ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

上野千鶴子

● 本:『ケアのカリスマたち 看取りを支えるプロフェッショナル』(インタビュアー:上野千鶴子)

2015年亜紀書房発行。

 団塊世代が75歳以上の後期高齢者になるのが2025年。それ以降高齢化率は上がりつづけ、2060年度の予測で人口の4人に1人が75歳以上という超高齢社会がやってきます。この時病院や施設に入れないで亡くなる「看取り難民」とも言われる人びとは、2030年にピークを迎え、47万人にものぼると言われています。
 こうした状況を踏まえて、すでに政府も、病院から在宅死の方向にギアチェンジしています。この時に問題になるのは、家で死にたいと思っても、もはや看取る家族がいないということです。(本書より引用、以下同)

 すでに社会問題となっている高齢者の孤独死や、老老介護の行き詰まりから起こる高齢夫婦の相方殺しあるいは心中。「看取り難民」はほうっておけば増加する一方である。

 どうしたら、長年住み慣れた我が家で、必要な介護や医療を受けながら‘おひとりさま’でも安心して幸福に最期を迎えることができるのか。

 人生の秋の声を聴いた者なら誰もが気になるこの問いについて、‘おひとりさま高齢者’の一人として高い当事者意識を持つ論客にして活動家たる上野千鶴子が、各地で先進的な在宅看取りケアの仕組みを創り上げ今まさに実践中の11人のプロフェッショナルにインタビューする。11人の取り組みは成功モデルとしてマスメディアにも取り上げられ業界内で話題となり、他地域で追随者を生んでいる。いわば、在宅看取りケアのカリスマたちである。
 11人の顔ぶれ。

医師系
  • 山崎章郎(やまざきふみお)・・・1947年生。東京都小平市で在宅診療専門の「ケアタウン小平クリニック」開設。在宅ホスピスケアを実践している。
  • 松村真司(まつむらしんじ)・・・1967年生。東京都世田谷区にある松村医院院長。地域の在宅医療に力を入れている。
  • 英裕雄(はなぶさひろお)・・・1961年生。新宿ヒロクリニックを開設。地域の在宅療養を専門に活動を続けている。
看護師系
  • 秋山正子(あきやままさこ)・・・1960年生。訪問看護師。㈱ケアーズを運営し、新宿区の在宅ケア(訪問看護&訪問介護)に携わっている
介護師系 
  • 小山剛(こやまつよし)・・・1955年生。新潟県長岡市の高齢者総合ケアセンター「こぶし園」の総合施設長。介護が必要な高齢者を「施設」から「地域」に戻す活動を進めている。
  • 高口光子(たかぐちみつこ)・・・熊本県内のいくつかの介護老人保健施設の看護・介護部長をつとめながら全国各地で講演活動を行っている。三好春樹と並ぶ介護業界のカリスマの一人。
リハビリ系 
  • 藤原茂(ふじわらしげる)・・・1948年生。作業療法士。各地にデイサービス「夢のみずうみ村」を開設し、ユニークなプログラムやサービスで利用者のADLを高め人気を集めている。
住宅提供系
  • 近山恵子(ちかやまけいこ)・・・1949年生。一般社団法人「コミュニティネットワーク協会」理事長。「友だち村」「ゆいまーる」シリーズ等、多くの高齢者住宅をプロデュースしている。
NPO系
  • 柳本文貴(やぎもとふみたか)・・・1970年生。NPO法人「グレースケア」設立。介護保険制度の枠を越えたホームヘルプ事業を東京都三鷹で展開中。
  • 柴田久美子(しばたくみこ)・・・1952年生。一般社団法人「日本看取り士会」代表。看取り士として、依頼者が余命告知を受けてから納棺に至るまでの人生最期のプロデュースを行っている。
  • 市原美穂(いちはらみほ)・・・1947年生。民家を利用したホームホスピス「かあさんの家」を宮崎県内で開設し、一人暮らしが困難な人たちの最期を支えている。

 11名の保有資格や本来の専門分野が様々であるところが本書の魅力の一つである。異なった立ち位置や視点から在宅看取りケアの周辺や課題を学ぶことができる。と同時に、対談相手の多様性は、在宅看取りケアは一つの専門職だけで担えるものではないということの表れでもある。当事者の家族、友人、近隣住民、ボランティアらも含めたネットワークの構築、連携が大切なのである。

 上野はあとがきでこう述べている。

 本書に登場するひとびとに話をお聞きして、わたしの得た最大の成果は、「安心」でした。こうすればおひとりさまでも家で死なせてもらえる、と。

 残念ながらソルティはそれほど「安心」できなかった。
 医療や介護保険の制度では埋めることのできない制度の谷間で、ほとんど持ち出しに近い博愛精神で当事者本位の取り組みを実践している人たちが各地にいることはとても心強く、「人間捨てたもんじゃない」と思う。頭が下がる。
 しかし、読んでいると、やはりここでも最後に物を言うのはお金である。在宅ひとり死を可能にするには、家賃や生活費は別として、(月額20万円×余命月数)は必要と上野は試算している。むろん、介護保険をしっかり使っての話である。
 不動産(持ち家)も貯蓄もないソルティのような‘貧乏おひとりさま’は、このまま歳をとって体を壊して仕事ができなくなったら年金だけが頼りである。当然年金だけで暮らしていけない。それもこの先どう目減りしていくか分かったもんじゃない。いざとなったら生活保護という手もあるけれど、これもまたこれから先受給者数や受給額が抑制されることはあってもその逆はまずないだろう。月額20万なんてとてもとても・・・・。
 持ち家がないということは「我が家で死にたい」という欲求の持ちようもないわけで、そこは何らこだわりは持っていない。「家で死にたい」という上野の切実な思いには正直共感できない。が一方、「施設に閉じ込められて‘健康維持’の名目のもと、あるいは‘集団生活’の大義名分のもと、いろいろと制限され管理される最期はいやだなあ」と真底思う。(介護施設で働きながらそう思わざるをえないのがつらい・・・) 
 今の制度のもとでは、生活保護になったらまず間違いなく最期は介護施設か病院送りになるだろう。
 いっそ冬山にでも行くか・・・。
 お金があれば、そこは選択の余地がある。死ぬまでワガママの言える高級有料老人ホームに入居することもできれば、全額自費で24時間付き添いの看護・介護を雇うこともできよう。医療保険・介護保険でカバーできない部分を本書に紹介されているような社会資源を活用しながら、最期まで自宅で暮らし看取られることもできる。
 「上野が安心できるのは、やっぱり金持ちだからなんだろうなあ~」と皮肉の一つも言いたくなる。しかもソルティと違って人脈豊かだし・・・。
 自業自得か(爆)

 施設でもなく、病院でもなく、我が家でもなく、「安心」して幸福に死ねる道ってないのか?

 。


不老山 001




 
 






 

● この男、買います! 本:『性風俗のいびつな現場』(坂爪真吾著)

2016年筑摩書房刊。

 母乳専門店というのがある。
 子供を生んで間もないマザーたちの母乳を男たちに吸わせて金を取るお店である。利用客には自衛隊員や警察官、レスキュー隊員や教師などのお固い職業の者が多いと言う。マザーたちは、母乳が良く出るように納豆や豆腐などの植物性タンパクを摂取するなど、日々工夫を怠らないそうだ。
 基本、当人同士が納得し、よそ様に迷惑かけない限り、他人がどんなセックスしようがどうでもいいと思うのだが、気掛かりなのは感染症である。
 母乳を飲むことでHIVに感染するリスクがある。感染している母親の母乳の中にはHIVが多量に含まれていて、それが口の中の粘膜を通して受け手に侵入する可能性がある。いわゆる‘母子感染’ルートである。HTLV-1(ヒトT細胞白血病ウイルス)もまた母乳を介して感染し得る。この二つは妊婦検診の項目に入っているので、検診を受けて陰性(感染していないこと)が判明しているマザーの母乳であれば、まず安全と言えるかもしれない。が、経済的理由などで未受診のまま出産するマザーが少なからずいる。その層はかなりの高確率で風俗で働く層と重なるのではないだろうか。
 
 セックスワーカーでもなく風俗利用者でもない自分は、性風俗には疎いし当事者意識も低い。が、HIVのボランティアをやっていて、風俗で働いている男女や風俗で遊んで感染不安に陥った男から相談を受けることが多いので、上記の母乳専門店のような‘業界の現状’はある程度知っておきたい。
 そんな理由から本書を手に取った。

 著者の坂爪真吾は1981年新潟県生れ。東京大学文学部卒。あの有名な上野千鶴子のゼミ生だったというから、社会学に興味あるフェミニストと思われる。重度身体障害者の射精介助サービスを行う一般社団法人「ホワイトハンズ」の代表をつとめる。風俗産業の社会化を目指す風雲児である。
 本書は、学生の頃から性風俗のフィールドワークを続けてきた坂爪が、現在の性風俗の現状について以下の3つの問いに答えたルポルタージュである。同時に、3番目の問いに対しての処方を提示するアドボカシーと実践の報告書である。
    1.  今、現場で何が起こっているのか
    2.  その背後には、どのような社会問題が潜んでいるのか
    3.  それらの問題は、どうすれば解決することができるのか
 目次を見るだけでも結構刺激的であり、ソルティなどは純粋に社会学的な(性的ではない)興味をそそられる。性風俗もとい男のセクシュアリティの多様性と、その需要を狙って次から次へと立ち上がる‘特殊(マニアックな)’風俗店の商魂に感嘆する。そして、そこで働く(そこでしか働けない)女性たちの背景が気にかかる。
 紹介されているのは、①地方都市の郊外にある自宅でデリヘルを経営していた男性障害者、②本来なら女性が一番働けない時期にだけ働くことのできる妊婦・母乳専門店、③ネットカフェを女性の待機場所にする‘風俗の墓場’と言われる激安店、④「デブ・ブス・ババア」を集めた地雷専門店、⑤「女は52歳から」を歌い文句とする熟女専門店、などである。
 うひゃあ
 これらの‘濃くてキツい’お店で働く女性たちや、経営している男性たちを取材し、性風俗業界が貧困女性や障害を持つ女性のセーフティネットの役割を果たしていることを、著者は描き出している。
 たとえば、

新生児を抱えた産後1~2ヶ月の女性が、週2回、わずか2時間程度の勤務(無料の託児所付)で月に10万~30万稼げる仕事は今の社会に存在しない。こうした妊婦・母乳風俗店の存在によって救われる人や助かる生活があることは、まぎれもない事実だ。こうした店を否定したいのであれば、同じ条件の仕事を用意するか、未婚妊婦や若手シングルマザーへの現金給付や社会的支援を手厚くする必要があるが、いずれも短期的には実現不可能だろう。

管理売春は、一般的には「問答無用の絶対悪」とされているが、管理されてはじめて稼げる女性、容姿や年齢にハンディがあるため過激なサービスに頼らざるを得ない女性、福祉や行政とつながれない、もしくはつながっても生活の困難から抜け出せない女性にとっては、管理売春の場で働くことが唯一の「福音」となってしまう、というジレンマがある。

「風俗はどう考えても今の社会に必要なんですよ。空いた時間に来られる。シフトも自分で決められる。お金も現金当日払いでもらえる。そんな職場はほぼ無いですよね。仮に風俗が日本から消えたとしても、死ぬほど困る男はいない。でも生活に困窮している女性にとっては死活問題です。僕は熟女に感謝している。風俗に人生を救われたので、その恩返しとして死ぬまで熟女にかかわる仕事がしたい。」(40代で転職し熟女専門店「おかあさん」を経営する男性の言葉)

 離婚し子供を抱えた母親、知的障害や精神障害があって就労困難な女性、仕事を見つけるのが難しい中高年女性、過去に風俗で働いたため履歴書に空白ができてしまう女性、‘フツウ’の風俗店だと面接で切られてしまう容姿に難がある女性、生活が困窮していても家族を含め誰も頼る人のいない女性・・・・・。こうした女性たちが現実にたくさん存在して、現行の法律や制度では支えることができず、また家族や友人・知人、ご近所や地域の力も必要十分なほど得られないのなら、彼女たちが生きる手段として性風俗で働くほかに何が残っているだろう? 警察のご厄介になって塀の中に収容されるくらいしかあるまい。
 一方で、坂爪が指摘しているとおり、だからと言って風俗の社会的意義を表社会に認めさせることは不可能に近い。それに、働く女性に否応無く降りかかる性暴力、妊娠・堕胎、性感染症をはじめとする健康被害、ストーカー、盗撮、プライバシー蹂躙、精神的荒廃などのリスクも軽視することはできまい。

 こうした超えられない限界や消せないリスクに対処するためには、どうすればいいのだろうか。
 答えはただ一つしかない。福祉との連携だ。多面体の風俗の世界で起こっている目の眩むような複雑な現象を、メディア上でセンセーショナルに「単純化」「商品化」して消費することに終始するのではなく、福祉というフィルターを介して、個々の現象を丁寧に分析した上で「社会問題化」することができれば、そこから司法や医療といった表社会の人材や制度、スキルやノウハウを風俗の世界に招き入れることができるはずだ。

 坂爪を「えらい、素晴らしい」と思うのは、10年以上のフィールドワークで到達したこの結論を、評論家のように処方箋として提起してそこで話を終えるのではなく、それを具体的な実践として目に見える形にしているところである。戦略的な活動家の顔も持つのだ。その点で、ゼミの恩師の上野を承継している。
 坂爪は、本書で紹介されている激安風俗店「デッドボール」の女性待機部屋に、一般社団法人「インクルージョンネットかながわ」で若年生活困窮者を支える活動をしている臨床心理士の鈴木晶子および坂爪の知り合いの弁護士らを招いて、無料の生活・法律相談会を開催した。風俗とソーシャルワークの連携モデルケースを作ったのである。本書では、実際の相談会の模様やそれを通して見えた働く女性たちの「意外な事実」も報告されている。
 なるほど、相談事務所を構えてセックスワーカーが来るのをいすに座って待っていても時間の無駄である。客観的に支援が必要なことは明らかだけれど、「自分が支援を必要としていることすら認識できない」and/or「どんな支援があるのかわからない」and/or「どうやって動いたらいいのか分らない」and/or 「自分ひとりでは手続きができない」女性たちのいるところに直接出向いて、仕事の合間に当人の顔を見ながら話を聴くに如くはない。

 風俗の世界には、私たちの社会が抱えている問題が最も先鋭化された形でリアルタイムに反映される。妊産婦やシングルマザー、障害者や中高年女性など、社会的には弱い立場にある女性たちが集まる業種になればなるほど、そうした問題がもたらす不幸や悲劇は、彼女たちの無防備な裸体と人生に荒々しく焼き付けられる。
 風俗の世界の課題を解決するためには、夜の世界に生きる当事者たちの言葉やニーズを昼の世界の非当事者たちに伝わる形に翻訳して発信するスキルだけでなく、昼の世界の社会福祉制度、支援のスキルやノウハウを、夜の世界の当事者たちに伝わる形に加工して届けるスキルを併せ持った、「夜のソーシャルワーカー」が必要となる。

 現在ホワイトハンズは、この「夜のソーシャルワーカー」の育成を目指して、風俗と福祉をつなぐことをテーマにした「風俗福祉基礎研修」を定期的に開催している。
 頭が良くて、大胆で、行動力があって、偏見や因習を超越した柔軟性があって、加えて楽天家。 
 坂爪真吾---この男、‘買い’である。 

 本書のあとがきで、坂爪からクイズが読者に提出される。
「本書には、これまでの風俗関連書籍の中で100%と言っていいほど使われてきた‘ある言葉’が使われていないが、それは何か?」
 
 さて、何だろう・・・・・?
 ソルティは『倫理』ではないかと思うのだが。
 
 

● 本:『上野先生、勝手に死なれちゃ困ります 僕らの介護不安に答えてください』(上野千鶴子、古市憲寿共著)

2011年光文社刊行。
上野先生

 同じ社会学者の肩書きを持つ、顔と名前の売れている師弟の対談であるが、プロとしての力量差は歴然である。知識の差、経験の差、業績の差、社会的信用度の差、世間への影響力の差、交友関係の差、社会運動家としての実績の差・・・・。はじめから、同じ土俵に上がってがっぷり四つに組んだ対談は期待できない。新進気鋭の20代(当時)の社会学者が、功なり名を遂げた60代の社会学者に教えを乞う、インタビューして知恵を分けてもらう、というスタンスになるのは仕方ない。
 その意味で、この本の価値の一つは、『おひとりさまの老後』『男おひとりさま道』『ケアの社会学』という著書を持ち、自他共に認める日本の介護問題のオーソリティたる上野千鶴子の胸を借りて、介護のことなど何も知らない(ように見える)古市憲寿が、介護保険制度をはじめとする介護をめぐる‘日本人なら知っておきたい’トピックについて、自らの漠たる介護不安を隠すことなく率直に問いかけ、それに対して上野が懇切丁寧に答えているところにある。
 つまり、‘介護問題’の入門テキストとして――排泄や移乗といった具体的なケアの仕方についてのマニュアルではない――非常に読みやすく、わかりやすく、役に立つものとなっている。
 たとえば、なぜ介護保険制度が必要とされたのか、その基本的な仕組みはどのようなものか、親が自分の介護者として望むのは誰か、親の介護にいくらお金が必要か、良い施設の見分け方・・・なんてことが取り上げられている。
 介護の仕事に携わっている自分(ソルティ)は、興味深く、かつ、いちいち頷きながら読んだ。
 以下、上野の発言から引用。 
 

●介護には親子関係の歴史が反映する。だから、心配になったら、何よりもまず親と話してみること。それに尽きると思う。

ソルティ:介護施設で働き始めてすぐ気がついたことの一つに、「子供は、まさに‘自分が育てられたように’親を介護する」というのがある。叱られて育った子供は、ボケた親を叱りつける。親に振り回されて育った子供は、親(と施設)を振り回す。何くれと干渉されて育った子供は、何くれと親の介護に干渉する。
 

●介護問題の非常に深刻なところは、価格とサービスの質が連動しないこと。だけど子どもはそれを見て見ぬフリをする。なぜかというと、サービスの利用者とは、「高齢者ではなく家族」だから。

ソルティ:介護付き有料老人ホーム「Sアミーユ川崎幸町」の虐待事件を挙げるまでもない。かえって、有料老人ホームほど「高い金を払っているのだから」と利用者も家族も我儘になり、職員のストレスが高まるリスクは高いかもしれない。
 

介護のタブーをまとめておきましょうか。まず若者に対して言いたいのは、介護のために仕事を辞めるのは絶対にダメってこと。・・・・・・・・ 
 それから第二に、できるだけ同居は避ける。なぜかというと、同居したとたん、介護が24時間になるから。別居していれば、介護はパートタイムになる。介護をするなとは言わない。してあげたければ、できる範囲でやったほうがいい。それなら通いで介護をしたらよい。つまり、距離を置くということが大事で、自分の暮らしの場を介護職場にしないっていう選択をするべき。余裕を失ったら、親も子も追い詰められるから。・・・・・・
 最後の一つは、一人っ子の場合。一人っ子の介護負担って、実はすごく重い。介護負担は分散できても、「介護責任」の分散はできないから。親の生き死にに関わる意思決定を、一人でしなければならない。だから、この場合も、親の意向をよく聞いておけば、自分の精神的な負担を減らすことができるよね。 

ソルティ:現在介護職の自分は、親の介護が始まると、「仕事で介護、家でも介護」の介護尽くしの一日になってしまう。なるほど、同居は賢くない。


 ところで、介護問題を中心に上野の根拠確かな知恵と潤沢な情報を引き出すだけなら、なにも古市を対談相手に持ってくることはない。光文社の編集者なり、フリーライターなりが、インタビューしてまとめればそれで済む。プロの編集者のほうが、よっぽど読んでわかりやすいように上手に筋道を立てて話を持っていけるだろう。上野から上手に話を引き出すテクニックもあるだろう。ある程度は事前勉強して臨むだろうから、より深く本質的な話が展開されるかもしれない。
 古市にはそれは望めない。
 そして、そこにこの本のもう一つの価値を見出すことができる。
 
 上野と古市との関係は、ほぼ団塊世代とその子供の関係に相当する。その擬似親子関係による対談だからこそ、団塊ジュニアであり、若者のオピニオンリーダーでもある古市の発言を通して、‘いまどきの若者’のメンタリティを窺い知ることができる。上野の、あたかも物分りのいい聞き上手な母親のような作法が、それを巧みに浮かび上がらせてしまうのである。
 その意味で、この対談の隠された真のテーマは、現代若者像を炙り出すところにあり、真のインタビュアは実は上野のほうなのかもしれない。
 
 何より面白いのは、そのようにして自らが浮かび上がらせた団塊ジュニアのメンタリティを突きつけられて、上野自身が「絶句する」「あっけにとられる」「心胆寒からしめる」「二の句が継げない」「あきれかえる」といった反応に陥っているところである。
 自分の手元には、新進気鋭の社会学者&フェミニストとしてブイブイ鳴らしていた頃の上野の対談集『接近遭遇』(勁草書房、1988年)という本がある。ここで上野は、それこそ当時の日本の知を代表する錚々たる顔ぶれの男達(吉本隆明、浅田彰、金子郁容、鴻上尚史、金塚貞文ら9名)と、まさに同じ土俵に上がってがっぷり四つに組んで渡り合っている。これだけ俊英なる男性論客と対等に議論できるほどの知性と言葉を持った女性論客は、上野以降出現していないのではないかという気がするが、それはともかく、この男性論客の誰一人とて、本書の古市ほどには上野を狼狽させていない。

接近遭遇
 
 たとえば、「親が死ぬのが怖い」という古市の言葉を、上野は理解できない。親が死ぬのは確かに悲しいけれど、同時に「肩の荷が下りる」「重荷が外れる」という解放感があるから、と上野は続ける。

上野 親より先立つのは親不孝だっていう気持ちはないの?
古市 いや、あんまりないですね・・・・。もちろん親不孝だとは思いますけど、親より先に死んではいけないっていう規範よりは、親に先に死んでほしくないっていう気持ちのほうが強いかな。
上野 じゃあ、親が生きてるあいだに自分が死ぬほうがラク!?
古市 ああ、ラクですね。親が悲しむのはわかるんですけど・・・・。
上野 自立したくないって欲望を突き詰めると、親がいるあいだに自分が死にたいって気持ちが出てくる。自分が庇護される側のまま、一生子どもとして生きて、子どものまま死にたい。団塊世代はこういう子どもを育てたのか!
古市 そうかもしれません。親子の庇護関係を変えたくない、親のケアをするほうに回りたくないっていうのが介護不安になっているのかも。・・・・・・・・・・
上野 親子という庇護関係が変わらないうちに、自分が庇護される側のままに死にたいってこと? 寛大なパトロンを一生失いたくない。そのパトロンがパトロンとしての力を持っているあいだに死にたい。こういう子どもを育てちゃったんだ。団塊世代は。怖すぎるわ。

 対談相手が上野ではなくて、たとえば西部邁や曽野綾子や金美齢だったら、「あんた、性根が腐っている!」と机をたたいて憤然と席を立つことだろう。いや、西部や曽野のような保守論客でなくとも、ある世代より上の人間なら、いかりや長介のごとく「ダメだ、こりゃ」と吐き出して、対談をそうそうに切り上げることだろう。(それこそ古市の思う壺なのだろうが・・・)
 
 古市を通じて窺うことのできる‘きょうび’の若者のメンタリティとは何か?
 ジコチュー(自己中心的)――である。

 むろん、古市憲寿という個人のパーソナリティに由来する部分も少なからずあるとは思う。古市と同世代の若者でも、上記の古市の発言に違和感を持ったり、憤りを感じたりする人間はいることだろう。
 しかし、古市の書く本が話題となり、連日のようにメディアに登場して、若者世代のオピニオンリーダーあるいは代弁者として振舞っていることを思うと、やはりかなりの部分、いまの若者のエートス(特徴)を、彼と彼の言葉が代表していることは否定できないだろう。 
 といって、自分(ソルティ)は、古市を批判も非難も否定も断罪も揶揄もしない。できない。古市のさらけ出すエートスは、かつて「新人類」と言われた自分たち世代もかなりの部分共有するからである。ただ、上野が代表している「旧人類」の常識がどんなものかを知っているので、そしてその一部を幾分内面化してもいるので、古市ほど無自覚におのれの欲望をさらけ出さない賢さ(=狡さ)を持っているだけである。だから、古市の発言に心の奥のほうで共感する一方で、上野の狼狽する理由もよくわかる。

 思うに、ジコチューの一番の原因は、新人類(1964東京オリンピック前後の生まれ)以降の世代は、「なにもかもお膳立てされた社会に産み落とされ、それをあたりまえとして育ってきた」というところにある。生まれたときに‘戦後’は終わっていて、焼け野原は消失し、高度経済成長に入って物資は豊かにあり、法や制度は自らの知らないところで機能しており、社会は「ほぼ完成されて」いた。たとえれば、‘旧人類’が「何もない焼け跡から苦労してディズニーランドを建設した、あるいはその現場を間近に見て育った」としたら、‘新人類’以降の世代は「生まれたときからディズニーランドにいた」のである。それ以外の世界を知らないのである。戦争も焼け跡も戦後の復興も、話としては聞いても、それもまたランドの一つの‘時代回顧型アトラクション’のように思えるのである。
 お膳立てされた社会に生まれ育った人間は、当然、自分のために、社会が、親が、周囲が、動いてくれるものととらえる。自分からは何一つ動かないで(アクションを起こさずに)、周囲がやってくれるのを待つのが習性となる。まさに‘バカ殿’である。
 このあたりの事情をよく表している古市と上野のやり取りがある。

古市 ただ意識調査を見ても、政治で社会を変えられると思う人が少ないというのは、日本の若年層の特徴です。政治の領域と、私生活の領域をリンクさせる仕組みが社会に用意されていないのは、問題だと思いますけど。
上野 そういうときに「社会に用意されていない」って言い方が、私にはひっかかる。
古市 自分たちでなんとかしろってことですか?
上野 そうよ。これまでの世代だって作り出してきたんだから、
古市 じゃあ自分たちで作らなきゃいけないんですか?
上野 わお。それ以外に何かある?

 まるで落語か漫才のようである。(って他人事にするな)

 「あとがきに代えて」と題する古市への手紙のなかで上野はこう記している。

 そういうナナメの立場から見た、団塊世代と団塊ジュニアの親子関係は、予想していたとはいえ、いやはや、というほかないものでした。自分と同世代の親の立場から見聞きしていた親子関係と、あなたのように子の立場から耳にする親子関係の証言とは、予想通りに符合し、わたしの世代はなんというジコチューの子どもたち、子ども部屋から永遠に出たがらない子どもたちを育ててしまったのか、と感慨を覚えました。


 上野が古市のジコチュー発言に最後まで忍耐強く誠実に付き合えるのは、上野自身の類まれなる包容力や師としての後進への愛があるからにほかならないけれど、また一方で、古市のような若者を作り出してしまった一番の原因が、自分たち団塊世代の育て方にある、すなわち「全共闘的メンタリティ」にあることを自覚して、痛感しているからである。(橋本治はそれを一言で、「大人はわかってくれない」とくくった。)
 全共闘に敗れ、長い髪を切ってスーツを着て、‘社畜’に転身した団塊の世代は、外見から見ると、自分たちがかつて否定した「大人」になったのだけれど、中味はずっと「全共闘の青年」のままだったのだろう。だから、自分の子どもも「大人」にしたくなかった。できなかった。
 その結果をいま、成人しても自立(自活)できない子供にすねをかじられる、という形で引き受けている。そして、来たるべき団塊介護時代において、どんな形かは推測つかないが、文字通り‘身をもって’引き受けることになる。(そのときまで、自分は介護の仕事を続けているだろうか?)

 子は親の鏡。
 この言葉は、いつの時代でも、どこの国においても、真実である。


 

● 本:『男おひとりさま道』(上野千鶴子著、法研)

男おひとりさま道 男も女も年を取ったら同じ。肉体も頭脳も衰えるし、社会的な役割も失っていく。孤独も死の不安も同様にある。ようやっと、訪れた男女平等。
 と言いたいところだが、やはりジェンダー差が歴然とある。

 姉妹書(兄妹書?)の『おひとりさまの老後』と比べて読むと、つくづく「男」がひとりきりで年を取るのは難しいと感じる。
 経済的な面では、一般に現役時代から収入の多い男のほうが有利かもしれないが、それ以外の面で、男が女に勝てるものはほぼない。勝つとか負けるとか言っている時点で、己が男たるゆえんか(笑)。

 しかし、冗談ではない。
 現役時代、仕事ひとすじで来て家庭のことはすべて妻にまかせてきた男が、定年退職したあと、妻に離婚あるいは死別されたら、どうなるか。
① 家庭のことができない。掃除も料理も洗濯もままならない。
② 人間関係を失う。仕事以外の人間関係を築いてこなかったツケが回ってくる。今から友達を作ろうにも作り方がわからない。続かない。
③ やることがない。仕事一筋で趣味もなければ、「毎日が日曜日」は、日々退屈地獄となる。
 
  その上、娘や息子らとも疎遠になっていたら、病気に冒されたら、下手すると「ゴミ屋敷で孤独死」もあり得る。
 そうならないようにするにはどうしたらいいか。
 痒いところに手の届くように、具体的に懇切丁寧に指南してくれるのが、この本である。


 いまどき離婚するカップルは珍しくないし、どんなに仲の良い夫婦でも同時に死ねるわけではない。妻のほうが先立つこともざらだ。再婚という手もあるけれど、それ相応の財産と人間的魅力とがなければ、男やもめに来てくれる女性を見つけるのは難しいだろう。そうなると、「年老いて男ひとり」は避けられない。でなくとも、自分みたいに非婚シングルのまま年を取る男もこの先どんどん増えるだろう。
 男が「おひとりさま」で生きていく、生きられる技術を身につけておくのは必須と言えよう。


 著者の提唱するメニューの中で、面白いと思ったもの。


1.「おひとり力」をつける。

 これは、ひとりでいることがちっとも苦にならず、むしろ至福を感じることができる能力。そのためには、一人きりでも楽しめる趣味や娯楽やライフワークを持つことが鍵である。
(自分の場合、おひとり力はかなりのポイントだと思う。一人でできる趣味ばっかり持っている)


2.弱さの情報公開

 本文から。

 男が女とちがうのは、同じくらい弱いのに、自分の弱さを認められない、ということだ。弱さを認めることができない弱さ、といおうか。これが男性の足をひっぱることになるのは、老いるということが、弱者になることと同じだからだ。 

 そう。自分の弱さを認められなければ、他人に「ヘルプ」と言うことができない。いざというときに助けてもらえない。「強い」男を演じ続けるのも大概にしなければなるまい。

3.友人を作るなら「選択縁」


 選択縁とは、血縁でもなく、地縁でもなく、社縁でもない、自ら選べる縁。

 (選択縁は)志や教養、趣味、思想信条、ライフスタイル、学歴や経済水準などで、あらかじめスクリーニングされているから、打率が高い。よりすぐりの釣り堀のなかで、気の合う相手を選べばよい。 

 
 要は、趣味の友達であったり、ボランティア仲間であったり、同じ宗教の徒であったり。
 言うまでもなく、そうした縁につながるよすがをある程度若いうちから持っていることが有利となろだろう。五十の手習いはものになるが、七十の手習いはなかなか厳しそうだ。
 そして、選択縁づきあいに成功するための「七戒」というのが白眉である。

 その1 自分と相手の前歴は言わない、聞かない
 その2 家族のことは言わない、聞かない
 その3 自分と相手の学歴は言わない、聞かない
 その4 おカネの貸し借りはしない
 その5 お互いに「先生」や「役職名」で呼び合わない
 その6 上から目線でものを言わない、その場を仕切ろうとしない
 その7 特技やノウハウは相手から要求があったときだけ発揮する

 なんだかまるで「オタク」の交流ルールみたいである。オタク男には結構楽しい老後が待っているのかもしれないな~。
 この七戒がわざわざ披瀝されるのは、「男」が他人とのつきあいにおいて思わずやってしまう過ちが、この七つの反対の行動ということだ。
 ご同輩よ、気をつけよう!

 
 著者にとって、男が良いおひとりさまの老後を過ごそうと思うのなら「男」の鎧を脱ぎ捨てなさい、つまり「男を下りる」に限る、ということになろう。
 確かに、「下りた」ところで、金玉がついている以上、男は男にかわらないのだ。それがもはや役に立たないものであったとしても・・・。
 筋金入りのフェミニストの面目躍如たる結論だとは思う。男の幸福を願う著者の愛も感じる。

 けれど、バカは死ななきゃ治らないっていうからな。

 バカのまま死ぬのも「おひとりさま道」と覚悟するのもありだろう。


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