ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

バートランド・ラッセル

● 本:『大人になると、なぜ1年が短くなるのか?』(一川誠×池上彰対談、宝島社)

大人になるとなぜ1年が短くなるのか 2006年刊行。

 このタイトル通りのことを日々感じない大人は少なくないと思う。
 自分も周囲の大人達(特に中高年)とよく話題にする。
「こないだ正月がすんだばかりなのに、もう10月だよ」
「本当にあっという間だよねえ」
「年々速くなっていく気がするねえ」
「この分だと、あっという間に老人だねえ」

 地球の自転も含めた全宇宙の運動が加速度つけて速まっているのではないか。全部が全部速まっているから、中にいる生命(=人間)は比較する対象がないので気づけないだけではないか。
 そんな妄想を抱いてしまうくらい、歳をとるごとに1年経つのが速くなる。
 大体、心理的速度で言えば前の年の約1.2倍ずつ速くなっていて、体感速度で言えば前の年の約0.8倍ずつ1年が短くなっているという感じがする。この計算(365日×0.8×0.8×0.8×・・・・・)で行くと、あと27年で残り日数は0を切る。いや、すでにそういう感じがし始めてから10年以上経っているから、余命15年として、事故とか大病がなければ自分の寿命は65歳を切る。日本の男の平均寿命(79歳)に到底達せず・・・。
 まあ、そんなものかもしれない。
 20代の頃は40歳まで生きられれば御の字と思っていたものだが、なんということなしに不惑を通り過ぎて、三島由紀夫の自害時の年齢(45)も越して、大病も大事故もなく、食いっぱぐれることもなく、こうして生きている。
 今もしタイムマシーンに乗って20代の自分に会うことができたら、こう言ってやりたい。
「大丈夫。何とかなるから」


 本書は、時間学(というものがあるらしい)の研究者である一川誠と、ジャーナリストの池上彰の対談である。肩のこらない、読みやすい、読んだそばから誰かに得た知識を披露したくなる興味深いネタがいっぱいの、通勤途中で読むのに恰好の本である。
 そんなネタを一部紹介。

○ 日本の標準時刻は、東京都小平市にある通信総合研究所に設置された
18台の原子時計の平均値をもとに決められている。
 →自分はまだ明石天文台(東経135度)によって決められているものかと思っていた。

 かつては兵庫県明石市などを通過する東経135度の子午線上での平均太陽時として、天体観測に基づいて計測されていた。現在は、情報通信研究機構が複数のセシウム原子時計・水素メーザー原子時計によって得られる時刻を平均・合成して協定世界時を生成し、これを9時間進めたものを日本標準時として決定している。(『デジタル大辞泉』より)

○ 最近、四色の視細胞を持つ人が発見された。 
 人間の錐体細胞は基本的には、赤錐体、青錐体、緑錐体の三色です。まれに二色しか持たない人もいて、それは一般的には色覚異常といわれています。
 人間以外の多くの哺乳類は青錐体と緑錐体の二色の色覚です。(ソルティ注:だから犬や猫は赤色を認識できない) 人間ももともとは二色で、進化の過程で三色を獲得したといわれていますが、最近、四色の視細胞を持つ人が発見されたんですよ。
 
 四色目の錐体細胞は橙色で、女性の一定数がこの橙色の錐体細胞を持っていると言われています。・・・・・
 そういう人はテレビとかも、三色の錐体細胞を持つ人とは微妙に違った見え方をしている可能性があります。


○ バートランド・ラッセル、かく語りき 

 私たちは過去の記憶を持っていますが、今、自分が持っている記憶というのが現実に起きたことではなくて、5分前に形づくられた記憶のみの存在かもしれないという説もあります。バートランド・ラッセルというイギリスの哲学者が、実は世界は今から5分前に始まったのであって、我々の脳に記憶されている事柄は全部嘘である可能性は論理的には否定できないというようなことを言いました。

○ 11年前の自分は100%別人である 

 我々の身体の物質はおよそ11年周期で入れ替わっています。毎日毎日少しずつ違う自分であるのはもちろんですが、11年前の自分と今の自分とでは物体として完全に違う存在のもので、一年前の自分とは11分の1くらい違う存在ということですね。


○ 大人になると時間の経過を早く感じる理由 

 身体が元気で代謝が活発だと、心理的な時計も速くなり、物理的な時計が1分しかたっていないのに、心の時計は1分20秒くらい進んでしまっているという現象が起こるんです。だから物理的な時間の流れを遅く感じたり、余裕が持てる。
 反対に、病気の時や疲れている時には代謝も落ちていますから、心理的な時計も遅くなります。物理的な時計は1分経っていても、自分の心の時計はまだ40秒くらいしか進んでいないということを感じているんです。
 
 子供の頃時間がゆっくり流れているように感じたのは代謝の活動が活発だったためと、一年のあいだに特別なイベントが多かったからです。大人がこどものような代謝量を増やすことはできませんが、意図的にイベントを多く増やすことで時間を充実させることは可能です。


 宇宙時間の加速化説はやはりナンセンスか。
 これも自説だが、「知らない道は長く感じる」説はどうだろう。
 ある目的地に行くのにはじめての道を歩くとき、行きより帰りのほうが早く時間を感じることはないだろうか。行きは知らない光景ばかり目に入るし、目的地が近いかどうかも分からずに歩くので、目新しさも心細さもあって長く感じる。帰りはいくつかの道標を覚えているので不安は感じないし、ゴールまであとどれくらいかがある程度分かっている。
 つまり、不安や緊張など心理的圧迫が大きいほど時間は間延びするという「ストレス相対性理論」である。
 「子供の頃は良かった」と大人は言いがちだが、よ~く思い出してみよう。毎日毎日、いろいろな不安や心配でいっぱいだったんじゃないだろうか。たとえば、「自分が学校にいる間に家が家事になったらどうしよう」とか、「3時間目の音楽の笛を忘れてしまった。どうしよう」とか、結構些細なことで悩んでいた記憶がある。






● 第五福竜丸展示館(夢の島)&本:『矛盾』(大石又七著) 

第五福竜丸展示館 013 新藤兼人の映画『第五福竜丸』のDVDの付録で、東京・夢の島にある「第五福竜丸展示館」について紹介していた。
 恥ずかしくも自分はその存在を知らなかった。夢の島にも行ったことがない。
 ネットで詳細を調べ、さっそく行ってみた。
 有楽町線の新木場駅から歩いて10分のところにある。


第五福竜丸展示館 002

 なぜ福竜丸がこの場所にあるかと言うと、1951年のアメリカの水爆実験で被害を受けた後、文部省に買い上げられ、放射能の減り具合を確認した後、「はやぶさ丸」と名前を変えられて、東京水産大学の練習船として使われた。1967年に廃船となりエンジンだけ抜き取られて、夢の島に捨てられたのである。
 68年NHKが福竜丸の「今」を放送。それを観た一視聴者の武藤宏一氏が、朝日新聞に船の保存を呼びかける投書をしたのがきっかけとなって署名運動が始まり、75年展示館開設にこぎつけたのである。

 展示館の空間いっぱいに福竜丸の堂々としたご老体がドック入りしている。甲板や船の中には入れないが、付設の階段を上がって舷側から甲板の上を眺めることができる。
 船の周囲には、福竜丸の説明や被曝事件の経緯、当時の新聞記事や航海日誌、死の灰を入れた瓶、放射線を測ったガイガーカウンター、被爆した船員達の写真、全国から集まった反核の署名(当時人口8千万人のところ3千万人の署名が集まったという!)など、当時の模様を知る様々な資料に加えて、核の脅威を伝えるパネルや被爆者の手記などが展示されている。

第五福竜丸展示館 009


第五福竜丸展示館 010 第五福竜丸展示館 011


第五福竜丸展示館 012 第五福竜丸展示館 006

 第五福竜丸事件と放射線被曝の恐ろしさが世界に知られるところとなって、世界中で原水爆禁止運動が盛り上がった。その高まりの中で、哲学者バートランド・ラッセルと、アインシュタインを含む10名の科学者(日本の湯川秀樹も入っている)とが世界に提示したのが「ラッセル=アインシュタイン宣言」である。この和訳文も掲示されている。
(こちらを参照→「日本パグウォッシュ会議」 http://www.pugwashjapan.jp/r_e.html

 ところで、ナチスの迫害を恐れアメリカに亡命したアインシュタインは、ルーズベルト大統領に「原子爆弾をつくるのは理論的に可能」と手紙を送って原爆開発に協力しているのである。
 何を今さら反省しやがって・・・と文句の一つも言いたくなる。
 おそらく亡くなる前に自らの罪悪感を解消したかったのだろう。(この宣言文の発表を待たずに亡くなっている。)
 もっとも、アインシュタインがやらなくても他の科学者が開発したのは確実ではある。

 第五福竜丸事件は、アメリカの水爆実験による被害以外のなにものでもない。
 だが、戦勝国であるアメリカ政府は日本政府に圧力をかけ、事件をうやむやにした。いや、もっとひどいことは、日本政府の方から、アメリカの持つ原子力技術の提供や原子炉供与を交換条件に、責任追及と賠償請求を放棄してもよいと持ちかけたのではないかと推測されることである。被害者にはほんのわずかの見舞金だけが支払われただけであった。医療的な補償を受けるに必要なための被爆者認定もされていない。日本政府とマスメディアは、この事件を封印すべく情報操作をしてきた。

矛盾 このあたりの事情は、第五福竜丸の元乗組員であり、事件の生き証人であり、子供たちに事件のことや核の恐ろしさについて伝え続けている大石又七氏の著書に詳しい。(展示館で販売している。)
 読んでいると、実に恐ろしい心地がしてくると同時に、不可解な思いが頭をもたげる。

 無辜の国民の命を売ってまで、金銭欲、権力欲に取り憑かれる人々のトラウマとはどんなものなのだろう?


 当時の乗組員達は3分の2がすでに死亡。そのほとんどが輸血のために感染したC型肝炎による肝機能障害が原因と思われる。生き残っている人も相当な高齢である。(大石さんも喜寿を迎えている。)


 展示館の横のマリーナには、たくさんのヨットやボートが春の日差しを浴びて係留していた。

第五福竜丸展示館 014

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