第五福竜丸展示館 013 新藤兼人の映画『第五福竜丸』のDVDの付録で、東京・夢の島にある「第五福竜丸展示館」について紹介していた。
 恥ずかしくも自分はその存在を知らなかった。夢の島にも行ったことがない。
 ネットで詳細を調べ、さっそく行ってみた。
 有楽町線の新木場駅から歩いて10分のところにある。


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 なぜ福竜丸がこの場所にあるかと言うと、1951年のアメリカの水爆実験で被害を受けた後、文部省に買い上げられ、放射能の減り具合を確認した後、「はやぶさ丸」と名前を変えられて、東京水産大学の練習船として使われた。1967年に廃船となりエンジンだけ抜き取られて、夢の島に捨てられたのである。
 68年NHKが福竜丸の「今」を放送。それを観た一視聴者の武藤宏一氏が、朝日新聞に船の保存を呼びかける投書をしたのがきっかけとなって署名運動が始まり、75年展示館開設にこぎつけたのである。

 展示館の空間いっぱいに福竜丸の堂々としたご老体がドック入りしている。甲板や船の中には入れないが、付設の階段を上がって舷側から甲板の上を眺めることができる。
 船の周囲には、福竜丸の説明や被曝事件の経緯、当時の新聞記事や航海日誌、死の灰を入れた瓶、放射線を測ったガイガーカウンター、被爆した船員達の写真、全国から集まった反核の署名(当時人口8千万人のところ3千万人の署名が集まったという!)など、当時の模様を知る様々な資料に加えて、核の脅威を伝えるパネルや被爆者の手記などが展示されている。

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 第五福竜丸事件と放射線被曝の恐ろしさが世界に知られるところとなって、世界中で原水爆禁止運動が盛り上がった。その高まりの中で、哲学者バートランド・ラッセルと、アインシュタインを含む10名の科学者(日本の湯川秀樹も入っている)とが世界に提示したのが「ラッセル=アインシュタイン宣言」である。この和訳文も掲示されている。
(こちらを参照→「日本パグウォッシュ会議」 http://www.pugwashjapan.jp/r_e.html

 ところで、ナチスの迫害を恐れアメリカに亡命したアインシュタインは、ルーズベルト大統領に「原子爆弾をつくるのは理論的に可能」と手紙を送って原爆開発に協力しているのである。
 何を今さら反省しやがって・・・と文句の一つも言いたくなる。
 おそらく亡くなる前に自らの罪悪感を解消したかったのだろう。(この宣言文の発表を待たずに亡くなっている。)
 もっとも、アインシュタインがやらなくても他の科学者が開発したのは確実ではある。

 第五福竜丸事件は、アメリカの水爆実験による被害以外のなにものでもない。
 だが、戦勝国であるアメリカ政府は日本政府に圧力をかけ、事件をうやむやにした。いや、もっとひどいことは、日本政府の方から、アメリカの持つ原子力技術の提供や原子炉供与を交換条件に、責任追及と賠償請求を放棄してもよいと持ちかけたのではないかと推測されることである。被害者にはほんのわずかの見舞金だけが支払われただけであった。医療的な補償を受けるに必要なための被爆者認定もされていない。日本政府とマスメディアは、この事件を封印すべく情報操作をしてきた。

矛盾 このあたりの事情は、第五福竜丸の元乗組員であり、事件の生き証人であり、子供たちに事件のことや核の恐ろしさについて伝え続けている大石又七氏の著書に詳しい。(展示館で販売している。)
 読んでいると、実に恐ろしい心地がしてくると同時に、不可解な思いが頭をもたげる。

 無辜の国民の命を売ってまで、金銭欲、権力欲に取り憑かれる人々のトラウマとはどんなものなのだろう?


 当時の乗組員達は3分の2がすでに死亡。そのほとんどが輸血のために感染したC型肝炎による肝機能障害が原因と思われる。生き残っている人も相当な高齢である。(大石さんも喜寿を迎えている。)


 展示館の横のマリーナには、たくさんのヨットやボートが春の日差しを浴びて係留していた。

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