それは、ソルティが毎朝線香をあげ、経を読み、慈悲の瞑想を唱えている仏壇で、中にはミャンマーの友人からもらった小さなお釈迦様の像と、ポー・オー・パユットーの『仏法』の本と、スマナサーラ長老が編纂した『ブッダの日常読誦経典』(どちらもサンガ発行)と、塩を敷きつめた線香立てが置かれている。部屋の中で一等の聖なる空間でありパワースポットであり、ハエの立場からすれば最高のアジール(避難所)である。
いくら無慈悲なソルティでも、そこに入り込んだハエを叩き殺すことはできない。あきらめるよりなかった。
すぐに着替えて、朝飯もとらず家を出た。ぎりぎりの列車に間に合った。

ここで‘相手’というのは人間に限らず、すべての生命についてである。
生命は自分に対してプライドを持っています、対等に接してほしいと思っています。
生命の根源は慈悲喜捨です。ほとんどの場合、それは被り物の下に隠れて寝ています。
が、それはすべての生命に共通しているものなので、慈悲の瞑想をすると、究極的にはすべての生命とひとつになることができます。それが梵天の生き方です。

- すべての生命の生きる衝動は貪・瞋・痴(=欲・怒り・無知)です。まず自らの貪・瞋・痴の感情の働き方を観察します。(貪・瞋・痴は組み合わせの配合によって何千通りの姿になる)
- 完璧でなくとも自己観察を続けます。
- 相手の行為を観察して、その裏にある行為を引き起こしている感情をチェックします。
- また、善行為をすると、貪・瞋・痴の三つに加え、不貪・不瞋・不痴の三つの感情も理解できるようになります。これで尺度は六つになります。
- 価値観を入れず、白黒に分けず、判断せず、ありのままに相手を観ることが必要です。
- これで相手の感情を理解することができるようになります。
- 決して悪用しないでください
- 統制された情緒的関与の原則(=援助者は自分の感情を自覚して吟味する)
- 受容の原則(=クライエントのあるがままの姿を受け止める)
- 非審判的態度の原則(=クライエントを一方的に非難・判断しない)
こうした方法(原則)が正鵠を射ていることを、ソルティは日々、職場の老人ホームで認知症高齢者の介助をしながら実感している。
つくづく、ブッダって人類史上最高のカウンセラー&ケースワーカーである。
否、生命史上か。