2012年NHK出版刊行。

 現代最高の知性を誇る6人の科学者へのインタビュー集である。インタビューの時期は、2010年4月から2011年6月とある。

 6人とは誰か。
 
1. ジャレッド・ダイアモンド(1937年アメリカ生まれ)
進化生物学者、生理学者、生物学者、ノンフィクション作家。12ヶ国語に通じる。1997年に発表しピューリッツァー賞に輝いた著書『銃・病原菌・鉄』で一躍有名となる。同書は、西欧文明優位の原因は西欧人の人種的優越にあるのではなく、単に地理的要因にあったことを論証した。
2. ノーム・チョムスキー(1928年アメリカ生まれ)
哲学者、言語学者、社会哲学者、論理学者。言語生得説(生成文法)を提唱した現代言語学の父。米国の覇権主義を一貫して批判し続ける現代最強の論客の一人でもある。
3. オリバー・サックス(1933年イギリス生まれ)
神経学者。脳神経科医。著書『レナードの朝』『妻を帽子とまちがえた男』『火星の人類学者』などで、脳に損傷を受けた自身の患者についての不思議なエピソードを紹介。脳の持つ神秘的かつ驚異的な働きについて啓発している。
4.マービン・ミンスキー(1927年アメリカ生まれ)
コンピュータ科学者、認知科学者、人工知能(AI)の父と呼ばれる。『2001年宇宙の旅』映画版(スタンリー・キューブリック監督)のアドバイザーをつとめた。
5.トム・レイトン(1998年アメリカ生まれ)
マサチューセッツ工科大学(MIT)応用数学科教授。インターネットのインフラを支える最大の会社アカマイ・テクノロジーズの創設者。同社は、ほとんどのメディア関係企業、主要なeコーマスサイト、世界10大銀行のうち9行、ほとんどの人が利用するメジャーなサイト(グーグル、ヤフー、イーベイ、アマゾン含む)を顧客として有する。
6.ジェームズ・ワトソン(1928年アメリカ生まれ)
分子生物学者。25歳のときに、フランシス・クリック、モーリス・ウィルキンスと共にDNA二重らせん構造を発見。ノーベル生理学・医学賞受賞。

 まぎれもなく現代の科学分野の天才達である。チョムスキーだけ、ちょっと位相が異なる(文系入っている)。
 ソルティが著書を読んだことがあるのはチョムスキー、サックスの二人のみ。マービン・ミンスキーとトム・レイトンははじめて名前を知った。いかに自分が科学に疎いかの証明である。ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』は評判は知っていたものの分厚い本なので敬遠していた。映像化されDVDになっているらしいので、機会あったら観たいものだ。

 この6人の有名にして超多忙な天才たちとの単独インタビューを実現した著者もまたすごい。
 まず、インタビューを取り付ける交渉力やコネに驚かされる。いったいどういう人なのだろうか。本書の背表紙の紹介によると、
 
サイエンスライター。マサチューセッツ工科大学卒業。ハーバード大学大学院修士課程修了(心理学部脳科学専攻)。元NHKディレクター。

 まぎれもない才媛だ。才媛すライターだ。(くだらなくてスミマセン・・・)
 チョムスキー、ミンスキー、レイトンは、インタビュー実施時にマサチューセッツ工科大学に籍を置いている。なので、彼らにとって著者は自分の学校の卒業生になる。もしかしたら、在学中に講義を通じて知己を得ていたのかもしれない。交渉力・取材力・編集力はNHKディレクター時代の賜物だろう。そのうえ、背表紙の写真からも容易に判断できるが、オリエンタルな色気のある岸恵子風の美人である。才色兼備だ。この写真を見れば、たいがいの男は実物を一目見たくなるであろう。
「やっぱり、世界的な科学者といえども男は男なんだよなあ~」
なんてセクハラチックなことを考えたのだが、ネットでいろいろ調べてビックリ。実は1953年生まれの吉成真由美は、1987年にノーベル生理学・医学賞をとった利根川進の伴侶なのである。コネもコネ、大コネではないか!
 とは言え、やはり美貌やコネだけでは実のあるインタビューは実現できない。本書を読んで感嘆せざるを得ないのは、吉成の現代科学の最先端領域に関する造詣の深さ、日本人にはめずらしい論理的な思考力と言語運用能力、幅広い教養、目から鼻に抜ける利発さ、核心をはずさない対話力である。利根川進の人生最大の獲得物はノーベル賞ではなくて、吉成真由美その人ではなかろうか。

 自分の意見や、よって立つベースがあるようでいて、実はそれが単なる社会のしきたりであったり、宗教の教えであったり、学校で習ったことだったり、メディアのプロパガンダをうのみにしたものであったりする。そのうえ、波打つ情報を受け取るのに精一杯で、じっくり考えるひまも余裕もなくなりつつある。視野狭窄にならずに、何を基準として、ものごとの善し悪し、自分の考えや行動を決めていったらいいのだろう。
 もしも、膨大な時間と労力をかけ、社会の枠組みや時代の圧力にへつらうことなく、目をこらして物事の本質を見きわめようとし、基本となる考え方の踏み台を示してくれるような人がいるのであれば、ぜひその話を聞いてみたい。そういう思考の踏み台を知ることは、どれほど自分の身の回り、あるいはグローバルな問題を考えるうえで助けになることか。(標題書より、以下同)

 著者は「まえがき」でこのように述べている。これが、インタビューを企画した動機である。単なる現代科学の最先端を紹介するリポートではなく、こうした問題意識が根底にあるわけで、煎じ詰めれば、天才達の語りの中から「現代社会でどのように生きたらいいか」を探ろうとする、いわば哲学書なのである。回答陣に科学者を選んだところが本書のミソと言えよう。
 上記の文章を読んでいたら、リンドバーグ夫人の『海からの贈り物』の一節が思い浮かんだ。世界的に有名な夫を持ち、自らも類いまれな能力に恵まれつつ、家事と育児をこなす思慮深い女性という点で、吉成はリンドバーグ夫人を思わせる。

 子供を生んで育て、食べさせて教育し、一軒の家を持つということが意味する無数のことに頭を使い、いろいろな人間と付き合って旨く舵を取るという、大概の女ならばすることが、芸術家、思索家、或いは聖者の生活には適していない。それで問題は、女と職業、女と家庭、女と独立というようなことだけではなくて、もっと根本的に、生活が何かと気を散らさずにはおかない中でどうすれば自分自身であることを失わずにいられるか、車の輪にどれだけの圧力が掛かって軸が割れそうになっても、どうすればそれに負けずにいられるか、ということなのである。(リンドバーグ夫人『海からの贈り物』新潮文庫、吉田健一訳)


 6人の天才達に共通するものとして、博学や各自の専門分野への情熱や知識は当然のこととして、それ以外に、エネルギーの強さ、バイタリティ、冒険心、好奇心、自信、ユーモア、頑固なまでの信念、楽観性、事実に対する忠誠の念・・・などを指摘できる。これが科学分野に限らず成功する人間の秘訣なのであろう。
 ソルティがもっとも面白く読んだのは、トム・レイトンのインタビューである。アカマイは‘誰も知らないインターネット上最大の会社’(本人弁)である。「インターネット上の交通渋滞を避けるための経路決定アルゴリズム(情報がどういうルートで伝わるかを決める算法)を作る」ことを主として行っている。なるほど、世界的な大イベント(オリンピックとかロイヤルウェディングとか大統領選とか)の実況の動画配信に際して、特定のサイトに全世界からアクセスが集中すれば、あっという間にダウンしてしまう。それをどうやって回避するかの計算に数学が役立つ。歴史上これまでほとんど世の中の役には立たなかった数学者の出番である。かくして、象牙の塔の数学者が年商1000億のビジネスマンとなったのである。
 自分も知らないうちに、日々アカマイの世話になって、売り上げに寄与しているのである。「アカマイ」とはハワイ語で「インテリジェンス」を意味するそうである。
 

ハワイ

 
 以下、6人の印象に残った言葉を紹介。

ダイアモンド:インターネットを介して得られる情報は、実際に人に会って得られる情報にはとてもかないません。こうして面と向かって話すほうがはるかにインパクトがありますし、日本人についてインターネットを通していろいろな情報にアクセスするよりも、実際にこうして日本人と話すことではるかに多くのことを知ることができる。つまりインターネットを通じた情報の流れよりも、移民と観光による実際の人の流れのほうが、社会へのインパクトが大きいということです。

チョムスキー:歴史上、侵略者がなんらかの人道的な活動に従事していなかったためしはほとんどありません。四十年前に日本国内の内部文書に基づいて書いたことがあるのですが、日本が満州を征服した際も、気高い志に燃えていました。われわれは中国を地上の楽園にする、日本は全てを犠牲にして中国人民と満州人民を中国の蛮族から守るのだ、と。彼らは真摯であったと思いますよ。

サックス:私は老人ホームで働くことが多いのですが、八十歳を過ぎた老人のほぼ半数は、残念ながらアルツハイマー病を患って認知症になっています。私も現在七十七歳ですから明日は我が身と思っているわけですが、これらの患者さんたちには、音楽はまた別の働き方をします。
 アルツハイマー病患者の場合、知っている音楽でないと効果が出ません。古い音楽や、昔の歌などです。うつろだったり興奮している患者も、音楽に対して静かに聞き耳を立て始め、涙を流したり微笑んだりするのです。音楽は、昔それを聴いていた時の感情や情景の記憶を呼び覚ますからでしょう。これらの感情や情景を、音楽なしに直接呼び覚ますことはできません。

ミンスキー:実際歴史を振り返ってみれば、多くの人が大賛成した場合のほとんどは、大惨事になるか、文化が崩壊するか、大衆をうまく説得するヒットラーのような人物が現れる、といった悲劇に結びついています。・・・・・ですから私自身は、集団の中に一般的な叡智があるというふうには信じていません。

レイトン:数学というのはもともと証明と確定性の学問で、「ある事柄は正しいように見える」というところから論理的に詰めていって、「ある事柄は真実だ」というところまで突き詰めるわけです。この数学的な訓練が、具体的な状況でビジネス上の決断を下すのに役立っていると思います。決断が多くの場合正しいからです。

ワトソン:ダーウィンが与えた最大の影響は、「ダーウィンが入って、神が出ていった」ということです。実にシンプルです。神が必要なくなった。

 さて、6人の傑出した科学者との対談を果たして、まえがきに記した吉成の動機は満たされたのだろうか。なんらかの生きる指針なり、思考の踏み台は得られたのだろうか。
 残念ながら、あとがきではそのあたりに触れられていない。
 ソルティに限って言えば、「そんなもの得られなかった」。
 どんなに偉大な業績を持つ著名な科学者の言葉であろうと、科学では「いかに生きるべきか」の答えは見つからないと思う。科学がもたらすのは知識と技術であって、智慧ではないからである。
 そのあたりをよく示しているのがチョムスキーの次の言葉。
 やっぱり、一人だけ位相が違う。

チョムスキー:宗教らしき教義を持たない文化はおそらくないでしょう。一神教であれ、神道、仏教、原始精霊のようなものであれ、宗教はある種の文化的な結果、人生の意味、あるいは「なぜ自分は生きているのか、死んだわが子にもう一度会えるのか」といった問いに対する、なんらかの答えを提供するものとして存在します。
吉成:科学がそれにとって代われるのではないですか。
チョムスキー:科学はこういう問題に対して、何も提供できません。科学は素晴らしいものですが、人間の問題について何も言うべきものを持っていません。
 
 この一連のインタビューを終えた直後に、利根川夫妻は十代の息子さんを失くしている。
 どんなにか苦しかったことであろう。
 いや、いまもどんなに苦しいことであろう。
 ソルティ自身は親になったことがないし、わが子を亡くしたこともない。子供を亡くした親の苦しみは想像の範疇を超える。
 思い出すのは、学生時代にアメリカ文学の講義を聞いた須山静夫先生(2011年逝去)のことである。先生は、最初の妻を病気で失い、長男を事故で失った。その顛末を描いた自伝的小説『腰に帯して、男らしくせよ』(東峰書房1986年)の中で、子供を喪った苦しみの中で生きることを「心の中に悲しみという虎を飼うようなもの」と譬えられていた。

 吉成は、本書刊行後も引き続き充実した仕事をしているようだ。本書の続編といえるインタビュー集『知の英断』を2014年に発表している。
 ‘気丈’と言うべきであろう。


牡丹