2017年プレジデント社発行。

 以前、入浴介助中にご利用者のMさん(75歳男性、妻あり、子供なし)と日本の介護問題について議論したことがある。
 Mさんは社会問題に関心が高く、会社を経営していた人で、縁あって自身が当事者として渦中に巻き込まれることになった日本の介護問題についてビジネス的関心を抱くようになったらしかった。おそらく、恒常的な人手不足でシフトを回すのにヒイヒイ言ってる施設の内情を間近に見て、介護問題の深刻さを実感したのであろう。
 議論の焦点は、「これからますます度を増していく超高齢社会を前に、介護に必要なお金と人とをどうやって調達するか」ということである。
 現在ですら4K(危険、きつい、汚い、給料安い)の介護職は人気がなく、どの介護サービス事業所も人手不足にあえいでいる。有効求人倍率は全産業平均の常に2倍前後をキープ。景気が良くなればなるほど介護職に来る人は減っていく。
 一方、介護を必要とする高齢者人口は平均寿命の延びとともに右肩上がりに増えている。団塊の世代が高齢者(65歳以上)となった今、この先30年は要支援者も要介護者も認知症患者も増加していくのは間違いない。
 介護保険制度を支える人材と財源をどう捻出したらいいのだろう?
 
 Mさんとソルティは石鹸の泡にまみれながら議論した。
 こういう案はどうだろう? こういう制度にしたらどう?・・・等々、いろいろな打開策を出しあっては、その利点と欠点とを指摘しあった。
 経営者であったMさんは、やはり鋭い数字感覚と広い社会常識の持ち主なので、経営の才などまったくないソルティの提案する非現実的で帳尻の合わない愚策はものの3分で論破され、排水溝に流されてしまうのであった。
 そんななか、Mさんが「ああ、それはいいかも?」と共鳴してくれた案がある。
 題して、『介護サービスのユビキタス&リゾート戦略』


 地代も建設費も人件費も施設運営費も安く、治安も環境も良い東南アジアやアフリカの地域に、介護を必要とする日本の高齢者の街(施設群)をつくって、そこで日本人のリーダーのもと現地人のケアワーカーや従業員を多数雇い入れ、高齢者を最期までサポートする。
 考えられるメリット。
 ●介護事業にかかる経費の削減
 ●雇用創出や資金投下による現地国への経済的援助
 ●現地国との文化交流の活発化(移住高齢者の家族や知人、ボランティアが現地を訪問する際、また現地スタッフが日本と現地を行き来する際は安く渡航できる)
 ●自らが選んだ国の美しい自然と静かな環境、多様な人間関係の中で送る老後
 ●街中に介護スタッフの住宅も造れば、「数年なら海外で働きたい」という日本人も多いであろう(貯蓄もできる)
 ●むろんIT環境を整え、高齢者もスタッフもSkype等を使って日本の家族や友人と毎日でも会話できる
 ●街の中にはスーパーはもちろん、日本庭園やお寺や文化施設もつくる
 

 いかがでしょう?

リゾート



 さて、本書は「人」と「金」をめぐるこの介護危機について真正面から切り込んだ良書である。
 副題の通り、介護危機の実態や現状を「数字(統計)」と「現場(経験)」から得た情報をもとに、正確に客観的に読み解き、手際よくまとめている。と同時に、介護サービス事業の経営者でもある著者が、自ら実践し成功をもたらしてきた戦略をもとに作った‘介護危機を乗り越える処方箋’を提案している。問題の深刻さや複雑さを指摘して読者に不安や恐怖を与えて終わりにしてしまう‘ノストラダムス的’ドキュメンタリ-とは一線を画する。そこが好感持てる。


 著者は、1979年東京生まれ。日清紡、ITコンサルティング会社を経て、2008年に首都圏での訪問介護事業を核とする(株)ケアリッツ・アンド・パートナーズを設立。同社は介護人材への投資と業務効率化によって急成長を遂げ、いまや社員数約900人、訪問介護事業所51、デイサービス3、居宅介護支援事業所8、サービス付き高齢者向け住宅2棟を運営(2017年4月現在)する業界のリーディングカンパニーとなっている。(本書プロフィール参照)


 ビジネスセンスや経営力に優れ、介護現場の実状もそこで働く職員の心情もよく知っており、介護業界を成長させたいという野心もある。
 「これは第三世代の登場かな?」と思った。
 つまり、社会福祉法人を中心とする「介護=社会奉仕」を旨とするのが第一世代。介護保険制度の成立とともに業界参入し「介護=新しい投資先」を旨とするのが第二世代(例.コムスンやワタミ)。この宮本は「介護=ソーシャルビジネス」を旨とする新世代と言えるのではないか。
 第三世代の特徴は、「介護は社会奉仕だから職員の雇用環境は二の次」という第一世代の高野連的精神主義には冒されず、「介護は金儲けのツールだから職員の雇用環境は二の次」というブラック企業的搾取主義にも毒されない。介護事業を日本経済の中の一つのビジネスとして他の職種と同列に位置付けつつ、職員の雇用環境を良くし、顧客いわゆるサービス対象者である高齢者の満足度を高めていこうとする。つまるところ、資本主義社会におけるまっとうで良心的な会社経営ということに過ぎないのだが、長いこと公的機関や社会福祉法人に独占されてきた介護業界は、企業戦略や人材開発といったドラッカー的発想にはなかなか馴染まないのである。


 多くの介護企業の経営理念には、「思いやり」「優しさ」「利用者第一主義」などの美辞麗句が並んでいます。企業文化や風土を醸成するために、社員の考え方や行動の指針は必要です。とはいえ、一般的に精神論で社員のモチベーションを上げようという手法は、「やりがい搾取」「ブラック企業のポエム」などと報道で批判されています。(本書より)


 著者が提示する人材・財源不足に対する処方箋は、ソルティの中学生のようなアイデアとは違って、あるいは現場を知らない学者や官僚の作る‘絵に描いた餅’のごとき政策とも違って、極めて現実的で実現可能性が高く、数字の裏打ちもあり、日本社会や経済の動向ともリンクしていて、さらに著者自身の会社という成功事例も示されている。説得力がある。
 介護問題の真の危機にして核心は、人でも金でもなく「介護の質」であるということを忘れずに踏まえるのであれば、著者の提言は傾聴に値しよう。

 本書の第1章(約4分の1)は、ほぼ介護保険制度の説明に終始している。著者の提言を正当に評価するためには制度の理解が欠かせないから仕方ないのだけれど、介護素人の読者には難しくわずらわしさを感じるかもしれない。
 ケアマネ試験勉強中のソルティは、むろんスラスラと読み進めることができたし、ちょうど良い総復習の機会をいただいた。掲載されている様々な統計データーも興味深く、介護問題を考える上での材料をもらった。
 たとえば、
  • 施設介護の平均費用は一人当たり約29万円、在宅介護の平均費用は約11万円。
  • 東京23区で一番、つまり日本で一番高齢者の多い町は世田谷区である(176,439人)
  • 全産業における労働人口のうち非正規雇用の比率は37%であるのに対し、介護業界では非正規雇用が5割以上を占めている。とりわけ、訪問介護員の非正規雇用は約8割。(宮本の会社では訪問介護員の6割以上が正社員だそうである)

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セキレイ科ハクセキレイ



 さて、『介護サービスのユビキタス&リゾ-ト戦略』であるが、

「それって結局、体のいい楢山節考(姥捨て)じゃないの?」
「医療はどうすんのよ?」
「日本に帰りたくなったら帰してくれるの?」
「家族と引き離すなんて酷い!」
「自分の国のお年寄りを自分の国で看取れないなんて国際的恥辱だ」
「それって、ユビキタスというより、もろグローバリズムじゃん」

と言った批判が聞こえてくる。

 うべなるかな・・・。

 そもそも、生まれた国以外の土地で最期を迎えるという発想を「よし」とする人はなかなかいないだろう。年をとればとるほど、人は原点回帰するものだから。
 ソルティもMさんも、「別に日本で死ぬことにこだわることないよな~」「最後は家族に見守られなくとも構わないよなあ~」という点で一致したからこその、いわば孤独者同士の共鳴だったのである。


泡