相談援助演習テキスト 今年の4月に始めた社会福祉士養成通信講座もターンに差しかかった。毎月提出のレポート作成のコツもつかめ、毎朝眠い目をこすりながらの出勤前テキスト講読を続けている。
 先日は2回目のスクーリング(2日間の相談援助演習)に参加した。
 集合時刻ぎりぎりに指定された教室に入ると、20名くらいの同輩が席についていた。8月のスクーリングで一度会ってグループワークした仲なので、緊張感はない。それに相談援助演習は、講義形式ではなく、与えられた事例についてグループごとに検討作業するワークショップ形式なので、気持ち的にラクである。
 今回も、「クラスメートのいじめが原因で不登校になっている女子中学生」、「脳梗塞を起こし夫に死別し情緒不安定になり、娘の仕事場にしょっちゅう電話をかけてくる高齢の女性」、「認知症が進行してきて徘徊や盗食を繰り返す老人ホーム在住の独り者の女性」、「要介護状態の同居の母親に暴力を振るう無職の30代の鉄道オタク」等々、今日的でどこにでもありそうな事例をもとに、グループのメンバーたちと意見交換し、状況分析を行い、どのような社会資源を用いてどのように援助していくかを話し合い、また登場人物(当事者とソーシャルワーカー)になってのロールプレイを行った。ディスカッションの合間や休み時間には、お互いの職場の話や実習の話など面白く有意義な情報交換ができた。
 やはり普段福祉現場で働き、社会福祉士を目指す人びとだけあって、共通した性格のようなものを感じる。総じてみな聞き上手で優しく、頭が良く、控えめである。話していても、思慮深さと視点の鋭さ、それに対人コミュニケーションの柔らかさを感じる。(自分を褒めてる?) ここでは自己主張の強い人がやけに目立つのである。
 また、弱者や問題を抱える人の支援をしたいという動機の一つには、自分自身が同じような問題を抱えている、また克服してきたという体験を持っている人が多い。互いに打ち解けてきた話し合いのさなかに、ふと子供の頃の被虐待経験やパートナーからのDV体験、認知症の親の介護の苦労話をカミングアウトする参加者などもいて、なかなか濃くて面白い2日間であった。
 
 そんななかで、自分の属していたグループで白熱した議論があった。
 それは、DV(家庭内暴力)を受けている妻の事例。
 だいたいこんな内容だ。
 

 Aさん(30歳女性)は専業主婦。夫Bさん(32歳)と子供C子(4歳)の三人暮らしである。結婚後、妊娠した頃からBさんによる家庭内暴力が始まった。
○ Aさんが外出するたびに行く先を執拗に問いただし、少しでも帰りが遅くなると怒鳴りつけ、果ては「誰のおかげで食べられると思っているんだ!」と平手打ちする。Aさんは外出を控えるようになる。
○ ささいなことでAさんを怒鳴り、「お前は何をやってもダメだ」と頻繁に言う。
○ Aさんは実母に相談するが、「あなたのほうに落ち度があるんじゃないの?」と逆に非難される。
○ Bさんによる暴力は頻度を増し、激しくなっていく。
○ Aさんの沈んだ表情と腕の青あざに気づいたC子ちゃんの幼稚園の先生が、声をかけ面談する。
○ Aさんは先生に紹介された配偶者暴力相談支援センターに足を運び、一時保護所の利用を勧められるが、なかなか決心がつかない。  

 グループは男が自分を入れて3名、女が3名の6名であった。
 Aさんが一時保護所の利用について「なかなか決心がつかない」のはなぜか、今後どんな支援が考えられるかといった演習課題をまず一人一人が考えて、順に発表するという段取りであった。自分は進行役を振られた。
 最初に発表してもらった女性・山崎(仮名、30代)がいきなりこう言った。
「実は自分がまったくこの事例と同じ経験をして夫と離婚したのです。まだ記憶が生々しくて、入り込めないんです。ごめんなさい。」
「そうですか。では、無理のない範囲で参加してください」と自分は言って、次の人に回した。
 順々に各自が意見を発表していって最後になったのは50代の男性・中山(仮名)で、知的障害者の日常生活支援を仕事としている人だった。体格が良く自己主張の強いタイプで、夏のスクーリングのときから目立った存在だった。
 こう言ったのである。
 「正直、なぜこれがドメスティック・バイオレンスなのか自分は分からない。こんなのはどこにでもよくある家庭問題のレベルで、この程度で相談支援センターを紹介したり、一時保護所を勧めたりして、家族を崩壊させるのはどうなのか。福祉予算の浪費ではないか。」
 とたんに、グループ内の女性2人が色めき立った。隣席にいた山崎が息を呑む音が聞こえた。50代の元学校教諭・坂本(仮名)がすぐさま反論した。
 「どう見たってこれはDVです。このまま放っておいたら何が起こるか分からない。AさんやC子ちゃんの命が奪われてからでは遅いじゃないですか。」
 自分以外のもう一人の男性・森岡(仮名、30代独身)は、「自分はDV問題には詳しくないから」と前置きした上で、こう発言した。
 「自分はA子さんの母親の言葉にも一理あると思う。夫婦の問題は他人からは分からない、見えないことが多い。この事例からはそこが読み取れないけれど、A子さんの態度が夫の暴力を招いている可能性もあると思う。幼稚園の先生は、もう少し客観的に事態を見て行動してもよかったのではないか。」
 かくして、男女間のバトルが始まった。
 今一人の女性は20代(独身)で、あまりピンと来ないような様子で、発言を控えていた。(処世術か。)
 自分は進行役だったので、どちらにも肩入れしないで交通整理をし、グループの雰囲気の険悪化を防ぐのに終始した。(処世術か。)
 一方で、自分と同性である中山と森岡の発言に胸中驚いていた。
 「へえ~、これがDVと思わないのか。普段福祉の仕事をしていて、社会福祉士になろうとしているコイツらがこうだとするなら、福祉関係でない一般の男たちはなおさらであろう。世の中からDVが無くならないわけだ。」
 そしてまた、口元まで出かかっていたけど、抑制して飲み込んだセリフがあった。
 「あのさ、中山さん。これが‘DVでない’と言うこと自体が、実際に目の前にいる被害者(山崎さん)に対するセカンドレイプみたいなもんですよ」
 この事例がDVであること、幼稚園の先生の取った行動がまったく理に適っていること、そしてAさんがC子ちゃんと共に一時保護所に身を隠すことが最善の策であると、例題を読んだときから疑いもしなかった自分は、やはり男としては‘例外’なのだろうか。
 ゲイである自分は、ジェンダー的にやはり女性視点を持っているのだろうか。それとも、セクシュアリティとは関係なく、HIVボランティアを通じて知り合ったフェミニストの友人たちの影響か。(ゲイの中にも――いやゲイだからこそ?――男尊女卑のマッチョがいるものである。)
 そんなことが頭の中をグルグル経巡った。
 議論は女性の剣幕に恐れをなした(?)中山が意見を引っ込めたところで時間切れとなった。
 
 げに不可思議はジェンダーギャップ。