ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

丹波哲郎

● ブーム再来なるか? 映画:『空海』(佐藤純彌監督)

1984年東映。

監督:佐藤純彌
企画:全真言宗青年連盟
脚本:早坂暁
音楽:ツトム・ヤマシタ
キャスト
  • 空海:北大路欣也
  • 最澄:加藤剛
  • 薬子:小川真由美
  • 橘逸勢:石橋蓮司
  • 藤原葛野磨:成田三樹夫
  • 平城天皇:中村嘉葎雄
  • 嵯峨天皇:西郷輝彦
  • 桓武天皇:丹波哲郎
  • 泰範:佐藤佑介
  • 阿刀大足:森繁久彌

 弘法大師空海(774-835)入定1150年を記念し、全真言宗青年連盟映画製作本部が東映と提携して製作した映画である。青年連盟は映画公開前に前売券200万枚(総額20億円)を完売させ、巨額な製作費(12億円)を可能にしたという。
 真言宗のお墨付きで上映時間約3時間と来れば、敬遠したい向きもあるかもしれない。偉大なる開祖・空海上人を最大限持ち上げた真面目な(つまらない)布教映画であろうと想像するかもしれない。ソルティは半ばそうであった。そのうえ、空海を演じるのが北大路欣也と来ては「ミスキャストだろう」の思いがあった。北大路は三島由紀夫に愛されたほどの名役者であるのは間違いないが、あまりに濃い顔立ちと生々しい肉体性とが聖人・空海にはふさわしくないと思った。俗っぽ過ぎる。これが日蓮ならわかるのだが・・・。
 空海の生涯を復習するくらいの気持ちでさほど期待せずに見始めたのだが、開けてビックリ玉手箱。実に見応えあって面白かった。3時間モニターの前に陣取る価値は十分ある。三國連太郎監督『親鸞 白い道』同様、非常に良くできた、質の高い伝記&娯楽映画と言えよう。

 実際、空海の生涯はそのままで十二分に波乱万丈で面白い。
 四国(讃岐)の豪族の三男として生を享け、神童の名をほしいままにし、10代半ばで叔父を頼って上京。京都の大学を中退して四国の山野に修行。室戸岬で金星が口に入って悟りを開く。30歳を過ぎて京に戻るも遣唐使として中国に行き、密教の真髄を極める。帰国後は鎮護国家の要としてライバル最澄とともに朝廷に重用される一方、民衆のために治水工事を指揮し学校(綜芸種智院)を作る。62歳で高野山に没す。

 空海の生涯をおおむね忠実にたどりながら、そこに時代背景や天災や権謀術数をからませ、エンターテインメントしても一級の作品になっている。見所満載である。
 たとえば、
  1. 奈良(平城京)からの遷都風景 ・・・・行列する人々の衣装や小道具が凝っている。
  2. 薬子の変・・・・平安初期の政権争いの様子が分かりやすく劇的に描かれる。
  3. 遣唐使の困難な旅 ・・・・当時のままの遣唐使船を建造したという。嵐のシーン、広大な自然を背景にした中国ロケは潤沢な予算ゆえの本物の香りが横溢。大画面に耐える。
  4. 密教第七代の祖・恵果から密教の奥義を受ける ・・・・わずか3ヶ月で密教のすべてを習得した空海の天才ぶりが光る。
  5. 最澄と空海の出会いと別れ ・・・・平安仏教の2大天才の関係性の変化にドキドキする。最澄と空海の仏教観の違い以上に気になるのは、最澄の一番弟子であった泰範が最澄を捨てて空海に鞍替えしたエピソードである。泰範役に往年の美青年・佐藤祐介を配したあたりが「日本の男色の起源は空海」という伝承――むろんそんなことはない。男色は神代からあったはず――を思い起こさせ意味深である。
  6. 奈良仏教V.S.平安仏教 ・・・・経典研究と自己の成仏のみに勤しむ奈良仏教の僧侶たちと、あまねく人々の救いを重んじる平安新興仏教(最澄)との帝の面前での宗論シーンが、古代インドで起こったと言われる小乗仏教と大乗仏教の反目を思わせて興味深い。
  7. 万濃池の修築工事 ・・・・大量のエキストラを使ったスペクタクルシーン。
  8. 山の噴火と被災者の集団セックス ・・・・一番ビックリしたシーン。密教と言えばタントラ=性肯定ではあるが、被災し洞窟に避難した男女をその場で番わせて生きる意欲を湧き立たせるというエピソードの、そしてセックスに陶酔する男女の姿をインドの古い神々(シヴァとパールヴァティー?)に重ね合わせる演出が凄すぎ! 開いた口がふさがらない。よくまあ真言宗は許可したものだ。

 とまあ、次から次へと息つく暇もないほどに見応えある面白いシーンが続く。海外も含めた贅沢な野外ロケ、王朝時代のセットや衣装のリアリティ、大量のエキストラ、嵐や建築や火事などのスペクタルシーン。このバブリー感は80年代という時代の産物であると同時に、真言宗の意地とプライドの賜物であろう。東映の力だけではこうはゆくまい。

 見応えを底から下支えしているのが役者の魅力である。
 4人を挙げよう。
 まず、空海役の北大路欣也。
 観る前の予測を良い意味で裏切って気持ちいい聖人ぶりであった。濃い顔立ちと力強い眼力は空海の意志の強さに転換され、生々しい肉体性は不羈奔放の若さに書き換えられた。並み居るベテラン役者陣に食われることなく、最後まで主役を張っているのはさすが。
 空海の叔父・阿刀大足を演じる森繁久彌。
 ソルティは残念ながら舞台『屋根の上のヴァイオリン弾き』もコメディ映画の『三等重役』、『社長シリーズ』、『駅前シリーズ』も森繁の代表作と言われる『夫婦善哉』すら観ていないので、アカデミー賞の重鎮であった森繁久弥の役者としての技量のほどをよく知らなかった。とくにバイプレイヤーとしての力量が疑問であった。言葉は悪いが「はったり感」を持ってさえいた。
 しかし、この映画を観て印象が変わった。森繁はバイプレイヤーとしても勝れている。空海の叔父にして物語の語り部を担う阿刀大足の役を実に重厚に、存在感豊かに、分をわきまえながら演じている。自分を抑える演技の出来る役者なのであった。
 桓武天皇役の丹波哲郎。
 やはりただならぬ存在感と大物ぶりが漂う。『親鸞 白い道』にも重要な役で出演しているが、宗教映画には欠かせないスピリットを持っている人である。演技の質はともあれ、この人が出てくるだけで画面が引き締まる。
 一番印象に残るのは、薬子を演じた小川真由美である。
 悪女や妖婦を演じたら右に出る者はなし。『八つ墓村』でもそうであったが、素か演技か分からぬほどの自然体に見えながら、役になりきっている。ここでも時の帝をたらしこめ思うがままに朝廷を牛耳る稀代のヴァンプを美しくもしたたかに、妖しくも傲岸に演じていて、観る者を惹きつける。計略に失敗して自害するド迫力の狂乱シーンは、さすが文学座の大先輩・杉村春子をして「私の後継者は小川よ」と言わしめただけのことはある。圧倒される。その小川が70歳を過ぎて真言宗で出家したのはなんだか因縁めいている。

 最後までよくわからなかったのは、空海にとって仏教とは結局何だったのか、密教とは一体何かと言う点である。
 密教に関しては、「わからないから、秘密にされたままでいるから、密教なのである」と言われれば言葉の返しようもない。言葉で説明できるのであればそれは顕教である。映画を観ただけで理解しようと思うのがそもそも間違いである。
 一方、「ブッダに握拳なし」の言葉をそのまま受けとめれば、仏教は顕教であるべきだろう。秘密にされるべきものなどあろうはずがない。主客という二元性を越える悟りの境地は不立文字であって「言葉にできない」は仕方ないとしても、それは秘密とは違う。空海が恵果から授かったような伝法灌頂はブッダの教えにはそぐわない。
 真言宗が協力し認可したこの映画において、空海の‘仏教’は以下のようなポイントに収斂されよう。
  1.  生命讃歌(性の肯定)。生きている間に成仏しなければ意味がない。
  2.  自然讃歌。人間も自然の一部なので大宇宙(大日如来)の法則に随えば迷うことはない。
  3.  民衆の救いのための教え。
 
 なんとなく仏教というより原始神道に近い気がする。生(性)について、この世について、かなりポジティヴな見解である。
 一方、空海の残した有名な詩句がある。

三界(この世)の狂人は狂せることを知らず。
四世(生きとし生けるもの)の盲者は盲なることをさとらず。
生れ生れ生れて、生の始めに暗く、
死に死に死に死んで、死の終わりに冥し。(『秘蔵宝鑰』)

 この詩から受ける印象は、まさに「一切皆苦」であり「無明」である。仏教の根本と重なっている。
 ほんとのところ、空海はこの世をどう見ていたのだろう?


P.S.
 来年、日中共同製作映画『空海―KU-KAI―』(原題:妖猫伝)が公開されるとのこと。原作は夢枕獏『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』。監督は『黄色い大地』、『子供たちの王様』、『さらば、わが愛/覇王別姫』などの傑作を撮った陳凱歌(チェン・カイコー)。主演は染谷将太。ほかに黄軒(ホアン・シュアン)、阿部寛、松坂慶子らが出演する。宗教映画ではないと思うが、面白いのは間違いあるまい。
 空海ブーム到来なるか? 

空海
 


評価:B+

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!



 


● フラジャイル、あるいは僕の瞳が失禁した 映画:『紀ノ川』(中村登監督)

1966年松竹。

 原作は有吉佐和子の同名小説。紀州和歌山の素封家を舞台に、有吉の祖母、母親、そして有吉自身をモデルに女三代の生きざまを描いた自伝的小説。映画では、祖母にあたる花(=司葉子)の嫁入りから死までを、明治・大正・昭和の時代背景の推移に重ねながら描いている。
 とりわけ中心となるのが、花とその娘・文緒(=岩下志麻)の愛憎関係である。その意味では、別記事で書いた有吉原作&木下恵介監督『香華』に通じる。美空ひばり母子と同様に、売れっ子作家であった有吉とその敏腕なマネージャーであった母親との実際の関係が投影されているのかもしれない。

 監督の中村登はよく知らなかった。岩下志麻主演の『古都』(1963)、『智恵子抄』(1967)、萬屋錦之介主演の『日蓮』(1979)が代表作らしいが、ソルティ未見である。前2作はアカデミー外国語映画賞にノミネートされており、国際的評価も高い。「端正かつ鮮やかな作風は映画の教科書と評されている」とウィキに紹介されている。実際、この作品も一部の隙も見られない見事な‘映画’に仕上がっている。
 特に素晴らしいのが冒頭の嫁入りシーンである。
 
 川霧の立ち昇る初夏の早朝の紀ノ川を、川下にある嫁ぎ先に向かう婚礼衣装の花や付き人たちを乗せた何艘かの舟が滑るように進んで行く。滔々とした流れは川辺の緑を映し、晴れ上がった空と山は鮮やかな紀州の風景を観る者の目に焼き付ける。夜の帳の下りる頃、川面に映る篝火とたくさんの提灯に迎えられ、花は嫁ぎ先に仰々しく迎えられる。武満徹の因習的でありながらドラマチックにして雄大な音楽と共に、タイトルバックが極めてスマートに挿入される。
 このシークエンスこそ映画そのもの。「映画とは何か、映画的時間・空間とは何か、映画の快楽とは何か」をまさに教科書のように真正面から教えてくれる。大きなスクリーンで観たら、全身を震わす愉悦に瞳が失禁しそうである。

 主演の司葉子も、これまであまり注目していなかった。小津安二郎作品『秋日和』(1960)、『小早川家の秋』(1961)に原節子の娘役としてキャスティングされていたのと、市川箟監督の金田一耕助シリーズにおける着物姿の控え目なたたずまいが印象に残っている。それと、もちろん、元代議士夫人の肩書きである。
 彼女の女優としての格付けがよく分からなかったのだが、この『紀ノ川』こそが彼女の代表作であり、役者として一世一代の演技であるのは間違いない。この作品でブルーリボン主演女優賞はじめ、いろいろな賞をもらっている。

家柄や家風の違う他家に嫁いだ花は、自己を滅却して亭主に仕え、家を盛り立てていこうと献身する。亭主の浮気や娘の反抗、戦火を乗り越えて、賢く逞しく忍耐強く生きていくも、時の流れに逆らえず、家は没落し財産は奪われる。最後は、娘と孫娘・華子(=有川由紀)に見守られながら、息を引き取っていく。
 
 20代の初々しい娘から、家制度に積極的に殉じる賢婦の誉れ高い議員夫人、そして夫亡き後「家」の束縛から逃れた自由を味わいつつ来し方を振り返る老いたる女まで、明治・大正・昭和を凛として生き抜いた一人の女を実に見事に造形化している。
 調べてみると、司葉子は鳥取県のある村の大庄屋の分家の娘であり、「祖先が後醍醐天皇の密使を務めた」との伝説をもつほどの格式の高い家柄。芸能界に入るにあたって、本家から「そんな河原乞食のようなマネは許さん」と諌められたそうだ。結婚した相手は、弁護士で元自由民主党衆議院議員の相澤英之。親類縁者にも著名人が多い。
 つまり、『紀ノ川』は、作者有吉佐和子の家系の話であると同時に、司葉子自身の家系や半生と通じているのである。主役・花の置かれた環境についてよく理解し得るところであったろうし、感情移入もしやすかっただろう。後年、同じように代議士夫人になったところを見ると、性格的にも花に近いものがあったかもしれない。司葉子は、この作品と運命的な出会いをしたわけである。
 
 娘・文緒を演じる岩下志麻も強い印象を残す。
 岩下は、気の強い剛毅な女性や、ちょっとファナティック(狂気)なところのある女性を演じるとはまる。
 前者の代表は、言うまでもなく『極妻』シリーズ、ほかにNHK大河ドラマ『草燃える』の北条政子や『霧の子午線』(1999)で犯罪者を演じる桃井かおりの顔面に赤ワインをぶっ掛けた有能弁護士役がすぐに思い浮かぶ。演技上のことだとしても、桃井かおりにワインをぶっ掛けることのできる、そしてそれを桃井が許さざるを得ない女優が志麻さまのほかにいるだろうか。
 後者の代表は、『鬼畜』(1978)、『悪霊島』(1981)、『魔の刻』(1985)あたりが浮かぶ。
 『紀ノ川』公開時、彼女は25歳。水仙のように清らかで凛とした美貌が匂ってくる。絣の着物に袴姿、長く垂らした髪に大きなリボンといった大正時代のハイカラ女学生が、自転車を乗り回し、権力横暴を訴え女学生の先頭に立って校長室に直談判しに行く。まさにここで見られるのは‘気の強い’岩下志麻さまである。
 クレジットを見ると、彼女の実の父親である野々村潔の名前があった。新劇出身の役者である。どこに出ているのだろう?と探したら、なんと面白いことに、主人公・花の父親役、つまり岩下志麻演じる文緒の祖父役で出ていた。

 花の亭主(=田村高廣)の弟役で丹波哲郎が出ている。
 やっぱり演技はうまくない。が、存在感は抜群である。
 同じようなタイプの役者を挙げると、ターキーこと水の江滝子がいる。
 丹波はほんとうに作品に恵まれている。出会いの天才だったのだろう。

 173分の長尺を二夜に分けて十全に楽しんだ。
 つくづく思ったのは、「こういう映画はもう二度と作れないんだなあ~」
 お金の問題ではない。題材の問題でもない。
 華のある存在感ある役者がいなくなった。演出や撮影やセット製作や編集の技術も低下した。日本全土開発されて、歴史ドラマのロケ地が見つけられなくなった。なによりも、このような本格的な3時間近い大河ドラマを望んで映画館に足を運ぶ観客がいなくなってしまった。
 むろん、平成時代には平成ならではの映画が撮れるはずである。
 だが、この映画の冒頭シーンに見る美しさを再現することはもう絶対に不可能であろうと思うとき、映画というものがいかにフラジャイルで奇跡的な現象なのかを痛感せざるをえない。
 


評価:A-

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!





● お~い、そこの人! 映画:『怪談』(小林正樹監督)

1965年東宝

 梅雨明けして本格的な夏になったから・・・・というわけではないが、TUTAYAの棚を渉猟していたら『怪談』にすっと手が伸びた。
 第18回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞した名作である。
 小林正樹は、『人間の条件』(1959-1961)、『切腹』(1962)、『上意討ち 拝領妻始末』(1967)を撮った日本が世界に誇る名監督の一人なのだが、自分はまったく観ていない。真野響子が主演した『燃える秋』(1978)はハイ・ファイ・セットが唄った主題歌のみ覚えている。
 これからおいおい観ていくつもりだ。 

 本作は、小泉八雲原作『怪談』に収録されている「黒髪」「雪女」「耳なし芳一」「茶碗の中」の4編を映像化したものである。日本人ならどこかで耳にしたことのある馴染みある物語である。その意味で、ストーリーそのものへの関心ではなく、どんなふうに演出されているか、どんなふうに映像化されているか、に焦点を当てて楽しむことができる。つまり、純然と‘映画的’に・・・。

 4編とも完成度の高い見応えのある‘映画’に仕上がっている。
 なんと言っても讃えるべきは、映像美。ダリやキリコを思わせるシュールレアリズム風の幻想的な色彩と表象(たとえば空に浮かぶ目の模様)と構図とが、観る者の無意識を刺激して、怪奇と共に不安を抱かせ、非日常へと誘う。
 「ああ、これこそ映画だ」と思わず唸り、嬉しくなってくる。
 とりわけ、『耳なし芳一』で壇ノ浦に滅んだ平家の武者や女房たち一門の亡霊が正装して居並ぶシーンの美しさは、黒澤明の後期カラー作品群(『影武者』『こんな夢を見た』ほか)を軽く凌駕し、日本映画史における最高美を焼き付けている。これ一編だけでも観る価値が十分ある。
 いや、日本映画を語る者なら観なくてはなるまい。
 役者の魅力も尋常(ハンパ)でない。
 「黒髪」の三國連太郎の凄絶な老醜ぶりと鬼気迫る演技、「雪女」の岸恵子の清潔感と直感的な語りの冴え、「耳なし芳一」の中村嘉津雄と丹波哲郎の他の役者が考えられないほどの適役ぶり。ほかにも新珠三千代、仲代達矢、田中邦衛、村松英子、中村翫右衛門、杉村春子が強い印象を残す。
 脚本は水木洋子、音楽が武満徹。
 これだけ贅沢なスタッフを集めた映画は、もう作れないだろう。
 傑作である。 

 ときに、小泉八雲の『怪談』は子どもの頃、少年少女講談社文庫ふくろうの本シリーズで読んだ。
 これがとても怖かったのである。
 「耳なし芳一」「むじな」「鳥取のふとん」など小泉八雲の代表的作品のほか、上田秋成「雨月物語」、岡本綺堂「すいか」など、寝小便が止まらぬほどの名作・怪作ぞろいであった。
 だが、もっとも怖かったのは日本の怪談ではなかった。
 一緒に収録されていたウィリアム・ジェイコブス「猿の手」、チャールズ・ディケンズ「魔のトンネル」といった初めて接する海外の怪談が眠れなくなるほどに怖かった。とくに、「魔のトンネル」は、これまでに自分が読んだり観たり聞いたりした数知れぬ怪談・ホラー・怪奇ドラマの中で、今に至るまでトップの座を譲らない‘鉄板’の悪魔的傑作である。ユーモア小説の大家ディケンズは、ホラー小説の名手でもあったのだ。
 ディケンズは最後の小説『エドゥイン・ドルードの謎』を未完のまま亡くなった。数年後、アメリカに住む無学の一青年が何かに取付かれたようにその続きを書き始め、いわゆる‘自動書記’によって作品を完成させた。書かれたものは、文体も綴り方の癖もディケンズそのままで、事情を知らない人が読んだら別人が書いたものとはわからないと言う。(ソルティ未読)
 やっぱり大作家は何か違う。


評価:A-

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!



 


 

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