ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

六車由美

● 本:『回想法 思い出話が老化をふせぐ』(矢部久美子著、河出書房新社)

 1998年刊行。
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 老人ホームで介護の仕事をしていて面白いことの一つは、利用者から昔の話を聞くことである。
 子供の頃の話――たとえば、住んでいた家の造りや遊び場となった周囲の畑や山や川の風景、どんな家の手伝いをしていたか、どんな風呂に入っていたか、友達とどんな遊びをしたか、日ごろ(またはハレの日に)どんな食べ物を食べたか、どんなものを着ていたかなど――を聞いて、自分の子供時代や現代の子供たちとの違いを比較するのは楽しい。戦中戦後の話――たとえば、徴兵検査、軍隊生活、九死に一生を得た戦場体験、玉音放送をどこで聞いたか、買出しに行った話、大陸からの引き揚げの様子など――を伺うのも興味深い。もちろん、利用者の個人史上のトピック――仕事、結婚、出産、育児、配偶者との死別、転機となった出来事など――を波乱万丈のドラマを見るかのように頭の中で映像化するのも面白い。
 もっと若い頃は年寄りの昔話なぞ聞く耳持たなかった自分であるが、最近はなぜだか聞き惚れてしまう。
 思うに、そういった昔の話を聞くことで自分の中で価値観の相対化がはかれるからなのではないか。今「あたりまえ」に思っていることが昔は全然そんなことなくて、昔の「あたりまえ」が今は時代錯誤のならわしだったりする。その事情をまざまざと知ることで、「すべては移り変わるものだ」「一つのやり方、考え方にこだわるのは無意味だ」と実感する。それが自分を楽にしてくれる。
 もう一つは、昔の話をしているときの利用者=老人の表情が生き生きとして声も弾んでくるのを目にするのが楽しいからである。
 これは本当にそう。どんなレクリエーションより効果がある。

 Yさんという男性利用者がいた。
 Yさんの好んでする昔話は、少年兵として軍隊にいたときのこと、整理整頓をいつもきちんとしていたので他の仲間たちの前で上官に大層褒められた、というものであった。
 その話をするときYさんはいつも同じ言葉を使って、同じ順序で、同じ口調で語るのである。

 みんなで整列させられて、また怒られるんじゃないか、殴られるんじゃないかと、思ったの。そうしたら、上官が「Y、ちょっと前に出ろ」っていうから、「ああ、おれか。何かやらかしたかなあ」と思って、怖くて仕方なかったけれど出ないわけにはいかないもんだから、覚悟を決めて前に出たの。もう、足は震えるし、口の中はカラカラになるし、生きた心地がしなかった。そうしたら、上官がみんなに向かって、「このYはいつも無口で目立たないが、気づいたところを率先して整理整頓している。偉い奴だ。みんなもYを見習うように」
 Yさんはここで話を止めて、こちらの合いの手を待つ。
「すごいですねえ、Yさん。なかなかできることじゃありませんよ」
と、心底感心したような調子で言うと、
「いやあ、それほどたいしたことじゃない。あたりまえのことをしていただけだから」
と謙遜しながらも顔は紅潮し、口元はほころんでいる。心なしか、こちらが手引きする足取りも軽くなる。

 このやりとりが毎日のように、自分がYさんのトイレ介助するたびに繰り返された。
 なかなか席から立たないYさんをどうトイレまで手を引いて誘導するかというのが悩みの種であったのだが、まずこちらから「Yさんはきれい好きですね。いつもお部屋が片付いていて感心します」と繰り出すと、「そうかあ。あたりまえのことをしているだけだから」と返してくる。そこで、「なかなかできることじゃありませんよ。きっと人から褒められたことがおありでしょう?」ときっかけを出す。すると、目に光が点って「そうなの。昔少年兵だったときに・・・」と始まるのである。そこで、チャンスを逃さずに「へえ~、こちらでその話を聞かせてください」と自分の手を差し出すと、Yさんはその手を握ってすっと立ち上がる。トイレ介助が済んで席に戻るまで、くだんのやりとりが続く。それはまるで一連の儀式のようであった。
 利用者の昔話を聞く一番の効能は、話す老人と聞く自分との間に信頼感が生まれるところにあると思う。自分の一番話したいことを熱心に聴いてくれる相手を、誰だって嫌いになれるはずがない。介護一般を受けるのが嫌いな老人でも、「こいつの言うことだけは聞いてやるか」となかば無意識に思っても不思議はないと思う。
 つまり、介助しやすくなるのだ。
 Yさんもそうだったが、認知症老人の多くの場合、自分が話した内容はおろか誰に向かって話したかすら、数分たてば忘れてしまう。(だから、繰り返し同じ手が通用するわけだが)
 だが、よく言われるように認知症でも感情の部分はしっかり残っている。相手に何をされたか、何を言われたかは忘れてしまっても、自分がその人から受けた感じが気持ちよいものであったか、不快なものであったかは、覚えている。その積み重ねが、介助者と利用者との関係の良し悪しを築いていくんじゃないかと感じる。
 それまで帰宅願望が強くて職員を困らせていたYさんであったが、日に数回この儀式をすることで不穏になることが少なくなった。人生で自分が一番輝いた瞬間を人に話すことができて、それを認めてもらえたということが、Yさんが落ち着ついて過ごすのに役立ったのではないかと思う。
 利用者の昔話を聞くのは、面白いだけではなくて、介護の仕事をスムーズにすすめる上で役に立ち、そのうえ利用者自身を気分よくさせる、という一石三鳥の「秘策」(というのも同僚たちはあまりやっていないので)なのである。


 さて、自分がやっていることも回想法なのであろうか。

 本書によると、回想法とは

 アメリカの精神科医Butlerによって確立された高齢者を対象とする心理療法の技法である。従来、否定的にとらえられていた高齢者の過去の回想に、専門家が共感的受容的姿勢をもって意図的に働きかけることによって、高齢者の人生の再評価やアイデンティティの強化を促し、心理的安定やQOLの向上を計ろうとする方法である。(黒川由紀子「痴呆老人に対する回想法グループより)

 はじまりは1963年アメリカというからずいぶん歴史あるものだが、広まったのは80年代イギリスの高齢者介護の現場らしい。政府が「回想援助プロジェクト」に補助金を出したのがきっかけで、回想法のための教材やプログラムが研究され作成され、病院や高齢者専用住宅や地域の集会所などで実施されるようになった。それが高齢者にとって非常に良い影響を与えることが明らかになって、爆発的に広がったのである。
 著者は、イギリスにおける回想法のさまざまな実践例を取材し紹介している。
 それを読むと、回想法は型にはまった堅苦しいものではなく、創意工夫と当意即妙に彩られた、いろいろなアプローチが可能な楽しいレクリエーション、という感じである。高齢者の回想をもとにお芝居したり、昔の家財道具や写真を囲んで地域の小学生と交流したり、自分史を作ったり・・・。
 この文脈でいけば、自分のやっていることも回想法と言えなくはないだろう。
 しかし、この本が出されたのは15年前。ようやっと回想法が日本に紹介された頃であった。
 今はどうか。
 回想法に関する本がたくさん出版され、効果を云々する研究も進められ、心理の専門家によるマニュアルもつくられて、各地で介護職らを対象に講習会が開かれるようになった。回想法は然るべく研修を受けた人間が入念な準備とプログラムをもとに実施する技法として確立した模様である。


 介護職員であると同時に民俗学者でもあり、施設の高齢者の昔話の聞き書きをライフワークとしている六車由美は、著書『驚きの介護民俗学』(医学書院、2012年)の中で、回想法に対する疑念を表明している。自分が驚きをもって楽しんでやっている聞き書きと回想法との共通性に惹かれて地元の回想法の講習会に参加した六車は、回想法の確立した技法ゆえの杓子定規なやり方に失望し、こう述べる。

 高齢者の心を支えるという目的を掲げた回想法は、一方で誰でも活用できるように方法論化が進んでしまったがゆえに、実際の現場で行われる際に、目の前にいる利用者の多様で複雑な人生を見据えるまなざしを曇らせてしまうことにもつながってしまったのではないだろうか。私は、こうしなければならない、こうしてはいけない、と言われたとたんに、面白さを感じられなくなる。だから、「私がしたいのは回想法ではない」と宣言しなければならなくなる。(『介護民俗学』、医学書院)

 この六車の発言に、今の日本における回想法の位置づけを察する。
 どんなに素晴らしい画期的なアイデアも、いったん研究者や専門家の手に渡ると、研究テーマとして分析され数値化され評価され、それをもとに理論化されマニュアル化され素人にはうかつに手出しできない技法になっていく、すなわち専門家による「囲い」が始まる、というのはよくある現象である。そのうちに○○協会なんてものが立ち上がって、技法を広める講師(たいていカタカナ名の肩書きがつく)を育成するための研修や認定試験なんてものができると、「囲い」は完成する。
 素晴らしいアイデアをより多くの人に誤解のないよう効率よく広めるためには、あるいは行政からの補助金を獲得するためには、こうした組織化・システム化はやむを得ないものなのだとは思う。
 しかし、マニュアル化が過ぎて杓子定規に陥ると、えてして目的と手段の転倒が起こる。

 一番の目的は、老人の思い出話を興味を持って楽しんで聞くこと、その耳を得て老人は待ってましたとばかりに生き生きと思い出を語り、両者の間に信頼が生まれること。縁あって触れ合った世代の異なる二人が、できるかぎり対等の立場で、楽しい時間「いま、ここ」を共有すること、である。付随結果として、老人のQOL(生活の質)が高まったり、アイデンティティの強化につながったり、介助がスムーズになったり、ということはあるかもしれない。だがそれはやはり結果であって、目的ではなかろう。

 Yさんに、自分の人生を再評価してもらおうとか、アイデンティティの強化をはかってもらおうとか、Yさんにしてみれば余計なお世話である。そんなことする自分はいったい何様のつもりかと思ってしまう。
 Yさんが笑顔になって穏やかに過ごせれば、おまけとして良い介護につながれば、それで十分である。
 Yさんはその後誤嚥性肺炎で亡くなった。



● 本:『驚きの介護民俗学』(六車由美著、医学書院)

驚きの介護民俗学 2012年刊行。

 著者の六車由美(むぐるまゆみ)は1970年生まれ。民俗学者として前途有望な大学職員の職を四十目前にしてなげうって、静岡県東部地区の特別養護老人ホームで介護職員として働いている。
 もちろん、大学を辞めたからと言って民俗学者を辞める必要はない。新しい職場には、昔の生活や風習や伝承などをよく知っている翁、媼がたくさんいる。正史には残らないような、教科書や市町村など公の編纂物には載らないような、知られざる庶民の暮らしぶりや出来事、「忘れられた日本人」の姿を驚くべき詳細さで正確に記憶している人々がいる。
 かくして、介護と民俗学が結合し、著者の提唱する「介護民俗学」が誕生したのである。


 著者は、週に数回、時間を決めて、勤めている施設の利用者の昔語りを仕事の一環として聞き書きすることを始める。


 まず、これがうらやましいというか、理解のある施設だなあ~と思う。
 自分も介護施設に勤めているが、利用者である老人の話をじっくり聴ける機会などないに等しい。
 シフト入りしてから上がるまで、息つく暇もなくやることがある。一日の流れは決まっている。すべての利用者を見守りながら、転倒や誤嚥などの事故なく、業務を円滑に遂行していかなければならない。利用者とのコミュニケーションより業務優先になる。
 たとえ、たまさか手が空く時間があっても、一人の利用者だけに集中することはできない。フロアのどこで何が起こっているのか、どの利用者がどこで何をしているのか、把握していないとならないからだ。職員の見えない死角で車椅子から立ち上がって歩き出し、転んでいるかもしれない。他人の部屋に入って、そこの床に放尿しているかもしれない。
 記録をつける煩雑さも馬鹿にならない。8時間のシフトの内、おそらく1時間近くは記録作成にあてられる。行政の監査や評価、利用者の家族からの問い合わせにいつでも対応できるように、利用者一人一人についてこまかい記録をつけなければならない。バイタル、食事量、水分量、排泄記録、服薬記録、レクリエーションでの様子、入浴時の様子、他の利用者との関わり・・・e.t.c 必死こいて記録をつけている職員の周りで、何か言いたそうな利用者がウロウロしているという光景は日常茶飯事である。
 何が起こるのかわからないのが介護である。みんな何かしらの病気を持っているのだが、ちょっとしたことで体調悪化につながる。ついさっきまで元気に動き回りよく喋りよく食べていた利用者が、突然「熱発」し意識朦朧とし救急搬送になることがある。あるいは、廊下で転倒している利用者の存在を他の利用者から教えられることもある。
 そうなると業務の流れがストップしてしまう。それによって混乱が生じる。他の利用者も不穏になってしまう。
 だから、ほとんどの職員は前倒しに業務を行っていく。手が空けば、次の時間帯の作業でできることを済ませてしまう。突然何か不測の事態が持ち上がっても、業務の流れへの影響が最小限で済むように。
 そんなこんなで、利用者と膝つき合わせて、じっくり会話する時間が取れないのである。
 利用者とマンツーマンで話をする機会があるのは、入浴介助の時くらいである。それも、こちらは介助の手を休めることなく話を聞かなければならない。せいぜい15分が関の山。


 自分は老人から昔の話を聞くのが好きなほうである。
 戦争に行った話、疎開した話、大陸からの引き揚げの話、関東大震災の話、昔の田舎の暮らしの話、貧乏の話、バリバリと働いて日本の屋台骨を支えていた頃の話・・・。同世代の人と話すより好きかもしれない。
 あるいは、一般の日本人とはちょっと違った経歴をもつ人たち―例えば、在日朝鮮人とか元ホームレスとか天涯孤独であるとかーそういう人達がどのような苦労を重ね、どのような辛さを乗り越え、どのような経緯をたどって今日まで辿り着いたかに興味がある。もちろん、ちょっとやそっとでは当人に聞けることではないけれど。
 もっとも、自分の興味は民俗学的なものではない。老人達は長い人生の中で最も印象に残ったいくつかのエピソードを繰り返し語る習性がある。そこから共通して浮かび上がってくるその人の「人生のテーマ」みたいなものを推察するのが面白いのである。いわば、スピリチュアル的興味といったところか。


 そういうわけで、老人達の話にじっくり耳を傾けることのできる著者の立場をうらやましく思ったのであるが、やはりそうは甘くはないようである。

 民俗学者としての矜持と知的好奇心を拠り所に、老人達の昔話に「驚き続けること」をエネルギーに介護民俗学を進めてきた著者であるが、あるときから急に驚けなくなってしまう。 
 職場の配置換えで職員の不足している現場に配属となり、あまりの忙しさのため聞き書きができなくなったのである。
 

 驚けないというより、最初は「驚かない」ようにしていた。業務を滞りなくこなすには、驚いている時間がなかったからである。


 さらに、私は驚けなくなってから、一方で、介護の技術的な達成感の喜びは強く感じるようになっていった。たとえば午後の排泄介助の時間、寝たきりの利用者のオムツ交換をするのだが、オムツを開けた時に大量の排便があったりすると、いかにこの便を素早く、しかも丁寧に拭き取り、利用者の臀部をきれいにしてオムツを交換するか、と俄然張り切ったりするのである。
 そんな感覚は今まで味わったことがなかった。介護技術が高まったということなのかもしれないが、そこで感じる介護の喜びは、これまでの利用者との関係のなかで感じられるものとは明らかに異なる。極端に言えば、利用者と接しているのに、そこには利用者の存在が希薄となっている。ただ自分の技術に酔っているだけなのだ。驚きのままに聞き書きを進めていたときに、目の前の利用者の背負ってきた歴史が立体的に浮かび上がってきて、利用者の人としての存在がとてつもなく大きく感じられたのが嘘のようだった。なんだか私は自分が恐くなった。


 そう。自分も正直恐い。
 介護技術が高まり、他の職員に迷惑かけないよう業務をスムーズにこなせるようになるのと反比例するかのように、利用者との心の距離は離れていくような気がする。
 就寝介助中、寝巻きへの着替えを手伝っている間に話しかけてくる利用者を、次に寝かせないといけない別の利用者のことに気が行って、適当にあしらうことを覚えてしまった自分に情けない思いがする。

 しかるに、高齢者はどんどん増えていき、施設への入所を待つリストはどんどん長くなる一方で、介護職員は慢性的に不足している。「利用者とのコミュニケーション(傾聴)」が介護保険で利用できるサービスの一つとして算定される可能性などゼロに近い。


 知恵と豊かな経験に満ちた老人たちが口をつぐんだままあの世に赴くことは、民俗学的見地から、次世代への生きた歴史と知恵の継承という点からもったいないというばかりでなく、ターミナルケアのあり方としてどうなんだろうか?
 業務優先の今の仕事は仕方ないとは思うけれど、「どこか違う」という気がしてならない。利用者の話を聴くのが介護の一番大切な仕事なのではないだろうか。自分の話をきちんと聴いてもらえることは、自分が受け入れられたという実感をもたらす。それが利用者を落ち着かせ、最期の時を安らかに迎えるための何より効き目ある薬なのではないだろうか。


 介護に携わる者にとって、一読に値する本である。




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