2009年アメリカ映画。
原題はZOMBIES OF MASS DESTRUCTION
訳すと「大量破壊ゾンビ」。
実際には存在しなかった大量破壊兵器(Weapons of mass destruction)があるとして、2003年イラクに戦争を仕掛けたアメリカ国家を揶揄しているのだろう。今度は、幻の兵器の代わりに、甦った死者をイラク人テロリストがアメリカに仕掛けたわけである。
カミングアウト・オブ・ゼ・デッド(「死のカミングアウト」)はまったくの邦訳、というか日本の配給会社が作ったオリジナルの英語タイトルなのだと思うが、見事なタイトルの変換である。ゲイの息子が母親に自らのセクシュアリティをカミングアウトするという話の中のエピソードにも合っているし、そのまま直訳すれば「死者が外に出て来る」ともなる。
優秀邦題賞を与えてもよい。
はじめてゾンビ映画を観たのは30年以上前のことになる。ジョージ・A・ロメロの『ゾンビ』(原題:"Zombie/Dawn of the Dead")である。
その時の恐ろしさ、気持ち悪さ、不吉さ、後味の悪さを今もありありと覚えている。
正統的ホラー&スプラッターの走りと言っていいだろう。
以後、続々とゾンビものは作られていくことになるが、2004年の『ショーン・オブ・ザ・デッド』(エドガー・ライト監督)、2009年の『ゾンビランド』(ルーベン・フライシャー監督)、そしてこの映画に見るように、ゾンビ映画はもはや正統派のホラーとしては成り立たない。恐ろしさも残酷さもある程度極まってしまうと飽きてくるので、お決まりのゾンビの来襲に+アルファが求められてくる。で、+アルファは何かと言えば、ブラックジョークやドタバタ、すなわちコメディ要素ということになる。
なぜなら、「お決まりの演出=お約束ごと」という世界は、どう転んでもシリアスなものにはなりえないからだ。
ゾンビ映画に限らず、すべての物語は最終的にはコメディとして終焉するほかない。恋愛ドラマも、家族愛も、エイリアンとの死闘も、SFも、アクションも・・・・。
なぜなら、人々は遅かれ早かれ「物語」そのものに飽いてくるからである。「物語」を幻想と知って、「物語」の仕組みを見破って、その「お決まりの」罠に気づくようになる。
しかし、人は「物語」を必要とする心は持ち続ける。
結局どうなるかと言えば、「メタ物語化」が始まる。つまり、「物語」に巻き込まれないで、それと一定の距離を置いた地点で、「物語」の機構そのものを愉しむ位置に立つのである。
これが、ユーモア、ブラックジョーク、喜劇の生まれる土壌である。
シェークスピア(『テンペスト』)もヴェルディ(『フォルスタッフ』)もたくさんの物語を書いた最後の最後に喜劇を持ってきたのは、そういうことなのではないだろうか。
すべての物語はコメディにつながる。
すべての人生も。
この作品中の最高のジョーク。
ゾンビに囲まれた教会に立てこもる人々に対して、牧師がここぞとばかり説教する。
牧師 「皆の衆よ、心配するでない。我々には史上最強のゾンビがついている。」
人々 「??????」
牧師 「イエス・キリストだ」
人々、拍手。
評価: B-
A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。
「東京物語」「2001年宇宙の旅」
A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
「スティング」「フライング・ハイ」
「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
ヒッチコックの作品たち
B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」
B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」
「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
「ボーイズ・ドント・クライ」
チャップリンの作品たち
C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
「アナコンダ」
C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」
D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」
D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!