ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

ジャンヌ・モロー

● あまりにも猥褻 映画:『マドモアゼル』(トニー・リチャードソン監督)

 1966年フランス・イギリス合作。

 「女にも性欲があるのよ」と発言したのは五月みどりであった。
 70年代半ばくらいだったろうか。
 思春期真っ盛りで男の性欲に関しては嫌でも(嫌でなかったが)付き合わざるを得なくなっていた自分は、「へえ~、そうなんだ」と素直に驚いたものである。いま自分が、自分と同じ世の男たちが、四六時中振り回されている強烈な物狂おしい欲求を、女もまた持っているのだと初めて知った瞬間であった。
 数々の浮名を流し酸いも甘いも噛み分けた五月みどりがわざわざ声を大にしてのたまわなければならなかったほどに、そしてその発言が衝撃を持って世間に受け止められたほどに、世の大人の男たちもまた「女に性欲がある」ということに思春期の自分同様無知だったのである(だよね?)。
 女は「待っている」存在であり、男によって「求められ一方的に抱かれる」存在であり、「開発される」存在であり、商売女や一部の西欧かぶれの芸術家はともかくとして、女が自分から「欲しい」と言うなど「はしたないこと」であった。倫理が生理を規定してしまった結果、長らく男たちは女に押し付けた倫理を女の生理と思い込んでいたふしがある。そのうちに、当事者である女たちさえもそう信じ込んでしまったのではないだろうか。
 いつからかは分からない。やっぱり、文明開化以降の流れであろうか。

 もう一つの衝撃は、「一億人の妹」というデビュー当時のキャッチフレーズ通りの清純派アイドルの気配を残していた大場久美子が、週刊誌のインタビューでぶちかました「わたし、オナニーしてます」発言である。
 80年代初頭くらいだったろうか。
 これには完全にノックアウトされた。
 自分にとっての大場久美子の意味は「スプリングサンバ」でも「コメットさん」でも「パニック障害」でもなく、「日本で最初にオナニーをカミングアウトした女性アイドル」である。それだけで十分彼女は芸能史に残る。どころか日本の女性史に残る。
 「女のオナニー」という男にとっては最大の謎、女にとっては最後の秘密を、いとも簡単に白日の下にさらしてしまったのが、女流作家でもフェミニストでもお笑い系の女性タレントでもなく、清純で売っていたアイドルであったという、そのギャップが強烈であった。
 それは五月みどりの発言の真実をより強く男たちに知らしめた。性体験豊富な熟女だけではない。姿可愛いうら若き乙女もまた性欲を宿している。満たされない欲望に悶えて夜になれば煩悶と一人遊びしている。結局、女も男と変わらないのだ。

 この二人の発言を個人的に「戦後日本女性の性解放史における二大インパクト」としたい。

 以後なし崩し的に事態は進んでいく。

 処女の頃押入れで欲求不満を慰めていたという塩沢とき(『笑っていいとも』)、「セックスは清く正しく気持ちよく」と歌い上げた小森のおばちゃま(『オールナイトフジ』)、シャワーを浴びる若い男の裸体によだれを流す山田邦子、圧倒的な下品さを笑いに換えてお茶の間に通じさせることに成功したマチャミ、ananの「セックスできれいになる」特集、メンズを従えて若いエキスを補填しまくる叶恭子、そしてゴールデンタイムに「びっちょんこ(=おまたの涙)」を連呼する大久保佳世子と友近。
 もはや「女にも性欲があるのよ」発言が、鶴太郎の「私は女優よ」と同程度の陳腐なジョークに思えるほどである。


 かくして、今やっとこの映画を見るときが到来したのである。
 66年に日本公開されているが、当時の批評家や観客はこの映画をどう受け止めたのだろう? 気になるところである。評判にならなかったところを見ると、どう解釈したらいいのかお手上げ状態だったのではないだろうか。


 村人から「マドモアゼル(生娘)」と呼ばれている中年の独身女教師の性的欲求不満がテーマである。欲求不満が高じて、生徒に八つ当たりするわ、放火はするわ、水門を開けて洪水を引き起こすわ、家畜殺しをするわ、と次々と犯罪を重ねていく。とんでもない女である。彼女にくらべれば、八百屋お七や阿部定が可愛く思える。
 そんなにムラムラするなら、とっととやってしまえばいいのに・・・と思うのであるが、インテリならではのプライドの高さからなのか、厳格な育ちゆえなのか、宗教上の束縛のせいなのか、周囲の男から秋波を送られても冷たく遮断するのである。屈折したセクシュアリティの持ち主なのだ。
 であるがゆえに、渡り者として村人から疎んじられている逞しいイタリア人と彼女が初めてまぐわうことになった時、そのエネルギーの放出は凄まじいばかりである。

 この野外での数分間のセックスシーンは、映画史上もっとも官能的な場面の一つに上げられるだろう。観ていて「こんなシーンを撮ってもいいのか?」「観てもいいのか?」「これは絶対R指定だな」と思ったものである。凡百のポルノ映画よりもずっと淫らで、エロチックで、生々しい。ヌードシーンなどほとんどないのに。
 エロスとはなんなのかを知るには、この映画を観るに如くはない。設定が極端だからこそ、状況が切羽詰っているからこそ、抑圧が一通りでないからこそ、エロスの真髄が暴き出されるのである。


 つまるところそれは「魂の咆哮」。
 観る者をして、「こんなシーンを目撃してしまってもいいのだろうか?」と気恥ずかしさと多少の居心地の悪さを感じさせるのは、他人の裸の肉体がそこにさらけ出されているからではない。裸の魂が剥きだしに映し出されているからである。
 それを覗き見る行為こそが「猥褻」にほかならない。


 さすが、ジャン・ジュネ(原案)である。
 さすが、マルグリット・デュラス(脚本)である。
 さすが、ジャンヌ・モロー(主役)である。


 
 

評価:A-

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!

● 死をどうデザインするか 映画:『ぼくを葬る』(フランソワ・オゾン監督)

 2005年フランス映画。

 恋も仕事も順風満帆の31歳にして、余命3ヶ月のがん告知。
 そのとき、人はどういう状態に陥り、どういうふうにして自らの死と向き合っていくのか。

 誰に事実を告げるか。
 残された日々をどう過ごすか。
 何を捨てて何を残すか。
 どこでどのように死ぬか。
 自分の気持ちをどうやって整理するか。

 ゲイの写真家であるロマンの選択は、世間一般の選択とはかなり異なる。
 彼は、家族にも恋人にも友人にも伝えない。恋人には別れを告げる。喧嘩していた姉と和解する。たまたま知り合った不妊症のカップルと3Pをして精子を提供し、生まれてくる子供に財産のすべてを遺贈する。
 そして、海水浴客で賑わう夏の砂浜で、ひとり海を眺めながら死んでいく。
 もはや思い残すこともなく、自らの死を超然と受け入れながら。

 百人いれば百通りの死のデザインがあるだろう。
 どれが正しくてどれが間違っているということではない。
 どれが幸せでどれが不幸なのかも傍からはわからない。
 あるALS(筋萎縮性側索硬化症)の男性が、自分をそのような体に生んだ両親を呪いながら、自分の苦しむさまを両親に見せつけながら亡くなっていったという話を聞いたことがある。それは本人にとっても、両親にとっても、周りで看取る者にとっても、悲惨なやりきれない死の選択である。
 だが、それを非難する資格も権利も第三者にはあるまい。

 できれば、最終的には自らの生を肯定できないまでも受け入れて(諦めて)、その終焉を納得し、安らかな気持ちで息を引き取っていきたいものである。
 そのためには、ロマンがやったような自らの死のデザインが重要なのであるが、その前提として絶対に欠かせないものがある。
 己れの怒りや悲しみや絶望や混乱などの感情を吐き出せて、受けとめてもらえる誰かの胸である。

 ある人の場合、それは神なのかもしれない。仏なのかもしれない。両親や恋人や友人やカウンセラーなのかもしれない。あるいは、同じ病気で同じ運命を背負った仲間なのかもしれない。
 ロマンの場合、それは郊外の森の中に独り住む祖母ラウラ(ジャンヌ・モロー)であった。ラウラにすべてを打ち明け、ロマンははじめて泣くことができたのである。
 ジャンヌ・モローは、出番は少ないがとても重要なこの役を彼女自身の持つ存在感だけで演じきっている。演技とは思われないほどの深さとあたたかさは、その顔に刻まれた皺と同様、彼女の波乱に富んだ人生経験、俳優経験を通して自然と涵養されたものであろう。ラウラが寿命としての死を日々見つめながら孤独に毅然と暮らしていることも、ロマンが心を開く相手として選ぶ理由になっているのだろう。
 老人力とは本来このようなものなのかもしれない。

 人の死のデザインをとやかく言うのは無粋なのであるが・・・。

 ロマンが神にたよらなかった点はよく理解できる。
 キリスト教が同性愛を否定する以上、ゲイとしての自分を肯定して社会生活を営んできたロマンが、その死に際して教会や神父や聖書や十字架の支えを必要としなかったのは当然といえば当然である。
 一方、カップルの子作りに協力することで、自らの遺伝子、血統、子孫、子供を残して安堵するというところが、いきなり「種の保存」欲求にでも目覚めたみたいで釈然としない。
 もちろん、ゲイ(♂)が父親になっていけないわけではない。現に結婚して父親になっているゲイなど掃いて捨てるほどいるだろう。女性の腹を借りて血のつながりのある子供を持つゲイカップルだっている。ゲイであることと、父親であることは、必ずしも背反しない。
 しかるに、ロマンの場合、それまで子供にほとんど関心がなかったにも関わらず、死に臨んで急にそういう欲望に目覚め、自分の子供を残すことによって安心を得て自らの死を受け入れる、いわゆる「命のバトン」みたいな常套的展開になってしまうのが、なんだか残念な気はする。ゲイアイデンティティに対する裏切りのような感じ・・・?

 とはいえ。
 実際に死を前にしたときに、自らの築いてきたアイデンティティなんか簡単に崩壊するかもしれない。
 自分がどうなるかわかったものじゃない。

 ある意味では、若くして自分の死をデザインできる機会を得るということは幸せなのではないだろうか。
 通常そういう機会は、老年になってから訪れるものであるが、そのときには老齢ゆえにさまざまな選択肢が失われていることが多いからだ。子供を作るなど、まさにその一つである。デザインしようにも設計できる幅がもうせばまっている。和解したかった相手も、もうとうの昔にあの世に逝っているかもしれない。

 自分の死をどうデザインするか。
 それは結局、「自分の残された生をどうデザインするか」と同義である。



評価: B-

参考: 

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 

「東京物語」 「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。

「風と共に去りぬ」 「未来世紀ブラジル」 「シャイニング」 「未知との遭遇」 「父、帰る」 「フィールド・オブ・ドリームス」 「ベニスに死す」 「ザ・セル」 「スティング」 「フライング・ハイ」 「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」 「フィアレス」 ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。

「アザーズ」 「ポルターガイスト」 「コンタクト」 「ギャラクシークエスト」 「白いカラス」 「アメリカン・ビューティー」 「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。

「グラディエーター」 「ハムナプトラ」 「マトリックス」 「アウトブレイク」 「タイタニック」 「アイデンティティ」 「CUBU」 「ボーイズ・ドント・クライ」 チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)

「アルマゲドン」 「ニューシネマパラダイス」 「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ~。不満が残る。

「お葬式」 「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった

「レオン」 「パッション」 「マディソン郡の橋」 「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!



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