今年もまた苦手なGWの人混みに分け入って東京国際フォーラム(有楽町)まで出かけた。
 苦行者か・・・。
 案の定、どこもかしこも人だらけ。東京駅丸の内口では、駅舎をバックに写真を撮る外国人たちであふれていた。たしかに、辰野金吾設計の赤レンガ駅舎(1914年竣工)は見るたびに郷愁と風格を感じさせ、カッコいいと思う。外国人が持つであろうTOKYOイメージとのギャップも魅力のうちであろう。


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 今年のテーマはLA DANCE 「ダンス 舞曲の祭典」。 踊りに関連するクラシック曲が集められた。
 ソルティが参加したのは以下のプログラム。

日時 5月4日(木)
①13:00~13:30
  • チャイコフスキー/スラヴ行進曲
  • ボロディン/オペラ「イーゴリ公」から だったん人の踊り(合唱付)
指揮:曽我大介 
管弦楽:リベラル・アンサンブル・オーケストラ
合唱:一音入魂合唱団
 
②16:30~17:15
  • ベートーヴェン/ロマンス第1番ト長調 作品40
  • ベートーヴェン/交響曲第7番 イ長調 作品90
指揮:ドミトリー・リス
管弦楽:ウラル・フィルハーモニー管弦楽団
ヴァイオリン:ドミトリ・マフチン

① は昨年同様、期間中もっとも人が集まる地下2階ホールで上演された。
 昨年は開演15分前に着いたら、もう舞台周囲の数百の座席は埋まっており、座席周囲の三方は立ち聴き客の分厚い壁でふさがれていた。仕方なく舞台裏の地べたに座って聴いた。今回は40分前に到着し、舞台正面の見やすい席に着くことができた。どうせ演奏中は目を閉じていることが多いので、見やすさは関係ないのだが・・・v( ̄∇ ̄)v
 リベラル・アンサンブル・オーケストラ(LEO)はソルティがアマオケ巡りにはまるきっかけとなったオケなので愛着がある。団員の若さゆえのフレッシュな響きと柔軟性、楽器間のバランスの良さ、曽我大介や和田一樹らの薫陶により身につけた安定した技術が魅力の一端であるが、なによりも「また聴いてみたい」と思わせるのは、他のアマオケにはない個性的な響きである。それがなんなのかまだ言葉にできないけれど、なんとなく、今回のステージでも目を引いた‘束髪のコンサートマスター’的ななにかである(って余計わからないか・・・)。 
 『スラヴ行進曲』は素晴らしかった。曽我大介×行進曲って合っているのかも。それとも意外にも曽我大介×チャイコフスキーなのか。

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リベラル・アンサンブル・オーケストラ


②去年とても良かったドミトリー・リス×ウラル・フィル。今年も水も漏らさぬ完璧さで大会場を沸かせた。一流のプロゆえ当たり前のことだが、磨き抜かれた音の純粋さとタッチのナイーブさ、ハーモニーの見事さと品の良さは、このまま録音しても十分商品になると思わせるものであった。あまりに王侯貴族的に上品過ぎて、かえって髪を乱して鍵盤に向かう情熱家ベートーヴェンのイメージが遠のいたほどである。
 今回7番が取り上げられたのは、ワーグナーがこの曲を「舞踏の聖化」と評したことによるのだろう。たしかに、焼けたトタン屋根の猫のように、瞬時も足が地につかずに踊っているような曲である。あまりいい比喩ではない? 一つの花にじっと留まることなく舞っている蝶では?
 舞台の両サイドに大きなモニターが設置されて、そこに演奏中の指揮者や団員がいろいろな距離や角度からリアルタイムで映し出される。舞台の全景を見ながら、同時に生のテレビ映像を見ているような感じである。これが功を奏したのは、ドミトリー・リスの指揮姿が実に魅力的で面白いからである。
 指揮台の上で、飛び跳ね、両腕を大きく振り回し、瞬発的に体の向きや姿勢を変え、様々な表情をつくってオケをリードする姿こそ、まさに DANCE そのものであった。
 一回の指揮で何カロリー消費するのだろう?

 アマオケとプロオケの演奏を同日に聴いて思ったのだが、だれがどう聴いたって上手いのはプロに決まっている。だが、どっちが「面白いか?」と言ったらアマオケである。LEOでは冴えていた頭が、ウラルではぼんやりしてちょっと眠ってしまった。
 ソルティがクラシックのライブに求めているのは‘面白さ interesting ! ’なんだと実感した次第である。
 

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会場ホールから東京駅方向を見下ろす