2011年イギリス映画。
主人公ブランドン(マイケル・ファスベンダー)は、仕事と睡眠の時以外はセックスのことばかり考えているか、行きずりの女とのセックスを繰り返している30代のハンサムエリート。精力絶倫、エネルギッシュ、スケコマシ、プレイボーイ、ドン・ファンと形容すれば羨ましいような気もするが、正味のところは強度のセックス依存に捕まっている孤独な中年男である。
彼が求めるのは単純にエロティックな経験であり、肉体的な快感であり、よりアブノーマルな刺激である。相手との親睦やあたたかい触れ合いや結婚・家庭を視野に入れた関係の構築・持続ではない。それを求めるには彼には何かが足りない。あるいは何かが過剰だ。
そんなブランドンのもとに可愛い妹シシー(キャリー・マリガン)が飛び込んでくる。
シシーもまたどこか病んでいる。誘われれば簡単に男と寝てしまい、すぐに相手に惚れてしまう。相手に遊ばれていることにも気づかず、幻想の愛情関係にはまってしまう。裏切られ、捨てられて、自傷行為を繰り返す。
シシーの登場によってブランドンの生活が振幅し始める。
ブランドンが妹の存在を煙たがるには理由がある。
二人は、性愛について一見正反対の態度をとっているように見える。ブランドンは一時的で肉体だけの表面的な関係を求め、シシーは長期的な深く濃い関係を求めている。ブランドンから見れば妹は男にだまされやすい愚かな女(マリリン・モンロータイプ)で、自分の生活もコントロールできないダメ女である。
だが、ブランドンとシシーは「同じ穴の貉」なのである。「依存」という一言で二人はつながっている。
ブランドンがシシーを敬遠するのは、妹の中に見たくない自分の姿を見るからである。受け入れたくない(二人に共通する)悲惨な過去を見るからなのだ。
シシーは鏡なのである。
そういった視点からこの映画を観た時に、ポルノ映画ばりに出てくるあまたのセックスのどれ一つも、エッチでもエロチックでも扇情的でもいやらしくも美しくもないことに観る者は気づく。
ブランドンがどこかのホテルのベッドの上で行きずりの女二人と汗みどろになっている姿は、あたかも苦行僧のようなのだ。エクスタシーに達する彼の表情は快感のそれよりも苦痛のそれである。ブランドンにとってセックスとは自分を痛めつけるため、自分を罰するための手段にほかならない。
彼の自虐傾向はとどまるところがない。バーで彼氏のいる女にちょっかいを出し卑猥な言葉を投げかけ、挙げ句の果てに彼氏から殴られる。ゲイでもないのにゲイ達の集うハッテンバに行き、暗がりのなか獣のように互いの体を貪り合う男達に混じって、見知らぬ男にヌいてもらう。
その姿はまるで小さな男の子が「やっぱり僕ってこんなに悪い子だから、パパとママに嫌われるのも仕方ないんだ」と自分自身に証明しているかのようである。
シシーもブランドンも容易にはこの筋書きから抜け出すことができない。ブランドンの変容なり癒しなりをそんなに簡単に描く監督など信用できようか。
その点で、スティーヴ・マックイーン監督は信用できる。(次回作はブラッド・ピットとマイケル・ファスベンダー共演らしい。楽しみだ。)
この映画の最初と最後のシーンにおいて、ブランドンは同じ地下鉄駅のプラットホームで電車を待っている。それは地下の世界のループから抜け出すことのできない彼の心の軌跡を暗示しているかのようである。
評価:B-
A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。
「東京物語」「2001年宇宙の旅」
A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
「スティング」「フライング・ハイ」
「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」
B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」
「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」
C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
「アナコンダ」
C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」
D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」
D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!