ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

三島由紀夫

● Mの支配力 映画:『獣の戯れ』(富本壮吉監督)

 1964年大映。

 昭和キネマ横丁の一本。
 原作は『愛の渇き』同様、三島由紀夫。読んでいないが、中年夫婦と青年の奇態な三角関係を描いたドラマである。
 身体&知的障害を負った夫と美貌の妻、その妻を慕う若さ溢れる男の共同生活というと、どうしたって『チャタレイ夫人の恋人』を連想させる。あるいは、水上勉の(小柳ルミ子の)『白蛇抄』を。
 不能となった夫に満足できない妻は、滝に打たれたり、夜な夜な自ら慰めたり、水浴する若い同居人の逞しい裸体を覗き見したり・・・・。一方、女主人に恋慕する青年は、日夜悶々としながら覗きや下着いじりなどのストーカー行為に励み、最後は性欲に負け獣に堕ちて禁断の垣根を乗り越えてしまう。
 世の男たちのエロティックな妄想を逞しくさせるシチュエーションの一つである。
 しかも人妻を演じるのが若尾文子ときては、オカズになりそうなシーンを期待するなというのが無理というものである。
 しかし、そんなものはないのである。
 
 三島が描きたかったのは、そんな通俗的な直木賞的なテーマでは断じてなかった。愛憎をめぐる人間の不可思議さであり、対幻想に収斂する近代的な男女の関係にはおさまりきれない人間の情と業とプライドと依存と執着と孤独と退屈の物語であったのである。三島の頭の中には、夫一平と自分を慕う早稲田の学生と三者で共同生活した美貌の小説家岡本かの子(岡本太郎の母)の姿があったのではなかろうか。
 女遊びを繰り返す夫に虐げられているように見えながら、最終的には夫も年下の男も手玉に取って自分の思いの性愛関係を作り上げる主人公優子を、若尾文子が美しく、したたかに演じている。
 若尾文子が演じて優れるのは、日本的な耐える女、因習に閉じ込められた女ではない。
 そのように見せかけながら、上手にエゴを貫き通す、したたかな、しかし哀れな女なのである。
 M(マゾ)の支配力とでも言おうか。


 監督の富本壮吉ははじめて聞く名前であるが、土曜ワイド劇場『家政婦は見た』シリーズの第1~6作までを撮っている。家庭内のおぞましき秘密を撮るのはお手のものというわけだ。



評価:B-

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」     

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」
   
C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!

●  ルリ子、礼讃!! 映画:『愛の渇き』(蔵原惟繕監督)

 1967年日活。
 昭和キネマ横丁の一作。

 三島由紀夫の同名小説の映画化。
 『愛の渇き』は、三島文学の主要テーマである「愛の不毛」「関係の不可能性」を緊密な構成と過不足ない言語表現と渇いた文体のうちに端的に描き切った、三島の数多い小説の中でもっとも完成度の高いものと言える。
 蔵原監督は、適確な脚本と俯瞰撮影に見られるような奇抜なカメラワークとで、原作の持つ抑制された緊張感を映画に移管させることに成功している。
 映画化された三島の小説のうちでは一番良い出来と言っていいのではなかろうか。


 監督の意向に見事に応えたのが浅丘ルリ子である。
 こんなに浅丘ルリ子が凄い演技者だとは・・・迂闊であった。
 むろん、日活のアクション映画のヒロイン(添え物)として石原裕次郎らの相手役をしていたことで軽んじていたわけではない。寅さん映画のマドンナとして一番鮮烈な印象のあるリリーというキャラを作り上げた浅丘を凡庸な役者と思っていたわけではない。蜷川幸雄演出で泉鏡花の‘女’を演じることのできるゴージャスかつ幻惑的な女優は、そうそういない。最近では天願大介監督『デンデラ』で役者根性を見せてくれた。本当に素晴らしい女優である。
 しかし、『愛の渇き』の浅丘は、そういった数々の世に知られた代表作の影を薄くさせるほどの破壊力がある。
 見始める前、この小説の主役・悦子を演じるのは若尾文子か岡田茉莉子か小川真由美ならともかく、浅丘ではちょっと無理があるのではないだろうかという印象を持っていたのだが、なんとも複雑で三島特有の心理学的説明なしに理解し難しいこのキャラを、浅丘は驚くべき直感で肉体化しているのである。なんら過不足ない。

 もう一つ新鮮な驚きは、若き石立鉄男が出ている点である。
 石立と言えば、『パパと呼ばないで』の右京さん(「チーボウ!」)や『赤いシリーズ』でヒロインの前に突如出現する謎の狂言回しのイメージが強いのであるが、ブレークは70年放映の『おくさまは18歳』(主演:岡崎由紀)である。このときからアフロヘアの三枚目として石立はお茶の間の人気者になった。
 『愛の渇き』ではブレーク前の青春そのものの石立鉄男を見ることができる。
 なんとアフロでは、ない!!
 二枚目ではないが、素朴な作男を演じる石立は三島が要求するであろう‘無邪気な、犬のように単純な、健康な肉体性’を発現していて、ヒロイン悦子(=三島由紀夫)を懊悩させるに十分な‘非文学性’を体現している。
 石立は2007年に64歳という若さで世を去った。
 故ナンシー関もしばしば書いていたが、売れている度合いに比して正体の知れぬ不思議な役者であった。
 それだけに無名時代の石立のあどけなさの残る姿には、悦子ならぬともキュンとくるものがある。



評価:B-


A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」     

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


● 映画:『悪徳の栄え』(実相寺昭雄監督)

 1988年にっかつ。

 マルキ・ド・サドの著名な作品の映画化ではあるが、物語をそのままに舞台をフランスから日本に移したというのではない。サド侯爵を気取る不知火(しらぬい)侯爵が主宰する、団員すべてが犯罪者という白縫劇団の演目として『悪徳の栄え』の稽古風景が繰り広げられる。つまり、劇中劇である。
 一方で、不知火侯爵と仲間の貴顕達が日夜溺れる悪徳と退廃の数々が、独特の映像美と陰鬱なライティングによって観る者に供される。
 舞台と日常。虚構と現実。二つの世界は対比されているのではなく、分かちがたく絡まりあっている。虚構(『悪徳の栄え』の舞台)が現実(不知火侯爵の日常)に影響を及ぼし、現実が虚構にオーバーラップする。
 交錯する現実と虚構。グロテスクな映像美。
 まさに実相寺ワールドが展開されている。

 時代は二二六事件の頃だから1936年。軍国主義が席巻し、国際連盟脱退(33年)→盧溝橋事件(37年)→日中戦争→太平洋戦争と、日本が雪崩式に戦争と大いなる破滅へと進んでいった中途である。
 この背景もまたサドが『悪徳の栄え』を書いた背景と重ねてみるべきだろう。
 フランス革命前夜。
  一つの文化が崩壊し、価値観が転換し、世の中が大きく変わるとき。そのための完膚なきまでの破壊と残虐が目の前に迫っているとき。
 そんな時代を予感してか、サド侯爵は出現したのであった。

 サド侯爵が目したものは、まさに道徳や法や宗教や伝統や習俗や階級を超越する‘何か’であり、それが現れるまではひたすらに目の前の共同幻想を破壊しつづけなければならなかった。そのためのエンジンとして使われたのが「悪徳」であり、ガソリンとなったのが「情欲」であった。
 情欲の前には人は、文字通り、すべてをとっぱらって「裸」になるほかないからである。
 
 サド侯爵はともかく、この映画、大がかりな設定と凝った演出のわりには、つまらなかった。
 テーマが今ひとつさばき切れていないためだろう。見終わった後に残るのは、斬新な映像美とアブノーマルな登場人物達とアブノーマルな行為だけである。それだけで何かを訴えるには、平成24年の日本人はもはやイカない。
 たとえば、不知火侯爵が自分の若い妻を劇団の若い男にレイプさせ、その一部始終を覗き見るというシーンがある。1988年では何らかの衝撃なり劣情なり反感なりを観る者にもたらしたかもしれないけれど、現在ではどうだろう?
 「別に・・・・」
 という感じではないだろうか。
 貴顕に限らず、今では一般市民がネットを通じてそこらじゅうで同じことをやっているのを、みんな知っている。
 結局、悪徳もまた古くなるし、退屈なものに変じてしまうのだ。 

いいえ、民衆は道徳に倦きて、貴族の専用だった悪徳を、わがものにしたくなったんですわ。(三島由紀夫『サド侯爵夫人』)

 実相寺にしろ、寺山修司にしろ、三島由紀夫のいくつかの戯曲にしろ、前衛的なものほど古くなるのが早い。そんな逆説を感じさせる映画である。
 これに比べると、公開当時から古くさかった小津映画は、永遠に古くならないから不思議である。



評価:C-

A+ ・・・・・ めったにない傑作。映画好きで良かった。 
        「東京物語」「2001年宇宙の旅」   

A- ・・・・・ 傑作。劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
        「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」
        「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」
        「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」
        「スティング」「フライング・ハイ」
        「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」
        ヒッチコックの作品たち

B+ ・・・・・ 良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
        「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」
        「ギャラクシークエスト」「白いカラス」
        「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・・ 純粋に楽しめる。悪くは無い。
        「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」 
        「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」
        「ボーイズ・ドント・クライ」
        チャップリンの作品たち   

C+ ・・・・・ 退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
        「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」
        「アナコンダ」 

C- ・・・・・ もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
        「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・・ 駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
        「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・・ 見たのは一生の不覚。金返せ~!!


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