私は誰になっていくの 2003年刊行。

 46歳でアルツハイマー病と診断された著者は、三人の娘の母にして、輝かしい経歴を持つ高級官僚であった。1995年のことである。
 それからの著者のジェットコースターに乗っているかのような波乱の生活を記したもの。認知症の患者自身が自らの体験と症状について、また「周囲の世界がどのように見えるか」をありのままに描いたものとして、本国アメリカのみならず各国で話題になった。
 
 アルツハイマーは認知症を引き起こす病気として主要なものの一つである。(認知症の原因疾患は70あると言う。)
 

 基本的に言うと、脳の細胞が侵され、もつれて混乱し、もはや機能できなくなるものだ。影響が及ぼされるのは、人格や、行動や、思考や、記憶を司る細胞である。これらの細胞は、主として前頭葉、側頭葉、眼窩の後ろ側にある。
 身体の動きや機能には、ほとんど影響しない。そういうものは実際、比較的小範囲の脳によって制御されている。最大の影響は「高次の」脳細胞――つまり、私たちを自分自身にさせているもにについて起こる。最後には、多くの細胞が損傷されることで、脳は身体も動かすことができなくなり(例えば飲み込み方がわからなくなる)、そして昏睡に陥って死ぬ。(本書より、以下同)

 認知症(本書ではまだ「痴呆症」という用語を使っている)の何がタイヘンか。
 むろん、周囲の人間はタイヘンである。脳の損傷によって引き起こされる認知症患者の様々な問題行動(最近ではBPSD=Behavioral and Psychological Symptoms of Dementiaと呼ぶ)は、介護する家族や関わる人間たちを狼狽させたり、悲しませたり、イライラさせたり、疲弊させたりする。「しっかり者だったこの人が、こんな風になってしまった」という心理的なショックもあるし、火の始末ができない、知らないうちに外に出て行方不明になる、自分の排泄物をもてあそぶといったような具体的な行動によってもたらされる困難もある。
 だが、当の本人の心のうちはなかなか分かりえない。本人が自分の状態をどの程度把握しているのか、なぜ問題行動を起こすのか、問題行動の結果をどう捉えているのか、どんな気持ちで過ごしているのか・・・当の本人が言葉で上手く説明できないので、周囲は想像するほかない。あるいは、「本人はなにも分からないのだから、かえって幸せかもしれない」と、とんでもない誤解をしてしまう。
 周囲もタイヘンには違いないが、一番しんどいのは明らかに認知症患者本人である。
 
 もし癌で死ぬことになっているのなら。私は、本当の私のままだ。私自身が知っている私、家族や友達が知っている私――三人の娘たちの母であり、協会の「兄弟・姉妹」の一員でもある。アルツハイマー病で死ぬのなら、私はどんな人間になって死を迎えるのだろう? たとえ友達や家族が、何度も繰り返して私に、最後までずっと本質的な「自分」であり続けるよと請け合ってくれても、頭でわかるだけで心はまだそれを受け入れない。

 ・・・・死は、私が最も恐れることではない。むしろ私がおびえているのは。「自己」の本質が崩壊し、病気の後期になって、自分では気づかないまま社会的に受け入れられないような振る舞いをして、たぶん自分自身も困惑し、家族も困らせるだろうという現実である。


 「自分=アイデンティティ」を失うこと。
 それが認知症患者当人にとっての一番の苦しみである。
 だんだんと記憶を失い、物の名前が出てこなくなり、ついさっきやったこと(食事、入浴、買い物、会話、排泄e.t.c.)を忘れる。家族や知人の名前や顔を忘れ、今日がいつなのか、自分は何歳なのか、ここがどこなのか、なぜここいるのかを言うことができなくなる。自力で歩くことも食べることも困難になってくる。自分が誰かもわからなくなる。・・・・・
 介護業界のカリスマ三好春樹が書いていたが、「頭がしっかりした状態で寝たきり(要全介助)になるのと、身体は動くけれどボケるのとどちらがいいですか」という問いかけをすると、たいがいの人は「ボケのほうがいい」と答えるらしい。「ボケると周囲は困るが、本人は何も分からないから」というのがその理由だと言う。三好の回答はこうである。「残念ながら、どちらにしても3年後には同じ状態になります。寝たきりにしておけば人はボケてくるし、ボケている人も最後には寝たきりになります。」

 老人ホームで働くようになるまでは、自分も「寝たきりよりボケがいい」と思っていた。
 が、毎日認知症の高齢者と関わることで、この考えは変更を迫られることになった。
 認知症の人がどんなに内面的に苦しんでいるかをまざまざと知ったからである。
 ナースコールで呼ばれてある男性入居者の部屋に行くと、恐怖と悲嘆のパニック状態で泣き叫ぶ。
「すぐ妻に電話してくれ。俺は変になった。何がなんだかわからなくなってしまった!」
 ある入居者は、自分の記憶の喪失を周囲に知られまいと、いつも辻褄合わせに必死で、話しかけるとすぐ強い緊張状態に陥ってしまう。
 なんとなくではあるが、インテリだった人(高学歴)ほど、ホワイトカラー(‘自然’から遠い職種)ほど、支配的な性格の人ほど、そして男性ほど、「自分」を失うことへの抵抗が強く、問題行動が激しいような気がしている。つまり、近代的な大人ほどボケを受け入れ難いのかもしれない。(三好もそんなことを言っていた。) 
 高級官僚として政府の大きな仕事をまかされていた著者のクリスティーンもまた、大変なインテリであった。

私はいつでもあらゆるものを短時間で記憶できた。読むのも速く、すばやく質問し、いつも次の話題に移るのが待てないほどだった。学校でも、大学でも、上位二、三人の内に入った。私の知的レベルは高く――実際、知能テストをおもしろがって受けたが、150から200ぐらいの得点だった。

 であればこそ、アルツハイマーになったことで生じた「落差」を受け入れることは、これまでのスーパーレディたる「自分」を捨て、何ごとにも周りの手助けが必要な新たな「自分」を受け入れることは、並大抵のことではなかったであろう。
 クリスティーンを支えたものは何か。

 一つは、家族や友人たちである。3人の娘と、昔からの友人と、理解あるかつての同僚や医療者、ボランティア、同じ信仰を有する教会の仲間たち。それに発病してから知り合った新しいパートナーであるポールが加わる。(DV加害者であった前夫とは離婚している。)
 そして、いま一つがキリスト教徒としての確たる信仰である。
 アルツハイマーの診断を受ける(その兆候も感じていなかった)5年前の1990年に、クリスティーンは「偶然の一致が続いて」英国国教会派のキリスト教徒になる。それが、あとから彼女を救うことになるとは知るよしもなかった。

 この先の何年間か、私がどんなにこの信仰を必要としたか、そして、神のジェットコースターにやっと間に合うように乗り込んだのだということを、その二人共ほとんど知らなかった。・・・・・・
 キリスト教徒ではない方も、ちょっと想像してみてください。私がそれまでいつも、とても大切に思ってきたもの――私自身の知性――それを、この病気は奪っていくのだ。神への信仰なくしては、どうして私が(あなたではなく――きっと、あなたは私よりずっと強い人で、神のような「支え」を必要とはしないでしょう!)、この病気とうまく折り合っていけるものだろうか。
 
 その時からは、神に心を向けている限り、恐れは用意に捨て去ることができるようになった。でも、そこから顔をそむけると、すぐに沈み込んでしまう。私には、このことを繰り返し学ぶことが必要だった。


 神を信じるとは、「大いなるもの」に「自分」を預けることである。言い変えれば、「自分を明け渡すこと」である。
 「自分」を失うことに恐怖していた彼女が、信仰によって見出したパワーの鍵はここにあるのだろう。「自分」を捨てて、神を信じ、周囲を信じれば、何も恐れることはないのだ。

 ここに至って、本邦の認知症患者のことを思う。
 日本の認知症患者もまた、家族や友人やご近所、我々介護職や医療従事者、ボランティアなどからの支えは得られる。それは必要不可欠であり、恐怖と不安に陥っている本人を落ち着かせて、安らぎを与えるのに大いに役立つ。
 しかるに、そこから先がない。
 信仰を持っていない人が圧倒的である。
 自分が認知症患者と関わって、いつも思うのはそこなのである。
 老いと上手につきあうには、来るべき死と向きあうには、「自分=アイデンティティ」が次第に失われていく不安と恐怖によって狂気に陥ることなく生き抜くには、なんらかの意味で宗教的な支えが必要ではないだろうか。
 いや、別にキリスト教や仏教や新興宗教でなくともよい。
 クリスティーンの新しいパートナーのポールは次のように表現している。

 精神性とは宗教に限らないことです。私の精神性はキリスト教にもとづいていますが、他の人にとっては、心の平和(平穏)を感じさせているものが何かということです。それは、芸術であったり、絵であったり、歩くことである人もいるでしょう。それに価するものがないまま痴呆になると大変な人生を送っていたであろうと言えるようなものです。


 一方、認知症もあるレベルまで進むと、信仰も役に立たなくなるのだろうか。
 神という概念、慈悲や無常と言う観念がまったく理解できなくなれば、やはりそこには苦しみだけが待っているのだろうか。
 そのあたりが気になるところである。