコロンブスの卵と言えよう。

 卓見である。
 ここで奥野が“問題の核心”と言っているのは、「人類の存在の根源を問う」ことであり、それは本書のクライマックスにおいて、核戦争から人類を救おうと平和の大切さを訴える太陽系宇宙人(4人家族の家長)と、人類の絶滅を目論む非太陽系宇宙人(仙台在住の3人組の男)の討論として描かれている。
 人類とは何か?
 その存在意義は?
 その未来は? 

 宇宙的観点、いわば悟りの境地からみたときの人類の姿がいささかの手加減なく指弾される。
 きわめて思弁的な、法廷におけるような議論の応酬を書かんがために、あえて宇宙人設定を用いてSF仕立てにしたというわけである。

 ソルティは同じような仕掛けとして『禁色』を想起した。
 ギリシア風美貌の同性愛者を主人公とし都会のゲイ社会を舞台とした『禁色』が、ホモセクシュアルという外野から通常社会(ヘテロ社会)の欺瞞や滑稽をあぶりだす仕掛けになっていたのと、『美しい星』の結構は相似形である。
 『禁色』において異端の観察者にあったゲイが、『美しい星』では宇宙人になっているのだ。
 宇宙という外野から、地球人類の欺瞞や滑稽や絶望的愚かさを、情け容赦なく――“情け”はまさに人類固有の特質なので――あぶりだす。一方、わずかながらの“美点”も指摘する。
 いわば、三島由紀夫裁判長による人類裁判という趣きである。

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 大上段にして深遠なテーマの割りには、全般軽いタッチで書かれている。
 作中で、登場人物の一人の口を借りて「三島由紀夫という小説家」を揶揄させるなど、遊び心がうかがえる。
 修辞の素晴らしさは言うまでもない。
 戦後の、いや日本の小説家で、三島由紀夫と並びうる修辞の天才がいるだろうか?
 卓抜な比喩やレトリックに息が止まった。

 所沢をすぎると、すっかり暮色に包まれ、杜かげの水田ばかりが、夜道に落した一枚の手巾(ハンケチ)のように際立った。

 去年の薔薇は丸く、死んだ睾丸のようであった。

 栗田はじっと、向うの椅子にかけて大きな洋菓子を喰べている若い女の尻に注視していた。その尻は、タイトな薄緑いろの格子縞のスカートに包まれて、女自身からはみ出した法外な野心のような姿をしていた。

 暁子はうつむいて自分の財布の中を調べるような、地球人の賤しい自己分析の習慣をきっぱりと捨て、母の前に言い淀むべきことの、一つもないことを改めて確かめた。

 皮肉なことに愛の背理は、待たれているものは必ず来ず、望んだものは必ず得られず、しかも来ないこと得られないことの原因が、正に待つこと望むこと自体にあるという構造を持っているから、二大国の指導者たちが、決して破滅を望んでいないということこそ、危険の最たるものなのだ。(ソルティ注:二大国とはアメリカとソ連である)

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Peter LomasによるPixabayからの画像


 
おすすめ度 :★★★

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● その火を飛び越して来い 映画:『潮騒』(森永健次郎監督)

1964年日活
82分、カラー

 三島由紀夫原作のこの有名なロマンスはこれまでに5回映画化されている。
  • 1954年(昭和29年) 監督:谷口千吉 主演:青山京子&久保明
  • 1964年(昭和39年) 監督:森永健次郎 主演:吉永小百合&浜田光夫
  • 1971年(昭和46年) 監督:森谷司郎 主演:小野里みどり&朝比奈逸人
  • 1975年(昭和50年) 監督:西河克己 主演:山口百恵&三浦友和
  • 1985年(昭和60年) 監督:小谷承靖 主演:堀ちえみ&鶴見辰吾
 ソルティ世代(60年代前半生まれ)は、百友コンビの1975年版に思い入れが深い。
 団塊の世代なら、当然、小百合サマ主演の本作であろう。
 同時上映が、石原裕次郎&浅丘ルリ子の『夕陽の丘』(松尾昭典監督)だったというから、今思えば最高に贅沢なプログラムである。
 他にも、個性的な風貌とたしかな演技力で気を吐いた石山健二郎、清川虹子、高橋とよ等ベテランが脇を固めており、伊勢湾にある神島の美しい風景や中林淳誠による抒情的なギターBGMと相俟って、質の良い映画に仕上がっている。
 半世紀以上前の日本の小島の漁村文化の風景は、記録としても興味深い。
 (神島に行ってみたいな)

神島
ウィキペディア「神島」より

 原作者である三島は第1作の1954年版を気に入っていたらしいが、本作はどう評価したのだろうか?
 気になるところである。
 とりわけ、主役の漁師久保新治を演じた浜田光夫をどう思っただろう?
 ソルティの受けた感じでは、浜田は演技は悪くないが、都会的な匂いが多分にあり(潮の匂いというより地下鉄の匂い)、漁師としての肉体的逞しさにも欠けるように思う。
 ふんどしも似合わないだろう。(有名な「その火を飛び越して来い」のシーンではふんどし姿にならない)
 個人的には過去5作の新治役の中では鶴見辰吾が一番イメージ的にしっくりくるが、まあ全作観ていないので何とも言えない。

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有名な「火越え」シーン
原作の書かれた50年代には神島にジーンズは入ってなかったろう

 小百合サマはあいかわらず可愛らしく華がある。
 美少女には間違いないけれど、角度によっては意外と芋っぽく見える瞬間があり、島の長者の娘初江として、それほど場違いな感じはしない。
 なにより溌剌としたオーラーが若さを発散して惹きつける。
 
 島の海女たちのリーダーおはる(高橋とよ)が、初江(小百合)が生娘かどうか確かめるため、仕事を終えた仲間と語らう浜辺で、初江の乳房を観察するシーンがある。
 80年代までなら上映に際して別になんら問題の生じなかったシーンであるけれど、令和の現在はなんらかの脚色(=取り繕い)が必要になって来よう。
 この小説が、85年を最後に映画化されていないのは、そのあたりの事情もあるのかな?
 昭和文学ってのは、ジェンダー視点からはかなり悪者になってしまった。
 
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小百合の乳房を確認する高橋とよ
このあと「おらのは古漬けだ」というセリフが来る






おすすめ度 :★★★

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● 三島由紀夫主演 映画:『からっ風野郎』(増村保造監督)

1960年大映
96分

 当時35歳の三島由紀夫がヤクザの若親分を演じ、その素人演技が酷評された一種の珍品。
 期待しないで観たのだが、まったく期待通りの学芸会レベルの芝居に、「やっぱり期待した通りの期待はずれだったな」と、よくわからない感想に追い込まれてしまった。

 名優として映画史にその名が刻まれる志村喬や若尾文子は別として、共演の船越英二や神山繁、根上淳や水谷良恵(現・八重子)、果ては役者よりテレビタレントとして水を得た川崎敬三でさえ、相当の芝居達者に見えてしまうほどの、主役とそれ以外の演技力の落差!
 もしかしたら、この三島の棒読みセリフと素人芝居の滑稽な味わいにアイデアを得て、増村監督はその後テレビで一大ブームを巻き起こした大映ドラマ――堀ちえみの『スチュワーデス物語』に代表される――のスタイルを思いついたのではなかろうか。
 としたら、この作品の意義も捨てたものではない。

 こき下ろしているばかりに見えるが、芝居の上手下手とは別の次元で、三島由紀夫の愛すべき魅力はとらえられている。
 無防備なまでの不器用さがそれである。
 三島由紀夫の運動能力の無さについては、どこかで石原慎太郎が暴露していたけれど、この作品はまさにそれを証明している。
 自らの肉体を思い通りコントロールする能力を欠いているように見えるのだ。
 本作中の三島の演技で唯一素晴らしいと思ったのが、ラストシーンにおいて神山繁演じる殺し屋に刺されたあとの死体(の演技)であるというのが、まさにその間の事情を物語っている。

 それを思うと、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地において三島由紀夫が自らの腹切りをちゃんと成し遂げたことが不思議な気がする。
 もっとも切腹だけではすぐには死ねない。
 介錯人が斬首することで自決は完成する。
 三島由紀夫はここでも森田必勝という共演者に助けられたのだった。


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若尾文子と三島由紀夫 



おすすめ度 :★★

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● 男たち、美しく 映画:『戦場のメリークリスマス』(大島渚監督)

1983年日本、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド
123分、日本語&英語

 本作は、リアルタイムで劇場で観た初めての大島渚作品だった。
 というより、初めて観た大島渚であった。

 当時人気絶頂のビートたけしと坂本龍一、演技素人の二人が主役級で出演。
 ロック界の大物スター、デヴィッド・ボウイと坂本との東西を代表する美形対決。
 坂本の作曲した印象に残るテーマ音楽が繰り返しCMで流された。
 話題に事欠かず、前評判から高かった。

 蓋を開けたら予想をはるかに上回る大ヒット。
 映画館には若者、とくに戦争映画には珍しく若い女性たちの列ができた。
 ある意味、1981年公開の深作欣二監督『魔界転生』と並んで、日本における“腐女子熱狂BL映画”の幕開けを宣言した記念碑的作品と言えよう。
 キャッチコピーの「男たち、美しく」は、まさに時代の需要を敏感に汲み取ったものである。

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左から坂本龍一、デヴィッド・ボウイ、ビートたけし、トム・コンティ

 ソルティもそのあたり期するものあって鑑賞したと思うのだが、一言で言えば「よくわからない」映画であった。
 腐女子的楽しみという点をのぞけば、なぜこの映画がそれほど高い評価を受け、世界的な人気を博しているのか、理解できなかった。
 最初から最後まで残酷な暴力シーンに満ちているし、それらは太平洋戦争時の日本軍の外国人捕虜に対する行為なので同じ日本人として罪悪感や恥ずかしさを持たざるを得なかったし、それを全世界に向けて何の言い訳もせずに手加減なく晒してしまう大島監督に対する怒りとは言えないまでも不愉快な思いがあった。
「なんで日本人の監督が、わざわざ日本人の恥部を今さら世界中に見せるんだ!」
 同じように太平洋戦争時の東南アジアにおける日本軍の日常を描いた、市川崑監督『ビルマの竪琴』と比べると、その差は歴然としている。

 さらに、テーマがわかりにくかった。
 日本軍の旧悪を暴き日本人という民族の奇態さを描きたいのか、戦争の狂気や愚かさを訴えたいのか、日本軍に代表される東洋と連合軍に代表される西洋との文化的・思想的・倫理的違いを浮き彫りにしたいのか、それとも敵同士の間にさえ生まれる男同士の友情に焦点を当てたいのか、ホモフォビア社会の中でいびつになった同性愛者を描きたいのか・・・・。
 いろいろな要素がごっちゃ混ぜになっている感を受けた。
 本作は、実際にインドネシアのジャワ島で日本軍の捕虜になった南アフリカの作家・ローレンス・ヴァン・デル・ポストの体験記を原作としているので、ある一つのテーマに基づいて作られた作品というより、現実のいろいろな見聞を盛り込んだ「ザ・捕虜生活」としてあるがままに受け取るのが適当なのかもしれない。
 実際、海外では『Furyo』(俘虜)というタイトルで上映された国も少なくない。

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 そういうわけで、公開時は「よくわからない」映画だったのであるが、約40年ぶりに見直してみたら、それもその間に、『青春残酷物語』『太陽の墓場』『日本の夜と霧』『日本春歌考』『マックス、モン・アムール』『御法度』といった大島渚監督の他の作品を何本か観た目で見直してみたら、新たに気づくところが多かった。

 まず、顕著なのが、坂本龍一演じるヨノイ大尉であるが、これは明らかに三島由紀夫、あるいは三島由紀夫に対する大島ならではのオマージュである。
 ヨノイ大尉は、2・26事件に参与できなかった悔恨を抱える国粋主義者で、剣道と文学をたしなむクローゼット(隠れホモ)という設定。原軍曹(ビートたけし)を典型とする野蛮で暴力的な日本兵の中で、ストイックなまでの神道精神を貫いている。晩年の三島を彷彿とさせる。
 そういう男があまつさえ敵方の外国男を好きになってしまうという矛盾と葛藤が面白い。

 次に、大島の遺作である松田龍平主演『御法度』(1999)において極められた「マチョイズム(ホモソーシャル社会)の中に投げ込まれた同性愛(ホモセクシュアル)」というテーマの先鞭をつけた映画である。
 生き死にがかかっている闘いの場においては、規律ある上下関係と集団の大望成就のために自己を放棄するマチョイズムこそ、重要であり役に立つ。
 上下関係を曖昧にし集団より自己の欲望や特定の仲間との関係を重視する同性愛は、集団の規律やモラルを乱しかねない。
 だから、デヴィッド・ボウイ扮するセリアズ少佐に惚れてしまったヨノイ大尉は、軍のリーダーとして役に立たなくなってしまった(更迭させられた)のであり、美貌の剣士である加納惣三郎(松田龍平)は、新選組を内側から崩壊させる危険因子として、最後には沖田総司(武田真治)に斬られてしまうのである。
 敵と戦い打ち倒すためには、「男(マッチョ)」でありつづけなければならない。 

 次に言及すべきは、ビートたけしの存在感。
 演技力がどうのこうのといったレベルを超えたところで、強く印象に刻まれる。
 当時お笑い一筋でテレビ芸人としてのイメージの強かったたけしを、この役に抜擢した大島の慧眼には驚くばかり。
 有名なラストシーンでの艶やかな顔色と澄み切った笑顔は、たけしが映画作りの面白さに目覚めた証のように思える。
 
 本作では原軍曹とロレンス中佐(トム・コンティ)の間で、何度か「恥」をめぐる会話が交わされる。
 敵の捕虜になること自体を「恥」と考える日本人と、捕虜になることは「恥」でも何でもなく、捕虜生活をできるだけ快適に楽しく過ごそうとする西洋人。
 捕虜になって辱めを受けるくらいなら切腹を選ぶ日本人と、それを野蛮な風習としか思わず、何があっても生き抜くことこそ重要とする西洋人。
 戦地における傷病者や捕虜に対する待遇を定めたジュネーブ条約(1864年締結、日本は1886年加入)の意味を理解できない日本人と、一定のルールの下に戦争することに慣れている西洋人。
 東洋と西洋、いや日本人と欧米人とのこうした違いは、『菊と刀』や『海と毒薬』はじめ、いろいろなところで語られてきた。
 映画公開後に「毎日新聞」(1983年6月1日夕刊)に掲載された大島渚自身による自作解題によると、外国のマスコミから受けた本作に対する様々な質問の中に、次のようなものがあったそうだ。

 オーシマは、この映画で日本の非合理主義が敗れ、ヨーロッパの合理主義が生き残ったとしている。後者が前者よりすぐれていると思っているのか。

 それに対して大島はこう答えたそうな。

 ニッポンは戦争で示した非合理主義を戦後の経済や生産の中に持ちこんで、それを飛躍的に発展させたかもしれない。しかしそのエネルギーは負けたことから来たのだ。そしてそれを支えた我々はもう疲れた。次の世代は合理主義を身につけて世界の中で生きるだろう。

 40年経って、日本人はどれくらい合理主義を身に着けたのだろう?



P.S. 驚いた! 記事投稿後に知ったが、今日1月15日は大島渚監督の9回目の命日だった。あの世の監督に「書かされた」?

 



おすすめ度 :★★★

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● 福沢かづという生き方 本:『宴のあと』(三島由紀夫著)

1960年新潮社より原著刊行
2020年新潮文庫新版

 1959年(昭和34年)におこなわれた都知事選出馬者(元外務大臣・有田八郎)をモデルにしたことで日本初のプライバシー裁判となった作品として有名だが、こういったセンセーショナルなアオリ文句は、もういい加減、解説からはともかく帯などの紹介文からは削られるべきだろう。
 60年以上も前の事件であるし、有田八郎と付き合いのあった現役政治家はもうこの世にいないのだし、もちろん三島由紀夫も。
 三面記事のようなアオリ文句が、この作品を三島が手すさびに書いた、男が主人公の政治(腐敗)小説のように読者に誤解させ、本来の価値を翳らせてしまいかねない。
 この作品が、海外でかえって高く評価されているのは、まさにそうした事情によるのではないか。

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 この小説の素晴らしさは、福沢かづというヒロインの魅力につきる。
 おそらく、三島の全作品中、『鹿鳴館』の朝子、『サド侯爵夫人』のサン・フォン伯爵夫人、『黒蜥蜴』の緑川夫人に並ぶ個性豊かな魅力キャラである。
 日本の小説を見渡しても、これだけ情熱的で行動力にあふれ、傍で見ていて面白くて愛らしいヒロインはそういないだろう。
 読み始めたら、小説のプロットとかテーマとか文学性なんかは二の次で、よく泣き、よく動き、よく働き、よく愛し、よく装う、天真爛漫なかづの魅力に惹かれてしまう。
 保守派の政治家や高級官僚の利用する一流料亭の女将としての華やかさと気風の良さ、革新派の夫・野口雄資のためドブ板選挙を厭わず精力的に手伝う行動力と人心掌握。
 映画化したらどの女優がこの役にふさわしいだろうか?とずっと考えながら読んでいた。

 ウィキによると、成瀬巳喜男のメガホン、山本富士子のかづ、森雅之の野口雄資という顔触れで企画があったらしいが、プライバシー裁判のせいで流れてしまったとの由。
 なんともったいない!
 なるほど着物の似合う美貌の山本富士子は一流料亭の女将として申し分なく、貫禄も十分だ。
 が、夫の選挙のために駆けずり回る行動力とパワー、買い物中の主婦の足を止めてマイクの前から離さない田中真紀子のような庶民に訴えるカリスマオーラーは、上品な山本では足りない気がする。
 いろいろな女優の顔を思い浮かべた結果、「この人なら」というのに当たった。

 岡田茉莉子である。
 美貌と情熱、行動力と気風の良さ、言うことなかろう。
 岡田茉莉子と仲代達矢のコンビだったらピッタリだったと思う。

岡田茉莉子
岡田茉莉子


 バロックのような華麗なる修辞と心理分析に長けているがゆえに、ややもすると人工的な印象がつきまとう三島作品の中にあって、本作は題材の性質上もあって過度な修辞も精密な心理分析も抑えられている。
 それがかえって作品全体に自然なタッチをもたらし、三島の修辞抜きの素の文章のうまさが引き立ち、余裕綽々たる洒脱な風情さえ漂っている。
 ときに差し込まれる比喩の見事さ。

夜になって冷たい風が募って、空にはあわただしい雲のゆききの奥に、壁に刺した画鋲のような月があった。

何か野口のベッドには、吹きさらしのプラットフォームのような感じがある。それでも彼は、かづよりも寝つきがいいのである。 

かづの心はありたけの嘘を考えていた。陽気な言いのがれは彼女の天分の一部で、どんな窮地に立っても、狭い軒下をくぐり抜けて飛ぶ燕のように、たちまち身をかわすことのできるかづなのに、この場合に限って何も言わないことこそ最良の言いのがれだろうと思われた。

・・・彼は今一刻も早く、残り少ない自分の人生を不動なものにしたくてうずうずしていた。もう修理や改築や、青写真の書き直しや、プランの練り直しはご御免であった。彼の心も肉体も、すでにあらゆる不確定に堪えなかった。フルーツ・ジェロのなかの果物の一片のように、身をおののかせながら、少しも早くゼラチンの固まってくれる時を待っていた。

 本作を『鹿鳴館』のように、男の論理と女の情念の擦れ違いの物語、男の理想と女の現実との相克を描いた一種の恋愛劇と読むことは可能であろう。
 『サド侯爵夫人』のように、男にひたすら尽くすことに情熱を傾けてきた女がふとしたはずみで男に愛想をつかして捨て去る話と読むこともできよう。
 あるいはまた、かづが「政治と情事は瓜二つ」と直感で見抜いたように、日本の政治の浪花節的な性質=非論理性に対する三島自身の風刺と読むことも可能であろう。
 しかしながら、読み終わって残るのは、福沢かづの愛すべき驕慢ぶりと“水盤にたっぷりと湛えられた乳のような”白い肌である。
  



おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損





● 平岡家のマナー 映画:『三島由紀夫vs東大全共闘50年目の真実』(豊島圭介監督)

2020年
108分

 今から半世紀以上前の1969年(昭和44年)5月13日に東京大学駒場キャンパス900番教室(現・講堂)で行われた、三島由紀夫と東大全共闘の討論会のドキュメンタリー。
 TBSが録画保存していたフィルムをもとに、スタッフによる注釈や三島をよく知る作家や学者などによる解説、そして実際に討論会に参加していた元学生(今や70代の爺サマ)によるコメントを加えて編集したものである。
 ナレーターを東出昌大がつとめている。

 この討論に先立つ4ヶ月前、学生らによって占拠された東大安田講堂は機動隊の突入によって陥落した。東大闘争は収束したが、1972年の連合赤軍事件にはまだ間があり、共産主義革命を夢見る学生たちの機運は高まる一方であった。
 一方、この討論の約1年後、三島由紀夫は自決した。私設の防衛組織である楯の会を前年10月に結成し、自衛隊体験入隊で鍛え、憲法改正のための自衛隊クーデーターをすでに目論んでいた頃と思われる。
 反体制・反権力を掲げる血気盛んな1000人の左翼の若者が待ち構える中に、天皇崇拝を大っぴらに口にする右翼作家が単身乗り込んでいき、言葉による対決を行なったのである。


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壇上の三島と学生たち(しかし男ばかり・・・)


 たいへん面白かった。
 108分、半ば興奮しながら夢中になって視聴した。 
 そのことがまず意外であった。
 というのも、この映画(DVD)の存在をしばらく前から知ってはいたものの、観るのにためらいを感じていたからである。
 ソルティは、石原慎太郎の三島評を俟つまでもなく、マッチョになってからの、あるいは政治的発言を盛んに口にするようになってからの三島由紀夫の言動になんとなく嘘くさいものを感じていて、天皇の復権を目指し国軍創設を呼びかけるナショナリスティックな物言いには反感というより茶番に近い滑稽さを見ていた。軍服を着て日本刀を振り回し、自分ではない何者かになろうとする三島の姿に痛々しさしか感じられなかった。
 『仮面の告白』、『金閣寺』、『サド侯爵夫人』など国際級の作品をいくつも発表した人が、何者かに憑りつかれたように訳のわからないことを口にし、自ら進んで道化を演じ、これまで築き上げた業績と栄光を反故にするかのように破滅へ向かって突き進んでいく。
 三島の古くからの親しい友人であり霊能者でもある美輪明宏は、晩年の三島を霊視して、「2・2・6事件の将校が憑いている」と言ったそうだが、そうしたオカルティックな理由を持ち出すのがもっとも納得いくような三島の狂気的行動と凄惨な死に様に、近寄りがたいものを感じていたのはソルティだけではあるまい。(むろん、三島自決事件のときソルティはまだ小学生だったので、後年、三島文学に触れるようになってからの印象である)


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市ヶ谷自衛隊駐屯地での三島

 
 今回、怖いもの見たさでDVDを借りて、自決一年前の三島の姿を直視したら、ずいぶん印象が変わった。
 討論の最初のうちこそ、何者かに憑りつかれたような不自然な表情の硬さと、どこを見ているのか分からない虚ろな眼光がちょっと不気味であった。
 が、討論が進むにつれ、どうやらそれは緊張であったらしいことが分かってくる。
 そりゃあ、単身敵地に乗り込むのだから、緊張して当り前だ。

 頭のいい学生(なんたって東大生!)との討論の内容や、どっちが優勢か、あるいはどっちが正しいか、最終的にどっちが勝ったか、なんてことはソルティにはさほど興味がない。(あまりに話が観念的過ぎて付いていけない部分もあった)
 また、三島がしばしば口にする「殺し合う」とか、自らの将来を予告するような「自決する」とか、あるいは非合法の暴力の肯定といった過激な言辞にもさほど惹かれなかった。
 ソルティにとってこの討論会の一番の魅力、この記録映像の最大の価値は、三島由紀夫という男の対人姿勢を垣間見たところにある。
 別の言葉で言えばマナーである。
 主義でも思想でもルックスでも論客ぶりでも断じてなかった。

 三島は講堂をぎっしり埋めている、あるいは三島と共に壇上にいる学生たちに対して、終始、真摯に向き合い、敬意を持って遇し、相手の話に耳を傾け、対話において誠実で率直であろうと務め、ユーモアにあふれている。
 まず、この三島のユーモアというのが意外であった。
 ユーモアがあるというのは精神が硬直化していない一つの証拠であるから、三島が「何者かに憑りつかれて」我を無くしているというのは、少なくともこの段階ではどうやら当たっていない。
 『仮面の告白』による華々しい文壇登場の時からまったく変わらず、自らを相対化できる視点を携えているのである。

 また、三島の言葉は決して頭でっかちではない。己の実感から離れた思想や主義を振りかざしているのではない。
 実社会経験に乏しい学生たちはどうしても頭でっかちになりがち、つまり、行動が思想や主義によって牽引される傾向にある。(その最悪の結果が連合赤軍事件であろう)
 その思想や主義もまた、生活者の実感が伴わない借り物めいた感じが漂う。そもそもどのような条件付けのもとに自らがそういった思想や主義を抱くようになったかという点ついて自覚に乏しい。歴史的存在としての自分についておおむね鈍感である。(だからこそ、若者は今までにない新しいものが生み出せるのだが)
 たとえば、被差別部落に生まれ貧困と不平等に苦しんできた大正時代の若者がロシア革命を知って共産主義に希望を抱くような具合には、戦後生まれのインテリで資本主義社会において「勝ち組」を約束された東大生には、共産主義革命に対する切なる願望も内からの止むにやまれぬ慫慂もありはしないだろう。現実的な飢えや痛みから生み出され選ばれた思想ではない。

 一方、三島の皇国思想の背景には、まず日本文化や歴史についての深い造詣と理解があり、国や天皇のために戦い散っていった同朋を見送りながら戦前戦中を生き抜いてしまった事実があり、戦後民主主義の建設過程で神から人間になってしまった天皇や鬼畜米英から親米へと豹変した日本人を複雑な思いで見ながらも、その後に訪れた豊かさを「時代の寵児」として誰よりも享受してきた自分に対するアンビバレントな思いがあり、加えて三島独特の大儀の死と美とが結合したエロチシズムへの希求があった。
 三島の内的洞察力はこうした自らの条件付けと思想や欲望の成り立ちを当然自覚していたはずである。その自覚があればこそ、「自分は日本人として生まれ、日本人として死ぬことに満足している」というセリフが出てくる。
 天皇制や資本主義はもとより、日本人という国籍からの離脱さえ夢見る学生たちには、到底理解できる相手ではないだろう。
 ここには三島由紀夫=平岡公威という一人の男が背負ってきた重み(業)がある。そして、「歴史的存在としての人間を無視できるのか」という学生たちへの、戦後日本人への問いかけがある。

 三島がそうした条件付けからの解放を望まないのは、おそらく本映画の中でフランス文学者の内田樹が解説している通り、「国家の運命と個人の運命とがシンクロしていた時代に存在したある種の陶酔」を求めているからであろうし、作家の平野啓一郎が指摘している通り、「生き残った者の疚しさと苦悩」ゆえであろう。
 遺作となった『豊饒の海』で三島は仏教の世界に足を踏み入れている。
 あるいは三島には、すべての条件付けから解放されるべく、瀬戸内寂聴(やはり本作に登場している)のように出家して、悟りに向けて修行するという選択肢だってあったのかもしれない。であったなら、自殺することはなかった。
 が、それを決して許さないもの――自分一人だけが国家や文化や制度から解放されて生きのびることを良しとしないもの、あるいはダンディズム?――が彼の中には厳然とあったのだろう。


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Pete 😀によるPixabayからの画像


 さて、マナーの話に戻る。
 三島がマナーを持って学生たちと向き合っているのは、彼らを「他者」として認めているからにほかならない。
 この他者をめぐる問題が、この討論会の、あるいはこの映画の、あるいは三島由紀夫自身の最大にして究極のテーマであったのだと思う。
 最初の10分間スピーチの中で、三島は次のようなことを述べている。

・私は安心している人間が嫌いだ。
・私は当面の秩序を守るために妥協するという姿勢が嫌いだ。
・私は知性(知識・思想)でもって人の上に君臨するのが嫌いだ。

 これは、「自己充足して他者と向き合おうとしない人間が嫌いだ」ということを言外に匂わせている。
 そのあと、司会を務める制服姿の学生(木村修)は三島への最初の質問として、奇しくも「自己と他者」の問題を投げかける。正直、彼の質問自体は要領を得ない稚拙なものであるが、他者という言葉を“いの一番”にぶつけたセンスは素晴らしい。(たぶん、横で構えていた三島もビックリしたのではないか)

 三島はおおむねこんなことを答える。

 エロチシズムにおいて、他者とは「どうにでも変形されうるようなオブジェ」であるべきで、意志を持った主体ではない。
 一方、(真の)他者とは、自分の思うようにはならない意志を持った主体であり、それとの関係は対立・決闘あるのみで、全然エロチックなものではない。
 自分はこれまで、エロチシズムにおける他者を作品のテーマとして描いてきたけれど、もうそれには飽きた。
 私は(真の)他者がほしくなった。
 だから、君たちが標榜する共産主義を敵(=他者)と決めた。

 この告解は衝撃的である。
 三島文学の大きな特徴は「他者との関係の不可能性」にあった。
 関係が不可能なところにエロチシズムが存在したのである。
 それは、川端文学や谷崎文学にも、いや三島以前のほぼすべての男性作家について言えるところであろう。
 基本、男のエロスは自己充足的=オナニズムだからである。
 三島はそれとは決別して、他者を探す旅に出たのだ。
 エロスでも暴力でもなく、言葉によって他者と出会う可能性を探ったのだ。
 共産主義を志向する若者たちを、自らの意志を持つ「他者」と認めればこそ、対等の立場で敬意を持って対話しようとしたのである。
 それが三島のマナーの持つ意味の一つである。


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壇上の三島と進行役の木村青年


 英国の推理作家G.K.チェスタトンのブラウン神父シリーズの中に『共産主義者の犯罪』という一編がある。
 共産主義による社会転覆と神の抹殺を標榜する名門大学の教授が、大学関係者が集う夕食会の席で、伝統破壊者らしい言辞を披露して同僚の不興を買いながらも、その一方、大学特製の葡萄酒を煙草を吸いながら口にすることはついにできなかった、という話である。
 思想や主義はいくらでも標榜できるし転向もできるけれど、生まれ育ちの中で身に着けたマナーは容易には変えられないという逆説。
 本映画で確認できる三島の品格あるマナーこそ、まさに後年筋肉と共に身に着けた思想や主義以前に、人気作家になるはるか以前に、三島由紀夫ならぬ平岡公威が平岡家の伝統の中で身につけた文化であると同時に、ほとんど無意識と言っていいくらい深いところで三島を規定している気質、すなわち人柄というものである。
 「主義主張が異なる相手に対しても、対話する際には敬意と忍耐をもって遇せよ」という三島の中の定言命令である。
 その品格は1000人の学生の目にはたしてどのように映ったのか。

 上記の木村修が発言の途中で三島のことを思わず、「三島センセイ」と言ってしまい、すぐに自らの権威盲従的失言に気づき、苦し紛れの弁明をする場面がある。
 木村の生真面目な愛されキャラのおかげで会場も三島も爆笑、一気に会場の雰囲気は和らぐ。
 おそらく、木村は思想や主義を超えたところにある三島由紀夫の人柄を敏感に察し、それに感化されたのだろう。 
 いまや70代になった木村がインタビューで当時を振り返るシーンがある。
 それによると、討論会が終わって木村が三島にお礼の電話を入れたところ、その場で楯の会に誘われたという。敵からの勧誘である。
 非常に面白い、かつ意味深なエピソードである。
 三島が実は、個人の思想や主義なんてさほど重要とは思っていない、人と人とが「肝胆相照らす」には思想や主義なんかより大切なことがある、とでも言っているかのようだ。

 尚武を気取る三島は口にしなかったけれど、他者との関係には対立・決闘だけでなく、互いを理解しようとする意志すなわち愛だってある。
 900番教室の学生に対する三島のマナーの根底にあるのは愛なのだと思う。
 この映画が感動的なのはそれゆえだ。

 それにしても、半世紀前には絵空事でナンセンスとしか思えなかった三島の言辞――天皇制をめぐる問題と憲法改正――が、今日焦眉の政治的テーマとなっているのは驚くばかりである。
 そして、900番教室を埋め尽くし口角泡飛ばして政治や社会を語った東大生が、いまやテレビのクイズ番組でアイドルのように扱われているのを見るにつけ、ソルティもそこに生きてきた日本の50年という歳月を奇妙なものに思う。


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現在の東京大学駒場の900番教室



おすすめ度 :★★★★

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● 本:『三島由紀夫 石原慎太郎 全対話』

2020年中公文庫

 1956年から69年に誌上で行われた三島由紀夫と石原慎太郎の全対話9編、併せて1970年の毎日新聞紙上での論争を収録している。
 「戦後日本を象徴する二大スタア作家の競演」という裏表紙の謳い文句に偽りはない。

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 上記の写真は1956年撮影と注釈にあるから、おそらく二人が初めて対談した『文學界』昭和31年4月号の際に撮ったものであろう。
 場所は当時文藝春秋社ビルがあった銀座界隈と思われる。
 時に三島由紀夫31歳、石原慎太郎24歳、7つ違いであった。

 昭和40年生まれと昭和47年生まれ、あるいは平成3年生まれと平成10年生まれの違いはそれほど大きくはない。
 しかし、大正14年生まれと昭和7年生まれの違いは看過できないほど大きいと思う。
 なぜなら、三島は多感な青春期に太平洋戦争、徴兵検査、広島・長崎原爆投下、ポツダム宣言受諾、天皇の人間宣言、日本国憲法発布を経験しているのであり、一方、石原の青春は戦後に始まったからである。
 両者の国家観、天皇観、戦争観、日本人観、そして死生観には埋められない深い溝があると想像される。
 その意味では、ともにブルジョア育ちで戦後に文壇に躍り出て一躍マスコミの寵児として持て囃されたという共通項こそあれど、三島は戦前・戦中の意識を背負った作家、石原は戦後の空気を象徴する作家という違いが指摘できよう。
 
 さらに、この写真で気づくのは二人の身長差である。
 181㎝と長身の石原に対し、三島は163㎝、20㎝近い差がある。
 撮影ではそのギャップが目立たないように、三島を前景に置き、かがんで手すりにもたれているような姿勢を取らせ、下半身はカットするという工夫が取られている。
 だが、ちょうど頭一つ分の二人の顔の位置の差は、そのまま二人の身長差であろう。
 これに象徴されるように、生まれながらの美丈夫でスポーツマンであった石原に対し、三島はコンプレックスを持たざるをえなかった。
 三島が貧弱な肉体改造のためボディビルを始めたのが、石原が『太陽の季節』で華々しくデビューした直後だったのは一つの符号である。
 二人の対話は、三島が己の肉体にそれなりに自信を持てるようになった頃、マッチョへの道、武芸への道、革命の志士への道を歩みだすターニングポイントに立ったあたりから始まったのである。

 本書の一番の面白さは、戦後のスタア作家でマスコミの寵児という共通項を持ちながらもまったく対照的な二人の対話を通して、それぞれのキャラ(本質)が浮かび上がってくるところにある。
 両人は、互いに小説家としての才能と仕事を認め合い、「友人ではなくとも味方」として認識し、互いの作品への忌憚ない批評を行い、男同士ならではの女性論や結婚論を開陳し合い、ときには文壇の先輩後輩という立場を離れて意見を闘わせている。
 先輩作家であり時代のヒーローである三島に対する新人作家・石原のタメグチに近い応答は、無礼と思う前に有吉弘行のようなふてぶてしさに感心するほどであり、それを平気で許してしまう三島の度量というか愛情(だろうな、やっぱり)は貴重なものである。
 石原慎太郎という男は、若い頃から偉そうだったんだな~。

破れ障子


 三島由紀夫は、漱石や芥川龍之介や谷崎や川端や太宰治など明治以来の文豪の流れをくむ根っからの物書きで、「書くこと=生きること」タイプのインドア人間。
 一方、石原慎太郎は、小説のほかにも映画を作ったり、ヨットやオートバイラリーをやったり、政治をやったり、女と遊んだり、「行動すること=生きること」タイプのアウトドア人間。
 この違いは両人の“自意識”に対するスタンスの差にあるようだ。
 三島は石原を「自意識において破滅しない作家」と評する。

三島 この人たちはどうほうっておいても、どんなにいじめても、自意識の問題で破滅することはない。それは悪口いえば無意識過多ということになるよね。・・・(中略)・・・自意識というものがどういうふうに人間をばらばらにし、めちゃくちゃにしちゃうかという問題にぶつかったときに、耐えうる人と耐え得ない人があるんだね。

 三島は「自意識において破滅する作家」の典型として太宰治を上げているが、むろん、三島自身も間違いなくその一人であった。三島の有名な太宰批判は、一種の同族嫌悪であろう。
 別の言い方をすれば、三島にとって自意識は常に「邪魔になる」ものであったのに対し、石原の自意識は常に「宝になるもの、自慢になるもの」であった。
 我が国の明治以来の文学の伝統は、「厄介なる自意識(近代的自我)をどう社会の中に位置づけるか」みたいなところにあったわけだが、石原はその本流からは逸れているのかもしれない。(ソルティは石原の対談集はともかく小説を読んだことがないので推測にすぎんが)

 両者の違いが鮮明に表れるのは、『守るべきものの価値』と題された最後の対談(昭和44年11月実施)である。この対談のちょうど一年後に三島は自決している。
 石原による「あとがきにかえて」(2020年に行ったインタビュー)によれば、この対談の最初のテーマは『男は何のために死ねるか』だったそうで、対談の皮切りに両人が「せーの」で提出し合ったこの問いに対する回答はまったく同じ、「自己犠牲」であった。
 ところが、対談を通して判明していくのは、この「自己犠牲」の中身がまったく異なることである。
 「最後に守るべきものは何か」という問いに対して、三島が出した答えは「三種の神器」すなわち天皇制である。
 これは、天皇こそが日本文化の要であり、日本を他国から弁別できる最終的なアイデンティティは天皇制だけだ、という三島の思想によっている。
 それを死守するための自己犠牲なのだ。
 一方の石原は「自分が守らなければならないもの、あるいは社会が守らなければならないもの」は、自由だと言う。

石原 僕の言う自由はもっと存在論的なもので、つまり全共闘なり、自民党なり、アメリカンデモクラシーが言っているもののもっと以前のもので、その人間の存在というもの、あるいはその人間があるということの意味を個性的に表現しうるということです。つまり僕が本当に僕として生きていく自由。

 自らの自由、あるいは自由な表現を守るための「自己犠牲」は尊い、というのが石原のポリシーなのである。
 同じ「自己犠牲」でもベクトルは真逆である。
 三島が没我的・他律的であるのに対し、石原は自己顕揚的・自律的である。
 あるいはこの違いこそ、「お国のため」、「君のため」を幼い頃より叩きこまれた戦前・戦中派と、「自分ファースト」の戦後派の違いなのかもしれない。
 両人はこの違いにおいて、激しく意見を衝突させる。

三島 形というものが文化の本質で、その形にあらわれたものを、そしてそれが最終的なもので、これを守らなければもうだめだというもの、それだけを考えていればいいと思う、ほかのことは何も考える必要はないという考えなんだ。
石原 やはり三島さんのなかに三島さん以外の人がいるんですね。
三島 そうです、もちろんですよ。
石原 ぼくにはそれがいけないんだ。
三島 あなたのほうが自我意識が強いんですよ。(笑)
石原 そりゃァ、もちろんそうです。ぼくはぼくしかいないんだもの。ぼくはやはり守るのはぼくしかないと思う。
三島 身を守るというのは卑しい思想だよ。
石原 守るのじゃない、示すのだ。かけがえのない自分を時のすべてに対立させて。
三島 絶対、自己放棄に達しない思想というのは卑しい思想だ。
石原 身を守るということが?・・・・ぼくは違うと思う。
三島 そういうの、ぼくは非常にきらいなんだ。
石原 自分の存在ほど高貴なものはないじゃないですか。かけがえのない価値だって自分しかない。

 図式的な見方になるが、

 三島由紀夫 =自己否定的=生の否定=肯定できる他者(美、天皇)の顕揚と仮託
 石原慎太郎 =自己肯定的=生の肯定=他者不要(あるいは自分を顕揚してくれる他者のみ必要)
 
 両者はちょうどネガとポジのよう。
 どっちが生活者として幸福かといったら、自ら「太陽」であり「天然」であり「王様」である石原のほうであろう。
 どっちが文学者として幸福か、つまり後世に残るかといえば、むろん三島である。
 なぜなら、他者不要の文学なんて意味がないから。

「あとがきにかえて」の最後で、石原はこう述べている。

 結局、あの人は全部バーチャル、虚構だったね。最後の自殺劇だって、政治行動じゃないしバーチャルだよ。『豊饒の海』は、自分の人生がすべて虚構だったということを明かしている。最後に自分でそう書いているんだから、つらかったと思うし、気の毒だったな。三島さんは、本当は天皇を崇拝していなかったと思うね。自分を核に据えた一つの虚構の世界を築いていたから、天皇もそのための小道具でしかなかった。彼の虚構の世界の一つの大事な飾り物だったと思う。

金閣寺


 ソルティも、ここで石原の言っていることはかなりの程度まで当たっているように思う。
 ただ、石原の人を貶めるような物言いには、文学者として最早決して同じレベルに立つことができない先輩・三島に対する男の嫉妬のようなものが感じられる。
 悪名高い石原のホモフォビアも、三島への嫉妬心から来ると思えば存外理解しやすい。
 恩知らずな奴。




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