2008年刊行。
8年間フィンランドで大学院生として過ごした著者によると、「うらやましい」という言葉(感情)はフィンランドではあまり好まれないらしい。
が、この本で紹介されているフィンランド社会のあれこれ、とくに福祉や教育領域における政策の手厚さを読むと、「うらやましい~」と嘆息してしまう。
なぜ日本もこんな風にできないのだろう?
いったい何が、日本人がこんなふうに豊かに暮らすことを妨げているのだろう?
と問わずにはいられない。
もちろん、ここで言う豊かさは単純に物質的なものではない。
安心して暮らすことのできる豊かさ。十分な余暇を楽しむことのできる豊かさ。貧しい家庭の子供でも能力に応じて高等教育が受けられる豊かさ(国際機関の調査でフィンランドの学力は世界1位)。何歳からでも自分の興味を持った勉強や仕事にチャレンジできて新たな仕事に就ける豊かさ。老後の生活や介護のことを心配しないですむ豊かさ。女性が離婚しても生活レベルを落とさずに子育てと仕事が両立できる豊かさ。相手が異性でも同性でも自分の好きな人と暮らし他のカップルと同じ権利を享受できる豊かさ。将来のために貯金をする必要を感じない豊かさ。このような「豊かさ」を維持するためには高い税金もやむを得ないと納得する豊かさ・・・・。
まったく、度量の広い国民と言うほかない。
かれこれ20年ほど前に『人間を幸福にしない日本というシステム』(カレル・ヴァン・ウォルフレン著)という本がベストセラーになったことがあった。一読してまったくその通りだと思ったものだが、そのシステムはいまだに破綻することなく続いている。
どうして、日本国民は幸福になることを拒否するのだろう?
戦時中に犯した数々の蛮行に対する罪悪感ゆえか。
耐え忍ぶことが好きな浪花節的アイデンティティゆえか。
変化を嫌う鎖国遺伝子のせいか。
「どうせ何をやっても変わらない」という諦念と投げやりのためか。
「寄らば大樹の陰」的依存体質のためか。
それとも、まだ破綻が足りないからだろうか。
上に挙げたフィンランドの社会政策に反対する日本人がそれほどいるのだろうか。
自分的には民主主義政治が目指す一つのゴールのように思われるのだが。
むろん、そのためには高い税金が前提となる。物価も高くなる。
たとえば、フィンランドの消費税は食品17%、他の商品やサービスは22%だという。(本書刊行当時) タバコ、お酒はそれ以上、ガソリンは値段の60%が税金である。
フィンランド人はどう思っているのだろうか。
これだけ税金が高いと気になるのが、フィンランド国民の声だ。でも税金はたしかに高いと皆、思っているが、不満の声はあまり聞こえてこない。「税金が高いのは嫌だけれど、その税金の恩恵を受けて生活しているので、しようがない」というのが、皆の意見のようだ。考えてみれば、そのおかげで、私を含めすべての人が無料で教育が受けられたのだし、福祉制度も充実し、お金の心配をしなくても生活ができる。税金がいったいどこに使われているのかわかりにくい日本に比べれば、フィンランドのシステムは、目に見える形で税金が自分の生活に戻ってくる
税金の使途の透明性。
日本人の変化に対する躊躇の一因は、政治(政治家、官僚)に対する不信から来ているのは間違いあるまい。
一時的ブームで終わってしまったけれど、民主党の「仕分け」事業は本当に必要で、継続かつ拡張してほしいものであった。仕分けられたのがほかならぬ民主党だったというのがなんともはや・・・。
さて、フィンランドと言えば、サウナ、キシリトール、ムーミン、森と湖、オーロラ・・・と連想が続くところであるが、最近ではオンカロを忘れてはなるまい。フィンランドのオルキルオト島に存在する、世界で唯一の高レベル放射性廃棄物の最終処分場である。映画『100,000年後の安全』(ミカエル・マドセン監督)でその存在が世界中に知られるところとなった。