ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

ヤマトタケル

● 丹沢見参!:弘法山&権現山(235m、神奈川県秦野)

弘法山20130112 003●歩いた日  1月12日(土)

●天気    快晴

●タイムスケジュール
13:30 小田急線・秦野駅
      歩行開始
13:50 弘法山公園入口
14:00 浅間山頂上
14:20 権現山頂上
15:00 弘法山頂上
      昼食
16:15 吾妻山頂上
16:30 弘法の里湯着
      歩行終了
18:20 小田急線・鶴巻温泉駅

●所要時間 3時間(歩行2時間30分+休憩30分)



 今年は丹沢デビューする。
 wikiによると「丹沢山地(たんざわさんち)は、神奈川県北西部に広がる山地。東西約40キロメートル、南北約20キロメートルに及び、神奈川県の面積の約6分の1を占める。」  
 都心から近くアクセスがよいのと、どの山からも富士山が望めるのと、登りやすい手頃な山が多い(最高峰の蛭ヶ岳でも標高1,673m)のが魅力である。

 手始めに丹沢の山並みが眺められる秦野市内の弘法山に出かけた。
 低山にしては抜群の眺望(360°)が得られるとガイドブックに書いてあるし、寒くて日の短い今の時期にはちょうど良い歩行時間&距離だし、下山後に温泉もある。なによりも弘法という名前に惹かれる。丹沢もやはり古来から修験道の修行地である。空海上人にご挨拶してから丹沢デビューというのが礼儀に適っているだろう。身の安全も祈念したい。

 秦野駅には初めて下りる。
 はじめての駅、はじめての町というのはそれだけでワクワクするものである。思いのほか大きくてきれいで発展しているのに驚く。駅からはこれから登る権現山&弘法山はもちろん、丹沢の山々が青空にさえざえとビルの背景をなしている。

弘法山20130112 004


弘法山20130112 005


 秦野は交通の要所なのか、とにかく車が多い。登山道へのアクセスでこれだけ車が多いのもはじめてかもしれない。これまで登ってきた山々がある中央線沿線や奥多摩、奥武蔵とは様相が異なる。ま、この俗と聖、動と静、人工と自然の対比こそがまた一つの魅力と言えるかもしれない。
 町の中から富士山が見えた。

弘法山20130112 006



弘法山20130112 007 弘法山入口からは上り階段が続く。
 ヒートテックのシャツが汗ばんできた頃に浅間山頂上に到着。
 おもむろに振り返ると、浅間山という名に恥じない見事な富士山の出で立ち。毎朝ここに登って拝んでいる市民も少なくあるまい。(光の加減でカメラに写らないのが残念)


 ここからは尾根を縦走する。
 右手は秦野盆地と相模湾を眼下に、左手はお会いするのも待ち遠しい丹沢の山々、正面に丹沢の象徴とも言える大山弘法山20130112 011(1252m)を眺めながらの気持ちの良いウォーキング。
 木々の間にカモフラージュされた公衆便所がいとおかし。


 権現山の頂上は広く陽当たりも良く気持ちいい。子供たちが遠足のお弁当を広げるのはここだろう。カップルがデートで身を寄せ合って休憩するのもここだろう。花見の頃は酔客で賑わうことだろう。
 ガイドブックに偽りはなかった。中華建築風の展望塔に上ると360°の素晴らしい眺望に胸ひらかれる思いがする。ぐるりと、房総半島、江ノ島、相模湾、伊豆半島、富士山、丹沢山塊、大山とそれらに縁取られた湘南の町々が、一月にしてはうららかな明るい日射しの中で憩っている。平和である。
 市街地からほんのちょっと登っただけでこんなに素晴らしい癒しのスポットがあるなんて、秦野市民は幸せである。

弘法山20130112 016

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弘法山20130112 019

弘法山20130112 023


 馬場道と呼ばれている、その昔草競馬を開いた直線道路を闊歩して弘法山に至る。途中、小鳥たちが藪の下から顔を覗かせる。バードウォッチングもこの山の魅力の一つらしい。
 弘法大師が修行をしたと言われるこの山の頂上には、お大師様を祀ったお堂のほかに鐘楼や井戸があって、なかなか雰囲気のあるところ。夜はかなり恐いだろう。この井戸から湧き出た水は白く濁り、乳の香りがしていたという。それを飲むと乳がよく出るようになると言われ、夜中に人知れず山に登る母親が多かったと。丑の刻参りか。
 ここで相模湾を眺めながら昼食をとる。

弘法山20130112 021
弘法山20130112 022


 さすがに寒くなってきた。
 早々に下山路へ。
 出会う人の少ない山道を夕陽に照らされてたんたんと歩く。
 一人っきりで。いいや、同行二人で。

弘法山20130112 025


 吾妻山はヤマトタケル伝説のあるところ。東征した折りに立ち寄ったらしい。
 ヤマトタケルと弘法大師はなんだかどこ行ってもお目にかかる。

弘法山20130112 026

弘法山20130112 027


 鶴巻温泉駅の近くにある「弘法の里湯」に浸かる。パンフレットによると、鶴巻温泉は開湯から80年余(結構新しい)。カルシウム含有量が牛乳並みで体が良くあたたまるとのこと。
 なるほど、弘法山の井戸水にはカルシウムが含まれていたのだ。
 伝説には意外と科学的裏付けがあるものだ。 
 
 湯上がりはカルシウムでなく麦芽で。
 たまらん。

弘法山20130112 028




● 山と迷信:軍刀利神社、三国山(960m)、生藤山(990m)

生藤山&三国山 001●歩いた日  11月20日(火)

●天気    快晴

●タイムスケジュール
08:28 JR中央線上野原駅「井戸」行バス乗車(富士急山梨バス)
08:50 「井戸」バス停着
09:00 歩行開始
09:20 軍刀利神社本殿
09:30 奥ノ院
10:20 元社生藤山&三国山 003
10:55 三国山頂上
11:00 生藤山頂上
11:05 三国山頂上
      昼食
12:00 下山開始
14:00 「佐野川」バス停着
      歩行終了
14:16 上野原駅行バス乗車

●所要時間 5時間(歩行3時間30分+休憩1時間30分)



 三国山の名前の由来は、文字通り三つの国(東京・神奈川・山梨)の県境に位置するため。生藤山(しょうとうさん)は昔「キット山」と言い、その音に対して「生藤」という字をあてたのが由来と言う。「キット」とは、境界をはっきりさせるために木を伐採せずに「切り止め」することで、それが転訛したらしい。


 JR中央線上野原駅からバスで20分というアクセスの良さ、抜群の展望、歩行時間も長すぎず短すぎず、ルートもしっかりしている。と、いいとこばかりの山なのであるが、なかなか登る気にならなかった。周囲の山でガイドブックに載っているようなところはほとんど登っているのに、この山だけは後回しになっていた。
 なぜか。
 それは登り口にある軍刀利神社(ぐんだりじんじゃ)のイメージが靖国神社と重なって、どことなく好戦的でウヨッキーな、陰惨な感じがして近寄りがたかったからである。「自分は呼ばれていない」という印象を持っていた。

 登る山を選定する際には、意外とそういう直観は重視した方が良いと思っている。こちらも山を選ぶけれど、山もまた登り手を選ぶという気がするのである。とりわけ今もちゃんと祀られている神社のある山は、その祭神との相性を無視できない。

 軍刀利神社の祭神は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)。
 戦いの神=軍神である。
 その由来は三国山頂上の近くにある元社の石碑に刻まれている。
 

第十二代景行天皇の御代、「東方の十二道の荒ぶる神、服従しない人達を平らげて来い」との詔による御東征を成し遂げられた日本武尊が、帰国の途中、率いる兵士を整え草薙剣を神宝として御親祭された処です。その後原始祭礼の祭場とし、又永承三年五月、社が創建され、天文七年七月北條氏康の軍卒の狼藉により社殿が破却されたため、今の奥の院の処に御還宮されるまで祭典が続けられた処です。現在此の地は軍刀利神社神奈備の中枢であり、東京神奈川山梨のまほろばであります。
生藤山&三国山 012


 「明日は休みで快晴!」となったとき、「さあ、山に行かなきゃ損々」と家に何冊かあるガイドブックをペラペラめくっていたら、ふと生藤山のページに行き当たった。
 「そう言えばこの山、まだ登っていなかったなあ~」
 案内文を読んでみると、前に感じた違和感、拒絶感が無くなっていた。すんなりと活字が頭に入ってくる。
 「あ、どうやらお許しが出たらしい」
 映画『日本誕生』を観てこのブログでヤマトタケルを持ち上げたのが効いたのかもしれない。あるいは高千穂詣が日本神話の力ある神々の気を惹いたか。
 神だって、おだてられたり感謝されたりすれば、うれしいに違いない。 


 「井戸」バス停で降りると、晩秋の里山ののどかな風景が広がっている。その背景にすくっと勇ましく聳えるは富士の山。雲一つない秋の澄んだ青空に真白く輝き渡る様は、実に神々しい。
 軍刀利神社は山裾から順に本殿、奥ノ院、元社と連なる。もっとも、上に書いたように元社には社はなく、鳥居と小さな石の祠と石碑が残っているのみである。
 
生藤山&三国山 004 バス停から車道を10分ほど歩くと、背後に木立を随えた赤銅色の鳥居が現れる。鳥居とは本来「ここから先は禁足地=異界である」と告げるものであることを改めて教えてくれるに十分な存在感である。
 高い木々と清流に沿った参道は、厳しさと清らかさとを合わせ持った男らしい「気」に満ちている。自然、背筋が伸びる。

 本殿は、「こんな田舎に」と驚くほど見事な造り。神社建築には詳しくないが、ここの木組みと彫りの大胆さは、たいしたものではないだろうか。
 本殿の裏のあたりに白い光が浮かんでいた。カメラを向けても光が強すぎてどうも暈けてしまう。(あとから知ったがこの神社はパワースポットとして有名なのだそうだ。)


生藤山&三国山 005

生藤山&三国山 007

生藤山&三国山 006


 本殿の脇から続く道を奥ノ院へと向かう。
 清流のすがすがしい気持ちのよい参道である。
 奥ノ院の社殿の前に県の天然記念物である大桂の木が聳えている。今はすっかり落葉し、いかつい裸の枝が空に突き刺さっている。
 このあたりの空気は、長野県の戸隠神社に近いものを感じた。

生藤山&三国山 008

 
 さて、ここからいよいよ本格的な登りとなる。
 三国山に向かう女坂(右手)と、元社に向かう男坂(左手)との分かれ道がある。
 女坂の方が正規の登山ルートらしいが、すぐ先のところに倒木があって道がふさがれている。通り抜けられないこともないが、なんとなく通せんぼされているような気がして男坂を取る。
 これが大変であった。
 伐採地のような殺風景な急な斜面につけられたジグザグの道をただひたすら高度を稼いでいく。積もった落ち葉が道を分かりにくくさせていて、木に巻かれた赤いビニールテープの標しがなければ迷ってしまいそう。
 なかなか先が見えない。
 後ろを振り返っても、高い木々にはばまれ、景色は見えない。
 ようやっと周囲の木々が低くなって、日射しが暑く感じられてきたところで、ポンと頂上に飛び出た。目の前にベンチと元社の鳥居と石の祠が見える。
 おもむろに振り返って、思わず叫び声が出た。


 なんという絶景・・・・・。


 左(東)から右(西)まで180度の展望が何にも遮られることなく横たわっていた。正面に来るのは、出発点となった上野原町の簡素な山村風景、そして中央線沿いの山々、道志の山々を中空に挟んで、まさに王者の風格と麗しさですべてを睥睨している富士山。
 疲れが一気に吹き飛んだ。

 これだけの絶景はそうそうにない。
 おそらく、これまで登った100近い山の中でもトップ3に入るだろう。
 ここに社を建てたのも頷ける。ヤマトタケルがまさに一服しそうな場所である。

生藤山&三国山 011



生藤山&三国山 015 三国山の山頂はしかし、ここではない。
 元社に向かって右側の道をいったん下ってまた登る20分ほどのところである。
 山頂からの風景も確かに素晴らしいが、元社での絶景を味わったあとではいささか肩透かしの感を否定できない。
 多くの登山者は三国山・生藤山登頂をもって事足りとするだろう。
 もったいない。元社に足を向けるべきである。
 自分も男坂を取らずに女坂を取っていたら、三国山&生藤山ゴールで満足していただろう。やはり、今回は「呼ばれ」ていたのだろう。

 生藤山の山頂は、三国山から5分ほど離れたところにある。それほど広くないし、四方を木々に囲まれている。
 三国山に戻って昼食とする。


 登りはじめてから登頂まで会ったのはオバさま2人。山頂で会ったのは5人。下山途中に会ったのは2人。この日の生藤山は10人くらいが許されたようである。


 下りは別ルートを取る。
 ヤマトタケルが、鉾で岩を打ったら水が湧いてきたという伝説がある甘草水を経て、佐野川峠を越えて、熊野神社で一呼吸。

生藤山&三国山 017



 日本人には普通の光景だが、日本の山を登る欧米人にとってみたら、山中に突如として出現する鳥居や社殿は不思議なものだろう。彼等にとって山とは中世までは悪魔が棲んでいる恐ろしい場所であり、近代になってからはアルピニズムの、あるいは開発の対象として、克服すべき木と岩の壁でしかない。

 

 中世、とりわけ十二世紀ぐらいまで「風景を美的に楽しむ者など稀」であり、自然とはまず「原生林や熊の形をした人間の敵」にほかならない(アルノ・ボルスト『中世の巷にて』)。ダンテの『神曲』第一曲においてすら、森は人間の罪深さの象徴である。カタリ派とまったく関係のないところでも、「人間の住まない森や山は悪魔の棲家であり。近寄ってはならない不浄な土地であった」(湯浅泰雄『ユングとヨーロッパ精神』)。 
(原田武著『異端カタリ派と転生』、人文書院より)


 一方、日本人を含むアジア人にとって、森や山は神や妖怪が棲んでいる聖地なのであった。国民総幸福(GNH)で有名となったブータンでは、開発は愚か、山登りですら禁止されている。 

 ブータン人は、森にも、川にも、湖にも、その他いたる所に精霊が宿っていると信じている。そして、その精霊の気を害すると祟りがあると信じているので、湖を汚したり、森の木を伐採したり、時としては大声を出したりすることを極力控えている。それは、自然環境保護という意識からではなく、全くの「迷信」に近いものであるが、国民はそう信じることで安らぎを得ているし、無意識的に自然保護に積極的に貢献している。
(ブータン第四代国王の言葉:今枝由郎著『ブータンに魅せられて』岩波新書より)

 昔の日本人もブータン人と同じであったろうが、「迷信」を喪失してしまって久しい。
 
生藤山&三国山 020 山登りは自分にとって、自分の中にある「迷信」を再確認、再発見する機会なのだと思う。ヤマトタケル伝説も神社の力も「フィクション」「非科学的」と分かっているが、どこか否定しきれない、馬鹿にして無視できない自分がいる。
 「迷信」を盲信することはそのまま無明である。
 一方で、そのような「迷信」によって枠を作っておかないと、環境破壊に象徴されるような無鉄砲・無軌道(それは結局自らの首を絞めるものなのだが)を平気で冒すようになってしまう。そんな人間の(自分の)愚かさ、傲慢、欲深さに対する警戒心が、自分の中の「迷信」を存続させているのかもしれない。


生藤山&三国山 022

 

生藤山&三国山 019

● 神々しき人、原節子 映画:『日本誕生』(稲垣浩監督)

 1959年東宝。

 神社巡りが続いているせいか、日本神話への関心が高まっている。
 その昔、ポプラ社の古典文学全集『古事記物語』(高橋正巳著)を読んだので、大体の有名なエピソードは頭に入っているが、なにしろ子供向けなので性愛描写はとんと記憶にない。ギリシャ神話の例に見るように、神々のまぐわい(性愛)は神話の核である。とりわけ、多産を言祝ぐ日本神道にあって性は重要である。
 そんなことを思いながら、気になっていた『日本誕生』をレンタルした。182分あるこの映画をテレビ用に編集したものを昔観たような覚えがある。

 CG全盛の現代で、一昔前の特撮技術はきっとちゃっちく見えて笑ってしまうだろうと思っていたのだが、なんのなんの、改めて日本の特撮技術のクオリティの高さを思い知った。ゴジラやウルトラマンを生んだ円谷英二が全面協力しているのだから当然である。手間ひまかけて、創意工夫を凝らして作り上げたのだという心意気に何より感動してしまう。
 それに、特撮やセットを生かすも殺すも監督の腕と役者の力量次第なのだということが良く分かる。どんなにCG技術が向上して臨場感ある迫力ある映像が生み出されようが、演出と演技のレベルが低ければドラマとしてのリアリティはまったく備わらない。それは、評判の芳しくない昨今のNHK大河ドラマを見れば歴然である。


 とにかく役者の顔ぶれが凄い。東宝映画1000本目の威信をかけただけある。
 ざっと挙げるだけでも、三船敏郎、田中絹代、原節子、杉村春子、司葉子、中村鴈治郎、東野英治郎、宝田明、志村喬、鶴田浩二、左卜全、乙羽信子、エノケン、三木のり平、天本英世・・・・。どこに誰が何の役で出てくるかを確かめるだけでも存分面白い。
 しかも、重要な役どころを、三船敏郎(ヤマトタケル、スサノオの二役)、杉村春子(神話の語り部の老婆)、田中絹代(タケルの叔母で伊勢神宮の斎王)、原節子(アマテラス)、司葉子(タケルの妻)、東野英治郎(タケルの敵方の大伴一族の長)という華のある演技派が押さえているので、話がしまること。ドラマにリアリティをもたらすのは役者なのだとつくづく思う。


 音楽もまた素晴らしい。
 子供の頃からゴジラや大魔神で聞き馴染んでいる伊福部昭だが、古代という舞台に似つわかしい曲を、ヤマト、熊襲(中国・朝鮮風)、東国(アイヌ風)と民族ごとにふさわしい調子で書き分けて、物語に燦然たる効果を与えている。


 『日本誕生』というタイトルに内容的に誤りはないが、本筋は日本古代の英雄ヤマトタケルの物語である。
 父王に遠ざけられ、熊襲征伐や東国征伐を命じられ、最後は大和に帰る途上で客死し、白鳥になったこの英雄のドラマチックな逸話を中心に、ところどころに日本神話の有名なエピソード(イザナミ・イザナギの国産み、天の岩戸、スサノオのヤマタノオロチ退治など)をはさんでいく構成は、長尺を飽きさせない工夫が見られる。
 とりわけ、原節子がアマテラスを演じる天岩戸シーンが魅力的。この役にこれほどピッタリ合う女優は、日本の女優の歴史を見渡しても他に見つかるまい。吉永小百合では威厳に欠ける。岩下志麻では幻想性に欠ける。京マチ子では気品に欠ける。山田五十鈴では明るさに欠ける。次点で山本富士子、別次元で坂東玉三郎、美輪明宏か。「神々しさ」を演じるのは、美貌と演技力だけでは無理なのだということが分かる。
 岩屋の前で踊り狂うアメノウズメを乙羽信子が、岩戸を開くタズカラノミコトを第46代横綱の朝潮太郎が演じているのも見所である。


 ヤマトタケルの物語には、日本男児の理想が描かれている。それは、いわゆる近代的な「男らしさ」とは微妙に異なる。
 たとえば、タケルは父親に愛されないことを悲しみ人目もはばからず大きな声で泣き喚く。熊襲征伐に際しては女装する。妻に対しては実に細やかな愛情を振り向ける。
 この魅力的なヤマトタケルを世界の三船がこれまた魅力的に演じている。大らかな感情表現、部下たちへの深い愛情、高いこころざし、平等を愛する心、あくまで正直であくまで潔い。そのうえ剣さばきの見事なこと。こんなふうに日本男児を演じられる風格と技量のある俳優がいまでは思いつかない。
 
 人と人とが嫉妬し差別し争いあう世の中に、ヤマトタケルは慨嘆する。
「今の世の中では思いを音にしたらみな哀しい調べとなる。天岩戸を開いたような、あの大らかな笑いに満ちた高天原の調べがこの地上には必要だ。それが日本人本来の心なのだ。」


 これがこの大作にかけた制作陣の心からの思いなのであろう。
 1959年、今から50年以上も前の願いである。



評価: B-



A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」 
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


 


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