上演日 2001年6月9日
会場 ウィーン国立歌劇場
指揮 ファビオ・ルイージ
演出 ギュンター・クレーマー
出演(配役)
ナブッコ:レオー・ヌッチ(バリトン)
アビガイッレ:マリア・グレギーナ(ソプラノ)
ナブッコ:レオー・ヌッチ(バリトン)
アビガイッレ:マリア・グレギーナ(ソプラノ)
フェネーナ:マリーナ・ドマシェンコ(メゾソプラノ)
イズマエーレ:ミロスラフ・ドヴォルスキー(テノール)
ザッカリア:ジャコモ・プレスティーア(バス)
演奏 ウィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団
ナブッコは『旧約聖書』に出てくる「バビロン捕囚」に材をとっている。
バビロン捕囚(バビロンほしゅう)は、新バビロニアの王ネブカドネザル2世により、ユダ王国のユダヤ人たちがバビロンを初めとしたバビロニア地方へ捕虜として連行され移住させられた事件を指す。バビロン幽囚、バビロンの幽囚ともいう。(ウィキペディア「バビロン捕囚」)
高校時代の世界史の授業を思い出すが、このバビロン捕囚の歴史的意義は「イスラエル民族(ユダヤ民族)のアイデンティティの確立のきっかけとなったところにある」とされている。ネブカドネザル2世(ナブッコ)によって祖国を奪われ神殿を破壊され、捕虜として徹底的に虐げられた逆境の中で、かえって民族としての団結が高まり、神ヤハウェへの揺ぎない信仰を律法遵守という形に結実させたのである。
そんな歴史的にも宗教的にも大きな出来事を背景として、王ナブッコと娘二人の権力と愛をめぐる相克を描いたドラマが、若きヴェルディの出世作『ナブッコ』である。
ストーリーは分かりづらいし、構成も無理があるし、テーマも絞りきれていない。音楽はなんだか荒削りで統一感が無い。印象深く美しいメロディーはふんだんに出てくるものの、いずれも流れとは無関係に唐突に繰り出される印象だ。「若書き」という言葉がピッタリくる。
だが、そうしたもろもろの欠点を踏まえた上で、なおこの作品は魅力的である。
特に、優れた歌手陣によって歌われ演じられたとき、魔法のようにこの作品の宿している真実(=ヴェルディの魂)が燦然と輝きわたって、聴衆を沸き立たせ、感動に誘う。
まさにこのライブはその証明である。
ナブッコ役のレオ・ヌッチの圧倒的な貫禄と存在感。登場した瞬間に舞台の色が変わる。
アビガイッレ役のマリア・グレギーナの張りと艶のある強靭な声と見事なテクニック、繊細な演技。
ザッカリア役のジャコモ・プレスティーアの哀しみを湛えつつも堂々と威厳ある立ち姿、深みある低音の響き。
そして、劇中随一の名曲『行け想いよ。金色の翼に乗って』で感動の極みに達する合唱。
純粋に歌の素晴らしさを堪能できる。
演出は時代を古代バビロンから現代に移している。登場するユダヤの男達はみな山高帽に背広姿。ナブッコはマフィアのボスのようなブランドスーツに毛皮のコート、娘二人もまたディオールかシャネルかといった感じの(よく知らぬが)ゴージャスなドレスを身にまとう。
古代バビロニアの王位簒奪劇から、現代の大企業の社長の椅子争いみたいな展開になる。権力欲ギラギラの傲慢な父ナブッコと愛に飢え屈折した烈女アビガイッレの派手な親子喧嘩を見ていると、どうしても大塚家具の一件を思い出してしまう。その点では、この演出はちょっと下世話な方向に流れを持っていってしまうリスクと裏あわせにある。
ただ、ユダヤ人捕虜達が、おそらくはナブッコの家臣たちによって殺されたのであろう家族や恋人の遺影をめいめいが手にして、『金色の翼に乗って』をしっとりと唱和するとき、山高帽に背広姿の一群が強制収容所に連れて行かれたホロコーストの犠牲者の姿に重なり、予期しなかった感動に襲われる。
ユダヤ民族の大いなる受難という点で、バビロン捕囚からホロコーストまで、我々はいまも同じ世界を生きているのである。
ユダヤ民族の大いなる受難という点で、バビロン捕囚からホロコーストまで、我々はいまも同じ世界を生きているのである。
さて、唐突に話は変わる。
マオちゃんこと浅田真央がこのまま引退するのか、復帰して平昌(ピョンチャン)冬季オリンピックを目指すのか、その去就が気になるところである。
マオちゃんこと浅田真央がこのまま引退するのか、復帰して平昌(ピョンチャン)冬季オリンピックを目指すのか、その去就が気になるところである。
個人的にはもう一度あの白鳥のように優美で上品な滑りをショーではなくて緊張感の支配する競技会場で見てみたい気もするけれど、身体的にも精神的にも過酷きわまる選手生活を彼女に強いる権利は誰にもない。これまでたくさんの喜びと勇気と感動を与えてくれたことに感謝するのみだ。
ただ、もし今一度リンクに立つのであれば、ぜひ彼女に滑って(舞って)ほしい曲が自分にはある。
それが、何を隠そう、この『行け想いよ。金色の翼に乗って』なのだ。
イタリア人なら誰もが知っていて第二のイタリア国歌とも称されるこのヴェルディの名曲は、タイトルが示す通り、翼のように軽やかで明るい曲調(ワルツ)でありながら、失われた故郷を思う切なさと哀しみに縁取られ、不屈の精神と希望とに満ちている。優雅で美しい。
浅田真央にピッタリだと思う。
この曲を聴きながら、「ここでトリプルアクセル、ここでスピン、ここからステップ」と、マオちゃんの滑る姿を思い描いている自分である。
この曲を聴きながら、「ここでトリプルアクセル、ここでスピン、ここからステップ」と、マオちゃんの滑る姿を思い描いている自分である。
「世界の民謡・童謡」というサイトで聴くことができる。