先日久しぶりに奈良に行き、JR奈良駅が新しくなっているのにびっくりした。

 数年前、ここで苦い思い出がある。
 身体障害で車いすを使っている知人と一緒に奈良駅ホームに降り立ったのであるが、エスカレータもエレベータもなく、改札まで行けないのである。人手があれば、車いすを持ち上げて階段を乗降すればよいのだが、駅員も少ない。ならば、ホームの端から駅の外に出られる駅員専用の通路を使わせてほしいと頼んだのだが、いい顔しない。
「これが、世界中から観光客がやって来る日本の代表的な観光都市かよ!」
と怒りに震えたのを覚えている。

 新しくなった奈良駅は、きれいで、広々としていて、表示もわかりやすく、もちろんバリアフリーである。世界遺産を有する都市としての名に恥じない立派さがある。駅から観光客の主要目的である興福寺や東大寺に向かう道もきれいに舗装されて、奈良漬けを連想させるような昔の野暮ったさから脱皮しつつある。

 しかし、奈良駅の巨大なコンコース~これなら修学旅行生や中国人団体客がいくら来ても大丈夫~を見渡して、あることに気づいた。
 1.ゴミ箱がない
 2.時計がない
 3.ベンチがない

 この3つは最近の公共交通機関の特徴といえる。
 オウム真理教事件をきっかけに駅や列車内のゴミ箱が撤去されるようになった。9.11テロはそれに拍車をかけた。むろん、エコロジー意識の高まりもあろう。しかし、やりすぎではないかと思う。ゴミ箱を設置しないなら、駅や列車内でものを売るな!と言いたくなる。
 時計がないのも不便である。腕時計や携帯電話があるからというのが理由だろうが、忘れたり電池が切れていることだってある。それに、先だっての地震のときの東京のように、突然災害があった時など駅に閉じこめられることだってある。携帯の電池だってそのうち切れるだろう。その前に電波が届かなくなるかもしれない。そんなとき、誰にでもすぐ見えるところに大きな時計があれば、安心できるし、規律が保てるというものだ。

 1や2はまだ大目に見られる。一番問題なのは「ベンチがない」ことだ。
 大体、駅に到着する人というのは、どこかから移動してきたわけで疲れている。重い荷物やおみやげを持っていればなおさらである。一服してから、次の行動にうつりたい。列車待ちの間もどこかに座って、ゆっくりしたい。なのに、まるで「発車時刻ぎりぎりに来い。着いたら早く構内から出て行け。」と言わんばかりの殺風景さ。
 おそらくは、ホームレスが駅構内に居着くのを避けるための手だてなのかもしれないが、それとこれとは別問題である。
 日本がこれから超高齢化社会を迎えるという事実が分かっているのだろうか? 移動で疲れたお年寄り達に向かって、立ったまま列車の来るのを待っていろと言うのか。冷たいタイルの地べたに座っていろというのか。
しかも、広々としているだけに構内は寒い。
 なんと非情なんだろう!

2012秋の関西旅行 027
 帰りは夜行バスに乗るため、京都駅に行った。
 京都駅もまったく同じである。いや、輪をかけてひどい。
 時計もない。ゴミ箱もない。そして、あの無駄に垂直方向に広いコンコースの中にも駅の外にもベンチがまったく見あたらない。どこで列車を待てばいいのか。金出してどこかのお店に入っていなさいということか。
 しかも、わざとそういうデザインにしたのか(原広司デザイン)、巨大な吹き抜けになっている上に、外壁がない部分が多いものだから、大気がそのまま入ってくる。駅構内の寒いこと。10月はじめで構内にずっといられないくらいなのだから、冬はたまらないだろう。昔の京都駅は汚かったけれど、どこかに寒さを避けるための居場所があった。

 いったい、京都の気候を考えて作ったんだろうか?

 今回、バスの待ち時間に吹き抜けの上まであがってみた。
 なんだろう、あの大階段?
 宝塚か?
 蒲田行進曲か?
 毎年2月に「JR京都駅ビル大階段駆け上がり大会」というのをやるそうだ。

 ばっか!

 あんなもの作るくらいなら、なぜあそこをフリーの待合所にしなかったのか?

 人に優しくない設計して何が建築デザインだろ? 何が世界遺産だろ?
 
 形だけのバリアフリーなんて、古都の名をおとしめるだけだ。