2013年原著刊行。
2015年NTT出版より邦訳発行。

 著者はイギリス在住の学芸員、歴史家。ロンドン塔、ケンジントン宮殿、ハンプトン・コート宮殿など、主要な王宮を監督管理する仕事をする一方、歴史教養番組の監修・出演をこなしている。

 本書は、「いかに英国人が殺人事件を愉しみつつ消費していったか、つまり19世紀初頭から今日まで延々と続く殺人にまつわる現象を追究すること」をテーマとしている。
 英国人と殺人事件は昔から相性がいい。
 歴史に残る凶悪犯罪者の蝋人形を飾ったマダム・タッソー館「恐怖の部屋」は、同じ通りにある名探偵シャーロック・ホームズ(withワトソン)の住居とともに世界中から観光客が訪れる犯罪マニアの‘聖地’となっているし、推理小説の黄金時代がクリスティやチェスタトンやドロシー・セイヤーズなどイギリス作家によって主導されたことにも、それが表れている。
 考えてみれば、お国の偉大な芸術家シェイクスピアの作品も、『マクベス』、『オセロ』、『ハムレット』、『ジュリアス・シーザー』(ブルータス、お前もか)はじめ、殺人事件のオンパレードである。(『源氏物語』に殺人事件って出てきたか?) 
 
 SMチックな国民性ゆえ?
 階級社会の怨念?
 料理がまずいから?
 
 本書で取り上げられるのは、しかし、イギリス人の殺人嗜好癖の理由ではなく、以下のようなテーマ。
  • 「犯罪事件が娯楽へと変貌」したきっかけとなった1811年の「ラトクリフ街道殺人事件」。これはマスメディアがセンセーションを引き起こした最初の事例となった。
  • ロンドン警視庁(スコットランド・ヤード)が誕生した経緯(1829年)。警官の採用条件に身長規定あり(約170センチ以上)。→現在ではないようだ(参照
  • フランス革命後に渡英したシングルマザーのマダム・タッソーが蝋人形館を設立するまでの苦労話。
  • 犯罪者の心理に深い興味を持ち、公開処刑見物にまで出かけたチャールズ・ディケンズ。当時腕利きとして知られたフィールド警部に付き従ってスラムの夜警巡回もしている。
  • 見世物となった最後の絞首刑(1849年)の顛末。主役は「バーモンジー殺人事件」の下手人マリア・マニング。
  • 19世紀で最も悪名を馳せた毒殺者ウィリアム・パーマー医師と毒物学者の攻防。
  • 「最初にして最良の推理小説」とT・S・エリオットに言わしめたウィルキー・コリンズ『月長石』成功の秘話。
  • ついに登場した名探偵たち・・・・シャーロック・ホームズ、エルキュール・ポワロ、ピーター・ウィムジー卿e.t.c
  • 第二次世界大戦勃発と推理小説黄金期の終焉 
  ・・・・・等々。

 イギリス好き、推理小説好きのソルティには、実に興味深く面白い本であった。(自分もイギリス人同様、殺人嗜好癖があるってことか・・・。自爆。)
 
 著者は1920-30年代の推理小説黄金期が終焉した理由について考察し、次のように述べている。

第二次世界大戦中の原子爆弾、アウシュビッツで生じた未曾有の恐怖は、社会秩序、階層に対する信頼そのものを根底から揺り動かした。旧来の価値観、信念はもろとも崩壊し、それにつれて犯罪者に対する考え方も変化していった。1948年の犯罪処罰法では、正義実現のための懲戒的処罰に変わり、犯罪者更正、社会復帰教育・訓練を前提とした処罰が理念として打ち出された結果、1964年、絞首刑がついに廃止された。こうした変遷にともない、従来の推理小説の安定した世界が打ち棄てられ、スパイ、スリラーといった不確実で不安定きわまる世界が招来されたのであった。(本書より)

 確かに、ミステリーの女王アガサ・クリスティの推理小説をいま読むと、その保守性・伝統志向、「ウヨッキー」なところに辟易することがある。彼女はもちろん「勝ち組(それも大変な)」だったので、自らの獲得した社会的立場を正当化し既得権益を守るために、保守的・体制派になるのは別段不思議なところはない。
 だが、そればかりでなく、時代というものがまだまだ平和で、人類や国家や法を信用できる希望を残しており、悪と善とがくっきり分かたれ最終的には正義が勝つという‘お目出度い’価値観が許された、そんな牧歌的で楽天的な精神風土があったのである。
 
 個人的にも、黄金期の推理小説群にもっとも熱い愛情を注ぎ、心ゆくまで堪能できたのは、まだ社会も世間も人間も「右」も「左」もよくは知らない高校時代の頃だった。熱い紅茶とクッキーを傍らに置き、『アクロイド殺し』や『そして誰もいなくなった』やエラリー・クイーンの国名シリーズに強烈なスリルと興奮とを覚えていたあの至福の時間こそ、ミステリーとの蜜月だったのである。