ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

アルボムレ・スマナサーラ

● やれ打つな :初期仏教月例講演会『思いやりを育てる~相手の立場を理解するシュミレーション~』(スマナサーラ長老指導)

日時 12月 17日 (土) 14:00~
会場 日暮里サニーホール(荒川区)
主催 日本テーラワーダ仏教協会

 ここ数日、ハエに悩まされていた。
 何の拍子で部屋に入り込んだかは知らぬが、ご飯を食べてたり、こうしてパソコンに向かっていると、頭や顔の近くをヴンヴンと飛び回り、うっとうしくて敵わない。寒気が入るのも仕方なく、部屋の窓をしばらく開け放しておいたが、いっこうに出てゆこうとしない。
 不思議なのは、こちらが寝ているときと瞑想しているときは羽音が止むのである。もっとも邪魔されたくないこの二つを尊重してくれているらしいので、しばらくほうっておいたのだが、ある晩ブログを書いていると、パソコンの画面やキーボードに止まったり、わざわざこちらの目の前をこれ見よがしに通過したりと、あまりに十二月蝿(うるさ)いので、退治しようと決意した。不殺生戒(=生き物を故意に殺してはならない)を破るのは本意ではないが、軽く叩いて意識を失わせて床に落ちたところをティッシュでつまんで外に追い出そう。――実際にはそんな上手い具合に力加減を緩めるのは難しいから、まかり間違って叩き殺してしまっても「殺すつもりはなかった」という言い訳を用意しておきたかったのだ。
 手近にあった大学ノートを丸めて筒を作った。
 そこから数分間のハエとの攻防が始まった。
 なんだか実に賢いというか「できる」ハエで、こちらが居場所を見つけてノートをゆっくり構えた瞬間に飛び逃げる。明らかにこちらの殺気か視線を敏感に察している。なるべく殺気を出さないよう平常心を保ち、直前まで明後日の方向を見ていたりするのだが、どうしても0.5秒遅れで逃げられてしまう。
 しまいには仏壇に入り込んだ。
 それは、ソルティが毎朝線香をあげ、経を読み、慈悲の瞑想を唱えている仏壇で、中にはミャンマーの友人からもらった小さなお釈迦様の像と、ポー・オー・パユットーの『仏法』の本と、スマナサーラ長老が編纂した『ブッダの日常読誦経典』(どちらもサンガ発行)と、塩を敷きつめた線香立てが置かれている。部屋の中で一等の聖なる空間でありパワースポットであり、ハエの立場からすれば最高のアジール(避難所)である。
 いくら無慈悲なソルティでも、そこに入り込んだハエを叩き殺すことはできない。あきらめるよりなかった。
 翌朝、顔の周りで唸るハエの羽音で目が覚めた。
「ちっ。寝ているときはほうっておいてくれるんじゃなかったの?」
 手で追い払って気持ちのいい惰眠を貪ろうとすると、またしてもやって来る。
「ったく、なんだよ、いったい」
 怒りモードで身を起こし、壁時計を見てハッとした。
「いかん。約束に遅れる!」
 人と会う大事な用件があったのに目覚ましをセットしていなかった。
 すぐに着替えて、朝飯もとらず家を出た。ぎりぎりの列車に間に合った。
 あとちょっと寝過ごしたら、約束に遅れるところだった。

ハエ

 
 今回の講話のテーマは、「どうしたら相手のことが理解できて、適切な関係を結べるか」というものだった。
 結論から言えば、①自分がして欲しくないことは相手に対してやらない、②慈悲の瞑想を行って相手の幸せを願う、といったごく当たり前のことになる。
 ここで‘相手’というのは人間に限らず、すべての生命についてである。
 
 生命は自分に対してプライドを持っています、対等に接してほしいと思っています。
 
 ハエもまた然り。
 その正体は、「ハエ」という形態と生態と名前をもった「生命」であって、それはソルティが「人間」という形態と生態と名前をもった「生命」であることと、まったく変わりはないのである。ハエもソルティも輪廻転生によって変幻してゆく一時的な被り物をしているだけなのだ。
 
生命の根源は慈悲喜捨です。ほとんどの場合、それは被り物の下に隠れて寝ています。
が、それはすべての生命に共通しているものなので、慈悲の瞑想をすると、究極的にはすべての生命とひとつになることができます。それが梵天の生き方です。

生命の木


 今回面白く聞いたのは、「相手を理解する方法」すなわち読心術である。

    1. すべての生命の生きる衝動は貪・瞋・痴(=欲・怒り・無知)です。まず自らの貪・瞋・痴の感情の働き方を観察します。(貪・瞋・痴は組み合わせの配合によって何千通りの姿になる)
    2. 完璧でなくとも自己観察を続けます。
    3. 相手の行為を観察して、その裏にある行為を引き起こしている感情をチェックします。
    4. また、善行為をすると、貪・瞋・痴の三つに加え、不貪・不瞋・不痴の三つの感情も理解できるようになります。これで尺度は六つになります。 
    5. 価値観を入れず、白黒に分けず、判断せず、ありのままに相手を観ることが必要です。
    6. これで相手の感情を理解することができるようになります。 
    7. 決して悪用しないでください

 自分の感情や欲望を理解することは、相手の感情や欲望を理解することにつながる。自分が善行為することは、相手の善意を理解することにつながる。 
 面白いのは、これが社会福祉や精神保健福祉の分野で対人援助の基本原則とされているものによく似ていることである。
 たとえば、バイスティックの7原則では、
  • 統制された情緒的関与の原則(=援助者は自分の感情を自覚して吟味する)
  • 受容の原則(=クライエントのあるがままの姿を受け止める)
  • 非審判的態度の原則(=クライエントを一方的に非難・判断しない)
が謳われている。また、ケースワーカーやカウンセラーの最も重要な資質は、「自己覚知」「受容・共感・傾聴」と言われる。

 こうした方法(原則)が正鵠を射ていることを、ソルティは日々、職場の老人ホームで認知症高齢者の介助をしながら実感している。
 認知症高齢者は、思考と言葉がトンチンカンである。自らの願望を口に出して正確に相手に伝えることが苦手である。(たとえば、便意を感じているのだが、口に出して言うのは「俺のメシがないんだよ~」) また、こちら(職員)の言葉や意図を理解するのも苦手である。(たとえば、「歯を磨いてください」と歯ブラシを差し出すと、それで髪の毛を梳かし始める) 言葉を介在したコミュニケーション、あるいは言葉の背後にある意図の理解が苦手である。
 慣れていない職員だと、なんとか相手に理解させようと言葉を繰り返し、語気を強め、理屈によって納得させようと頑張ってしまう。これがまず逆効果で、相手は「職員に怒られている、脅かされている、馬鹿にされている」と感じて、不穏(=精神的に不安定な状態)になってしまう。当然、介助はうまくいかない。
 認知症の人への介助のコツは、相手の言葉や行動ではなく、感情に焦点を当てることである。理屈や良識を振りかざして介助者の意図通りに相手を動かそうとするのではなく、表情や振る舞いから相手の感情を読みとり、不安ならば安心させ、怒っているなら宥めて、嬉しそうな様子ならば一緒に喜び、感謝には感謝を返し、その瞬間瞬間の「ありのままの」相手をいっさいの保留なしに受け入れてしまうことである。そのためには、瞬間瞬間、介助者が自身の内面に湧き上がる感情を観察・捕捉できなければならない。介助者が自らの感情なり欲望なりに振り回されていては、あるいはそれらのバイアスを自覚せずに相手に関わっているようでは、到底、相手の感情に客観的に向き合えないし、相手のプライドを尊重した対等の関係を結べないからである。
 
 もはや言うまでもなかろう。自己覚知・自己観察力を育てる最強にして最高の方法がヴィパッサナー瞑想であり、「ありのままの」相手を受け入れる器をつくる最強にして最高の方法が慈悲喜捨の瞑想である。

 つくづく、ブッダって人類史上最高のカウンセラー&ケースワーカーである。
 否、生命史上か。
 


サードゥ、サードゥ、サードゥ


※この記事の文責はソルティにあります。実際の法話の内容のソルティなりの解釈にすぎません。



 

● 見事な生き方・美事な坐し方 本:『坐禅をすれば善き人となる』(石川昌孝著、講談社)

座禅をすれば良き人になる 002 2008年発行。

 曹洞宗永平寺の78世貫首、宮崎奕保(えきほ)禅師の108歳(!)の人生を綴ったノンフィクション。著者は昭和46年生まれ(41歳)のNHKのディレクター。NHKスペシャルで制作・放映した内容を書籍化したものである。

 誰もが自分の欲望を追求し満たすことにかまけている時代、それが最早当たり前になってしまい誰からも非難される畏れのない時代、そんな時代に生涯をただ「座ること=修行」に費やした人物がいたということに驚く。日本中がバブルに浮かれていたあの狂乱の80年代、猫も杓子も教師も坊主もこぞって、やれDCブランドだ、やれフランス料理だ、やれ投機だ、やれボディコンだ、この波に乗じない奴は馬鹿だ、と金ピカの欲望の泡にまみれて正体を失っていた時に、寺に籠もって淡々と質素な生活を送り坐禅と弟子の指導に心血を注いでいた人物がいたのである。

 バブルの頃の日本はおかしかった。一億総「躁病」状態になって、この景気が明日も明後日もその後もずっと続くと勘違いしているかのようであった。物質的価値があれほど讃仰された時代はかつて日本にはなかったろう。いかなる時代でも日本及び日本人は精神的価値をなおざりにすることがなかった。神仏への信仰や儒教道徳は言うに及ばず、「お天道様」しかり「武士道」しかり「八紘一宇」しかり。それがすっかり消え失せたのがあの時代であった。
「いくらなんでもこれは変だ。こんなことが長続きするわけがない。」
と内心思っていたけれど、自分もまた「遊びたい盛り」で学校を出て稼ぎ始めたばかりだったので、「今日はイタメシ、明日はオペラ、今度の休暇はモルジブでダイビング」とバブルの末端にかじりついていたのであった。時代に「流された」と言わば言え。

 それを恥じているわけでも後悔しているわけでもないけれど、流行や世間の目やマスコミや一般に知識人と言われている人々の言うこと為すことを気にかける必要などまったくないのだ、と今になってつくづく思う。人は自分の正しいと思っているところに随うべきだ。たとえ、どれほど周囲には変人と映ろうと、どれほど孤立しようと。

 ただ、「正しいと思っているところ」が本当に「正しい」のかどうか確信が持てないから、人は迷うのである。「正しい」と信じて進んだ道が「地下鉄サリン」だったというオウム真理教信者の現実を我々は知っている。十字軍による大殺戮だったという歴史を知っている。

 「坐禅をすれば善き人になる」という本書のタイトルは宮崎禅師の言葉である。「正しい」かどうかを知るためには坐禅をすれば分かるということであろう。
 こう言っている。

 「三界は唯心象なり」という言葉がお経にある。すべては心だという意味だ。だからいつも自分の体を正しくするというのが大事だ。心を真っ直ぐにするには、坐禅をして静かな心にならなくてはいけない。静かな心になれば心が澄んでいるというのかな、いつも心が落ち着いておる。そうすると正しいことが心になる。正しいことが心になったら、思うことが真っ直ぐになる。思うことが真っ直ぐになると、言うことが真っ直ぐになる。言うことが真っ直ぐになったら、行うことが真っ直ぐにならなくてはならない。


 至言だと思うが、オウム真理教の信者達も熱心に修行(瞑想)をしていたはずである。「ただ坐るだけ」では足りないのではないだろうか。それとも、「坐る」以上の行為(麻原尊師への帰依)をしてしまったことが道を誤った原因か。
 ブッダは「自灯明、法灯明の教え」を残している。

 アーナンダよ、私は内外のわけ隔てなく、法を説いてきました。如来には、もろもろの法に対する師の握拳(秘密の教え)はありません。如来には、弟子たちが私に頼るべき(依存すべき)だという気持ちも、私が弟子たちの頼り(依存の対象)にならなくてはという気持ちもありません。・・・・従ってアーナンダよ、自分を灯にして、自分を頼りにして、他に依存しないで生きなさい。真理を灯にして、真理を頼りにして、他に依存しないで生きなさい。(アルボムッレ・スマナサーラ著『日本人が知らないブッダの話』(学研)より抜粋)


 続けて、テーラワーダ仏教長老のスマナサーラ師は次のように「自灯明、法灯明」を説明している。

日本人が知らないブッダの話 「自灯明」とは、自己を観察することです。身体(身)、感覚(受)、心、その他の現象(法)という四つの側面から自己観察するのです。・・・自分の主観に、自分の思考にしがみついて生きることは、自灯明にはならないのです。・・・・・
 法灯明とは何でしょうか?
 法(Dhamma)とは真理のことです。真理とは、意見、見方、感想、見解ではない、ありのままの事実です。無数の概念、主観、思考、感情という網に絡め取られている人に、真理は発見しがたい、見えないものなのです。そこで、自己観察する人に、道案内として、ガイドラインとして、すべての真理をお釈迦様が明かされたのです。
 要するに、「法灯明」とは、ブッダの教えを理解することです。「嘘をつくなかれ」などの単純な教えから、超越した禅定・解脱の教えまで、すべての教えは「ひとりだち」を目指したものです。その教えに導かれることで、人は苦しみ・悩みを減らして、安らぎ・幸福に達することができるのです。 


  道元禅師の「只管打坐」がどういうものなのか、浅学にして自分は知らない。自己観察や法の理解を含むものなのかどうか。この本でも、禅や道元(=曹洞宗)の具体的な教えについて書かれてはいない。あとがきで著者が書いているように「禅は文字にして語ることが困難(不立文字)」と言われればそれまでだが・・・。
 曹洞宗の気鋭の(とよく形容される)禅僧である南直哉(じきさい)と、スマナサーラ長老の対談本『出家の覚悟』(サンガ)の中で、次のような箇所がある。

出家の覚悟 002スマナサーラ 曹洞宗では、非思量というか、只管打坐ですね。
      そう言いますね。
スマナサーラ あれは、すごく初期仏教にも合っている単語ですけれどもね。
南      私も「不思量を超えた非思量」とか、「不思量底を(如何が)思量する」と、その問いに対する答えである「非思量」という言い方、そして「非ず」という言い方は、ものすごくよくできていると思いましたね。しかし、道元禅師の解釈も、とてもよくできています。
スマナサーラ けれども私には、ちょっと言いたいことがあるのです。
      ほう、そうなのですか。
スマナサーラ では、どうすれば非思量に達するのかと。
南      痛いところだ。まことにもってそうです。そのへんの方法論が、極めて非具体的で、不親切ですね。 


 禅はおそらく、日本の大乗仏教の中でもっともブッダ本来の教えに近いものであると思う。信仰や偶像崇拝を廃し、修行の積み重ねによる実証主義(悟りを目指す)であるところが特にそうである。
 そのうち『正法眼蔵』にチャレンジしてみるか。
 永平寺にも行ってみよう。
 

 仏道修行というのは、この世に生を受けて、今ここに存在できるということに感謝するところから始まるとも言えるが、さらに言えば、やはりすべてものを大事にせにゃいかん。今の者は、目で見えるものだけしか信じない。だけど、感謝ということは大事や。すべてのものが自分を支えてくれておるという大きな恩を受けて、我々は今ここにおるんやからね。

 ある時、禅師様が、『浜までは海女も蓑着る時雨かな、という句があるが、どうせ死ぬと分かっていても、それまでは、とにかく一生懸命に生きるのが人生というものだ』と言われたことがあった。
 海女さんは、漁のために浜まで行くのに、雨が降っていると蓑を着て行く。どうせ海に入れば濡れるのだから、蓑など着ないでもいいじゃないか、というのではなく、濡れると分かっていても、浜までは蓑を着て行く。そういうことが大事なんだと。
 おそらく禅師さまは、そうした海女さんと同じ思いで、自分の体を大事になされているんやと思う。(宮崎禅師の側近であった中村典篤老師の言葉)


 そのようにして宮崎奕保(えきほ)禅師は明治・大正・昭和・平成の世を生き通した、もとい坐り通したのである。



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