大統領をつくったゲイ アメリカでの発行が1992年だから、もう20年も前の本である。

 原題はComing Out Conservative「カミングアウトする保守主義者」。
 まんまである。

 自分は政治に詳しくない。ましてやアメリカの政治や政党に関しては、現役の高校生ほどの知識もないと思うが、共和党と民主党の二大政党の争いであることくらいは知っている。
 そして、共和党は保守主義であり中絶反対・反同性愛の立場を取ること、一方の民主党は中道からリベラルで人種的マイノリティや低所得者層に支持者が多いこと。このくらいのイメージは持っている。
 であるから、自らの幸福を求めるアメリカの同性愛者は基本的には民主党支持、少なくとも無党派であるはずだ、と考えるのが普通だろう。共和党員の同性愛者という存在は、自家撞着している。
 だが、著者のリーブマンは長いこと共和党支持の保守主義者だったのである。それどころか、政権の中枢近くで反共産主義及び保守主義の推進の為に、様々な運動を精力的に展開してきた立役者だったのである。
 
 彼の中では保守主義と自らのセクシュアリティは、何ら矛盾することなく両立できるものであった。というのは、彼の準ずる保守主義の理念とは、「個人の自由と権利が国家の利益に優先する」というものであったからだ。
 アメリカの保守主義にそういう一面があった(ある?)とは驚きであるけれど、建国の理念に立ち戻ることを保守というのならば、なるほどその通りである。日本の保守(例えば儒教道徳的な)とアメリカの保守とでは違って当然なのだ。
 しかし、同時に、アメリカの保守とはまた強いキリスト教への信仰とそこから生じる道徳に裏打ちされたものである。何と言っても、最初のアメリカ人は、英国において迫害された宗教難民(ピューリタン)だったのだから。
 リーブマンはここでも自らのセクシュアリティと信仰とに矛盾を感じることがない。実際50歳を過ぎてから洗礼を受けてクリスチャンになるのである。もちろん、キリスト教徒であることと、同性愛者であることは、自分の存在を否定し自分を罰する方向でしか両立しない。 

 己のセクシュアリティ、ひいては己の存在を否定するものに、こうまで依存し献身するリーブマンの自己分裂的人生は、読んでいてはがゆいと同時に胸が痛くなる。彼が、極めて有能なアクティビストで、あちこちから引っ張りだこの資金調達の天才であり、有名人も含めた豊富な人脈を持ち、映画や演劇のプロデューサーもする多才な人間であることが、かえって彼の本当の望みを彼自身に対して覆い隠していたのだろうか。
 
 リーブマンがカミングアウトを決意したのは、67歳の時であった。

 自分が築き上げてきた人生をそのままにしておきたい、そして残された日々を平穏に生きて、死亡欄に人びとの敬意を集めるような業績を残したいという誘惑は非常に大きかった。それなのになぜいま? そうした思いが繰り返し心に押し寄せた。
  しかしあるとき私は、一体なぜ自分は長い間何かを探し求め、変節を繰り返してきたのだろうと考えた。私は、分裂した自己を統合できない状態に置かれていた。だからこそ自分自身に戻りたいという欲求を抱いた。そしてこれこそが私を衝き動かしていた動機なのだということを悟った。長年にわたり、私は世界から、そして自分自身から逃避していたのだ。そしてこれが、私が物理的に、また知的にもさまよい歩いた理由なのだった。
 

 すでに公人となっていた彼は、親友が編集していた全国的に有名な保守主義の雑誌『ナショナル・レビュー』に、親友への手紙という形でカミングアウトを決行する。

 
 この本は、そこに至るまでのリーブマンの半生を描いた自伝であると同時に、アメリカの政治の舞台裏や、アメリカの一般市民と政治との密接な距離感の様態を知ることができる、面白い読み物となっている。

 最後に、ウィキペディアの記事「マーヴィン・リーブマン」から引用する。
 
 Although he initially labeled himself a moderate Republican and worked to support gay-friendly conservative groups, including Log Cabin Republicans, he eventually concluded that he could no longer self-identify as a fund raiser for or supporter of any conservative group because of the increasingly anti-gay rhetoric of the political right. Liebman also later renounced his ties to Catholicism. In the final years of his life, he chose to describe himself as an "independent"

 He died of heart failure on March 31, 1997.


 最初のうち、リーブマンは自分自身を「穏健な共和党主義者」と称しており、『ログ・キャビン・リパブリカン』をはじめとするゲイフレンドリーな伝統的グループのために働いていた。しかし、最終的には、いかなる伝統的グループの資金調達者としても、あるいは支持者としても、自分自身を位置づけることはもはやできなくなった。なぜなら、そこでは次第に反同性愛的言説が多くなってきたからである。リーブマンはまた後年、カトリックとの絆も絶ってしまった。亡くなる数年前から彼は、自分自身を「無党派(independent)」と表現することを好んだ。

 リーブマンは1997年3月31日に心臓疾患で亡くなった。