初出1923~1930年。
2011年文春文庫より刊行。
しばらく前にネットでお受験ママたちの間で「男子カブトムシ説」っていうのが流行った。最初に誰が言ったのかは不明だが、次のようなものである。
11歳の女の子は新人OLだと思って育ててください。11歳の男の子はカブトムシだと思って育ててください。
上手く言ったものだと感心した。
この年頃の男女の精神面での成長差を表現しているのはもちろんだが、同時に男と女のジェンダーの違いを揶揄しているように思う。
カブトムシの生態を挙げてみよう。
- よく食べる
- オス同士よく喧嘩する(→どっちが上かやりたがる)
- よく交尾する(→惚れっぽい、エッチ好き)
- 結構臭い(→排泄物を飛ばす、不潔)
- 一度転倒したら自分ではなかなか起き上がることができない(→挫折にもろい)
- 夜行性(→夜になると元気)
- エタノール(エチルアルコール)に引き寄せられる(→酒好き)
- 完全変態である
見事、人間のオスに当てはまるではないか!
むろん、個別性・多様性ってのがあるから、これを男一般の性質としてステレオタイプ化するのは間違いである。が、ある程度の共通性が前提としてあるからこそ、そこから外れた男たちのオリジナリティなり孤独なり疎外感なりも存在するのである。
男子カブトムシ説は11歳の男の子だけでなく、成人して社会で働く男たちにも、引退して地域で市民活動やサークル活動に邁進する男たちにも、障害を負って介護施設で暮らす男たちにも当てはまる。(ソルティが働く老人ホームにおいても、利用者のジェンダー差を否定することはできない。)
もっとも、お受験ママたちの間で流行ったのは、男と女のジェンダー差に対する社会学的・生物学的・人類学的・恋愛的・福祉的興味からではなく、純粋に教育的見地からであろう。ママたちのもっかの関心や悩みは、中学受験を控える息子とどのように接したらいいのか、彼らをどのように扱えばもっと勉強に励んでくれるのか、というあたりにある。男子カブトムシ説の意義は、「おかあさん達よ。あまり難しく考えすぎないで。あまり子供に干渉しないで。管理しすぎないで。彼らの生態を理解してのびのびとさせなさい。昆虫を飼育しているくらいのつもりでお受験を一緒に楽しみなさい」といったところにあるのだろう。つまり、視野狭窄やノイローゼに陥りがちなママ達をリラックスさせるためのアドバイスである。
さて、大好きなウッドハウスが知らぬ間に文庫になっていた。文庫化ははじめてではないだろうか。うれしい限りである。
しかも、カバーデザインが素晴らしい。『non-no』や『anan』の装丁を手がけている森ヒカリ(1972年生まれ)というイラストレーターの作品である。本の中身の面白さを請合ってくれるような、書店で思わず手が伸びる楽しくおしゃれなデザインである。
あいかわらず、気はいいけれどちょっと抜けてる有閑階級の青年バートラム・ウースターと、才気煥発で頼りになる執事ジーブズの、田舎屋敷を舞台にしたドタバタ喜劇が繰り広げられている。バートラムの親友ですぐに女に惚れては失恋を繰り返すリトル・ビンゴ、悪戯と夜遊びが生きがいの従兄弟クロードとユースタス、賭け好きの仲間たちも登場し、暗さや深刻さとは無縁の楽観的世界が現出している。
ウッドハウスの小説に出てくる男たちの生態は、まさにカブトムシである。
カブトムシが右往左往にうごめき喧嘩に明け暮れ途方に暮れたりしている中で、ただひとり飼育箱の外に立ち、生態を十全に観察・理解しつつ、適度にえさをばら撒きながら、カブトムシを思いのままにコントロールしているのが、我らがジーブズである。