とき 3月23日(水)13時~
ところ スタジオフォー(豊島区巣鴨)
演者と演目
1.春風亭 朝也(落語)『片棒』
2.古今亭 駒次(落語)『みんなの学芸会』
3.一龍斎 貞鏡(講談)『木村長門守 堪忍袋』
4.柳亭 市弥(落語)『甲府い』

 半年ぶりの落語、半年ぶりのイチヤ。
 ここ最近、クラシックコンサートのほうに浮気していた。
 ごめんよ、イチヤ・・・。
 
 この期間にイチヤはめっきり、名(と顔)が売れた。「若手イケメン落語家」という触れ込みでNHKの生活情報番組『あさイチ』はじめキー局のテレビ出演が相次ぎ、女性人気うなぎのぼり(かどうかは知らん)。こういう日が来ると思っていた。
 そのせいかどうか、会場は満席であった。(と言っても30名弱だが)
 
 一番手、春風亭朝也(ちょうや)は春風亭一朝の弟子。37歳。2014年に「NHK新人落語大賞」で大賞を受賞している実力者。これがどれほどの賞なのか知らないのだが・・・。
 『片棒』は朝也がよく演じている十八番なのだろう。口舌鮮やか、表現豊か、緩急自在。器用なものであった。
 個人的には、もっと色気がほしいな。
 
 古今亭駒次は古今亭志ん駒の弟子。37歳。鉄道を題材にした創作落語である「鉄道落語」を中心に活動している。公式ホームページを見ると、その鉄道オタクぶりが歴然である。何よりの武器は、人懐こそうな愛嬌のある顔立ち。ギャク漫画の登場人物のような目鼻立ちは、まんま与太郎である。
 『みんなの学芸会』はむろん創作落語。5年2組の小学生たちが学芸会に『ロミオとジュリエット』をやることになった。だれがジュリエットをやるか、主演女優を決める段階からもめるはもめるは・・・・。
 ちびまる子ちゃんの世界を落語にしたみたいで面白い。今日一番笑わせてもらった。
 ‘また聴いてみたい’落語家を一人発見した。
 
 講談を生で聞くのははじめて。一龍斎貞鏡(いちりゅうさいていきょう)という名前は講談師の名跡で、当代は7代目に当たるらしい。祖父も父も好男子――じゃなくて講談師。サラブレットなのである。本人は華のあるなかなかの美女。気風もよろしい。
 『木村長門守(ながとのかみ)堪忍袋』は、豊臣秀吉の跡取りである豊臣秀頼が全幅の信頼をおいたイケメン家臣、木村重成の高潔な人格を描いた講談。場面・情景が目に浮かぶような話しぶり、客席の気をそらさない話芸や集中力は、さすがというほかない。血は争えない。
 
 トリはイチヤ。
 登壇してすぐ気づいたのは「顔が黒くなっている!」
 沖縄でダイビング? 白馬でスキー? 日焼けサロン? 酒の飲みすぎで肝臓を悪くした? それともスタジオのライト焼け?
 色白の美男子が松崎しげるのようになって・・・そこまではいかないか。いつもとちょっと違う妻夫木聡のような精悍な印象で、やっぱ女性ファンを意識している?
 が、マクラに入るといつもの‘ゆるキャラ’ぶりで安堵した。

 『甲府い』は難しい演目だと思う。しっかりとオチはあるけれど、オチで笑わせるような構成にはなっていない。話そのものも、真面目で働き者で信心深い豆腐屋の売り子・善吉を主人公とするだけあって、笑いやおかしみを誘うようなものではない。と言って、先がどうなるかハラハラするような仕掛けがあるわけでもないし、しんみりと涙を誘う人情物でもない。至極平凡な話なのだ。これをそのままテレビドラマにしたら、退屈で仕方ないだろう。
 なので、観客を飽きさせず、注意を演者に引きつけ、終わった後にじんわりと「いい話を聞いたなあ。良かったなあ」と思わせるには、相当の実力を要する。
 客席が途中から「どよーん」としてきて、隣席の男が舟を漕いでいるのを横目に見ながら、「なぜイチヤはこの演目を?」といぶかんでいたのだが、「そうか。新たな高みに挑戦しているんだな」と思った。
 買いかぶりすぎ?
 『片棒』のように話自体が面白くて見せどころ満載の演目なら、客を笑わせるのにたいした苦労はいらない。それならば、イチヤはお手の物だろう。『甲府い』で客を笑わせる、魅了する、あるいは感動させるには、相当な演技力が必要だと思う。フランスの伝説の名女優サラ・ベルナールは、あるパーティ会場でテーブルの上のメニューを読んだだけで、同席していた人々を感涙させたという。真の演技力とは、話の内容やセリフとは関係ない、そのような体と表情と声のみに依った純粋に肉体的な伝達力のことなのだろう。
 杉村春子なら『甲府い』で人を感動させることができたかもしれない。

 もう一つ思ったのは、善吉というキャラである。
 甲府なまりの田舎丸出しの青年が、一旗上げて育ての親である叔父夫婦に恩を返そうと江戸に出てきたところから話は始まる。生き馬の目を抜く大都会、善吉はさっそく全財産入った巾着袋を掏られる。窮したところで出会ったのが、同じ宗旨(日蓮宗)の豆腐屋の旦那。これも何かの縁と、売り子として雇われ3年。女子供に愛される善吉の素直でやさしい人柄と熱心な働きのおかげで店は繁盛、借金もチャラになった。そこで、主人夫婦は善吉を娘婿にと考える。めでたく結婚した善吉は新妻と二人、甲府へと旅立つ。叔父夫婦に恩返しと結婚の報告をするために。江戸に上る前に善吉が成功を祈った地元のお寺に参って‘願ほどき’するために。
 善吉は、なまりも抜けて、垢抜けて、すっかり江戸っ子らしくなった。豆腐屋の若旦那となり所帯も持った。願ったとおりの出世ぶり。
 だが、そこで善吉は、成功した男によくあるように、天狗になるということがなかった。受けた恩を忘れるということがなかった。最後まで、謙虚で真面目で正直で信心深い。
 
 最近、イチヤは売れている。
 テレビ出演あいつぎ、「イケメン」「若手実力派」などと持ち上げられ、女性たちにキャアキャア言われるような機会も少なくなかろう。
 (勘違いしてはいけない)
 (初心忘れるべからず)
 (ここまで応援してくれた人あっての今)
 イチヤは自らを戒めるためにこの演目を選んだのかもしれない。
 
 買いかぶりすぎ? 
 贔屓の引き倒し?