2002年フランス、ドイツ、イギリス、スイス制作。
まったく違った人生を送ってきた二人の独身男――高齢のインテリでお金には不自由しない元教師マネスキエ(=ジョン・ロシュフォール)と、男盛りのアウトローで刑務所から鞄一つで出てきたばかりの寡黙なミラン(=ジョニー・アリディ)――の交差する人生と数日間の交流を描く。
簡単に括ってしまえば、「男の友情もの」ということになるのであろう。
面白いのは二人の出会いの場面。
たまたま同じ薬屋に居合わせ目と目があったというだけで、マネスキエは素性の知れないミランを自宅に誘うのである。その自宅は門も玄関も鍵がかかっていない豪邸。強盗にとっては夢のように美味しい話だが、ミランの素性はまさに強盗なのであるから、いくら田舎者とは言えマネスキエの人の好さと言うか愚かさには恐れ入る。
このような出会い、このような展開が起こりうるのは、①二人ともがゲイで目と目があった瞬間に通じ合うものがあって欲望に掻き立てられた場合、②ゲイのマネスキエが若いミランに一目惚れし、ミランは金銭と寝るところを確保するために(ゲイらしい)マネスキエを利用しようと考えた場合、くらいだろうと思っていたので、マネスキエもミランもノンケである(ゲイでない)という設定とわかって、不思議に思った。
「こんなふうに始まる男同士の友情ってあるものだろうか?」
もちろん、飲み屋で知り合って意気投合し、気づいたら見知らぬ男の部屋で二日酔いの頭を抱えていたなんてのはざらにあるだろうが、この二人はシラフで、ほとんど会話らしい会話も交わさないうちに同居をスタートするのである。よっぽど互いに惹かれあうものを感じたに違いない。まさに運命的な出会いである。
二人の関係は、期間限定で、何のしがらみも損得勘定もないだけに、むしろ純粋な個と個の関係である。終わること、別れることがはじめから分かっているからこそ、近親者や仲間には決してさらさないような素顔を、語らないような本音を見せ合うことができる。そして、自分とは全く境遇も価値観も性格も好みも異なる「他者」と出会うことができたのである。「他者」の人生を想像し、互いの価値観を認め合うことができたのである。
これは「他者との出会い」の物語なのだ。
その意味ではフランスで大ヒットした『最強の二人』(2011年)に似ている。
『最強の二人』ではまったく異なる世界に生きる二人の男を結びつけるのに「介護」という鎹(かすがい)が使われていた。そうでもなければ自発的に二人の男が出会うことはなかっただろう。
男同士が結びつくためには何らかの言い訳というか鎹が必要なのだ。もっとも簡単なのは「仕事」「趣味」「酒」である。あるいは「女」を介在とする場合もある。そういう道具立てなしで、男と男が素で「出会う」のはどういうわけか難しい。
女同士は別に共通の目的や理由がなくとも、対等に出会い、友情を取り結ぶことができる。あるいは、「関係そのもの」を目的とすることができる。一方、男同士が「関係そのもの」を目的として出会ったら、それはほとんど同性愛に近接する。
「女子会」があっても「男子会」がないのはそのへんの事情によるのだろう。
背景の一つは、男女間の言語運用能力の差にあるのかもしれない。「関係」とは結局、言葉か肉体か、いずれか一つに依存するよりないのだから。「言葉」を持たない男たちは、同性愛のぎりぎり手前で立ち止まる友情で我慢するほかないのである。
評価:B-
A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。
「東京物語」「2001年宇宙の旅」
A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
「スティング」「フライング・ハイ」
「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」
B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」
「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
「ボーイズ・ドント・クライ」
C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」
C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」
D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」
D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!