ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

ベートーヴェン

● アンダンテ・モリオカーノ 都民交響楽団 2017年特別演奏会 :『ベートーヴェン《第九》』

日時 2017年12月24日(日)13:30~
会場 東京文化会館大ホール(東京都台東区)
曲目
 ワーグナー/歌劇『タンホイザー』序曲
 ベートーヴェン/交響曲第9番 ニ短調 「合唱付き」 作品125
独唱
 ソプラノ:文屋 小百合
 アルト :管有 実子
 テノール:渡邊 公威
 バリトン:大山 大輔
合唱 ソニー・フィルハーモニック合唱団
指揮 末廣 誠

 今年最後の演奏会はお決まりの《第九》である。
 クリスマスイヴの日曜日。パンダでにぎわう上野公園。人波は覚悟していたが、曇りがちで寒かったためか、思ったほどの混雑でなかった。


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東京文化会館


 会場はほぼ満席だった。前から4列目の席だったので、最初から最後まで全身で音を浴びているようであった。
 都民交響楽団の実力は折り紙付き。安心して聴いていられる。あまりに安心しすぎたのか、『タンホイザー』も『第九』も途中で意識が遠のいた。めずらしいことである。一年の疲れが出たのかしらん?
 合唱のソニー・フィルは、ソニーグループの社員およびOB・OG、家族らにより構成される合唱団で20年以上の歴史がある。これが圧巻の上手さだった。世界のSONYとしてのプライドと愛社精神を基盤とした団結力、週一回行っているという練習の賜物であろう。これほど四声(テノール、バリトン、ソプラノ、メゾソプラノ)のバランスが拮抗&均衡して、合唱の面白さを引き出している《第九》を聴くのははじめてかもしれない。とりわけ、テノールパートはたいていの場合、人数が少ないのと高音がつらいのとで客席まで声が届くのはまれなのであるが、今回は非常によく響いていた。

 今回の《第九》のポイントは、何と言っても第3楽章であった。
 「アダージョ・モルト・エ・カンタービレ」(歌うように、非常にゆっくりと)
 「アンダンテ・モデラート」(ふつうに歩く速さで)

という指示を与えられている第3楽章は、全曲中もっともテンポが緩やかで、まったりしている。ここは癒しと安らぎの章である。現世的なストレスと気ぜわしさに満ちた第1、第2楽章から曲調は一転し、心はしばし天上にたゆたう。第4楽章の歓喜の爆発を前に「嵐の前の静けさ」とも言える平和と安息を十分味わい、怒涛のクライマックスに備える。たとえベートーヴェンの指示がなくとも、どの指揮者も第3楽章をゆっくりと演奏することだろう。
 今回の末廣の挑戦は、これまでソルティが聴いた《第九》の中でも、もっともテンポの遅い第3楽章であった。あの譬えようもなく美しいメロディラインが間延びして崩壊するのではないかと思うギリギリの線だった。つまり、ある歌をあまりにゆっくり歌い過ぎると、なんの歌かわからなくなるという現象と同じである。危険な挑戦だが、これが可能なのは《第九》があまりにも有名で、あまりにも耳馴染んでおり、第3楽章の甘美そのもののメロディをほとんどの聴衆がこれまでに何度も聴いて、すっかり諳んじているからだろう。速度を落としてもメロディラインは把握できるのである。(今回はじめて《第九》を耳にした人がどう感じたかは微妙である)

 このアンダンテ(歩く速さ)で思い出したのは、盛岡人のことである。
 20代を東京で過ごしたソルティは30歳を前に仙台に移住したが、その際驚きをもって発見したのは「仙台人の歩く速さは東京人の歩く速さの半分。つまり2倍遅い!」ということであった。
 だいたい宮城県民は休日になると家族や友人らと仙台の街中に出てきて、アーケード商店街をぶらぶら歩くのが一番の娯楽なのである。基本歩行者天国なので、横に広がって連れとワイワイおしゃべりしながら、気になった店をのぞき込み、途中のベンチで休憩し、何にせかされることなく暇つぶしするのである。ソルティも半年くらいでその速度に馴染んで、仙台の街を楽しむようになった。たまに用事で東京に出ると、東京人の歩く速さに逆に吃驚する、というか恐怖を感じるまでになった。池袋や新宿の雑踏で他人とぶつからないで歩く能力を喪失してしまったのである。

長野パワースポットツアー2012夏 034
仙台市街


 数年経って、すっかり仙台人化したソルティは用事があって盛岡に行った。そして、盛岡随一の商店街を歩いて、また驚いたのである。
「盛岡人の歩く速さは、仙台人の半分。つまり2倍遅い!」
 つまり、盛岡人は東京人の4倍、歩くのが遅い。
 これは県民性・地域性の違いもあるのだろうが、単純に、盛岡随一の商店街(目抜き通り)は仙台人の速さで歩くと「あれれ?」という間に終わってしまう、東京人の速さで歩いたら瞬時に終わってしまうというところに主たる原因はあろう。(今は盛岡の街も随分発展していると聞いた)

 何の話をしていたんだっけ?
 ああ、《第九》の第1楽章や第2楽章が「東京人の歩く速さ」だとしたら、第3楽章は「仙台人の速さ」、そして本日の末廣の第3楽章は「盛岡人の速さ、というか遅さ」と感じたのである。
 そのスロウなペースがどういう効果をもたらしたか。
 タメをつくってメロディラインの美しさを強調し聴衆を陶酔させるためでないのは、上に書いたとおりである。それなら、メロディ崩壊のリスクを生むまで遅くする必要はない。
 ソルティがなにより感嘆したのは、このゆっくりした盛岡テンポによって明瞭に開示された、第3楽章の構成の巧みさ、それぞれの楽器の特色を最大限生かしたオーケストレーションの繊細さと諧謔味とウィット(才知)、つまるところベートーヴェンの天才であった!
 美しいメロディラインという長所は、そこにのみ聴き手の関心を引き付けてしまい、かえって上記のような細やかでユニークな工夫を見逃してしまうという短所にもなりうる。新幹線の車窓から見る富士山がいかに美しかろうが、鈍行列車の車窓から見る富士山のほうが味わい深いのと同様である。速度を落としたところではじめて見えてくるものがある。
 そういった意味で、今回の末廣の第3楽章は数年前に聴いたロジャー・ノリントンのピリオド奏法の《第九》を想起させるものであった。
 考えてみれば、ベートーヴェン時代のドイツ人の「歩く速さ」は現代人より相当遅いだろう。アンダンテ・モリオカーノが正解なのかも・・・。(ただ、逆に今回の第4楽章のラストは東京人を軽く追い越す加速度付きハイスピードで、会場の撤収時間が迫っているのかと思うほどだった
 
 のんびりと街を歩く盛岡人の眼に映る風景が、目的地に向かって一心不乱に歩く東京人の眼に映る風景より、豊穣で味わい深いのは間違いあるまい。


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盛岡夜景



 
 

● 「運命」の対義語 : フィルハーモニア・ブルレスケ第14回定期演奏会

日時 2017年7月15日(土)19:00~
会場 杉並公会堂大ホール
曲目
  • マーラー:交響曲第10番より「アダージョ」
  • チャイコフスキー:交響曲第5番
指揮 東 貴樹

 入場時にもらったプログラムや他の催し物の案内チラシを客席で読みながら開演を待つひとときは、クラシックコンサートに限らず、ライブにおける至福の瞬間と言っていいだろう。
 最寄りの喫茶店で軽く腹ごしらえをすませ、開演20分前に会場入りし、すいている1階席前方に陣取り、おもむろに本日のプログラムを開いて、思わず唸った。
 チャイコフスキー5番の曲目解説の冒頭文に、である。

 先日、高校生から突飛な質問を受けた。いわく、「『運命』の対義語ってなんですか」。この世の全てが既に決定されている必然だったのならば・・・私たちは運命に抗えず、運命の対義語は生まれ得ないのではないか、と言うのである。

 ブルレスケのトロンボーン奏者である木戸啓隆という人がしたためたこの一文にソルティが唸ったのは、上記の文章がまさに先日書いたばかりの記事『1/fの希望」に重なるからである。
 これはシンクロニシティなのか。運命の必然なのか。あるいはソルティの無意識の策略なのか。
 なんだか‘何者か’によって操作されているような気分になったことは確かである。
 それにしても、なんとも凄い高校生がいたものだ。
 太宰治予備軍か?

ブルレスケ


 木戸がそのように文章をはじめたのは、チャイコフスキー交響曲第5番が、ベートーヴェン交響曲第5番同様に、まさに「運命」をテーマにしているからである。人間が不条理なる運命にどう翻弄され、傷つき、苦悩するか。どう希望を持ち、抗い、連帯し、克服しようと努めるか。どう挫折し、落胆し、絶望し、すべてを「無」に帰す死へと押し流されていくか。そこに救いはないのか。これがテーマなのである。
 であるから、5番を聴くとチャイコフスキーの運命観がどのようなものかを垣間見ることができる。理不尽で残酷な運命とどう向き合おうとしたか、5番を作曲した時点でどんなふうに受けとめていたか、を伺うことができる。聴く者はチャイコフスキーの苦悩多き人生に思いを馳せる。何と言っても、26歳から52歳までの26年間に12回の鬱病期を経験し、53歳でスキャンダルにまみれた不慮の死を遂げた人である。

 少し長くなるが、木戸の文章を引用させてもらおう。

 最終楽章については思うところがある。「運命のテーマ」が輝かしい長調となって鳴り響く冒頭。そのテーマは終盤で凱歌として復活する。私たちは、運命に対する人間の勝利をそこに聴く。しかし、響きこそ長調になってはいても、その姿は不条理を示す「運命のテーマ」なのだ。さらに、作品は3連音が叩きつけられて終わる。(作曲者が死を歌った交響曲6番の3楽章でも、同じ終結が用いられている)。またチャイコフスキーが遺したスケッチには、「運命の前での完全な服従」、「いや、希望はない」といった言葉が並んでいる。これはいったいどういうことなのか。勝利を歌うフィナーレにて、私たちがおぼえる確かな高揚は、もしやミスリードなのだろうか?そもそも冒頭の質問通り、人間が運命に打ち克つことなど可能なのか?

 5番に続けて作られた6番『悲愴』とその数日後に訪れた死を思うとき、ソルティはチャイコフスキーが「運命に打ち克った、苦悩から脱する道を発見した」とはとても思えないのである。もちろん、死の直前に彼がどういう心境にあったかは知るところではないが。

 本日のもう一つの曲目である『マーラー交響曲10番』もまた、えらくネガティブなテーマを持っている。
 マーラーの死により第1楽章のみで未完に終わってしまったこの交響曲の構想は、ダンテ『神曲』ばりの「地獄」なのである。第3楽章「煉獄」の五線紙には「慈悲を!おお、主よ!何ゆえにわれを見捨てたまいしか?」と、第4楽章には「悪魔はわたしと一緒に踊る・・・狂気がわたしを捕らえ、呪った・・・わたしであることを忘れさせるように、わたしを破滅させる」と作曲者自身の手によって書き込まれている。
 数々の傑作を生み出し、成功と栄誉と財産と世にも稀なる美女アルマを手に入れたマーラーでさえ、晩年には『第九』のような喜びの調べを奏でることができなかったのである。(本日のプログラムはその意味で強烈に‘後ろ向き’というか重苦しいライナップである。そこにソルティは惹きつけられたのか?)

 古典派のベートーヴェンと、ロマン派のチャイコフスキーやマーラーを分け隔てるものは何か。それぞれの作曲家の個性をとりあえず脇に置けば、「神への信仰」ってことになるのではなかろうか。
 次の年表を見てほしい。
 1824年 ベートーヴェン交響曲第9番初演
 1859年 ダーウィン『種の起源』発表(進化論)
 1885年 ニーチェ『ツァラトゥストラ、かく語りき』発表(神は死んだ)
 1888年 チャイコフスキー交響曲第5番初演
 1889年 マーラー交響曲第1番初演
 19世紀後半はヨーロッパが「神」の存在に疑義を呈し、キリスト教信仰が揺らぎ、神の支配から脱し「自己」の確立へと向かい始めた時代だったのである。同性愛者であったチャイコフスキーなぞは、そうでなくとも「神」を信じることが難しかったであろう。
 「不条理な運命」も神意や天命と取れば人はどうにか受け入れ生きていけよう。だが、そこに神がいないのならば単なる「苦しみ」である。もはや神への‘明け渡し’は叶わずに、苦しむ「自己」ばかりが肥大する。近代人の苦悩である。
 
 さて、木戸はこう続ける。
 
 最初の話に戻らせてもらおう。私は「運命」の対義語は、「意思」だと考えている。確かに不条理な世界の中で、私たちは時に絶望する。しかし人間が内に秘めた「運命を乗り越えようとする意思」だけは、運命そのものに支配されないはずだ。
 
 確かに、ベートーヴェンもチャイコフスキーもマーラーも不条理なる運命を乗り越えようとする大いなる意思のもとに、後世に残る素晴らしい芸術作品を創造し得たのであろう。いや、人間のあらゆる営為は、さらに言えば人類の歴史そのものが、運命に対する抵抗の記録なのかもしれない。
 だが、くだんの高校生がもし前野隆司の「受動意識仮説」を知っていたら、こう言い返すかもしれない。
 
「意思もまた運命の一部ではないでしょうか?」
  
 前野説にしたがえば、意思は実体のない幻覚であり、無意識という名の‘運命’に組み込まれた、気晴らしのごときオプションに過ぎない。「自己=私」は幻覚である。
 
 ソルティなら高校生にこう答えるだろう。

「運命の対義語、それは‘悟り’じゃないかな」

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 ブルレスケの演奏は、気迫と情熱のこもった若さ漲るものであった。特にチャイコの5番はその真摯なまでのひたむきさに胸が熱くなった。テクニックは抜きん出ているわけではないが、奏者の思いが伝わる演奏で好感が持てる。
 
 チャイコフスキーは‘個人的には’自分は運命に屈したという思いを抱いていたかもしれない。でも、こうやって死後100年以上過ぎても作った曲が世界中で愛され、演奏され、人びとにパワーと感動を与え続けている。それを思うとき、‘人類史的には’「不幸な人生」とはほど遠いところにいるではないか、運命は彼を偉大な人間に仕立て上げたではないか、と思うのである。

 もしかしたら、運命の同義語も‘悟り’なのかもしれない。












 




 

● フロイデ雑感2 本:『《第九》虎の巻 歌う人・弾く人・聴く人のためのガイドブック』(曽我大介著)

 《第九》も二度目の参加となると、気持ちの上で余裕が出てくる。
 一度目は覚えるのに精一杯だったドイツ語の歌詞――とくにドイツ語を含むゲルマン語に特有のウムラウト(変母音)の発音――についても、歌いこんでいくうちに口馴染んで、しまいには諳んじられるまでになった。
 すると、歌詞の内容にも思いが及ぶようになった。

 今度の指揮者が曽我大介であることも大きい。
 曽我氏(1965年生まれ)は、《第九》に相当入れ込んでいるらしく、2012年に音楽之友社から世界初の合唱する人に焦点を当てた「《第九》合唱譜」を制作している。

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 今回、自分が使ったのもこれである。
 他の指揮者と較べるほどの知識や経験はないので、はっきりしたことは言えないが、曽我氏がドイツ語の発音や文法上の区切りや詩の効果としての脚韻、すなわち言葉を非常に大切にしていることは、実際の指導においてビンビン感じとることができた。(この人は比喩がとてもうまい。ユニークで面白くて的確な比喩で曲を理解するきっかけを与えてくれる。)
 曽我氏はまた、同じ音楽之友社から2013年に『《第九》虎の巻 歌う人・弾く人・聴く人のためのガイドブック』という本を出している。
 まさに《第九》のオーソリティなのである。

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 20年前に歌った時は、「喜びを歌っているんだなあ。世界平和を希求しているんだなあ」くらいの大雑把な把握で、一つ一つの単語や詩句にたいした注意を払わなかった。
 今回は、もう少し《第九》を深く知ろうと思い、上記の本を読んでみた。

 《第九》という小宇宙を前にしてこの総譜を読み取ろうとする時、もちろん楽譜自体も色々なことを教えてくれますが、《第九》を取り巻く様々な世界を知ることによって、その知識が光となって総譜を後ろから照らしてくれるのです。・・・・・《第九》にまつわる世界の知識を深めることは、演ずるものの表現にその知識によって制限をかけるのではなく、より豊かな可能性を示してくれるものだと思うのです。(上掲書より抜粋)

 と、前書きにあるように、《第九》をより深く楽しく聴き、より豊かに正しく歌いor弾き、ベートーヴェンの偉大さを改めて感じるような内容となっている。
 第2章では、実際に《第九》を歌う人のために、五線譜付きのきめ細かい歌い方のレッスン(攻略法)もある。舞台に立つ上での懇切丁寧なアドバイスまで載せている。
 ほかにも、興味深いトリビア満載で、読み物としても面白いものになっている。
 例えば、
○ Symphony(シンフォニー)を「交響曲」と訳したのは、森鴎外である。
○ 現代に至るまでの《第九》演奏の方向性を決定づけた(改変した)のは、ワーグナーである。その主な特徴として、①楽器の追加によるメロディラインの強化、②細かなテンポの変化や強弱の指示、フレーズの区切りの明確化、が挙げられる。(このある意味ベートーヴェンの意図からは‘逸脱した’流れを原点に戻そうとする動きが、ロジャー・ノリントンに代表される「ピリオド奏法」なわけである。)
○ 日本における《第九》の初演は、1918年6月1日、徳島県鳴門市にあった坂東捕虜収容所におけるドイツ人捕虜たちによるものであった。このエピソードは映画『バルトの楽園』(出目昌伸監督、2006年)で描かれている。
○ 世界で一番多くのコンサートで《第九》を演奏しているのは、コバケンこと小林研一郎である。
○ ベートーヴェンはコーヒーを淹れるときに、一人当たりコーヒー豆を必ず60粒数えた。
等々。

 さて、当然、この本には《第九》の歌詞が載っている。(番号はソルティ付す)

1.おお友よ、これらの調べではない!
 我々はさらに心地よく、
 喜びあふれる歌を歌おうではないか

2.歓喜よ!神々の麗しき霊感であり
 エリューシオンの乙女(である歓喜)よ、
 (歓喜の)女神よ、我らは燃える胸を躍らせながら
 君の聖域に踏み入る
 
3.君(歓喜)の柔らかな翼の下
 時流が強く切り離したものを
 君の不思議な力は再び結び合わせ、
 すべての人々は兄弟となる
 
4.真の友を得るという
 大きな成功を収めた者、
 心優しき妻を得た者も
 そうだ、地上にただ一つの魂でも
 我が物であると呼べる者たちも
 彼の歓声に合わせよ
 そしてそれがどうしてもできなかった者は
 この集いから泣きながらそっと立ち去るがよい
 
5.すべての生き物は
 自然の乳房から歓喜を飲み、
 すべての善人とすべての悪人は
 歓喜のバラ色の道をたどる。
 
6.喜びは口づけと葡萄酒と 
 死の試練を受けた友を我々に与えた
 虫けらにはただの快楽のみが与えられた、
 しかし智天使ケルビムは神の御前に立つ(喜びが与えられたのだ)
 
7.華麗なる天空を
 天の星々が朗らかに飛びゆくように、
 勝利に向かう英雄のように喜々として
 仲間たちよ、自らの道を進め
 
8.抱き合え、諸人!
 この口づけを全世界に!
 仲間たちよ、この星空のかなたに
 必ずや心優しき父なる神が住むにちがいない。
 
9.諸人よ、ひざまずいたか?
 世界よ、創造主を予感するか?
 星空の彼方に彼(創造主)を探し求めるのだ!
 星々の上に彼は必ず住んでいるにちがいない。

 一読するまでもなく分かるのは、これがもろキリスト教の宗教観を根底としているということである。《第九》の初演は1824年。コペルニクスの地動説こそ唱えられていたものの進化論にはまだ早い。まだまだキリスト教的世界観は広く深く強く西欧を覆い尽くしていたであろう。
 その点だけでも、2015年に生きる日本人がこの詩を十全に理解できるとは思われないのである。ドイツ語のできない自分が《第九》を歌うのは、譬えてみれば、日本語のできないドイツ人が結婚式で『高砂や~』を披露するようなものかもしれない。
 たとえば、第6節に登場する「死の試練を受けた友」とは何のことだろう?
 人間のモータル性――神と対照的に「死すべき運命にある」という古代ギリシア的人間観――を意味しているのだろうか?
 それもあるのかもしれない。
 だが、キリスト教の真摯な信者であればすぐにピンと来よう。
 これは、十字架に掛けられたイエス・キリストのことであろう。であればこそ、その直前の「口づけ(=ユダへの接吻)」「葡萄酒(=キリストの血)」の連関が見えてくる。

 まあ、「唯一神」も「魂の存在」も信じないテーラワーダ仏教徒であるソルティには、はなから理解できない(理解しても仕方のない)世界である。
 が、看過できない部分もある。
 第4節である。
 
 真の友を得るという
 大きな成功を収めた者、
 心優しき妻を得た者も
 そうだ、地上にただ一つの魂でも
 我が物であると呼べる者たちも
 彼の歓声に合わせよ
 そしてそれがどうしてもできなかった者は
 この集いから泣きながらそっと立ち去るがよい

 これはある意味、「村八分」「いじめ」の宣告である。
 親友も愛妻も得られなくて孤独に苦しんでいる人に対して、「この集いの場から出て行け」という、生傷に塩を擦り込むようなマネをしている。続く第5節で「すべての悪人」も「歓喜のバラ色の道をたどる」と言っているところをみると、「孤独な人間は悪人より天国に遠い」とみなしているようにも思える。(悪人正機説?)
 歌っていても気分の良ろしくない箇所である。ドイツ語だからいいようなものの、日本語でこれを歌うならば、自分は参加しないか、この部分は口を噤むであろう。(ベートーヴェンはこの部分をピアニシモにしている。)
 曽我大介氏も同様な思いがあるようで、「この部分の歌詞は個人的に抵抗がある」と上掲書で述べている。
 いったい、ベートーヴェンはどういう思いでこの歌詞を採用したのだろうか?
 《第九》の歌詞の原典は、いわずと知れた同時代の花形詩人フリードリッヒ・シラー(1759-1805)の頌歌『歓喜に寄せて』である。シラーは、こういう無慈悲なことを「しらーっ」とした顔で言える人間だったのか?
 
 上掲書には、シラーの詩の全文が掲載されている。
 自分ははじめて全部を読んだのだが、これがビックリするような革新的な内容なのである。
 まず第一に、長い!
 全9節からなる100行以上に及ぶ長大な詩であり、ベートーヴェンが《第九》に採用したのは、そのわずか3節のみ、冒頭の1/3だけなのである。
 次に、そのテーマであるが、むろん「歓喜」は多様に謳われている。
 しかるに、ベートーヴェンが取り上げなかった詩の後半(第6節以降)は、むしろ「許しと慈悲」が主要テーマなのだ!

 人が神々に報いることはできない、
 しかし彼らに倣おうとするのは素晴らしい
 悲嘆する者も貧しい者もこぞって出て来い、
 恨みや復讐は忘れてしまえ、
 我々の宿敵でさえ許すのだ、
 涙を彼に強いるな
 彼に懺悔を求めるな。

(合唱)我々のブラックリストは破いてしまえ!
 和解を全世界に!
 兄弟(同胞)よ――星空の彼方では
 我々が裁くように、神が裁いてくれる

 圧巻なのは最後の節である。 

 暴君の鎖に助けを、
 罪人にも寛大さを、
 死の床には希望を
 極刑には慈悲を!
 死者たちもまた生きるのだ!
 兄弟よ 飲み、そして調べを合わせよ、
 すべての罪人たちは許されるのだ、
 そして地獄はもはやない

 すごいではないか!
 アムネスティの綱領もかくやとばかりの寛容性、人権感覚、そして現代性である。と同時に、やっぱり‘真の意味での’キリスト教原理主義の発露、すなわち「汝の敵を愛せよ」の精神である。
 27歳のときにこの詩を発表し若者たちの熱烈な支持を得たシラーは、40歳になってから「この詩は若気の至り」と言って最後の節を削ってしまった。なんだか考えさられるエピソードである。SEALDsの活動を快く思わぬ元全共闘のオヤジみたいな感じか・・・。
 
 それはともかく。
 シラーの詩の全部を読めば、先にあげた《第九》の歌詞の第4節の無慈悲さも緩和される。「すべての罪人たちは許されるのだ、そして地獄はもはやない」とまで言っているのだから、孤独な人間もその中に入っている。村八分されているわけではない。
 そもそもこの詩を頌歌というのは、発表当時、実際に曲をつけて歌われていたからである。形として「集いの歌」となっているように、居酒屋などでミューズ(詩神)の霊感を受け感極まった一人が立ち上がって独唱し、それに他の酔客たちが応えるように合唱するという、仲間同士の交歓を寿ぎ、絆を確かめる歌なのである。
 だから、孤独を愛好し一緒に唱和する気のない者はこの盛り上がりにふさわしくないから、祝いの酒がまずくなるから、「そっと泣きながら出てゆけ」ということになる。つまり、仲間同士の結束と友愛の素晴らしさ(とみんなで酒を飲む楽しさ)を反語的に称え上げるために、村八分的存在をつくりあげたとみることができる。
 要は、シラーに関して言えば、この一節をそれほど真剣にとらえる必要はないということだ。
 不思議なのは、なぜベートーヴェンが、長大なほかにカッチョいい部分のたくさんある詩の中から、わざわざこの一節を選んだのだろうという点である。
 親友もなく心優しき妻もいない中年男が、孤独と無聊を慰めるために年末に《第九》のコンサート会場に来たところ、舞台上の合唱団全員からこう突きつけられるのだ。
「親友も心優しき妻もいない孤独なお前は、この場から立ち去りなさい」
 客席の半分以上は空になることだろう(笑)。
 しかも、第4節の「心優しき妻を得た者」の中に当のベートーヴェンは入っていない。彼は生涯結婚が「どうしてもできなかった」一人である。(ソルティよ、お前もだ。)
 自分を揶揄するような、貶めるようなフレーズを、なぜわざわざ採択したのだろう?
 自虐?
 不思議である。
(単に、この部分が音楽的に語呂が良かっただけなのかもしれないが。)

 ‘若気の至り’という観点からすれば、ソルティ自身はむしろ、シラーの削られた最後の一節よりも、この《第九》の第4節のほうが未熟な気がする。
 自分たちの絆(=仲間意識)を強めるために‘村八分’をダシにするという点でもそうだが、親友であれ、愛妻であれ、他人の魂を「我が物とする」という思考が幼稚でついていけない。魂の存在を信じるか否かは別として、他人の心や魂はその人自身のものであって、いくらそれが愛し合う関係であったとしても他人の所有物ではない。
 --というのが現代を生きる大人の常識であろう。
 

《つづく》   
 

● 仏の受難:ベートーヴェン交響曲第3番「英雄」ほか(曽我大介指揮、練馬交響楽団)

日時 11月15日(日)14時~
場所 練馬文化センター大ホール
演目 チャイコフスキー:祝典序曲「1812年」(合唱付)  
    ベートーヴェン:交響曲「ウェリントンの勝利」作品91
    ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調「英雄」作品55
指揮 曽我大介
演奏 練馬交響楽団
合唱 一音入魂合唱団

 最近知り合った人から、このコンサートのチケットを譲り受けた。
 自分から選んで行ったわけではなかったので、「英雄」以外のプログラムについては会場に到着するまで知らなかった。3曲とも生で聞くのははじめてであった。 

 3つの曲に共通する人物は誰か?
 ――ナポレオン・ボナパルトである。

 チャイコフスキー「1812年」は、ナポレオン率いる無敵のフランス軍を、ロシア軍が「冬将軍」の助けを借りて打ち破った歴史的な戦い(の年)を祝う曲。70年後の1882年に作られた。
 ベートーヴェン「ウェリントンの勝利」は、やはり1812-13年にイギリスの軍人アーサー・ウェルズリー(ウェリントン公爵)が、ポルトガルやスペインにおいてナポレオン軍を次々と撃破した勲功を讃え、1813年12月にベートーヴェンが発表した作品である。
 ベートーヴェン(1770-1827)とナポレオンは同時代の人間だったのだ!
 有名な交響曲第3番「英雄」(1804年作曲)のモデルはナポレオンと言われるように、ベートーヴェンはもともと、フランス革命のスローガン「自由、平等、友愛」を体現する象徴的人物として、ナポレオンを崇拝していた。が、ナポレオンが皇帝(独裁者)になったという知らせを聞いて、激怒し、幻滅し、反ナポレオン派になったようである。

 3曲に共通するのはナポレオンであり、フランスの栄光と敗退の軌跡である。
 プログラムの構成として面白いが、何より感じ入ったのは、今この時期、フランスの受難を表現する楽曲が演奏され、それを聴く機会を持ってしまった因縁である。
 むろん、プログラムを決める時点では、ISによるフランスでの同時多発テロなど想像もしなかったであろう。ほんの数日前まで、「今回のプログラムはナポレオンで統一」というのは、単なる練馬交響楽団あるいは曽我大介の趣向に過ぎなかったに違いない。
 それが、突然、ビビッドに、リアルになってしまったのである。
 今日、このプログラムに接する聴衆は、フランスのテロ事件と離れて演奏を聴くことはできなくなってしまった。
 しかも、チャイコフスキー「1812年」の主要旋律は、全体主義国家を崩壊させようと目論むテロリストの活躍を描いた映画『Vフォー・ヴェンデッタ』(ジェームズ・マクティーグ監督、2005年)のテーマ曲である。映画の中で主人公の謎の男“V”が常時被っていたガイ・フォークスの仮面こそは、国際ハッカー集団‘アノニマス’が好んで身に着ける、反逆の象徴である。 
 つまり、映画『Vフォー・ヴェンデッタ』を観たことのある者ならば、チャイコフスキーの「1812年」を聴いて「テロリズム」を想起せずにいられるわけがない。(もちろん、自分は観ている)

ガイ・フォークス仮面


 クラシック音楽は「古典音楽」と訳され、ともすると箱書きの付いた桐の箱に入っている骨董品のように扱われがちである。
 が、作曲された当時、演奏されたリアルタイムにおいては、時代の証言であり、その時代を生きる人間の思想表現かつ感情表現だったのである。19世紀初頭の西欧人の多くは、ベートーヴェン同様、ナポレオンの出現を寿ぎ、その活躍に喝采を上げ、「自由と平等と友愛」を希求しつつ、「英雄」を聴いた。ナポレオンがヨーロッパにとって危険な存在であると判明した後は、ベートーヴェン同様に、ロシア軍やイギリス軍の戦勝を心から喜び、「ウェリントンの勝利」を聴いた。(この曲はベートーヴェンの生涯における最大のヒット曲だったそうである。)
 音楽はまさに生きて、民衆と共にあったのである。
 「1812年」においても、「ウェリントンの勝利」においても、作曲家の指示として、曲中に実際の大砲の音が使われている。当時の聴衆に、どれだけビビッドに響いたことだろう!
 
 このようなプログラム構成を持った今回のコンサートが、仏のテロ直後の日本において、しかもパリに次いでISテロの標的になりうる可能性の高い“安部政権下の”東京において、ほかならぬ曽我大介――年末に国連難民援助活動支援チャリティコンサート「第九」を振る――の指揮で演奏されたという、驚くべきシンクロニシティ(共時性)を、なんと思うべきであろうか。そこにたまたま知人からチケットを貰った自分が居合わせたという偶然(=必然)をどう解釈したものか。
 
 なるほど、演奏自体は目覚しいものではなかった。
 全体に歯切れが悪かった。
 けれど、クラシックがこれほど‘リアルタイムに’響いた経験はかつてない。


 
 
 
 
 

● モーツァルトのような「第九」(ロジャー・ノリントン指揮、NHK交響楽団)

NHKホール 12月26日NHKホールにて。

 第九交響曲が人気あるのは、聴く人がそこにドラマを見るからである。
 特に、年末に第九を聴く慣習を持つ日本人は、自らの一年を振り返り、「今年も悲喜こもごもいろいろあったけれど、何とかこうして第九を聴くことができた」喜びを、第一楽章から第四楽章まで波瀾万丈たる人生ドラマを見るかのようなメリハリある第九の構成に重ね合わせ、しみじみと感動にひたるのである。終わりよければすべて良し。
 自分も年末に第九を聴くようになって20年近くになるが、それぞれの楽章に仮託するイメージは次のようなものである。

第一楽章  青春篇・・・情熱、激情、怒濤、野望、不羈、不安、迷い、孤独
第二楽章  生活篇・・・多忙、混乱、浮つき、拡張、華やぎ、活動、交流、雑踏
第三楽章  休息篇・・・夢、憧憬、逃避、回顧、癒し、眠り、甘美なる愛、田園
第四楽章  信仰篇・・・喜び、友愛、受容、厳粛、神秘、讃歌

 いわば「音楽」の中に「文学」を見ているわけである。


 ベートーヴェンがドラマ性を企図して第九を作ったのは間違いない。シラーの詩による合唱を付けたことは明らかに「喜び」というテーマを中核に据えたわけだし、第四楽章のはじまりで第一楽章、第二楽章、第三楽章それぞれの主題が低弦によって次々と否定されるところなどは、あたかもオーディションみたいで、吹き出してしまいかねないほどベタなドラマ性を感じる。
「情熱でもなく、活動でもなく、癒しでもなく、信仰と友愛こそ一番。時よ止まれ。お前は美しい!」
 おそらく日本人が第九の中に見ているのは、実はシラーでなくてゲーテ『ファウスト』なのだと思う。自分はそうである。
 たいがいの指揮者は、このドラマ性を最大限効果的に発揮するべく頑張って振っているのだと思う。聴衆もまた、もっともドラマチックに振ってくれた指揮者に桂冠を与える傾向にある。
「感動させてくれてありがとう」


 ロジャー・ノリントンは当夜のプログラムに寄せたエッセイの中でこう述べている。

 ベートーヴェンは「交響曲」というジャンルにドラマ性を持ち込んだ先駆者であり、それは第3番「英雄」に始まって、第5番「運命」や第7番へと発展しました(ある意味では第6番「田園」も仲間です。第9番「合唱付き」はその極めつけだと言えるでしょう。
 ドラマ性という要素は、19世紀に入ってから巻き起こるロマン派的な発想ですが、ベートーヴェンの面白いところは、作風が一貫して18世紀的であり、秩序と即興性を重視した手法が反映されているところなのです。つまり、ハイドンがちょっとばかりハイになったような感じだと言えるでしょうか。その上でドラマ性という、ロマン派のワイルドな部分も加味されていますから、とても独特なのです。
 古典派の音楽――ここではJ.S.バッハの後期からメンデルスゾーンに至る時代の作品を想定していますが――を演奏するにあたっては、ウィットと対話の重要性を理解しなくてはいけないでしょう(メロディは二の次だったのです)。


 この言葉が示すとおり、ロジャー・ノリントンの指揮はほとんどの第九指揮者が目指すものードラマ性の追求―とは対極にくるものであった。
 むろん、まったくドラマ性を無視しているわけではないが、ドラマチックな第九に聞き慣れてそれをもっぱら期待する耳にとって、ノリントンの第九は「なんとなくものたりない」感じがする。はぐらかされた感じ。欲求不満。


 自分のように何十回と第九を聞き続けている聴き手は、感動を与えてくれるツボというかサビの部分を熟知している。それはたとえば、第三楽章の甘美なメロディがそうであるし、第四楽章のテナーのヒロイックな独唱とそれに続くめまぐるしい弦楽器の奔流(フーガ)、しまいに三度のノックごとに転調し、
 フロイデ シェーネル ゲッテル フンケン トッホテル アウス エリィージウム
 (晴れたる 青空 漂う 雲よ)
 と、歓喜の歌の主題を合唱団全員が一丸となって歌うところである。
 こうしたサビの部分をいかに感動的に聴かせてくれたかが、その日のコンサート及び指揮者を評価するポイントとなるのである。
 だから、第三楽章なら、マーラーの交響曲第五番の第四楽章「アダージェット」同様、できるだけ音を引き延ばして緩やかなテンポでメロディの美しさを存分に味あわせてくれることを期待するし、歓喜の歌の大合唱の前の数小節は、歓喜の爆発が一層輝かしいものになるよう、できるだけ悲壮な荒れ狂った感じで一気呵成に聴かせてほしいと望むのである。

 しかし、ノリントンはこうした聴衆の期待をものの見事に裏切ってくれる。
 第三楽章は、いつものように椅子に体を深く沈めて陶酔感にひたる暇もなく、あっという間に終わってしまった。歓喜の大合唱の前の部分では、ここまで丁寧に音符を追わなくてもいいのに・・・と思うほど、一音一音丁寧に拾っていくので、全体の勢いが削がれてしまい、合唱の迫力が半減してしまった感じを受けた。

 全体こんな調子なのである。
 これまで聴いてきた第九とは根本的なところで違いがあった。
 演奏終了後の聴衆の反応も拍手喝采こそ大きかったものの、出口に向かう人々の会話の切れ端や表情には戸惑いが見られた。
 たとえば、これがコバケン(小林研一郎)だったら、帰りの客の表情はもっと晴れ晴れと満足感にあふれていただろう。
 「来年もいい年でありますように」

 だが、ノリントンはこう言う。

 「ベートーヴェンの意図に忠実なのは、私のほうですよ」


 鍵は「ピリオド奏法」という言葉にある。
 テンポや音の強弱、アーティキュレーション(音と音のつなげ方)を見直して、弦楽器はヴィブラートをかけないなど、作曲家在世当時のスタイルを再現する演奏方法を言うらしい。最初に挙げた「ウィットと対話の重要性」なんかもそれに連なるわけである。


 確かに、現代日本人が年末に聴いている「第九」と、19世紀初頭のドイツ人が聴いていた「第九」は違って当たり前だ。後者は前者ほどドラマにかぶれていなかった。どんなところにもドラマと感動を求める気質は、文学→映画→テレビによって洗脳された20世紀人の特徴であろう。(21世紀生まれの子どもはドラマ性を突き破るであろう) ベートーヴェンが狙ったドラマ性以上のものを、現代人は過剰に読み込んでいる可能性大である。
 そして、音楽が時代と共に生きる(生き残る)ということは、時代精神を身にまとうということである。我々現代人の聴く第九は、2度の世界大戦や原爆投下やチェルノブイリやベルリンの壁崩壊や貿易センタービル倒壊や福島原発臨界事故を経験した精神の聴く第九なのである。どうしたってでっかいドラマ性を内包せざるをえない。


 その意味でノリントンの第九は自分にとってはすこぶる刺激的であった。
 文学によって毒されてしまった第九が解放されて、ふたたび音楽の世界に見出されたのである。
 第四楽章の大合唱の前のフーガ部分を自分はいかに聴いていなかったか。そこをクライマックス(サビ)に至る前フリのようなものとして漠然とメロディを追うだけに終始し聞き流していたことに気づいたのである。ゆっくりとしたテンポで丁寧に一音一音が浚われた結果、この部分がいかに趣向を凝らし、様々な楽器の掛け合いも楽しく、カンディンスキーの絵のように豊かな表情と諧謔を持って作られているかを知ることになった。
 第九のすべてのフレーズがいかに作曲者のウィットと利発さとで彩られているか、すべての楽器がいかに生き生きとそれぞれの「喜び」を歌っているか、に気づかされたのである。第一楽章などはまるでモーツァルトの『ジュピター』を聴いているような軽みとスピード感と華やぎがあった。

第九看板 ドラマ性(文学)なしには第九は今日のような人気を得ることはなかったであろう。それは確かである。
 しかし、文学から解放された時、我々は音楽(音の楽しみ)をもう一度発見することができる。

 悩みと悲愴の権化であるベートーヴェンのイメージもなんだか少し変わった。


 来年もいい年でありますように。

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