ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

五木寛之

● 下から目線で 本:『辺界の輝き 日本文化の深層をゆく』(五木寛之・沖浦和光対談、ちくま文庫)

辺界の輝き 2002年刊行。

 辺界とは一般に国境(くにざかい)のことであるが、ここではマージナル(marginal)の意。「二つの異なった文化集団の間にあってそのどちらにも属さない」「辺境に住んでいる」「耕作しないので生産性がない」といったことを指している。

五木 良民でもなく、といって明らかに賤民身分として蔑視されてるわけでもない――そういう人びとがかなりたくさんいたわけだ。
沖浦 「マージナル・マン」といいますか、周縁の人ですね。国家の定めた身分体系からハミ出していて、境界領域にいる人たち。
五木 マージナル・マン。まさにそうですね。良にも入らず、賤にも入らない境界の人。その言葉はなかなか適切ですね。サンカと呼ばれた人たちもそうでしょう。・・・・

 別の言葉で言えば「化外の民」。国家の身分制度の外にいて差別された人びと。
 そういう人びとについて、二人の博学が縦横無尽に語った対談である。

 まず、二人の話者の知識、教養、見識の高さに舌を巻く。
 当代一流の作家と学者なのだから当然と言えば当然なのだが、次から次へと繰り出されるトピックの広さと深さに圧倒される。トピック一つ一つが、フィールドワークや文献研究や実体験をもとに、思考や想像力によって丹念に彫塑されているので、付け焼刃的な、その場しのぎの発言がまったくない。
 しかも、二人の関心の持ちどころや学識や人格の高邁さが見事に釣り合っているので、二人が敬意を持って互いに接しているので、会話が呼応し、響きあい、うねるように盛り上がっていく、縄文土器のようなエネルギーが行間からあふれている。
 対話の輝きに酔わせられる。


 二人が次から次へと口にする日本社会のマージナル・マンを表す語彙の豊かさに驚く。


 サンカ、勧進、ほいと、ミツクリ、河原者、木地屋、イタカ、渡り、太子、春駒、番太、炭焼き、たたらもん、鉢屋、茶筅、青屋、ささら、香具師(やし)、馬借、おちょろ、遊芸民、家船(えぶね)・・・・。


 彼らは、百姓を代表とする常民(=定住の民)の周縁にあって、村から村、山から山、川から川、浜から浜へと漂泊する民であった。

五木 サンカと呼ばれていた人たち、そして遊行者や遊芸民など、いろんな生業をやっている漂泊の民が、この列島の各地を流動して暮らしていた。そして、あたかも体の中を巡っているリンパ球のように、定住民の村や町を回遊していたわけですね。そういう人たちによって、この日本列島の文化というものが広められ、またたえず活性化されていたのではないか、というのが、ぼくの年来の幻想なのですが。
沖浦 そのとおりです。・・・・・・境界からやってくる漂泊民は、既存の日常性を破る異化効果をもたらしたんですね。

 日本のマージナル・マンを表す語彙の豊かさはそのまま、そういう人々がいかにたくさんいたかを表している。日本文化を形成してきたのは、為政者と「士・農・工・商・穢多・非人」だけではないのである。

五木 ・・・日本の文化も<非・常民>の系列を含めて、実にさまざまな人たちの文化や民俗の重層構造から成り立っている。にもかかわらず、表街道ばかり論じられて、一方では差別の中の重層構造まで視野が広がらない。・・・・
沖浦 そうですね。たとえば学校のテクストでは、歴史の舞台裏というか、この世の裏街道、つまり民衆の生活史の細かい襞はあまり描かれてません。

 本当にそのとおりである。
 自分が習ってきた日本史は、つまるところ、日本国民のほんの一握りでしかない為政者の歴史であり、「勝ち組」の歴史であり、時代時代の為政者にとって都合よいよう解釈され、書き変えられ、編集されたフィクションでしかない。
 庶民の視点からの歴史・文化史は、従来のものとまったく異なることだろう。
 たとえば、鎌倉仏教の興隆について二人はこう述べる。

沖浦 ぼくは学生に言ってるんですが、日本には西洋のような宗教改革がなかったと教科書に書いてあるが、それは間違っている。ローマ教会が一元的に支配していたカトリック体制が腐敗し墜落して、ルターやカルヴァンなどの革新派がプロテスタントとして決起したのが《宗教改革》。これが十五世紀末からの《大航海時代》と重なって、西洋世界のみならず世界史の大転換期となった。
 そこまではいいんですが、そのような西洋で起きたような宗教上の大変動は、日本の歴史ではなかったと教えられてきたんですね。これはウソで、法然や親鸞の言説は、まぎれもなく日本仏教史上の革命だったと、ぼくは教えます。
五木 日本は十二世紀にすでに先駆けて、大宗教改革があったと考えていいでしょう。平安貴族仏教に対する鎌倉仏教の興隆は、そう考えるしかない。
沖浦 まさに大宗教改革ですよ。「一切衆生・悉生仏性」というブッダの教えに拠って、<悪人>とされている底辺の民衆を含めて、すべての人びとに仏の慈悲は及ぶと説いた。そして専修念仏という易行易修を実践すれば、大きな寺堂や仏像は信心にとって必要でないと説いた。これはやっぱり、どうみても宗教革命ですよ。日蓮や道元も含めて・・・・。


沖浦 すごかったでしょうね。卑しめられ蔑まれていた貧しい人間でも、仏の救いがある。初めてひとりの人間として、なんとか生きていく拠り所ができる・・・。
五木 しかも、それが山を越え、海を通じて伝播していく。そういう新しい教えを初めて聞いて、そのときの熱気が列島をひろがっていく感激と喜びというのは、まさに水平者宣言が京都で発せられたときに、人びとが感動したのと同じような熱い思いがあったんじゃないかと思います。


 自分もまた一人のマージナル・マンという自覚をもって、このような「下から目線」から歴史や文化を読み直していきたいものである。



●  本:『仏の発見』(五木寛之、梅原猛対談、学研M文庫)

仏の発見 「ここまで語った対話があっただろうか。仏教の常識が根底から覆る!」と帯にある。
 過大広告もいいところ。そんな大層な本ではない。

 どちらの話者も博覧強記にして仏教に関する造詣の深さでは日本有数の人である。学者や僧侶とは違った自由自在な発想も楽しい。
 中国からやってきた仏教が日本古来の神道=アニミズムと出会った時、自ずから変貌して「山川草木悉皆成仏」思想が生まれたという見解などは「なるほど」と頷けるところである。宗教は伝播する時にその土地の土着の信仰と大なり小なり融合して住民に受け入れられていく。一神教が砂漠に生まれたように、その土地の神の形態や性質は風土や気候と切り離せないものだからである。もし大乗仏教ではなく、小乗仏教が日本に直接入ってきたとしても、それはやはり日本風に変質していたことであろう。いや、禅こそがその姿なのかもしれない。

 この対談は話題が広く豊富で、「聖徳太子は両性具有ではないか」などに見られる発想の自在さもあって面白くはあるけれど、とりたててエキサイティングなものではなかった。 
 それは二人の話者とも、孫悟空が釈迦如来の手のひらの中から抜け出せなかったように、大乗仏教の中から一歩も出ていないからである。
 二人がそれぞれの出自や生い立ち、子供の頃の悲惨な経験を語っている部分がある。二人とも「苦」「心の闇」を味わい、それが後年仏教に引き寄せられるきっかけとなったことが分かる。
 だが、二人が必要としている仏教は、あくまでも大乗仏教それも親鸞や蓮如や空海なのだ。

梅原 釈迦の仏教には、共感できないところがあるんです。輪廻を脱するというが、親鸞の仏教なんかとはちがっているんですよ。釈迦の仏教は「人生は苦である」という、それが基本ですね。
五木 そうなんですね。
梅原 その苦の原因も、愛欲で、愛欲から争いが起こっていく。争いのもっとも酷いのは人殺しだと。結局、そういう人間の運命を克服しないといけない。
五木 はい。
梅原 それには愛欲を滅することが必要だ。戒律を守り瞑想をし、知恵を磨くことによって、愛欲を滅ぼす。完全に愛欲を滅した状態に達するのがニルヴァーナ、涅槃だ。ニルヴァーナに入るのは、生きているときは難しい。だから、生きているときに、そういう状態に達したのを「有余涅槃」といい、死んでからを「無余涅槃」という。そういう思想が釈迦仏教ですね。
五木 ええ。
梅原 「人生は苦であるか」という釈迦仏教に、疑問を提出したのが、大乗仏教ではないでしょうか。
五木 なるほど。

 
 親鸞の仏教という言い方は矛盾している。「親鸞教」と言うのが本当だろう。

 思うに、幼い頃に飢餓や戦争や親の死などの現実の「苦」を経験してしまった者は、かえって「人生=苦」というブッダの教えを理解しがたいのではないだろうか。というのも、ブッダのいう「苦」とは現実の苦しみよりもむしろ「虚しさ」「実存的不安」に近いように思うからだ。
 ブッダは釈迦国の王子として、生まれながらにすべてをー金も地位も権力も女も容姿も立派な両親もー手にしていた。普通の人が味わうような人生の「苦しみ」からもっとも遠いところにいたのである。そんなブッダの「苦しみ」とは現実的なものではなかったろう。
 出家後の荒行で、ブッダは肉体的・世間的・社会的な現実の「苦しみ」も十二分に味わうことになったけれど、それでも彼は悟りを追い続けた。現実の「苦しみ」では覆い隠せない、質の異なる「苦しみ」を感じていたと見るべきだろう。

 日本で生き続けてきた大乗仏教は、現実の「苦しみ」に対処するための心の薬だった。貧しさ、差別、病や死の恐怖、愛する者との別れ、嫌な者との出会い、戦争、自然災害・・・。避けることのできない事態を受け入れるべく、「仏という物語」が心を整えてくれたのである。
 現代日本人、五木や梅原などの世代ではなく戦後生まれの豊かさを享受しながら育った世代の抱える「苦しみ」は、出家前のブッダの感じていた苦しみにより近いのではないだろうか。それは伝統的な大乗仏教では癒されないのではなかろうか。
 テーラワーダ(原始仏教)が若い人を中心に急速に広がりつつある背景には、そのあたりの事情があるような気がする。



 

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