すなわち、「幻影の人生」である。
まずはじめにブルーがいる。次にホワイトがいて、それからブラックがいて、そもそものはじまりの前にはブラウンがいる。
物語のクライマックス。緊張の一瞬。
それで俺は――俺は何のためにいたんだ? 息抜きのギャグか?違う、ブルー、私にははじめから君が必要だったんだ。君がいなかったら、私にはやりとげられなかっただろうよ。何のために俺が必要だったというんだ?自分が何をしていることになっているか、私が忘れないためにさ。私が顔を上げるたびに、君はあそこにいた。君は私を見張り、私をつけ回し、決して私から目を離さず、錐のようにその視線を私の中に食い込ませていた。いいかね、ブルー、君は私にとって全世界だった。そして私は君を、私の死に仕立て上げた。君だけが唯一変わらないものなんだ。すべてを裏返ししてしまうただ一つのものなんだ。
たとえば、ブラックは実はホワイトで、自分自身の監視をブルーに頼みつつ、ブルーについての物語を書いていたとか、ブラックとブルーの関係は小説家と編集者との関係を模しているとか、ブルーとは芸術家をして創作活動に従事せしめる‘着想’の擬人化であるとか、解釈は様々つけられるけれど、オースターの真意がどこにあるのか、はっきりとは指摘できない。
それが‘幽霊’の正体か。
と言っても、オースターが盗作しているとか、オリジナリティに欠いているとか言っているのではない。
創作物というのは、そもそもそういうものなのではないか。
いや、表現主体(自我)というのは、そもそもそういうものなのではないか。
‘自分’というのは、過去に出会った‘他者’の寄せ集めである。オリジナリティがあるとしたら、その寄せ集めの種類と配合とレイアウトに存するのだろう。
この作品からソルティは諸法無我を感じたのである。