アミーナ:チチェーリア・バルトリ(メッゾ・ソプラノ)
エルヴィーノ:ファン・ディエゴ・フローレス(テノール)
ロドルフォ伯爵:イルデブランド・ダルカンジェロ(バス)
リーザ:ジェンマ・ベルタニョッリ(ソプラノ)
指揮:アレッサンドロ・デ・マルキ
チューリッヒ歌劇場ラ・シンティッラ管弦楽団
チューリッヒ歌劇場合唱団
録音:2007年~2008年
別記事で取り上げた『ノルマ』同様、現代屈指のメッゾ・ソプラノ歌手であるチチェーリア・バルトリが、コロラトゥーラ・ソプラノの持ち役として伝統的に歌い継がれている『夢遊病の女』の主人公アミーナに挑戦している、これまでの常識を覆す画期的ディスクである。
とは言え、無謀と言うには当たらないのは前回書いたとおり。
『夢遊病の女』の世界初演でアミーナを歌ったジュディッタ・パスタ(1797-1865)も、この役を当たり役とし一世を風靡したマリア・マリブラン(1808―1836)も、共に当時メッゾ・ソプラノ歌手と目されていた。かつ、チチェーリア・バルトリは技巧的にも声楽的にも表現力においてもこの難役を演じるのにまったく不足するところがない。
実際、今さら言葉を重ねるまでもないテクニックの凄さ以上に驚かされるのは、バルトリの表現力の凄さである。
メッゾ・ソプラノの代表的な役柄で歌い手の表現力の天才性を発揮できるのは、『アイーダ』のアムネリス、『イル・トロヴァトーレ』のアズチェーナ、『カルメン』のタイトルロールの3つであろう。
が、バルトリはこれらを歌わない。彼女の主要レパートリーは、モーツァルトとロッシーニなので、必然的に明るい曲調の喜劇や風刺劇になる。そこでは喜怒哀楽のうち「喜」と「楽」が表現の中心になる。
むろん、バルトリは明るくてよく転がる驚異の声と、イタリア女らしい陽気な雰囲気と、茶目っ気たっぷりの表情とを生かして、「喜」と「楽」を十二分に表現し得る。『ラ・チェネレントラ(シンデレラ)』など、聴いていて幸福感に卒倒しそうなくらい、完璧である。
が、そのレパートリーの固定ゆえ、かえってバルトリが「喜」と「楽」以外の表現にも達者であることを見逃す結果となっていたように思われる。
この『夢遊病の女』や『ノルマ』のディスクを聴いて唖然とするのは、バルトリの表現力の広さ、深さ、豊かさ、巧みさ、そして細やかな感受性である。ノルマのように‘喜怒哀楽’含み人間の抱き得るあまたの感情を表現する必要こそないものの、アミーナは「哀」が説得力もって表現されなくては、音楽も舞台も生きてこない役柄である。バルトリは、驚くべき感受性を持って「哀」を表現し尽くしている。全曲中、随一の名曲アリア『花よ、お前がこんなに早く枯れてしまうとは』などは、マリア・カラスのそれと比肩したくなるほどの迫真さで、思わず息をつめて聴いてしまう。
バルトリひとりがあまりに抜きん出ているので、他の歌手が――現代最高のロッシーニテノールであるファン・ディエゴ・フローレスでさえ――背景に退いてしまい、歌唱のバランスに不均等が生じている印象を受けるほど。
まさにベルカントここにあり!!