ソルティはかた、かく語りき

東京近郊に住まうオス猫である。 半世紀以上生き延びて、もはやバケ猫化しているとの噂あり。 本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、芝居や落語に興じ、 旅に出て、山に登って、仏教を学んで瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

宮崎勤

● 本:『ドキュメント 死刑囚』(篠田博之著、ちくま新書)

死刑囚2008年発行。

 この書は、平成の世になって世間を騒がせた3人の凶悪殺人者にして死刑囚についてのドキュメントである。著者は獄中の3人の死刑囚と長期間交流し、裁判を傍聴し、自ら編集長をつとめる月刊誌「創」を通じて、彼らの「肉声」を世に発信してきた。

 3人とは誰か。


宮崎勤(みやざきつとむ)
    1988~89年に埼玉県で起こった連続幼女誘拐殺害事件の犯人。
    1989年7月 逮捕
    2006年2月 死刑確定
    2008年6月27日 死刑執行
小林薫(こばやしかおる)
    2004年11月に奈良県で起こった幼女誘拐殺害事件の犯人。
    2004年12月 逮捕
    2006年10月 死刑確定
    2013年2月 死刑執行(本書発行後)
宅間守(たくままもる)
    2001年6月8日に大阪・池田小学校で起こった児童無差別殺害事件の犯人。
    同日、逮捕
    2003年9月 死刑確定
    2003年12月 獄中結婚
    2004年9月 死刑執行

 事件から10~20年以上の歳月が過ぎた現在でも、この3人の起こした事件の比類ない残酷さと社会に与えた衝撃は、生々しく思い起こすことができる。3人の風貌(逮捕時の映像)も、それぞれの審判の過程を通して明らかになった特異な生育環境や性格、精神鑑定が必要とされた言動の奇矯ぶりとともに、いまだに澱のように記憶の底に残り続けている。
 著者は、3人の死刑囚の共通点を次のように述べる。

 力の弱い子どもを犯行の対象にし、精神鑑定で「反社会性人格障害」と診断されたことはもちろん共通だが、それ以外に、例えば3人とも親、特に父親を激しく憎悪していた点である。
 3人とも社会から疎外され、社会とコミュニケーションを保てなかった人物だが、彼らにとって家庭とは、家族とはいったい何だったのだろうか。彼らと接触しながら、私は何度もそのことに思いをはせるようになった。

 こういった記述から明らかなように、著者は3人が冷酷無比にして凶悪な犯行に至った背景に、環境要因とりわけ家族関係を措定している。
 むろん、3人と同じような悲惨な家庭、抑圧的な親、被虐待体験を持ったからといって、すべての子どもが長じて人格障害なり犯罪者なりになるわけではない。むしろ、そうはならない人間のほうが圧倒的に多いだろう。そこには、環境要因に加えて遺伝的要因(気質)が大きく影響するであろう。
 また、当人が家庭とは別のところ(地域社会や学校など)で、どのような人と出会い、どのような経験を積んでいくかという、ある意味「運」の良し悪しというものも作用するであろう。
 そういった複数の「負」の要因が複雑に重なり合った結果として、3人のような犯罪者が生まれると考えられる。
 だが、幼い頃の家庭環境がもっとも大きな要因であることは間違いあるまい。他の要因がすべて「正(+)」であっても、その一つの「負(-)」だけで、すべての「正」を引っくり返すだけの強さを持つであろう。他のすべての要因が「負」ばかりであったとしても、つまり長じて運悪く不幸続きであったとしても、幼い頃の家庭環境が「正」であれば、おそらく人はそれほど破壊的にも破滅的にもならずに、生きていけるであろう。(遺伝子的に反社会的行動しかとれないケースや、殺人を犯してしまうような「カルマ=潜在煩悩」を背負っている場合は別として)。
 むろん、だからと言って、3人が犯した罪が免責されるわけでも、許されるわけでもない。
 著者もまた、3人との交流によって、また事件の背景や3人の生育歴をくわしく知るに及んで、3人にある種の「情」を覚えているように見える。が、ぎりぎりのところで踏みとどまって、3人を擁護し罪の軽減を主張することはしていない。客観的な姿勢は保たれている。


 3人のいまひとつの共通点は、死刑が宣告されたこと、そして、3人とも積極的に死刑になることを希望したところにある。

 もともと社会から疎外され、現実社会に自分の居場所がないと思っていた彼(ソルティ注:小林薫)は、自宅に連れ込んでいたずらをしようと考えた幼女が死に至った現実に直面し、これで自分は死刑になるのだと、遺体を陵辱し、母親に「娘はもらった」というメールを送るなど、むしろ残虐な行為に突き進む。(略)・・・法廷ではいっさい争わずに、むしろ「死刑にしてほしい」と一貫して証言した。


 宅間守死刑囚の場合は、もっと自覚的に、自分を疎外するこの社会に復讐するために凶悪犯罪を犯した。死刑を宣告されてからも、早く執行してほしいと言い続けて、確定から約1年間という異例の早さで死刑を執行された。


 宮崎勤死刑囚の場合も、最期まで死刑判決の意味や、自分の置かれた状況をきちんと理解していたかどうか疑わしい。殺害したとされる4人の幼女や遺族への言葉はいっさいなかったし、むしろ自分は良いことをしたのだという趣旨の言葉さえ口にしていた。

 死刑に犯罪抑止効果がないのは科学的に証明されている。
 そのうえ、「死刑にされたい」がために人殺しをしたり、より残虐な罪を上乗せしたりする人間がいるのだから、死刑にはむしろ犯罪推進効果がある、というべきだろう。
 本書で、著者は死刑制度に対して疑義を呈している。  

 犯罪を犯した人が「罪を償う」とはどういうことなのか。彼らをどう処遇することが本当の問題解決につながるのか。これだけ動機不明と言われる事件が頻発する現実を見るにつけ、死刑こそが有効で重い処罰なのだという思い込みで現実に対処するのは、ほとんど思考停止というべきではないのか。

 「死刑になりたい」から凶悪犯罪を起こした人間を死刑に処するのは、犯人の「思うツボ」だから、死刑ではなく終身刑にして「‘蛇の生殺し’のような生き地獄を味あわせては」という論者もいる。
 それに対して獄中の宅間守の行なった反論は冴えている。

 そこで考えてみよう。もし国が、私の執行を「本人の思うツボ」だと、いつまでたってもしなかったとしよう。そうしたら、社会にいる無差別殺人をしよう、あるいは、恨みによる複数人の殺人をしようと考えている者は、生け捕りにされたら、何年も何年も不快な思いをさせられると思う。そしたらどうするか。無差別殺人ならその場で自爆する事、自刃する事を考えるであろう。
 無差別殺人は、生け捕りにされる無差別殺人より、自らもその場で死ぬ無差別殺人の方が、大量に殺せるのです。

 イスラム自爆テロを考えれば、宅間の言うことは事実であると頷ける。


 ヒューマニズム(人権尊重)の見地から死刑廃止を訴える者が、何らかの答えを用意しなければならないテーマがここにはある。
 すなわち、本人が強く死刑を希求しているときに、「死刑反対」運動をするのは、当人の希望や自己決定に逆らうことになる。獄中の死刑囚を生かそうとする外の人間たちの善意あふれる行動は、本人にとって迷惑千万であり、善意の押しつけになってしまう。死刑より残酷な「生(サバイバル)」を強要するのは、人権の観点からどうなのか。
 なかなか死刑を執行してくれないことに業を煮やした死刑囚が、独房で自殺を図ったとしたら、元も子もない。
 死刑廃止を訴えるならば、それと共に「では、宅間守や小林薫や宮崎勤のような死刑を希求する人間を、社会はどう処遇していくのか」という代替案が必要であろう。
(ある意味、これは「尊厳死(安楽死)」をどう考えるかというテーマと通底するところがある。)


 さて、自分(ソルティ)は死刑制度には反対である。
 その理由は別記事でまとめた通りなのであるが、いま一つそこに書かなかった理由を自分の中に発見した。
 それは、戦争犯罪との関連である。
 上記の3人が行なった犯行は確かに極悪非道である。鬼畜の所業と言ってよい。
 しかし、日本人はアジア太平洋戦争中にそれと同じような、いや、それをはるかに上回る残虐な虐待・殺人行為を大量に行なっているのである。
 わかりやすい例が731部隊の行なった捕虜(マルタ)の人体実験の数々である。それは実験という名の拷問であった。
 731部隊に関わった人々は、戦後、実験結果を戦勝国であるアメリカに引き渡すことを条件に、戦犯たることを免れた。誰一人も処罰を受けなかった。それどころか部隊の幹部連中は、実験で得られた技術を活用し、戦後、医療系企業を設立し金儲けをはかり、また医学会の重鎮となっていく。
 戦時中のことで、「お国のために」やったことで、アメリカの利益を図ったがゆえに放免されて、あれだけの残虐行為の罪が帳消しにされる一方で、なぜ一市民が平和時に起こした殺人のために「お国によって」死刑の宣告を受けなければならないのか。
 この不条理に自分はまったく納得がいかない。
 宮崎勤や宅間守を死刑にするのであれば731部隊の首謀者も(もうほとんどが没しているだろうが)死刑に処すべきであるし、731部隊の殺人者を無罪放免するのならば国は他の誰をも「人殺し」によって裁く権利は持っていまい。
 もちろん、このような不条理は日本国に限って言えることではない。


一人殺せば殺人者、百万人殺せば英雄。殺人は数によって神聖化する。
One murder makes a villain. Millions a hero. Numbers sanctify.
 byチャーリー・チャップリン




● 腐ったミカンの多元連立時空方程式、または一つの死刑廃止論

 光市の母子殺人事件の死刑判決が確定して、死刑についての思いがまたもや頭をもたげるこの頃。
 世間では、この判決確定を「当然である」「あまりに遅すぎる」「とっとと執行せい!」とする声が大きいのは重々承知しているが、やはり、むなしさ、悲しさを感じざるを得ない。
 自分が死刑制度に反対する理由は言葉にするのがなかなか難しくて、ましてや死刑賛成論者と議論するなど到底無理な話と思っているのだが、自分が反対する理由に近いものをこれまであまた語られてきた死刑廃止論の中には見つけることができないので、ここで不十分ながらもまとめておくのもよいかと思う。


 まず、この問題を考えるとっかかりとしてベタは承知の上、段ボール箱に詰められたミカンを持ち出してみたい。

 どこからか箱ごと送られてきたミカンは、早いとこ食べるか人に分けるかしないと、他のミカンの重さを引き受け空気の流通も悪い、箱の一番下のミカンからカビて腐っていく。腐ったミカンを取り除いて捨てたところで、保管方法を変えなければ、また一番下になったミカンが腐るだけである。
 なぜ腐ったのか原因をつきとめて、時々箱をさかさまにするとか、すべてのミカンを取り出して分散して保管するとか、一部はミキサーで搾って冷凍するとか、保管方法をそれなりに工夫しなければ状況は変わらない。「腐ったら捨てればいいじゃん」は、保管方法をこれまでどおり維持する口実となるばかりでない。そのうち腐ったものをそれと気づかずに口にしてしまう危険だってある。
 死刑もそれと同じである。
 犯罪者をこの社会から抹殺しても、何の解決にもならない。
 解決するように見えるものがあるとしたら、それは犯罪者を収容し続けるあるいは更生するためにかかる経費の削減と、殺された被害者の家族らの感情がいささかでもなだめられるという点である。経費の削減のために死刑を執行するというのはいくらなんでもとんでもない話であるから無視するとして、被害者の家族らの感情についてはどうであろうか。 
 たとえ加害者が死刑になったとしても亡くなった者が帰ってくることはないし、受けた苦しみが消えることはないだろう。「なぜ自分の愛する者が・・・」「なぜ自分がこんな目にあうのか・・・」という理不尽は生涯ついて回るであろう。
 死刑は、なぜ「彼(彼女)がそうした犯罪を行ったのか」という問いと追究を封じて、そうした行為が二度と起こらないようにするための対策への努力を怠る口実となる。
 「社会のゴミは処分すればいいじゃん。」


 引き続き、ミカン箱の比喩を用いよう。
 台所の隅に無造作に置かれたミカンの段ボール箱。このような保管方法をしている限り、いずれ一番劣悪な状況にあるミカンが腐るのは時間の問題である。
 同様に、このような社会構造がある限り、いずれ誰かが犯罪の加害者となり、誰かが被害者として選ばれるのは時間の問題である。今回は、たまたまAさんが「加害者」になり、Bさんが「被害者」となったけれど、Aさん、Bさんでなければ、きっとCさんが加害者、Dさんが被害者になったであろう。このような社会構造の中で、いずれこのような事件がどこかで生じることは避けられないのであり、AさんやBさんは今回たまたま「加害者」「被害者」の役を振り当てられたと見るのである。
 このような社会構造とは、むろん、戦争があり、飽くなき欲望の追求とその称賛があり、熾烈な競争があり、他者との比較があり、差別があり、不平等があり、虐待があり、福祉の欠如があり、無知が蔓延しているこの社会のありようである。

 あれがあるからこれがある。
 あれがなければこれがない。


 これは仏教で言う因縁の見方である。


 この世は因縁で成り立っている。
 因(原因)があり、そこにいくつかの縁(条件)がそろって、果(結果)が生じる。生じた果はそのまま新たな因となる。この流れが気の遠くなるような過去から現在まで、一枚の落葉から銀河の衝突に至るまで、複雑微妙にからみあって、しかし完璧な秩序をもって運行している。その意味では、世界は瞬間瞬間「完全」である。
 ある事象が起こる因縁が調ったとき、それは不可避に生じざるを得ない。社会の中である事件が起こる因縁がそろったとき、それは起こらざるを得ない。その当事者となるのがどこの誰であるかは、私たちには読み取れない。
 この考え方に、個人の意志や理性というものについての軽視をみるかもしれない。
 その通りである。個人とは、結局、歴史の大海の中に現れたある特定の「社会」という渦巻きの中の波のしぶきのようなものである。言葉を換えて言えば、個人とは歴史と社会によって条件付けられた「土のかけら(人間は炭素からできている)」である。個人は社会(世界)の不出来なミニチュアである。自分の意志なんてものは錯覚にすぎない。
 とすると、犯罪が起こるのは仕方ない、人が悪事を犯すのは止められないという極論に導かれそうだが、そうではない。
 我々人間が行う一つ一つの行為は、それが意図的であろうとあるまいと、必ずや因縁の流れに組み込まれ、なにがしかの結果をもたらさずにはいない。歴史と社会に条件付けられた意識が、その条件付けの範囲内の因縁しか流れに加えることができないのは火を見るより明らかであろう。悪い社会の悪い環境に生まれ育った青年は、流れに悪い因を加え、結果として社会をいっそう悪くするのに力を貸す。遅かれ早かれ自身も悪い果を得るだろう。
 だが、この条件付けに気づき、そこからちょっとでも身を引き剥がすことに成功した人間は、よい因縁(と自ら判断したもの)をつくりだして、流れに加えることができる。そこが、本能(自然)だけで命をまっとうする(まっとうできる)動物と、どういうわけか本能の壊れた人間との違いである。
 人は犯罪を犯した人間を裁くが、その人間がその犯罪を起こすことになった因縁は見たがらない。あたかも、その人間が悪い意志を持った、悪い人間であるかのように考える。良くなる意志を欠いた怠け者のように扱う。
 だが、良くなろうとする意志もまた、その背景(因縁)がそろってはじめて生まれるものなのである。事件を起こすまでの半生の中で、その因縁をつかめなかったのは当人の所為であろうか。良き親との出会い、良き人との出会い、良い本との出会い、そもそも「良いとは何か」を知る機会がなかったのは当人の努力不足であろうか。ミカン箱の一番下になったのは、そのミカンの所為だろうか。

 東日本大震災で、我々は被災した多くの人々の苦しみ・悲しみに共感し、援助を捧げることに何のためらいも見せなかった。日本人であれば、被害にあったのが自分であったかもしれないことを誰もが知っているからであろう。地震大国の日本では早晩大地震が起こるであろうことは知れていたし、どこに来るかは誰にも予測できなかった。今回、被害にあった地域と住民たちは、いわば、幸いにして被害にあわなかった自分たちの身代わり、人身御供になったのである。
「自分の地域だったかもしれない」
「自分の家族だったかもしれない」
 その思いが当事者とそれを免れた者とを結びつける。
 一方、誰も地震や津波そのものを責めはしない。このように不安定な岩盤を持つ土地に暮らしている以上、いつかは来ることは覚悟していたからである。
 社会における犯罪というのもそれと同じように自分には思われる。
「加害者は自分だったかもしれない」
「被害者は自分や自分の家族だったかもしれない」
 死刑という制度は、このような世のしくみ(=因縁)に対する無知のあらわれのように思われる。と同時に、条件付けから解かれないがゆえに、このような社会構造をそのまま持続させることに加担してしまっている、社会の一員である自分に対する負い目が、死刑を声高に唱えることを控えさせるのである。


 因縁を別の側面から取り上げてみよう。
 我々のすべての行為が新たな因となり縁となって流れをつくるのであってみれば、死刑という行為自体も当然因縁をつくる。それははたして良い因であろうか。良い縁であろうか。良い果を生むであろうか。
 死刑は、理由や背景がどうであれ、人を殺す行為である。決してポジティブな結果を生むとは思われない。
 単純な結果だけ見ても、それは国が合法的に人を殺すことを認める行為である。戦争と同じである。戦争放棄をうたっている日本が、合法的に人を殺すことを認めるのは矛盾している。この矛盾は憲法9条の存続を揺るがしかねない。
 また、主権在民の国家において、「国」とは国民である私たち一人ひとりである。すなわち、国による殺人である死刑の実情とは、私たち一人ひとりによる殺人なのである。国が殺すのではない。法律が殺すのではない。裁判所が殺すのではない。死刑執行人が殺すのではない。ましてや電気椅子や13階段が殺すのではない。私たちが、一億二千万分の一の責任を背負って殺害者になるのである。その自覚と覚悟がおありだろうか。


 再び、ミカン箱に戻る。
 社会がミカン箱であり、個人は社会のミニチュアであるならば、ミカン箱はまた個人の中にも存在する。個人の中味は社会の中味そのものなのである。
 社会がミカン箱から腐ったミカンを捨て去った(=死刑を執行した)時、それはその社会に住む個人が己の中からも同じ腐ったミカンを捨て去ったことになる。自分自身の一部を理解することなく、受け入れることなく、切り捨てたのである。切り捨てるのを許容したのである。腐った部位だからかまわないだろうか。だが、それはほかでもない自分の一部なのだ。自分の中のある部分が、許容できない別の一部を阻害した。それは自己分裂のはじまりであろう。

 このことを自分が強く感じたのは、1980年代終わりに連続幼女誘拐殺人で世間を騒がした宮崎勤の死刑が執行された時(2008年6月17日)であった。
 自分と同世代の人間として、つまり、生まれたときから同じ時代の変遷を経験し、同じ年齢でその都度同じ社会の有する価値観の内面化をはかった人間として、宮崎勤にはどこかつながりを感じていた。犯罪こそ起こさないけれど、自分の中にも「宮崎的なるもの」は育まれ、潜んでいた。フローベルに倣って言えば、「宮崎勤は私だ!」
 これは、他の世代の人間にはなかなか理解できないものであろう。けれど、一つの世代にはその世代にだけ理解できる、なんとなく共感しうる代表的な犯罪者がいるはずである。たとえば、『無知の涙』の永山則夫、『佐川君からの手紙』の佐川一政、神戸連続児童殺傷事件のサカキバラ、秋葉原通り魔事件の被疑者・・・・。彼らは、同世代の人間が隠し持つ「負の部分」の結実であり、同世代の中から選ばれた社会に対する生け贄なのである。
 宮崎勤が死刑になったとき、自分の中から何かが奪われるのを感じた。自分の中の「宮崎的なるもの」が結局、社会に理解されることも、そういうものが「ある」と認められることさえなく、捨て去られたような気がした。切り捨てられた「何か」は、どこにも落ち着くところがなく、今もどこか中空を漂っているような感覚がある。自分の中で統合される機会を持たないままで・・・。
 死刑とは、自分自身の一部を殺すことである。否、自分自身の一部が社会に殺されるのを黙って見過ごすことである。


 加害者が自分であったかもしれないのと同様、被害者も自分であったかもしれない。被害者は、他の人に代わって、このような社会構造の犠牲になってくれたのである。
 であってみれば、被害者とその家族に最善のケアをすることが社会の義務であるのは当たり前の話である。なぜこのような事件が起こったのか、加害者はどんな人間でなぜこのような犯罪を起こすに至ったのか、どういう償いが妥当なのか、更生はうまくいっているのか。こういった事件の詳細にまつわる情報を知る権利がある。また、その被害を社会が何らかの形で賠償する義務がある。

 被害者の身内の怒り、苦しみ、悲しみはどうしたらなくなるだろうか。そもそもその怒り、苦しみ、悲しみはなくなるものだろうか。克服すべきものだろうか。その怒り、苦しみ、悲しみの大きさこそが、もはや帰ってこない奪われた身内に対する愛情のバロメーターであるときに・・・。
 「なぜ自分の家族が・・・」「なぜ自分がこんな目に・・・」という問いかけに、答えは見つからない。だが、「他の家族に起きれば良かったのに・・・」「自分でなく隣の人であれば・・・」と彼らが思うわけもなかろう。

 苦しみが避けられない世の中に、我々は共に生きている。

みかん




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