2008年韓国映画。

 愛する家族を惨たらしく殺された遺族たちが、余人には測りしれない苦痛と悲しみと絶望の中で生きる姿が描かれているドキュメンタリー。
 

 連続殺人事件の実行犯ユ・ヨンチョル(柳永哲)に3人の家族(母、妻、一人息子)を殺されたコ・ジョンウン(高貞元)さん。ヨンチョルが逮捕された後、死を思い定めた彼だが、殺人者を赦してから自殺することを決意する。しかしその心を決めた瞬間、彼には再び生きることへの望みが生まれた。
 その後、ユ・ヨンチョルと直接手紙を交換し、彼の死刑に反対する嘆願書を提出するなど、積極的な活動を展開するジョンウンさんだったが、その心は相変わらず苦しみが去らなかった。父の行動を理解できない二人の娘たちとの関係も疎遠になり、時には悪夢にうなされもする。(DVD付属のパンフレットより抜粋)

 ジョンウンさんの日常とインタビューを中心に語りは進んでいく。(日本語版の語り手は竹下景子)


 愛する者を喪うことは、この世で最もつらいことである。
 それが誰かに殺されてのことだとしたら、その苦しみは筆舌に尽くしがたい。
 もっとも、人の苦しみを比較することはできない。
 失恋した者の苦しみ、離婚した者の苦しみ、流産した母の苦しみ、自然災害で家族を失った者の苦しみ、病気や戦争で家族を亡くした者の苦しみ・・・。
 どの苦しみも、どの悲しみも、遺された者にとっては100%の苦しみであり、胸の張り裂ける悲しみである。他と比較して「マシだろう」とか、「自然には適わないね」などと慰めるのは思いやりに欠けることである。
 しかし、愛する者が誰か人の手よって殺されたとしたら、喪失の悲しみに加えて、やりどころのない怒りや恨みや理不尽な思いが湧き起ころう。


 仏教に「第二の矢」の教えがある。

比丘たちよ。まだ教えを聞かぬ人々は、苦受をうけると嘆き悲しんで、いよいよ混迷するにいたる。それは、ちょうど、第一の矢を受けて、さらに第二の矢を受けるに似ている。それに反して、すでに教えを聞いた人は、苦受をうけてもいたずらに嘆き悲しんで、混迷にいたることがない。それを私は第二の矢を受けず、というのである。
 (増谷文雄著『仏教百話』、ちくま文庫)  

 愛する者を喪う衝撃が「第一の矢」、苦痛と悲しみに囚われて心身を毀し、あたら歳月を無為のままに費やすことが「第二の矢」にあたる。
 悟りを啓いていない凡夫にとって「第二の矢を受けず」は不可能に等しい。どうしたって「第二の矢」を胸に受けてしまう。
 だが、時は偉大である。
 喪失の痛みだけならば、時が解決する。無くなりはしないけれど、胸の奥で飼い馴らせるようになる。矢で受けた傷跡も癒えるだろう。
 一方、怒りや恨みは時によって解決できるものではない。普通に過ごしていて、自然に薄れていくものではない。それを抱えながら生きていくことは地獄の苦しみであろう。「第三の矢」は抜き難い。その傷は膿み深まるばかりである。
 
 映画の中でも、ジョンウンさんと同じように殺人者に家族の一人を殺された遺族が登場する。被害者の兄弟のうち二人は、ショックから立ち直ることができず、心を病み自害してしまう。つまり、三人が殺されたのだ。残された父と弟は、その状況を受け容れることができず、犯人を激しく憎み、その死刑だけを生きる目的として、日々苦悩のうちに過ごしている。
 弟は語る。
「あいつ(犯人)がこの世に生きていて同じ空気を吸っていると考えるだけでも我慢ならない。自分が生き直すためには、どうしてもあいつが死ななければならない。」
 これが普通であろう。世間一般であろう。
 

 だからこそ、犯人を「赦す」というジョンウンさんの生きざまに圧倒されるのである。
 苦しみという見えない十字架を背負って、たった一人街を歩き、インタビュアに語る彼の姿や表情が映し出されるたびに、臓腑をえぐられるような衝撃を受ける。
 誰にでもできることではない。
 被害者遺族に、ジョンウンさんと同じように振る舞うことを期待するなど、まったくのたわごとである。
 ジョンウンさんはカトリック信者なのだが、神の存在を疑い、信仰を失ってもおかしくないほどの試練なのだ。
 
 苦しみから逃れるすべのないジョンウンさんは、アメリカに旅し、同じような被害者遺族の集まりに参加する。死刑囚の家族、冤罪被害者、殺人被害者遺族がともに痛みを分かち合い、互いの傷を慰めあう「希望の旅」というグループである。
 そこでジョンウンさんは、「赦すことによって癒され、癒されることによって生きる希望を取り戻した」多くの仲間たちと交流する。(ある高齢の女性は、一人娘は殺害され、一人息子は死刑になった、という数奇な運命の持ち主だった。) 
 苦しみの中で人と人とが出会うとき、苦しみは一個人のものから、この世に生きるすべての者が多かれ少なかれまとわざるを得ない「生の影」であることが感受される。
 やはり仏教のキサー・ゴータミーの話を思い出す。

(彼女は)嫁して男子を産んだが、死なれ、その亡骸を抱いて「わたしの子に薬をください」といって町中を歩き廻った。
 これをあわれんだブッダは「いまだかつて死人を出したことのない家から、芥子(けし)の粒をもらって来なさい」と教えた。しかし彼女はこれを得ることができなかった。彼女は、ハッと人生の無常に気付いて出家した。(中村元訳『尼僧の告白』、岩波文庫P.108)
 いまのジョンウンさんにとって、本当の家族は「希望の旅」の仲間たちなのかもしれない。
 
 誰にでもできることではない。
 「やられたらやりかえせ。それができないのなら、せめて国が代わりに殺してくれ。」
 というのが被害者遺族一般の心の叫びであろう。
 だから、ジョンウンさんのような人が存在するという事実が、途方もないことに思えるのである。
 世にもっとも赦しがたいことを、それでも赦そうと決心するジョンウンさんの姿を見ては、日常の些細な人間関係のすれ違いで怒りを覚えて、「許しがたい」などとつい思ってしまう自分は、なんとちっぽけな人間なのだろう。


 この映画は2007年のクリスマス特集番組として韓国で地上波テレビ放送され、大きな反響があったそうである。
 韓国は法的には日本同様死刑制度を有しているものの、1997年12月の死刑執行を最後に死刑は凍結されており、アムネスティ・インターナショナルから実質的な死刑廃止国として認定されている。
 一方、日本では昨年(2013年)、8名に対して死刑が執行されている。



評価:B+

 
A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」    

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
          
C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!