1999年アメリカ。

 映画は宝庫だ。
 観ていない過去の膨大なストックの中に、まだまだいい作品が埋もれているものだな、老後もきっと退屈しないですむな、と嬉しがらせてくれた一品。

 公開時、あるいはDVD(99年はまだビデオか?)レンタル開始時に、観ようと思わなかった理由はよく思い出せない。
 たぶんタイトルが良くないってのがあるだろう。
 最近は、わざわざ日本語のタイトルをつけずに、原題をそのままカタカナ表記するってのが多いけれど、ちょっと考え直してもらいたいものだ。
 『エイリアン』とか『アバター』とか『ダイハード』みたいに短いインパクトあるタイトルや、『トゥルーマン・カポーティ』とか『ムーランルージュ』みたいに人や場所の名前は、カタカナ変換でも仕方ないと思う。が、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』とか『ヴァージン・スーザイズ』とか、ちょっと何とか内容を鑑みて日本語訳しろよ、と言いたくなる。
 いったい何の映画なのかわかりゃしない、ってのもあるが、昔の洋画の邦題名のセンスの良さ(たとえばショーン・コネリーの007シリーズ)を知る者からすると、配給会社の手抜きや作品への愛情のなさを感じてしまうので、「たいした映画じゃないんだな」と誤って思ってしまうのだ。これは看過できない。
 『ディープエンド・オブ・オーシャン』もまたしかり。
 『ディープ・ブルー』と同ジャンルの海洋ドキュメントものかと思いきや、家族愛ものなのだ。意味そのもの(「大洋の深き果て」とでもいったところか)は映画の内容とまったく関係ない。ジャクリーン・ミチャードの書いた原作タイトルそのままである。まさか原作者に敬意を表してとか、原作者との契約上仕方なく、ってわけではあるまい。(ちなみに、新潮文庫から出ている邦訳タイトルは『青く深く沈んで』)

 もう一つ観なかった理由は、ミッシェル・ファイファーが男の子を抱きしめる姿が使用されているDVDパッケージの表紙からは、どうしたってこれが「母子もの」に分類される作品としか思えなかったからである。
 「母子もの」はたとえ陳腐な内容であろうと、どうしたって感動するし、泣かせる(泣く)と分かっている。「母の子に対する愛情は何にも代えがたく貴い」という結論で終わることは十中八九間違いないので、いまさら見る必要は感じなかったのだと思う。

 偏見はいけない。

 ベス(ミッシェル・ファイファー)は、9年前同窓会会場で行方不明になった当時3歳の息子ベンが、その後引っ越した町の近所に、「サム」という名前となって別の家族と一緒に住んでいるのを知る。警察の捜査の結果、指紋が一致。間違いなく「ベン」だ。
 ベンは、9年前ベスの同窓生セシルに誘拐されたのだが、その記憶も刻まれないままに、遠い土地に連れて行かれ、セシルが再婚してできた新しい父親ジョージと3人で暮らしていたのであった。ジョージはまったく事情を知らず、セシルが自殺して亡くなった後も、義理の息子であるサムをわが子同然に可愛がり、親子水入らずで暮らしていた。
 法にのっとって、サムは実の両親の家に連れ戻され、一緒に暮らすことになる。
 人格形成にもっとも影響を与える幼少年期を別の家庭で育ったベン=サム。  
 果たして、彼は新しい生活に馴染み、新しい家族(父パット、母ベス、兄ヴィンセント)に心開いて、幸せになれるのだろうか?
 果たして、パットとベスとヴィンセントは、サムを家族として受け入れ、昔のように愛することができるのだろうか?

 「血は水より濃し」か。それとも、「生みの親より育ての親」か。
 
 予想通り、サムは自らの記憶にない新しい家族との生活に居心地の悪さを感じ、夜中に家出を繰り返しては、馴染んだ昔の家に、同じ文化を共有する育ての親ジョージの元に逃げ帰る。パットやベスのけなげな配慮や努力の甲斐なく、結局サムはベンになることができず、精神的に不安定に陥ってしまう。
 苦しむ息子の姿を見る忍び難さに、ついにベスはパットに宣言する。
 「ベンをジョージのところに戻しましょう。」

 ここまではまったく「母子もの」。ドラマは母親の姿を中心に描きながら進む。ミッシェル・ファイファーの一人舞台である。
 自分の不注意から息子を行方知れずにしてしまった母親の狂乱ぶり、慟哭、自責の念、胸えぐる悲しみ。
 息子を失った落ち込みとその後の人生に影を落とさざるをえない絶望と鬱。
 あきらめていた息子が近所にいることを知った時の驚き、混乱、期待、事実を知りたい焦燥感。
 再度ベンを腕に抱くことのできた、えもいわれぬ喜び。
 ベンとの絆を取り戻そうとする信念と忍耐。
 二つの家庭のはざ間で悩み苦しむベンを見かね、自らの母としてのエゴよりベンの幸せを選択する、身を切られるような辛さと深い母性愛。(ここのところは、ソロモン王と二人の母親の物語を思い起こさせる。)
 ミッシェル・ファイファーの演技はすばらしい。派手な演技ではないが、母親の複雑な心情の移り変わりを、まったく違和感なく表現し、観る者に共感を呼び起こす。この役でオスカーにノミネートされていないのが不思議なくらいだ。
 彼女の演技のせいで、ほかの役者(父親役、兄役)の影が薄れるほどである。ただし、刑事役のウーピー・ゴールドバーグだけは別。彼女は決して「食われる」ことのない役者だ。
 
 どう決着するのであろうか?
 このまま、ベンは「サム」のまま、育ての親と幸せに暮らしながら、生みの親たちとは適当な距離を見つけてつきあうことを学ぶのであろうか?
 それとも、何かどんでん返しがあるのだろうか?
 ベンの幸せを第一に考えたベスの深い母性愛が神様に通じて、何かしらの奇跡が起こるのであろうか?


 奇跡は思いもかけぬ方角からやってくる。


 ここでは詳らかにはすまい。
 が、それが起こる瞬間、この物語の構造がすっかり変わってしまうのだ。
 「母子もの」と思っていたストーリーが、不意に別のものに変貌する。それもストーリー上、まったく不自然な展開なしに。
 よくできたミステリーさながら、気にとめなかった伏線があるシーンをきっかけに浮かび上がる。
 その、不意打ち感。
 
 そして、母性愛という、男の子にとって温かく、なくてはならないものではあるが、一方その重さがうっとうしくもある綿布団が見事にすかされて、寝室の窓から飛び出た少年は、大人には見えない翼をつけて別の世界に飛翔する。9年間待っていた仲間と共に。
 その瞬間、予期することもなかった解放感とさわやかな感動が身のうちに生じるのを感じる。と同時に、ミッシェル・ファイファーからオスカーが遠ざかったのを見るのである。

 ジョナサン・ジャクソン。
 その名を銘記しておこう。  



評価: B+


参考: 

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
         「東京物語」 「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
         「風と共に去りぬ」 「未来世紀ブラジル」 「シャイニング」 「未知との遭遇」 
         「父、帰る」 「フィールド・オブ・ドリームス」 「ベニスに死す」 「ザ・セル」
         「スティング」 「フライング・ハイ」 「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」
         「フィアレス」 ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
         「アザーズ」 「ポルターガイスト」 「コンタクト」 「ギャラクシークエスト」 「白いカラス」 
         「アメリカン・ビューティー」 「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
         「グラディエーター」 「ハムナプトラ」 「マトリックス」 「アウトブレイク」
         「タイタニック」 「アイデンティティ」 「CUBU」 「ボーイズ・ドント・クライ」 
         チャップリンの作品たち   


C+ ・・・・・ 退屈しのぎにはちょうどよい。レンタルで十分。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
         「アルマゲドン」 「ニューシネマパラダイス」 「アナコンダ」 「ロッキー・シリーズ」

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ~。不満が残る。 「お葬式」 「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
         「レオン」 「パッション」 「マディソン郡の橋」 「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。もう二度とこの監督にはつかまらない。金返せ~!!