演目 ジュゼッペ・ヴェルディ作曲『イル・トロヴァトーレ』
日時 8月12日(日)14:00~
会場 サンパール荒川(大ホール)(東京都荒川区)
演出 澤田 康子
出演
レオノーラ:森 美津子(ソプラノ)
マンリーコ:小笠原 一規(テノール)
ルーナ伯爵:佐野 正一(バリトン)
アズチェーナ:河野 めぐみ(メゾソプラノ)
フェランド:比嘉 誉(バス)
合唱 荒川オペラ合唱団
管弦楽 荒川区民交響楽団
今年はソルティの大好きな『トロヴァトーレ』。このオペラのためなら30度越えの外出もなんのその。
公演は土日の二日間で主要な役はダブルキャストであった。11日は昨年見事な蝶々夫人を歌いかつ演じ、客席の紅涙白涙絞り尽くした西本真子がレオノーラを歌う。食指が動いた。が、主にイタリア中心に海外での活躍目立つ森美津子のレオノーラ(12日)も気にかかる。新進気鋭のテノール小笠原一規のマンリーコも聴いてみたい。なんといってもこのドラマチックなオペラの随一のクライマックスは、3幕2場で母親を敵方に捕らえられ猛り狂ったマンリーコの放つ、決めのハイC(高いド)ロングトーンなのだ。若い声帯がモノをいうのは間違いない。
そんなわけで、今回は12日(日)を選んだ。ケチケチしないで両日行けばいいんだが、それやってしまうと、ダブルキャスト公演はすべからく両方とも見たくなってしまう。
指揮は昨年同様、小崎雅弘。
まず、のっけからオケが鳴らしてくれる。メリハリが効いて、思いっきりが良い。そう、多少の失敗など恐れず果敢に打ち鳴らしてこそ、このドラマに必須の情熱と興奮、そして臨場感をもたらす。時は中世、場所はスペイン、背景は王位継承をめぐる熾烈な戦い。鳴らさんでどうする!
昨年に続き、小崎はオペラ指揮者としての類まれな力量を見せつけてくれた。
出だしの男たちの合唱&フェランドの歌唱も素晴しい。比嘉誉は朗々と良く響く低音で、陰惨で薄気味悪い物語へと観客を誘い込むのに成功した。
ここまでは文句ないスタート。
そこから勢いが失速していく。
続いてルーナ伯爵の佐野正一。最高音は半音下がり目だったものの、最初から最後まで声と演技を見事にコントロールして、役柄を保ち続けたのは立派。
舞台外から聞こえてくるテノールの美声は小笠原一規。ソルティの持っている『トロヴァトーレ』CDの比較で言えば、パヴァロッティやディ・ステファノのようなイタリアの突き抜ける青空のごときあっけらかんとした(悪く言えば脳みそがちょっと軽い感じの)テノールではなくて、やや暗めの湿り気のあるテノールである。ユッシ・ビョルリンクのような。『リゴレット』のマントヴァ公爵なら前者だろうが、流浪の民の哀しみと暗さを抱える中世の吟遊詩人(トロヴァトーレ)には小笠原の声はふさわしい。
1幕終場、一人の女をめぐる二人の男(本人達は知らないが実の兄弟である)の文字通りの鞘当て。三重唱の恋愛バトルが繰り広げられる。
歌い手の声量の問題か、オケの音が大きすぎるのか、会場の音響効果のせいか、原因は分からないが歌手の声がオケに消されがち。これでは歌を楽しめない。ドラマにも入り込めない。
歌とオケのバランスが良くない。
アズチェーナ役の河野めぐみは、細い身体で頑張っていたと思う。おそらく数あるオペラの役の中で間違いなく難役トップテンに入るであろうアズチェーナに、体当たりで臨んでいた。この役をリアリティもって歌いかつ演じられるメゾソプラノは世にそういないと思われる。とくに感情を抑えがちで淡泊な日本人には難しい。その意味で敢闘賞ものだった。
ただ、衣装が良くない。河野の細くて美しい両足を見せてしまう丈の短いスカートをどうして履かせたのか。あのモデルのようにスレンダーな若々しい足が見えては、マンリーコ(小笠原)の母親にも、ジプシーの老婆にもまず見えない。スカートの丈なんかどうにでもできるはずなのに、なぜ隠さなかったのか。
まさか客席の殿方へのサービス?←セクハラ発言でした。容赦🙇🙇🙇
演出も昨年同様、澤田康子。
奇を衒わないオーソドックスな演出だった。合唱の多いこのオペラでは、いきおい集団シーンが多い。合唱団のメンバーは有志の荒川区民だろうから、プロに対するような難しい注文はつけられまい。そこを考慮すれば、妥当な演出だったと言えよう。3幕1場の兵士たちの合唱「兵士のラッパは高鳴り」で合唱隊が足踏み行進しながら横一列に並ぶシーンは、客席にいるであろう出演者の親類縁者へのサービスという意味も含めて、愉快であった。区民オペラならではの味である。
こういう場合、開演に先立ち、物語の時代背景やあらすじに関するレクチャーがあっても良いのではないか。舞台衣装を着けた歌手たちを登壇させて、たとえば演出家が登場人物の人間関係や置かれている立場を講談のように面白おかしく説明する。そうすれば、観客は物語に入りやすくなるし、客席と舞台との距離も縮まる。のっけからいい雰囲気が生まれよう。区民オペラなればこそ、そういった庶民的な試みが期待されても良いのではなかろうか。
小笠原一規のハイCは満場を圧倒した。
しかも2度も!
しかも2度目のアンコールのほうが、カバレッタは自由なエネルギーに満ちて流麗だったし、決めのハイCも力強く長かった。
一度目は何事が起ったのかよく理解していなかったような客席も、二度目は完全に圧倒され、万雷の拍手と「ブラボー」の叫びでもって小笠原を讃えた。
客席が湧きたち、場内のボルテージが上がった。
このハイCが他の歌手を焚きつけたようであった。
舞台が俄然、熱気を帯び始めた。
4幕1場のレオノーラの美しいアリア「恋はバラ色の風に乗りて」は絶品だった。今度は声も良く出ていて、テクニックは完璧、悲痛なれどあくまでも叙情豊か。これが国際レベルの歌手の本領と納得の出来栄え。続くミゼレーレの苦悩と怖れの表現も彫りが深く、舞台は悲哀の色で塗りこめられた。嬉しいことに、ソルティの好きなカバレッタ「私より強く愛する者が」も歌ってくれた。
悲痛から、苦悩と怖れを経て、強い意志と自己犠牲の覚悟に至るこのレオノーラの「娘から母への」変身場面を、森はほとんど声だけで表現しきった。
つまり、目に見えて大仰な動きや演技は一切なしに、感情の変化を伝えてしまう。むろん、でくの坊のように突っ立ているわけではない。むしろ高度な演技力というべきだ。抜きんでた声と歌の表現技巧あれば、抑えられた動きのほうがかえって豊かに感情を表現し得る、聴き手に伝え得る、という格好の見本。能の演技に通じるような感さえ持った。
続く、ルーナ伯爵とレオノーラの緊張感走る二重唱も、牢屋内でのマンリーコとアズチェーナのもの悲しくも美しい二重唱も、文句つけようのない出来。ここでようやく、途中まで先走っているかに思えたオケの才気が、歌唱と絡み合った。オケの音量が気にならなくなった。両者は混然と溶け合って、ヴェルディが降臨した。
主役4人がやっと舞台に出揃ったかと思うと、痛切極まりないレオノーラの死、マンリーコの処刑と続く。
あとは、固唾をのみ、身を乗り出して、復讐の幕が落とされるのを目撃するのみ。
今年も荒川区民オペラはやってくれました。
いささか気にはなるけれど、まあ、終わりよければすべて良しということで。
今回は小笠原のハイCに乾杯(完敗)!