ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

アンナ・ネトレプコ

● 二人の母の物語 METライブヴューイング オペラ:ヴェルディ作曲『イル・トロヴァトーレ』

上演日 2015年10月3日
会場 メトロポリタン歌劇場(ニューヨーク)
キャスト
レオノーラ アンナ・ネトレプコ(ソプラノ)
ルーナ伯爵 ディミトリ・ホヴォロストフスキー(バリトン)
マンリーコ ヨンフン・リー(テノール)
アズチェーナ ドローラ・ザジック(メゾソプラノ)
フェルランド ステファン・コツァン(バス)
指揮 マルコ・アルミリアート
演出 デイヴィッド・マクヴィカー
メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団

 今シーズン(2015-2016)のMETライブビューイング第一作は、大好きなオペラ『トロヴァトーレ』。
 世界一流の歌劇場で一ヶ月前にかかったばかりのオペラのライブ映像を、日本にいながら映画館の大スクリーンで観られるという夢の企画<ライブビューイング>も早10周年だとか。
 本当のライブに較べれば、感動はおそらく1/30にも満たないだろうけれど、現在最高の指揮者・演出家・歌手陣・管弦楽団・合唱団からなる最高級にして最先端の舞台を、たった3600円で味わうことができるのだから、文明の進歩に感謝するばかりである。
 都内の上映劇場は、銀座・新宿・六本木・昭島の4つあるが、人混みを避けてJR青梅線昭島駅近くのMOVIX昭島に出かけた。はじめて降りる昭島駅は、レンガ造りのお洒落なショッピングモール「モリタウン」が駅前広場に広がって、ハウステンボスの一角のようであった(持ち上げ過ぎ)。

昭島駅

モリタウン

昭島MOVIX

 
 『トロヴァトーレ』は主役の4人の力量が高レベルで拮抗するときに凄い威力を発揮する作品なのであるが、さすがに世界のメト。文句のつけようのないカルテットであった。
 
 あえて順位をつけるなら、やはり筆頭に来るのは、ジプシーの母親アズチェーナを演じたドローラ・ザジックであろう。
 世界の桧舞台でこの役を25年歌い続けているだけあって、履き慣れた靴のようにすっかり馴染んでいる感がある。1988年に同じメトで収録したライヴ映像(VHSで観た←懐かしい!)では、あの(!)パヴァロッティ、シェリル・ミルンズ、エヴァ・マルトンら往年の大歌手に伍して、まったく引けを取らない歌唱と演技を披露し、コソットの後継者が現れたなと思ったものである。
 ただあの時は彼女も若かった。25年を経た現在、デンとした腰回りで貫禄たっぷりによたよた歩く中年女の姿は、京塚昌子か森公美子のよう。つまり肝っ玉母さんになった。アズチェーナを演じるにもっとも欠かせない要素である<母親>がそこにいた。
 であるがゆえに、単純に、目の前で母親を焼き殺された可哀想な娘、無残にもその手で実の息子を焼き殺してしまった愚かで悲惨な女、ルーナ一族への復讐を誓い、復讐を成し遂げた執念深い狂気の女、という暗くて陰惨なイメージだけでなく、敵の子供を長年育てるうちにわが子のように愛してしまった、中国残留孤児の育ての親にも似た「人類の母」たるイメージが付与されたのである。その意味では、ほかならぬ今こそが、ザジック=アズチェーナの完成型であろう。
 アズチェーナが登場してすぐに歌う第2幕の有名なアリア「炎は燃えて」は、聴いて涙するような歌では決してない。なのに、ここで自分は思いがけず落涙したのである。彼女が歌い演じるすべてに、母性が沁みわたっているからにほかならない。

 母性という点では、実はレオノーラも重要である。
 むろん、レオノーラは母親ではない。恋人マンリーコと結ばれて間もないうちに、マンリーコを助けるために毒をあおって自害する。役の位置づけとしてはジュリエット(by裟翁)に近いだろう。最後まで<永遠の恋人>としてのイメージをとどめる。
 だが、自分はレオノーラの中に、レオノーラの音楽の中に、母性を見るのである。
 それは、第4幕第1場のアリア「恋はバラ色の風に乗りて」から、修道僧の合唱「ミゼレーレ」を経て、カバレッタ「私ほどあなたを愛する者はいない」に至るシーンである。
 ルイスに案内されて登場し最初の物哀しくも美しいアリアを歌うとき、まだレオノーラは「マンリーコの恋人」である。その後、僧たちの陰鬱な祈りの合唱を聴いて、彼女はマンリーコの処刑の近いのをまざまざと感じて恐怖に震える。悲痛の叫びを上げ続ける。そこへ、塀の中からマンリーコの声がする。
「僕を忘れないでくれ、レオノーラ」 
 レオノーラはすぐさま否認する。「あなたを忘れるですって! この私が!」
 一瞬の沈黙。
 そこからカバレッタに入るために、おもむろに顔を上げたとき、レオノーラは「マンリーコの母」になっている。恋人の死の予感にうち震え苦しみもだえる娘が、自分の命に代えてでも‘息子’を助けようとせん強い母に変貌するのである。いわば、「聖母たちのララバイ」(by岩崎宏美)の世界。このカバレッタの持つ尋常でない意志の強さの表現は、レオノーラが娘っ子から母親に変貌した瞬間をとらえているからであろう。であればこそ、彼女の身を挺しての犠牲が納得いくものとなる。作曲したヴェルディも台本を書いたカムマラーノも意図していないとは思うが、そして当のレオノーラも気づいていないのだろうが、もしかするとこのときレオノーラのお腹のなかにはマンリーコとの愛の結晶が宿っていたのかもしれない。
 このカバレッタは慣例として省かれることが多いのであるが、それは間違いである。レオノーラの人物造型とその行動をリアリティあるものとするために、カバレッタは絶対に省くべきではない。
 この娘から母への変貌を完璧に表現したソプラノの筆頭に上げられるのは、やっぱりマリア・カラスである。1956年録音のカラヤン盤(ミラノ・スカラ座管弦楽団)を聴くと、アリアとカバレッタの間にある谷間で、一人のか弱い女が愛する者を守るために決意し、覚悟を決め、性根を据えていく瞬間を見ることができる。カラスの天才の証である。
 まぎれもなく当代最高の人気ソプラノであるアンナ・ネトレプコは、この大切な見せ場で、当代きっての名歌手でもあることを証明してみせた。娘から母への変貌を鮮やかに成し遂げている。歌の面でも、表情の面でも、演技の面でも。確信犯と言っていい知性的なアプローチが成されている。
 かねがねネトレプコは他の追随を許さぬ素晴らしい美貌と声の持ち主であるとは思っていたけれど、表現の点では単調でつまらないと思っていた。が、いつの間にやら進化していたのだな。謹んで前言撤回する。METのシーズンオープニングの主役を務めるにふさわしいプリマドンナである。
 で、彼女の進化を可能にしたものは何なのかという疑問の答えが、まさにこのビューイングで窺い知ることができるのが面白い。ネトレプコはライブの幕間にレオノーラの扮装のまま、同僚歌手スーザン・グラハムのインタビューを受けている。その彼女にまといつきじゃれつくのは、ほかならぬ実の子供なのである。仕事場である楽屋に連れてくるほど溺愛しているのだろう。カメラを意識することなく自由奔放に振舞う可愛い7歳の息子に、恋多き美女にして天下のプリマドンナもメロメロである。
 必ずしもすべての女性表現者に当てはまるものではないが、少なくともネトレプコの場合、母親になったことが表現の幅を深めたのは間違いないようである。
 それにしても、コロラトゥーラソプラノの持ち役である「リゴレットのジルダ」「ランメモールのルチア」「清教徒のエルヴィーラ」から、より重めのソプラノリリコの役である「椿姫」「ボエームのミミ」「愛の妙薬のアディーナ」、そして強靭な声を必要とする「アンナ・ボレーナ」「マクベス夫人」「レオノーラ」まで、ひたすら成功街道を邁進するネトレプコの向こうところ可ならざるはなし。なんと言う奇跡の声帯の持ち主であろうか。インタビューによれば、お次は「アイーダ」に挑戦するらしい。となると、経歴の頂点を飾るのはやはりMETの「ノルマ」になるのだろう。

 銀髪の高貴な風貌が目を惹くバリトンのディミトリ・ホヴォロストフスキーは、この夏に脳腫瘍の診断を受け、公演をキャンセルし治療を開始したとのこと。今回、その復帰舞台となったこともあり、大変な喝采を受けていた。カーテンコールでは場内総立ちの割れんばかりの拍手。そして、それに値する名歌手、名役者であるのは間違いない。ただ、声はまだ本調子ではない。
 
 このあまりに素晴らしいカリスマ性のある3人と、立派な体格に中世の騎士姿がカッコよすぎるバスのステファン・コツァンの朗々たる歌唱と存在感に押されて、テノールのヨンフン・リーは、貧乏くじを引かされ、割を食ってしまった感じであった。歌も芝居も決して悪くはないし、曲中随一の聴きどころである第3幕アリア「燃え盛るあの炎」の最後の高い「ド」の音も見事に決めている。ただ、姿勢が悪いのが気にかかる。片方の肩がいつも上がっているのだ。ベテラン3人に囲まれて緊張していたのかな。

 とにかく次から次へと繰り出される歌が素晴らしかったので、指揮にもオケにも演出にも全然注目できなかった。まあ、そのくらいがベルカントオペラにおける3者の然るべき位置づけなのであろう。
 ライブで観たら、確実3日間は余韻が残り、歌声が耳について離れないような、舞台姿が瞼に浮かんで消えないような、素晴らしい舞台だったであろう。
 ライブビューイングでさえも、丸一日、そのような自分であった。 

 


 


● METライブビューイング:『愛の妙薬』(ドニゼッティ作曲)

  東銀座の松竹東劇にて鑑賞する。

 オペラの殿堂メトロポリタン歌劇場(ニューヨーク)で今年の10月13日に上演されたばかりのオペラのライブ映像である。世界のトップ歌手達の舞台が日本に居ながら低価格(3500円)で大スクリーンで観ることができ、その輝かしい歌唱を迫力の音響で聴くことができる。本当にお得な嬉しい企画である。(ホームページは→http://www.shochiku.co.jp/met/
 もちろん、ライブには適わない。
 ライブの感動の20分の1くらいだろう。
 生の声や音が持つバイブレーションを同じ空間で体感することに勝るものはない。

 『愛の妙薬』はドニゼッティ作の喜劇である。
 のどかな田舎に住む一組の男女のたわいない恋のさやあてと成就。いまどき少女マンガにすらならない馬鹿馬鹿しいストーリーである。むろん、オペラに複雑で高遠な物語を期待する者など、はなからいまい。
 演出はオーソドックスで奇を衒ったところがないが、そこは好感持てる。奇を衒った、才気走った演出は往々にしてストーリーの馬鹿馬鹿しさをかえって目立たせてしまう結果になるので、しらけることが多い。どうせならゴージャスを極めたほうがまだましである。往年のフランコ・ゼフィレッリの金ピカ演出のように。

 オペラの要は歌である。
 とりわけ、ドニゼッティやベッリーニのようなベルカントオペラは歌の出来こそすべて、管弦楽は二の次である。
 主役の二人、アンナ・ネトレプコ(アディーナ役)とマシュー・ポレンザーニ(ネモリーノ役)はさすがに上手い。二人とも朗々たる声で、高い音から低い音までしっかりコントロールされていた。演技も達者で安心して観ていられる。とくに、ポレンザーニはちょっと愚かでドンくさくて正直者のネモリーノを、本来はそれとはまったく反対の知的で神経細やかなノーブルなルックスであるにもかかわらず、観る者に好感を抱かせるに十分な巧みさで演じている。この歌手はきっとテノールのどんな役でも立派にこなせるだろう。
 ネトレプコは現在世界一のソプラノの一人である。美貌も実力も兼ね備えていて文句のつけようがない。だけど、どうもつまらない。ソツがなさすぎるからであろうか。
 サザランドやカバリエやジェシー・ノーマンのような、何らかの点で規格を逸脱した「怪物風の」ソプラノ達が犇めいていた時代が懐かしい。


METライブビューイング


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