原作 遠藤周作
脚本 マーティン・スコセッシ、ジェイ・コックス
出演
ロドリゴ神父: アンドリュー・ガーフィールド
ガルペ神父: アダム・ドライヴァー
通辞: 浅野忠信
キチジロー: 窪塚洋介
井上筑後守: イッセー尾形
モキチ: 塚本晋也
イチゾウ: 笈田ヨシ
フェレイラ神父: リーアム・ニーソン
上映時間 159分
キリシタン禁令下の江戸時代初期、隠れキリシタン百姓や拷問覚悟のうえ海外からやって来た宣教師に対する弾圧、および彼らの殉教や犠牲や裏切りや転向の姿を描き、キリスト教の神とは何か、信仰とは何か、日本人とは何か、宗教とは何か、救いとは何か・・・・といったことを追求した深遠にして骨太の作品である。159分という長さを感じさせない脚本と演出と役者の演技が見事である。
ソルティは原作を読んでいない。遠藤周作はカトリックであるが、長いことソルティは「キリスト教を信仰する日本人」という存在が理解の外、関心の外にあったからである。
これには二つの柵がある。
一つ目の柵は、宗教そのものに対して懐疑的であり距離を置いていた。現代科学を学んだ者が、キリスト教も大乗仏教も信を置くに値しないという思考を持つようになるのは自然であろう。処女懐胎や復活や56億7千万年後の弥勒到来や念仏による極楽往生は非科学的な世迷言以外のなにものでもない。その上に、統一教会やオウム真理教など新興宗教団体が起こした数々の事件があって、「宗教=胡散臭い=うかつに近寄るべからず」という図式を脳みそに植え付けられた。これはほとんどの現代日本人に共通する心性であろう。
もう一つの柵は、「同じ宗教でもなぜキリスト教?」という不思議があった。たとえ宗教が非科学的な世迷言であるとしても、それを信じて依拠することでその人が安らぎや落ち着きや救いを得るのであれば、それは他人が否定すべきところではない。人間が抱く苦しみや虚しさや恐れや不安や孤独は、科学やお金や人間関係ではなかなか解決できないものなので、心に安定を与えてくれる何か確かなものを求める気持ちは、遅かれ早かれ、誰もが身内に発見するであろう。そこを補うところに宗教本来の役目はある。
しかし、同じ宗教でも、日本に生まれ育った日本人がなぜ仏教はもとより神道でも道教でもなくキリスト教を選ぶ必然があるのだろう?——というのが疑問であった。善悪の審判をする全能の唯一絶対神を求める心性というのが理解できなかった。なんとなくエディプス・コンプレックスと関係しているようにも思うのだが、よく分からない。翻って言えば、ソルティのもともとの心性は神道的・大乗仏教的土壌に培われた典型的日本人の域を出ないのであろう。
現代日本のクリスチャンについてさえそのように理解困難なのだから、江戸時代の庶民と来た日にはまったくもって意味不明である。なぜ神道・仏教全盛の江戸時代の庶民がキリスト教に改宗したのか、いったいどこまでキリスト教を深く理解できたのか、なぜ厳しい弾圧を受け残酷極まる拷問で命を失ってまで外国から来た司祭を守り抜こうとしキリスト教を捨てることをしなかったのか。換言するなら、彼ら江戸時代のクリスチャンは、キリスト教のどこに感応し、何を期待していたのか。(単に「死んだら天国に行ける」だったら浄土真宗でも良いはずである)
既存の仏教や神道では満たされないものがあったというのは一つの理由であろう。が、その場合、満たされなかった理由が問題となる。「もしかしたら、仏教では救いがないとされた殺生を生業とする人々、いわゆる被差別部落の人々がキリスト教に救いを見出したのかもしれない」と思ったのだが、どうもそういうわけでもないらしい。
まあ、今後の研究テーマとしよう。
この異端カタリ派のような純粋な信仰の強さに観る者は知らず涙する。それは信仰の強さとはすなわち苦しみの大きさを示すバロメータにほかならないと知るからである。江戸時代の最下層の百姓たちの生活ぶりは作中でも幾度か「獣のよう」と叙述されているが、飢えと重労働と圧政と年貢に苦しみ、来る日来る日も朝から晩まで身を粉にして働くばかり。この世にはなんの希望も期待も持てない。息子も孫もまた同じ生を送るしかない。そこからの唯一の出口がパライソすなわちキリストが約束するパラダイス(神の国)なのである。「この世」より「あの世」を重視すればこそ、彼らは潔く殉教していくことができる。
親友であるガルベを失い最後の司祭となったロドリゴは筑後守井上に捕まって、棄教を強要される。目の前で自分を慕う信者たちが惨殺され、自らの拷問も間近に迫るロドリゴは、神に問いかける。
「なぜあなたは黙っているのですか?」
ロドリゴは自らをゲッセマネのイエス、十字架上のイエスになぞらえる。
が、ここでマーティン・スコセッシは、遠藤周作は、神の「沈黙」の理由を用意する。
自らの代わりに逆さ吊りの拷問を受けている日本人信者の苦痛のうめきを前に、ロドリゴの苦悩は頂点に達する。自分が棄教すれば彼らは助かる。自分が信仰を守り通せば、次々と信者が目の前で殺されていく。自分の頑なな信仰ゆえに!
まさに悪魔のジレンマである。
ついにロドリゴは目の前の地面に置かれたキリストの踏み絵に足をかける。
と、そのときはじめてキリストの声を聴く。
「踏むがいい。お前の足は今、痛いだろう。今日まで私の顔を踏んだ人間たちと同じように痛むだろう。だがその足の痛さだけでもう充分だ。私はお前たちのその痛さと苦しみをわかちあう。そのために私はいるのだから」
「主よ。あなたがいつも沈黙していられるのを恨んでいました」
「私は沈黙していたのではない。一緒に苦しんでいたのに」
(新潮文庫『沈黙』より引用)
非常に感動的なシーンである。
裁く神、犠牲や従順や信仰の証を求める神から、弱き者らと共に苦しむ神への転換である。父性的な神から母性的な神への変身である。
この遠藤周作の解釈は小説発表当時カトリック教会からの批判を招いたそうだ。
ロドリゴをイエスに比した時にユダにあたるのがキチジローである。怯懦な性向を持つキチジローはキリストへの信仰を持ちながらも、信念を貫き通すことができない。家族全員が踏み絵を拒否して殉教したのにキチジローだけが裏切って一人命拾いした。ロドリゴとガルペを隠れキリシタンの村に案内する役目を立派に果たすも、あとにはロドリゴを役人に売り、役人に疑われれば何度も平気で踏み絵に足を乗せ、十字架のキリスト像に唾を吐きかけさえする。それでも、本心か演技か知らぬが神を信仰する気持ちは持ち続け、ロドリゴの行く先行く先追いかけ、たびたび許しを乞う。キリスト教信者としてでなくても、唾棄すべき虫けらのような人間として描かれている。取柄はせいぜい「どうしようもない己の弱さ」を知っていること。
そのキチジローを最後にロドリゴは許し受け入れる。「ずっと一緒にいてくれてありがとう」とさえ言う。ユダを許しユダに感謝するイエス。棄教した者、裏切り者、弱い心をもつ者を見放さない神。これが真正キリスト教徒のカンにさわらぬわけがあるまい。
ここに見えるのは、悪人正機説の親鸞である。浄土真宗である。
で、冒頭の問いに戻る。
なぜ、遠藤周作は、マーティン・スコセッシは、キリスト教でなければいけないのだろう?
日本の自然、文化、風習、建築、着物など、江戸時代の日本の風物がきちんと描かれているところはさすがスコセッシである。考証がしっかりしていて、まったく違和感がない。
外国の監督が日本を撮るとき、英語の喋れる中国人俳優を日本人役に起用することがよくあるが、ここでは日本人俳優を使っているので、これも違和感がない。中でも、弾圧側のトップである筑後守井上を演じるイッセー尾形は、単なる権威主義でも官僚主義でもない複雑な内面を匂わす個性的なお偉方を造形して見事の一語。隠れキリシタン村の長老イチゾウ役の笈田ヨシ、十字架にはり付けられ波に呑まれて殉教するモキチ役の塚本晋也も、年輪を感じさせる表情と渋さが光っている。日本には渡辺謙以外にも「いい役者」がいるということを世界に知らしめたのではないか。
この映画にたびたび登場する踏み絵のシーンを見て思ったのだが、もし自分だったらどうするだろう?
むろん、仏教徒であるソルティにとって踏み絵の対象となるのはブッダの御姿である。あるいは仏像なり経典である。
「命が惜しければ、この仏像を叩き壊せ。この経典を引き破れ」と言われたら、躊躇なくやるだろう。仏像はたんなる土のかけら、経典はたんなる紙に過ぎない。手塚治虫の『ブッダ』全巻を燃やせと言われたら、もったいないとは思いつつもやるだろう。
それよりも「五戒を破れ」と言われるほうが抵抗あるかもしれない。「エッチをしろ(不邪淫戒)、酒を飲め(不飲酒)」と言われたら平気でやっちゃうと思うが、「お前は仏教徒か?」と聞かれて「そうでない」と嘘をつくのは(不妄語)、いささか難しい。それでも自分や他人の命がかかっていたら破るに雑作ない。「いや、自分はイスラム教徒です」「ヒンズー教徒です」とか相手が期待するままに言うだろう。
仏像や経典や仏舎利や儀式を有難がる偶像崇拝は本来の仏教ではないと思うし、戒律は修行をスムーズに進展させると同時にサンガや社会の安定運営のためにあると思うので、それらを必要以上に重視しすぎるのも違うと思われる。
仏教徒にとって重要なのは神でも仏でもなく仏法(ダンマ)である。ダンマとは「諸行無常、諸法無我、一切行苦、因縁」の真理である。
この真理はそもそも「私のもの」ではないので、誰にも奪うことができない。
ダンマを見ている限り、転ぶ(=仏教徒を辞める)ことはできなさそうだ。
P.S. 「神の沈黙」についてはマザー・テレサの伝記も参考になる。
評価:B-
A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」
A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」
B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」
C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」
C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」
D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」
D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!