仏陀の脳 著者のリック・ハンソンは神経心理学者、リチャード・メンディウスは脳神経学者である。この科学者二人が本書で目指したのは、「満足感や親切心、心の平安などを生み出す神経回路をいかにすれば活性化できるかを、最新の脳科学の知見に基づいて明らかにし、実際の手法と一緒に提示すること」である。(イントロダクションより)
 すなわち、ブッダのような脳を持ち、ブッダのように安らいで幸福に生きるにはどうすればよいかを、科学的な知見をたよりに説明、披露している。

 内容的には、巷にあふれているスピリチュアル本とさして変わらない。
 「自分自身への思いやりは苦悩を和らげる」とか、「良いものを取り入れるのは大切なことだ。それは肯定的な感情を育み、あなたの心身の健康に多くの益をもたらす」とか、「あなたにとっての聖域やエネルギーを充電できる場所に、避難所を見出してもらいたい」とか、効果的なコミュニケーションのポイントとか、冥想の効用とか、この手のものを読みなれている人にとっては(自分だ!)、何も目新しいものはない。
 この書がそれらたくさんのスピリチュアル本と違うのは、上記のような言説の根拠として科学を持ち出しているところにある。

 あなたの心の中で起こることは一時的にも、永続的にもあなたの脳を変える。ともに発火する神経細胞はつながり合う。あなたの脳内で起こることは、あなたの心を変える。なぜなら、脳と心は一つの統合されたシステムだからだ。

 現代人は科学に弱い。統計数字やデータを持ち出されると、安易に信用する傾向がある。ダイエットや化粧品のCMを見ても、白衣を着た医学博士のお墨付きがいかに商品の効能に関する信頼性を視聴者に呼び起こすか分かろうものである。
 それだけに科学を悪用すると恐いことになる。公的機関の出す統計やグラフなどは、裏に何らかの魂胆が隠されていることがあるので(例えば、官僚達が天下りする先の法人をつくるためのありもしない問題のねつ造など)、気をつけて見ていかないとだまされる可能性がある。メディアリテラシーは市民の必須科目である。

 ま、しかし、宗教含めスピリチュアル的なものに対して、「うさんくさい」「あぶない」「女子供の暇つぶし」「偽善っぽい」「絵空事」etc.といったイメージを抱いている人間が、科学的な裏付けにより少しでも見方を変えることにつながるのであれば、結構なことである。
 そして、物理学にせよ、脳科学にせよ、心理学にせよ、最新の科学の指し示す方向が仏教に近接してきていることはどうやら間違いないようである。

 この本でもっとも興味深い部分は「自己」の存在基盤に関しての記述であった。

 要するに、神経学的な観点から言うと、統一された自己という日常的な感覚はまったくの幻想だということだ。一見、一貫して固定されているかに見える「わたし」は、実際には、発達する過程で、固定された中心をもたない下位システムやそのまた下位のシステムによって作られる。経験の主体が存在するという基本的な感覚は、無数のさまざまな主観的な経験の瞬間によって作り上げられるのだ。

 脳の中では、自己に関連する活動は統一されずに、妨げられ、混合される。それらは一時的で変わりやすく、持続しない。また、状況の変化に左右される。単に自己感覚があるから自己が存在するとは言えないのだ。実のところ、自己とは虚構の人格なのである。なぜそのような人格が必要なのかと言うと、ときに現実であるかのように振る舞うことが有益だからだ。したがって、必要な時にはどうか自己の役割を演じてもらいたい。ただし、世界とダイナミックに絡み合った一人の人間としてのあなたの方がどんな自己よりも生き生きとして興味深く、有能で非凡だということを忘れないでもらいたい。

 
 明らかに仏教の無常論、無我論である。
 このブログでも取り上げた前野隆司氏の著書『脳はなぜ心をつくったか』(参照→http://blog.livedoor.jp/saltyhakata/archives/4977087.html)でもほとんど同じ結論に達している。


 スピリチュアルの世界で良く言われる言葉がある。
 「自己がなければ、問題もない。」


 自己は問題を必要とする。問題に依存する。
 生き続けるために、ありもしない問題を立ち上げて、それから解決するための主体の存在意義を強調する。
 自己とは、天下り官僚みたいなものかもしれない。