日時 2017年5月6日(土)18:00~
会場 なかのZERO大ホール
曲目
- マルコム・アーノルド/序曲『ピータールー』
- ベンジャミン・ブリテン/青少年のための管弦楽入門
- エリック・コーツ/組曲『ロンドン』
- レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ/交響曲第2番『ロンドン交響曲』
アンコール
- ジョージ・バターワース/『緑のしだれ柳の岸辺』
指揮:和田 一樹
和田一樹は2014年より豊島区管弦楽団の常任指揮者をしている。ほかにもリバティベルオーケストラとアルテ合奏団というオケの常任指揮をしているが、一番長い伝統を持ち(1995年設立)・一番規模が大きく(団員約90名)・一番高い技量を誇るのは豊島区管弦楽団である。ここが和田の現時点のホームベース的オケと言っていいであろう。常任指揮というのがどういうものかよく知らないが、おそらく日常の練習にも付き合っているだろうし、プログラムの選定も和田の意向が強く反映されていることであろう。
その意味で、今回の演奏は指揮者・和田一樹の本領を知るのにもってこいと思った。
そのプログラムであるが、ソルティがはじめて聴くものばかり。というかブリテン以外の作曲家を知らなかった。なんともマイナーなラインナップであるが共通項がある。すべて20世紀に活躍したイギリスの作曲家なのだ。
前世はイギリス人?と思うほどイギリス好きのソルティ。きっと楽しめるだろう。
マルコム・アーノルド(1921-2006)は、ロンドン・フィルのトランペット奏者としても活躍したそうだ。なんと、映画『戦場にかける橋』で第30回アカデミー賞作曲賞を受賞している。あの「サル・ゴリラ・チンパンジー♪」の替え歌で知られるケネス・アルフォードの行進曲『ボギー大佐』を編曲して、『クワイ河マーチ』として世に広めたのがアーノルドなのだ。
ピータールーとは、1819年マンチェスターで参政権を求める政治集会中の民衆に政府の騎兵隊が突入、死者15名・負傷者400~700名を出した歴史上の事件である。集会が開かれていたセント・ピーター広場の名をとって「ピータールーの虐殺」と呼ばれている。
音楽は、事件の始まりから終わりまでを音によって写実的・叙景的に描き出している。騎兵隊の登場や暴動が頂点に達した瞬間などが、目に見えるように分かる。迫力満点で、ドラマチックで、(不謹慎だが)面白い。
和田一樹、やっぱり‘出だしから調子いい’。
豊島区管弦楽団の技量はかなりのもの。アマオケのトップレベルと言っていいんじゃなかろうか。
ブリテン(1913-1976)の『青少年のための管弦楽入門』は、タイトルどおり、管弦楽にはじめて接する人やソルティのように楽器の音の判別が容易につかない者にとって、とても有難い学習曲である。一つの主題を木管・金管・弦楽・打楽器の順で演奏し、次に各パート独奏で主題の変奏とフーガが提示される。オーケストラを構成する各楽器の音色や特徴や効果を楽しみながら学ぶことができる。
聴く者も楽しいし、おそらくは演奏する者もそれぞれのパート毎に目立つ部分があるので、ふだんは全体の中に埋没してしまう各々の技量を聴衆――とくにパパやママの晴れ姿を見に来た息子や娘たち――に誇示することができる。やり甲斐あることだろう。(こういったプログラムを選ぶあたりに和田の器量があらわれているのかもしれない。)
エリック・コーツ(1886-1957)は軽音楽の作曲家として成功をおさめた。
組曲『ロンドン』もBBCラジオのプログラムのテーマ曲として使用されたことから分かるように、とても耳に馴染むムードあふれる曲。夕食後のひととき、バスローブ姿で窓の外の夜景を見下ろしながらブランデー片手に聴くのにあつらえ向きである――って岡田真澄か!
第1楽章「コベントガーデン」(オペラ座がある)、第2楽章「ウエストミンスター」(皇室の結婚式や葬儀が行われる寺院がある)、第3楽章「ナイツブリッジ」(ハロッズなどの高級品店がある)と題され、ロンドンの名所が謳われている。ソルティも十数年前に訪ねたロンドンの風物や雑踏、多様性に富む市民たち(ロンドン中心部の7割の住民が移民系)を懐かしく思い出した。
趣きの異なる3つの楽章を通じてこの曲の底に響いているのは、テムズ河の流れであろう。テムズこそロンドンの大動脈である。
さて、本日のメインである『ロンドン交響曲』。
いかにもロンドンらしい風光が上記コーツの曲以上に徹頭徹尾描かれているのかと思いきや、なんとまあこれがメッチャ日本的なのである。タイトルに偽りありだ。
もっとも、ヴォーン・ウィリアムズ(1872-1958)はこの曲を絶対音楽として作曲したそうで、直接的にロンドンの風景を描いたものではないとのこと。ならば、このタイトルは損をしていると思う。少なくとも現在では。
あえてタイトルを付けるのなら『アジアン幻想』とでもしたい。そのくらい東洋風、アジア的、和風なのである。おそらく日本人の7割はこの曲を聴けば「日本的」と感じるだろうし、「好き」と答えるだろう。
第1・2楽章はそれでもまだ中国と日本との間をさまよっている。坂本龍一作曲『ラストエンペラー』のテーマや、プッチーニの『トゥーランドット』と『蝶々夫人』、ホウ・シャオ・シェン監督『非情城市』のテーマあたりが次から次へと想起されてくる。かと思えば、王朝の雅楽のごとき古風な調べが耳朶を震わせる。中国と日本との区別のつかない大方の西洋人の描く‘日本’といった感じである。
それが進むにつれ徐々に純日本風に傾いてきて、第3楽章は遊郭のお堀の「柳」が目に浮かぶような美しく哀しいメロディー。どこか懐かしくもある。第4楽章はまんま「桜」。京の都の艶やかな桜、吉野の山のごうごうたる桜吹雪、千鳥ヶ淵の無常なる桜、せわしなく川面に散る隅田川の桜、上野の森の賑やかな桜・・・・。日本各地の桜名所と、桜に対する日本人の想念を描き出したよう。
こんなに幻想的で美しい、日本人好みの交響曲があったとは!
ウイリアムズの前世はきっと日本人であろう。
ウイリアムズの前世はきっと日本人であろう。
もっともっとこの曲が上演されていけば、間違いなく日本人の好きな交響曲の上位に入ってくることだろう。和田がそのあたりを意識して指揮したのかどうかわからないが、曲の魅力を十二分に引き出す名演だったのは間違いない。ぜひもう一度聴きたい。
それにしても、はたしてイギリス人(ロンドンっ子)はこの曲を聴いて「ロンドン、ロンドン、ロンドン!」と思うのだろうか?(このギャクが分かる人はかなり×××)

アンコールの『緑のしだれ柳の岸辺』。
最初主題が流れたとき、宝塚のテーマ曲『すみれの花咲く頃』(原曲はフランツ・デーレ作曲『再び白いライラックが咲いたら』)と思った。たぶん会場の9割はそう思ったに違いない。
和田一樹&豊島区管弦楽団。
クラシックファンなら是が非でも聴いておきたい、いま最もホットなアマオケである。