2010年イタリア・ドイツ・フランス共同制作。
ヨーロッパでかなり評判になった映画らしい。
南イタリアののどかな田舎町を舞台に、人、ヤギ、木、炭の四つのいのちが循環する様をロングショットを多用して淡々としたタッチで描く。
会話らしい会話がない。音楽もない。ナレーションもない。説明のための字幕もない。それどころか演技と言えるものもほとんどない。(プロの演技者は老人が飼っている犬だけらしい。)
絵と自然のサウンドだけでストーリーを進め、観る者にテーマを伝えていくという点では「映画的」と言える。
実際、南イタリアの牧歌的な風景、古い石造りの町と素朴な住民の紡ぐのどかな日常、静寂を引き立てるヤギの鈴の音や犬の鳴き声など、観ていると何ともくつろいだ平和な気分に満たされる。プロの俳優たちの過剰な演技がないぶん、作品から作為の気配が薄まって「いのちの循環」という大仰な、また説教的になりそうなテーマをさりげなく観る者に気づかせることに成功している。
好感の持てる映画と言いたいところなのだが、何か引っかかる。どことなくしっくり来ない。
なんでだろう?
とつおいつ考えて浮かび上がった言葉は「オーガニック」「スローフード」。
この作品は、この2つの言葉から自分が抱くイメージに近い。
原義というか、英語で本来使われている意味合いはよく知らないが、日本に紹介されるとき「オーガニック」も「スローフード」も、欧米で流行の生活様式、それも意識の高い人たちの熱中するファッションみたいなニュアンスがつきまとっている。おそらくは、英語をそのままカタカナ語にして日本文化に取り込むときに必然的に生じる弊害なのだろう。カタカナ語そのものに、外来の、流行の、おしゃれな、底の浅い、軽佻浮薄な、「ええかっこしい」のイメージがつきまとうからである。
この映画も、なんだか「きれいなところでまとめている」という印象を受ける。
「いのちの循環」ってそんなきれいなものではないだろう。
たとえば、老いた牧夫の死と同時に生まれた子ヤギが、山中で迷って大きなモミの木の根方に眠るシーンがある。次のシーンは雪をかぶった大地とモミの木である。季節が変わるとモミの木は切り倒されて炭に変わっていく。
子ヤギが老人の死と共に生まれたのならば、炭がモミの木の伐採と共に生まれたのならば、当然モミの木の成長は子ヤギの死と共にある。死んだ子ヤギの腐った遺体を糧として、モミの木はその根を張り枝を伸ばし葉を広げたのである。
しかし、ここでは子ヤギの死は映さない。ぼかしている。死体はきれいな白雪に隠されている。
ヨーロッパに根強い動物愛護の精神のためであろうか。
だが、実際の死体は映さなくともヤギの死を観る者に分からせる手段はいろいろあるはずである。
死を語らずに、死のグロテスクと向き合わずに、「いのちの循環」がありえようか。
そう考えると、わざわざ南イタリアの美しいロケーションを舞台としたのもなんだかこすっからい気がしてくる。都会のゴミための中にだって「いのちの循環」は発見できるはずだ。インドに行けばいくらだって発見できる。
評価:C-
A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。
「東京物語」「2001年宇宙の旅」
A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
「スティング」「フライング・ハイ」
「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」
B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」
「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」
C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」
C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」
D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」
D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!