ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、寺社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

カズオ・イシグロ

● 映画:『月に囚われた男』(ダンカン・ジョーンズ監督)

 2009年イギリス映画。

 原題はMOON。
 月で発見された新エネルギーを採掘して地球に送る作業を、企業との3年契約で行う男サム・ベルの話。(こんなエネルギーが本当に発見されるといいのに・・・)
 基地ではすべてがコンピュータ制御なので、サムの仕事は採掘車の監視と地上への連絡、そして採掘したエネルギーをロケットに詰めて地球へ転送する作業のみ。簡単な仕事である。
 話す相手はガーティと呼ばれるコンピュータロボットのみ。月に一人で住む孤独と退屈に耐え、地球にいる妻と娘との再会の日々を夢見て、任務の明けるのを指折り数えて待っている。

 この設定から、不思議な物語が始まる。


 驚くのは、基地のモニターに映る企業の上司達やビデオメッセージの中の家族の姿をのぞけば、最初から最後まで登場する人物(=役者)はサム(=サム・ロックウェル)だけなのである。相棒であるガーティとのやり取りはあるものの、ほぼ一人芝居で最後まで行ってしまう。それでいて、まったく飽きることなく、面白く、感動的ですらある。
 舞台劇ならともかく、映画でそんなことが可能なのか。
 それが可能であることを証明したのがこの作品である。
 たった一人の演技者、基地の中という限られた舞台設定、それだけでこれほど不思議な、惹きつけられる、哲学的とも実存的とも言いたいようなテーマを描けるということが、一種の驚異であり、この監督のただものでないセンスの切れを感じさせる。
 その秘密は、この映画の種明かしにからむものなので、うかつに言えないけれど、観る者が主人公サムと共に真相を知ったとき、サムの囚われている状況の何とも言いようのない哀しさに胸の締めつけられる思いがしよう。
 これに近い感覚は、映画にもなったカズオ・イシグロの有名な小説に見つけることができる。
 
 終わったあとに、もう一度初めから観ることをオススメしたい。
 なんという皮肉がそこかしこに散りばめられているか。
 たとえば、冒頭。サムがエクササイズしているシーンで、サムの着ているティーシャツに書かれている文句。サムの目覚まし時計に使われている音楽の歌詞。
 
 月面の美しい映像と合わせて、簡単には忘れられない映画の一つである。



評価:B+

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!

 

● 好きな作家を10人挙げよ 本:「感謝だ、ジーヴス」(P.G.ウッドハウス著)

好きな作家を10人挙げよ、と言われたら下のようになる。(順不同)

チャールズ・ディケンズ ・・・・「大いなる遺産」 「デービッド・コッパーフィールド」
ジェーン・オースティン ・・・・・「高慢と偏見」 「エマ」
ヘンリー・ジェイムズ  ・・・・・「鳩の翼」 「ねじの回転」
オスカー・ワイルド   ・・・・・「サロメ」 「ウィンダミア夫人の扇」
E.M.フォースター  ・・・・・「眺めのいい部屋」 「モーリス」
カズオ・イシグロ    ・・・・・「私を離さないで」 「日の名残り」
コナン・ドイル     ・・・・・「バスカービル家の犬」 「ボヘミアの醜聞」
G.K.チェスタトン  ・・・・・「ブラウン神父の醜聞」 「ブラウン神父の秘密」
アガサ・クリスティ   ・・・・・「そして誰もいなくなった」 「アクロイド殺し」

そして、P.G.ウッドハウス、である。

なんと日本の作家が一人も入っていない。
なんと全員、イギリス作家である。ヘンリー・ジェイムズはアメリカ生まれで、最後にイギリスに帰化したが、作風から言っても、作品に取り上げた舞台から言っても、イギリス作家とみていいだろう。

もっと若い頃なら、このリストに、

三島由紀夫
トルーマン・カポーティ
トーマス・マン
江戸川乱歩
エドガー・アラン・ポー
橋本治
大江健三郎

あたりが加わって、10個の枠をめぐってしのぎを削ったことだろうが、これらの作家は今では、若い時代に、若いが故にかかった流感みたいな存在になってしまった。人生いろいろあって、年をくって、世間を知って、いまだに読んで面白い、繰り返し読みたいと思うのは、上記10人だ。

それにしてもなぜイギリスなんだろう?

1. イギリス人のユーモアが好きだから。
2. 階級社会(特に上流社会)を垣間見る面白さがあるから。
3. どんな時でも冷静で自分スタイルを失わないイギリス人を「あっぱれ」あるいは「滑稽」と思うから。
4. イギリスならではの風景や慣習に惹かれるから。
 たとえば、霧と煙に包まれたロンドン、石畳を走る辻馬車、どこまでも続く緑なす田園、優雅なカントリーハウス、午後のお茶、謹厳実直な執事たち、噂好きのオールドミスたち、ガーデニングに精を出す主婦、世間知らずの牧師(ブラウン神父は別)、パブリック・スクールetc.

自分の数え切れない前世のうち、かなり濃厚なそれはイギリス人の時だったのかもしれない、と思う。
だが、何より自分が好きなのはイギリス人のユーモア感覚だ。これはしびれる。

ユーモアというのは、自らを客観視するところに生まれると言う。
絶体絶命のピンチ、思わず赤面する恥辱的な事態、にっちもさっちもいかない四面楚歌、急を要する危機的状況。そんなとき、人は緊張し、我を忘れ、顔はこわばり、体はガチガチ、目の前のことしか考えられなくなる。
まさにその瞬間、ふと自分からはなれ、第三者の目で自分の心と置かれている状況を観察して、自分自身を笑いとばし、状況を楽しむ。少なくとも、状況を受け入れる。
そこで口をついて出る言葉が、ユーモアとなるのだ。
だから、ユーモアは冷静さと対になっている。

そう、イギリス小説と言ったら、ユーモアと階級社会と言っていい。

10人の作家の中で、一番最近(ほんの3年前に)知ったのがウッドハウスである。
これは痛恨だ。こんなに面白い作家をなぜもっと早く知らなかったのだろう。イギリスでは皇室御用達の国民的人気作家だというのに・・・。

数年前から国書刊行会から森村たまきさんの訳でウッドハウスコレクションが出るようになって、今ちょっとしたブームになっている。特に、ちょっと脳みそは足りないが気のいいご主人バートラム・ウスター青年と、頭脳明晰で有能な執事ジーヴスの物語は、少女マンガ化されるほどの人気沸騰ぶり。自分もためしに一冊図書館で借りたが最後、あとは立て続けに10冊ばかり読んでしまった。
それくらい、文句なしに、掛け値なしに、圧倒的に、面白いのである。
こんな面白い本が今までわが国の本屋の一画を占めていなかったのは、ほとんど犯罪と言っていい。
ウッドハウスを読まずに「イギリス人とユーモア」を語るなかれ、ってくらいである。

中身はどの作品をとっても変わりは無い。
カントリーハウスを舞台にした、恋と陰謀と勘違いと主人公のドジが織り成すドタバタ喜劇(スラップスティック)である。読んだ本のタイトルをメモでもして残しておかないと、次に借りるとき、その本を読んだかどうか分からなくなってしまうほど似たり寄ったりだ。
水戸黄門と同じ、偉大なるワンパタン。
むろん、それでいいのである。
そして、黄門様の印籠の役目を果たすのが、ジーヴスの冴え渡る知恵である。


階級社会の面白いところは、本来なら一流大学を出て学者や政治家になってエリートコースを歩いていてもおかしくないほどの頭脳の持ち主が、下流階級に生を受けたばかりに、ちょっと脳みその足りない気のいい青年貴族の執事としての一生を終える、それで満足する、というところであろう。

社会的にはもったいない人材の不登用であるが、ジーヴスは置かれた境遇に愚痴の一つもこぼさない。ほんの1ミリ片方の眉の端を上げるだけである。

すぐには変えることが困難なものにぶつかったときの、もっとも高貴な人間の態度のとり方。
それがユーモアなのかもしれない。





























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