1955年アメリカ映画。
驚くべき映画である。
今日では俳優としてほとんど名前が口にされることのないチャールズ・ロートンの生涯ただ一つの監督作なのであるが、この一作にして監督としてのロートンの名前は永遠に映画史の中にゴチック体で刻まれることになった。とりわけアメリカ映画史の中に置かれたとき、この真に独創的な実験映画的なスタイルは異彩を放っている。
公開当時は不評で批評家にも大衆にも受け入れられなかったものが、現在ではカルト的な人気と高い評価をほしいままにしているという点でも、驚くべき作品である。日本初公開が本国に遅れること35年の1990年ということからもそれが知られる。
リリアン・ギッシュ、ロバート・ミッチャムといったアメリカを代表する名優が出演していながら、なぜかアメリカ映画っぽくないところがある。
モノクロの象徴主義的な映像は確かにヒッチコックやオーソン・ウェルズ(『市民ケーン』)の系統という気もするが、『カリガリ博士』や『吸血鬼ノスフェラトゥ』やフリッツ・ラングなどドイツ表現主義の流れをくむ作品のようにも思える。一方、全編(特に後半部)に漲っている幻想的でみずみずしい詩情は、『雨月物語』の溝口健二あるいは北欧の影絵のような印象を与える。
ロートンの突出したオリジナリティは国籍を超えている。
実際、いくつかのショットに想起したのは、なんと我らが「モー様」もとい萩尾望都の『ポーの一族』であった。
たとえば、殺人鬼である義理の父親ハリー(ロバート・ミッチャム)から逃げる子供たちが農家の納屋の二階に隠れるシーン。わらのベッドに横たわり疲れた体を休める子供たち。大きな窓からのぞむ三日月の輝く美しい夜景、はるかな地平線。美しく、幻想的な、童話のような世界。と、豆粒のように小さく、画面左から現れて地平をゆっくり右へと移動していくのは、馬に乗ったハリーの黒い影。この美しさと恐ろしさのバランスはまさに「モー様」風。
たとえば、ベッドに横たわる妻のウィラを殺そうともくろむハリー。天井の梁がベッドを底辺とした二等辺三角形を描いて、その中にたたずむハリーの月光を受けた姿は、これからアランに吸血の儀式を行うエドガー・ポーツネルのようである。
萩尾望都がこの映画を観たとは思えない。むろん、ロートンが『ポーの一族』を読んだわけもない。
二人に共通する芸術上の祖先がいると思うのだが、残念ながら見当がつかない。
厳格な説教師にして妻殺しの男を演じるロバート・ミッチャム、不遇な子供たちを引き取って一人で育てる信仰に支えられた芯の強さと愛情深さとを合わせ持った女を演じるリリアン・ギッシュ。この二人にこの年のオスカーがいかなかったことは、アメリカアカデミー賞の歴史上、最大の失策だろう。
真の価値が見出されるまで時間を必要とする作品があるということがその要因である。
評価: A-
A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。
「東京物語」「2001年宇宙の旅」
A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
「スティング」「フライング・ハイ」
「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
ヒッチコックの作品たち
B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」
B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」
「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
「ボーイズ・ドント・クライ」
チャップリンの作品たち
C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
「アナコンダ」
C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」
D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」
D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!