2014年大法輪閣発行。
著者の五来が、主に70年代に仏教総合誌『大法輪』に掲載した18の論文をまとめたものである。
五来重(1908-1993)は茨城生まれの民俗学者。
従来、教学史研究・思想史研究に偏りがちであった日本仏教の研究に、民俗学の視点・手法を積極的に導入。各地における庶民信仰・民俗信仰の実態について、綿密な現地調査と卓抜した史観にもとづく優れた考察を加え、地域宗教史・民衆宗教史の分野に多大な業績をのこした。(ウィキペディア「五来重」より抜粋)
本書の解説を書いている豊島修(京都女子大学教授)によると、「外来宗教(文化)としての仏教が日本に伝来して、どのように日本人の精神生活に受け入れられたのか、その歴史的・宗教史的要因と実態内容を、体系的に構想された」人である。
漫画『日本霊異記』を読んで、鎌倉時代より前のいわゆる王朝時代に、仏教がどの程度、あるいはどのように庶民に浸透していたかに興味を持ち、ネットで検索していたら、この本に出会った。
知りたいことにドンピシャの本。
本屋や図書館で探していたらなかなか見つからなかったであろう。ネットが出会いの流通を良くしたことは認めざるを得ない。出会いの質については一概には言えまい。
ここで奈良時代の仏教に二つの大きな流れがあったことを知る必要がある。すなわち一つは官度僧の仏教で、一つは私度僧の仏教である。官度僧は南都七大寺のような官寺に定住して国家に奉仕し、国費で衣食住を保証される代わりに、遊行や乞食の自由をもたない。これに対して私度僧は都鄙を周遊して乞食をしながら、民衆の要求に応じて教化や治病や雨乞などの祈祷もする。しかし、国家はこれを禁止迫害するのである。
官度僧の仏教とは朝廷の仏教、貴族の仏教である。私度僧の仏教とは庶民の仏教である。
前者は、まずはまさに歴史の授業で習ったような「鎮護国家」の仏教(例.東大寺の大仏)であり、時代が進むと貴族階級にも阿弥陀仏信仰(例.宇治平等院)として浸透することになる。支配者層の仏教と言っていいだろう。後者は、国家や上流階級のための仏教に飽きたらず、自ら寺を出て諸国を放浪し、橋や道を作ったり開墾したり井戸や温泉を掘り当てたりして、病気や差別や貧困や飢えに苦しむ庶民を助けながら、元来あった庶民の民間信仰に接木する形で仏の教えを広めた聖たちの仏教である。
民間信仰的仏教の歴史は、聖の歴史であるといってよい。それはすべて民間に埋没した無名の聖たちのはたらきであったが、その中から行基や空也のような偶像的存在が出て、たまたま文献を残した。しかしこのような大きなはたらきが、数人の高僧によってなしとげられるはずはなく、実際には幾世代にもわたる、無名無数の聖たちの活動によったものであることはうたがいない。
行基、空也、空海といった歴史に名を残す有名な聖のほかに、無数の無名の聖がいたのであり、彼らによって仏教は庶民に広がり、浸透していったのである。
「ひじり」という言葉は仏教からきたものではなく、日本の原始宗教者を表したものだという。
「ひじり」は『古事記』では、「御火炊の老人」とよばれたように、火を絶やさぬように管理する人である。すなわち聖火の管理者が神をまつる原始宗教者であった。(ゴチック:ソルティ付す)
このことが示すように、庶民の仏教は、仏教以前の民間信仰に接木される形で広まっていった。
これは、仏教に限らず、どの宗教についても同様であろう。キリスト教も伝播した先の土地に元からあった信仰や風習や文化によって融通無碍に形を変えている。であればこそ、宣教は可能だったのである。根強い大地母神信仰があった南米におけるマリア信仰の強さなどはその恰好の例であろう。
著者は、日本の今となっては悪名高い、いわゆる‘葬式仏教’の原点はそこにあると喝破している。
葬送と先祖供養の内容は、既成の仏教概念では説明が不可能である。これはいわゆる既成宗教のもう一つ深層に隠された原始のままの庶民信仰の表出にほかならないからである。それは民族宗教といってもよいもので、それぞれの民族によって異なる葬送と供養の形式ができた。したがって、日本の葬送と先祖供養は、世界宗教としての仏教の関知せざるところである。
ソルティも、小さな頃から葬式や墓参りに行って参列する大人たちのいろいろな摩訶不思議な所作を見るたびに、「なんであんなことやるんだろう?」「あれに一体どういった意味があるんだろう?」と不思議に思ってきた。長じてからは、それは大乗仏教のそれぞれの宗派のしきたりで、もともとの釈迦の仏教とは関係ないと高をくくってきた。なぜなら、お釈迦様は偶像崇拝も形式主義も儀式も「ナンセンス!」と言うに決まっているから。
だが、それは必ずしも大乗仏教由来ではなく、仏教以前の日本の民間信仰に由来するものなのである。
たとえば、お墓参りのときに墓石に水をかける風習を、ソルティは意味が無いとは思いながらも、「墓石を洗浄すると同時に、ご先祖様の喉を潤す」という意味合いを込めてやっていた。小さい頃から親の真似してやっていたことの惰性に過ぎないのだが・・・。長じては、家が所属している宗派(墓のあるお寺)のしきたりなんだろうと思っていた。あるいは、4月8日の花祭りに仏像に甘茶をかけるのと同様の仏教的伝統の一つなんだろうと思っていた。仏像に甘茶をかけるのと、墓石に水をかけるのとでは、ずいぶんニュアンスが違うけれど、亡くなった人は「仏」になると言うから・・・。
しかし、本書が示唆するところによれば、これは日本人が元来持っていた「ケガレ」を忌避する心性から来ている。「死=ケガレ」なので、それを清めるために水をかけるわけである。これを原始的浄化呪術と言う。
毎年やっているが、深く考えたことなかった。
どうやら、日本の仏教を考える上で、5つの層を想定したほうがよいようである。
- 支配者の間で信仰されてきた大乗仏教(現在ではほぼ壊滅状態)
- 民間信仰に接木されて広まった庶民仏教(「自分は無宗教」という日本人も大概ここに入る)
- 鎌倉時代に興って現代につながる宗祖仏教(浄土系、禅系、日蓮系)
- 新興仏教(阿含宗、真如苑、オウム真理教、幸福の科学など)
- ようやく日の目を見た原始仏教(小乗仏教)
『日本霊異記』、やっぱり読んでみよう。