2008年日本。

台湾人生

 勤め先の老人ホームのレクリエーションでクイズをやったとき、「日本で一番高い山は?」という問いかけに、90歳の男性Kさんが瞬時に自信ありげにこう答えた。
「ニイタカヤマ!」

 現在の日本では、むろんこの答えは間違っている。
 しかしKさんが子供の頃、それが正解だった。
 台湾にある新高山(現・玉山3,997m)は、富士山(3,776m)より高い。Kさんが学校教育を受けた時代を含む1895年(明治28年)から1945年(昭和20年)までの50年間、台湾は日本の統治下にあった。子供たちは、「日本で一番高い山はニイタカヤマ」と習ったのである。(ちなみに新高山という名称は明治天皇がつけたということだ。)
 他の利用者が出した「富士山」という答えを聞いて、Kさんは「ああ、そうか。そうだったな」と納得した。
 子供の頃に受けた教育の影響というものを実感する機会であった。

 元新聞記者の日本女性(撮影当時30代)によるこのドキュメンタリーは、日本国が無視し、戦争を知っている世代が口を噤み、グルメやエステや自然観光をエンジョイするきょうびの台湾好きの若い女性たちが知らない、台湾と日本の切っても切れない深い関係を浮き彫りにする。かつては日本だった現代の台湾で、かつては日本人だった老人たちを取材し、彼らの日本に対する複雑な感情を見事に映し出して見せた、非常に質の高い、かつ面白い、力作である。
 自分(ソルティ)もまた、このあたりの事情に疎かった。最も好きな映画監督が台湾出身の侯孝賢(ホウ・シャオシェン)であるにも関わらず・・・。最も好きな映画がヴェネツィア映画祭金獅子賞を獲った彼の『悲情城市』(1989年)であるにも関わらず・・・。
 『悲情城市』は、1945年の敗戦による日本統治の終わりから、1949年12月に蒋介石率いる中国国民党政府が台北に遷都するまでの動乱の台湾社会を描いている。あまり歴史や時代背景に詳しくない自分のような者でも感動させてしまうあたりが傑作中の傑作たるゆえん、と言えばいいわけがましいか・・・。
 
 酒井監督は、台湾に住む5人の老人たち(1925~1928年生まれ)を取材し、彼らの穏やかな日常を映しながら、日本統治時代の話や忘れられないエピソード、日本と日本人に対する思いなどを、‘日本語で’聴いていく。日本語教育を受けた5人は、日本語ができるから通訳は要らない。
 日本人の経営するコーヒー農園で働いていた仕事好きのヤン婆さん。
 同世代の夫との会話は今も日本語、「台湾独立」の運動をしている男勝りのチンさん。
 映画完成後の2008年に癌で亡くなった台湾原住民のタリグさん(最期の言葉は日本語で、家族の誰も理解できなかったという)。
 日本から赴任してきた小学校の担任の先生の恩を終生忘れることなく、毎年日本まで墓参りに来るソウさん。
 ビルマ戦線で日本兵として戦い、今は日本人観光客のためガイドボランティアをしているショウさん。
 個性豊かで、誠実で、義理堅く、人懐こい笑顔の5人の元日本人の姿を見ると、「ああ、昔の日本人はこんな風だったんじゃないかな~」という感慨を覚える。戦後のアメリカ文化や日本国憲法や経済成長ありきの価値観に洗脳される以前の‘古き日本人’が、台湾という土地に隔離されていたおかげで、しかも1972年日本が中華人民共和国と国交を結び、中華民国(台湾)とは国交断絶したおかげで、奇跡的に(ガラパゴス的に)残っている、という印象を持った。チンさんが言う「私たちは、今の若い日本人より、よっぽど日本人よ」というセリフは、まさにその辺の事情を表しているのだろう。
 彼らの日本人としての誇り、日本に対する愛着は、今の日本社会に置かれたら、相当なナショナリスト(=右翼)の範疇に入るだろう。
 「三つ子の魂百まで」である。
 
 彼らはみな、日本に生まれ、日本人としての教育を受け、日本の為に戦い、友や家族を戦争で失い、本土の日本人と同じように玉音放送を聴き、敗戦を迎えた。
 そこから事態は一変する。
 日本だった祖国が中華民国(国民党)になった。為政者による弾圧が続いた。反体制運動を抑えるため、1949年から1987年まで、実に38年間にわたる戒厳令が敷かれた。およそ6万人が殺され、15万人が投獄されたと言われている。
 その間に中華民国は国際的地位を失い、日本を含む多くの先進国から国家として承認されなくなった。
 いわば彼らは、日本に二度見捨てられたのである。
 なんという宿命、なんという変転の人生だろうか。
 だが、5人は激動の歴史に翻弄されながらも、力強く、前向きに、それぞれの生を生きてきた。
 
 いつの時代に、どこの国に、どういう家庭に生まれるか、人は選ぶことができない。どういう政治・経済体制の下、どんな文化や価値観や法や宗教に制約されるかも、ほとんど選び取ることができない。とりわけ、子供の頃に受けた教育やしつけの影響を自力で脱するのは困難である。それがその人のアイデンティティの核となっている場合はなおさらに。
 様々な因縁が合い絡まった結節点に、人は生まれてくる。
 周囲に氾濫する‘物語’を内面化して、自己は生まれる。 
 人間はなんと不自由なものだろうか。
 生涯、戒厳令に敷かれ続けているようなものだ。
 「条件付け」という戒厳令に。
 
 終始穏やかな笑顔をカメラに向ける話し好きのショウさんが、長年のつき合いで心を許した酒井監督を前に、ほとばしる怒りを抑えきれず、思いのたけをぶちまけるシーンがある。
「自分は日本人には親しみを感じる。が、日本という国は許すことができない。自分たちは、日本に捨てられたのだ。」

 彼らも高齢である。
 亡くなる前に、天皇・皇后両陛下の訪台が実現できないものなのか。



評価:B+

A+ ・・・・めったにない傑作。映画好きで良かった。 
「東京物語」「2001年宇宙の旅」「馬鹿宣言」「近松物語」

A- ・・・・傑作。できれば劇場で見たい。映画好きなら絶対見ておくべき。
「風と共に去りぬ」「未来世紀ブラジル」「シャイニング」「未知との遭遇」「父、帰る」「ベニスに死す」「フィールド・オブ・ドリームス」「ザ・セル」「スティング」「フライング・ハイ」「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」「フィアレス」   

B+ ・・・・良かった~。面白かった~。人に勧めたい。
「アザーズ」「ポルターガイスト」「コンタクト」「ギャラクシークエスト」「白いカラス」「アメリカン・ビューティー」「オープン・ユア・アイズ」

B- ・・・・純粋に楽しめる。悪くは無い。
「グラディエーター」「ハムナプトラ」「マトリックス」「アウトブレイク」「アイデンティティ」「CUBU」「ボーイズ・ドント・クライ」

C+ ・・・・退屈しのぎにちょうどよい。(間違って再度借りなきゃ良いが・・・)
「アルマゲドン」「ニューシネマパラダイス」「アナコンダ」 

C- ・・・・もうちょっとなんとかすれば良いのになあ。不満が残る。
「お葬式」「プラトーン」

D+ ・・・・駄作。ゴミ。見なきゃ良かった。
「レオン」「パッション」「マディソン郡の橋」「サイン」

D- ・・・・見たのは一生の不覚。金返せ~!!