上演日 2004年11月18日
会場 フェニーチェ歌劇場(ヴェネツィア、イタリア)
スタッフ
指揮:ロリン・マゼール
演出:ロバート・カーセン
ヴィオレッタ:パトリツィア・チョーフィ
アルフレード:ロベルト・サッカ
ジョルジョ・ジェルモン:ディミトリ・フヴォロフストキー
フェニーチェ歌劇場管弦楽団&合唱団
映像時代のご利益なのか、現代のオペラ歌手の見てくれ(ルックス)の良いこと、スタイルの良いこと、演技の上手なことには、本当にビックリする。とくに、ソプラノ歌手は揃いも揃って美人ばかりで、モデル並みのスタイルを誇り、演技と来た日にはオスカー受賞も夢ではないほどの高水準である。
ざっと思いつくままに挙げるだけでも、アンジェラ・ゲオルギー、エヴァ・メイ、ステファニア・ボンファデッリ、アンナ・ネトレプコ、ナタリー・デセイ、アンドレア・ロスト、バルバラ・フリットリ、パオレッタ・マッロークなど、まさに百花繚乱。DVD以前に活躍した昔日の大物一流ソプラノ達――たとえば、レナータ・スコット、ジョーン・サザランド、モンセラート・カバリエ、ビルギッド・ニルソン、レオンタイン・プライス、ジェシー・ノーマン等々――との容姿、スタイル、演技におけるギャップは歴然としている。
ソプラノ歌手の歴史においては、その歌唱法や芸術性において「カラス以前-カラス以後」という線引きがよくなされるが、「DVD以前―DVD以後」という線引きがあってもおかしくない。
ざっと思いつくままに挙げるだけでも、アンジェラ・ゲオルギー、エヴァ・メイ、ステファニア・ボンファデッリ、アンナ・ネトレプコ、ナタリー・デセイ、アンドレア・ロスト、バルバラ・フリットリ、パオレッタ・マッロークなど、まさに百花繚乱。DVD以前に活躍した昔日の大物一流ソプラノ達――たとえば、レナータ・スコット、ジョーン・サザランド、モンセラート・カバリエ、ビルギッド・ニルソン、レオンタイン・プライス、ジェシー・ノーマン等々――との容姿、スタイル、演技におけるギャップは歴然としている。
ソプラノ歌手の歴史においては、その歌唱法や芸術性において「カラス以前-カラス以後」という線引きがよくなされるが、「DVD以前―DVD以後」という線引きがあってもおかしくない。
憂慮すべきは、映像的に「見た目が厳しい」というそれだけの理由で、本当に声もテクニックも表現力も備えた優れた歌手達が埋もれてしまっているのではないかという点である。
このライブにおいて主役ヴィオレッタを演じるパトリツィア・チョーフィもまた、声やテクニックはもちろんのこと、容姿・スタイル・演技力を兼ね備えた非の打ちどころのないプリマぶりである。
現代の高級コールガールらしさを醸し出す肌も露わな黒い下着姿を臆するところなく大胆に披露する一方で、二幕でアルフレードとの穏やかな田舎生活を満喫する素朴で純粋な女性もすこぶる好ましく演じている。舞踏会会場でアルフレードに札束を投げつけられ売女扱いされるシーンの凍りついた表情や抑制された動きなどは、まるでニコール・キッドマン主演の恋愛映画を観るようで、オペラが歌の芝居であることをつい忘れさせる。声楽的には、ドラマティックな強さにやや不足しているような気もするけれど、補ってなお余りある美貌と演技。これ以上要求したら罰が当たる。
現代の高級コールガールらしさを醸し出す肌も露わな黒い下着姿を臆するところなく大胆に披露する一方で、二幕でアルフレードとの穏やかな田舎生活を満喫する素朴で純粋な女性もすこぶる好ましく演じている。舞踏会会場でアルフレードに札束を投げつけられ売女扱いされるシーンの凍りついた表情や抑制された動きなどは、まるでニコール・キッドマン主演の恋愛映画を観るようで、オペラが歌の芝居であることをつい忘れさせる。声楽的には、ドラマティックな強さにやや不足しているような気もするけれど、補ってなお余りある美貌と演技。これ以上要求したら罰が当たる。
舞台を現代の大都会(マンハッタンあたりか)に移して、ソドムのごとき快楽と欲望と退廃とに溺れる人々を背景に、男に高く身を売ることで、癒しようのない孤独や絶望を慰める一人の‘道をはずれた女(ラ・トラヴィアータ)’を描く演出が冴えている。
つまり、作曲当時(19世紀半ば)から時代は変遷し、‘道をはずれ’孤独と絶望に苦しむのは、‘大きな物語’が瓦解したあとの物質主義を生きるすべての現代人の宿命となった。
ヴィオレッタはその象徴なのである。
つまり、作曲当時(19世紀半ば)から時代は変遷し、‘道をはずれ’孤独と絶望に苦しむのは、‘大きな物語’が瓦解したあとの物質主義を生きるすべての現代人の宿命となった。
ヴィオレッタはその象徴なのである。