ソルティはかた、かく語りき

首都圏に住まうオス猫ブロガー。 還暦まで生きて、もはやバケ猫化している。 本を読み、映画を観て、音楽を聴いて、神社仏閣に詣で、 旅に出て、山に登って、瞑想して、デモに行って、 無いアタマでものを考えて・・・・ そんな平凡な日常の記録である。

富士山

● 杓子ふたたび、または慈悲の瞑想の効用(鹿留1632m、杓子1598m)

●日程  11月21日(金)
●天気  晴れときどき曇り
●行程
08:40 富士急行線「富士山」駅・内野行きバス乗車(富士急山梨バス)
09:05 内野バス停着
       歩行開始
09:35 送電鉄塔
       道に迷う
10:35 立ノ塚峠
11:35 杓子・鹿留分岐点
11:45 鹿留山頂
12:30 杓子山頂
       昼食休憩
13:50 下山開始
15:15 不動の湯
       歩行終了      
●所要時間 6時間20分(歩行時間4時間20分+休憩時間1時間50分)

 9月30日の挫折を今年中にリベンジすべく、鹿留山・杓子山に再チャレンジ。
 天気は上々。紅葉と富士山の壮麗かつ雄大な景色が楽しめるであろう。
 ・・・と期待したのだが、富士急行線富士山駅に到着したら、ホームから見える神の山は五合目まで雲隠れ。
どうなることか。

杓子山 001

 
 前回より一本早いバスに乗り、歩行開始地点となる内野バス停に着く。
 見慣れた看板、見慣れた風景。
 が、前方に我を待つ鹿留と杓子の山容はすっかり冬バージョン。てっぺんに白く見えるはまさしく雪。そう、昨夕この地域ではみぞれが降ったのである。
 滑らなければよいが・・・。

杓子山 002

杓子山 003


 前回道を間違えた因縁の道路工事現場に来た。
 前回と同じ警備員さんが現場入口に立っている。
「杓子行くの? 雪が降ったから足元気をつけて」
 自分(ソルティ)のことは記憶にないようだ。思い出してもらう必要もあるまい。
 工事は整地が済んで、かなり進展していた。
 前回、誤って入った右手の山道は通行止めになっていた。
 そうだ。この標識が間違いの元。やっぱり、わかりにくい。そもそも分岐点に立っていないのがおかしい。

杓子山 006


杓子山 005


 左手の道を進むと、すぐに右側に送電鉄塔が現れた。
 これが手持ちのガイドブックに載っている(正しい)鉄塔だったのだ。
 今回はもう大丈夫。
 と思っていたら、またしても道を間違えてしまった。

杓子山 007


 森を壊して新しく造られている道路の行き止まりに来て、道は左右に分かれる。
 そこにまたして標識がない!
 左右の道を調べるに、右側の道の真ん中に工事現場によくある立看板が進入をふさぐように置かれている。その先は小暗い森の中に消えている。左側の道は広くて歩きやすそうで、日が当たって明るい。
 左側だろうと見当をつけた。
 敷き詰められた落ち葉の下が石畳なのが若干気になるが、登っていく道の先には鹿留山の頂が望まれる。こちらで良いのだろう。
 水無しダムだか砂防ダムのようなコンクリート建築を左の谷底に見ながら高度を上げていく。
 標識が出てこない。
 どうも変だ。
 こんなダム状の建造物があるなら、ガイドブックで言及しないはずがない。
 リュックを下ろして、ガイドブックを再確認。
 地図を見ると、送電鉄塔の先の雨乞山分岐で道が二つに分かれている。そこで右側に進むとある。左側の道は鹿留山頂の方にまっすぐ向かっているが、途中で切れている。
 ・・・・・・・・・・。
 さっきの分岐点が雨乞山だったのか。
 よく調べない自分も悪いが、あそこが雨乞山だとどうやって知りようか。
 やっぱり、標示が不親切。
 道路工事もいいが、工事により地形が変わり今まであった山道が消えるのだから、建設会社はハイカーのための案内標示に責任を持ってほしい。
 おそらく自分以外にも道を誤るハイカーが多いことだろう。

 雨乞分岐まで戻り右手の道に入る。
 入って少し進んだところに、「杓子山→」の標識があった。
(だから、分岐になければ意味がないんだって!)
 
 と、いらいらしながら歩を進める。
 いけない、いけない。これではせっかく山に来た意味がない。
 休憩して、心と体を休ませる。

杓子山 009


杓子山 008


 熊の看板がある(これだけは親切)立ノ塚峠を通過して、いよいよ尾根道に入る。
 アップダウンが続く。
 左手のすっかり葉を落とした木々の間から富士山が見えるはずなのだが、やっぱり雲隠れ。気がつくと、空一面雲に覆われて、お日様の所在もつかめない。天気予報では晴れると言っていたが・・・。


 鹿留(ししどめ、と読む)の名の由来は、「源頼朝が富士の巻狩りの折、頼朝の臣仁田四郎忠常がこの地で手負いのシカを射止めた」という言い伝えにある。一方、杓子(しゃくし)とはザレ場(崩壊地)を指す言葉だそうで、なるほど杓子山の南西面は大きなザレ場が見られる。
 山頂付近は岩場が多く、それまでのなだらかな山道とは打って変わって、恐怖と緊張と多量の発汗を要するスリリングな岩登りが続く。そのうえ、溶けた雪のために足元が滑りやすくなっている。岩に据え付けられたロープを頼りに、しっかりと手の置き所、足の置き所を確かめながら、よそ見しないで、余計なことを考えないように、一歩一歩登っていく。
 たいへんな作業ではあるが、このくらいの手ごたえがあってこそ山登りは面白い。

 鹿留と杓子の分岐まで来て、ホッと一息。

 雪をかぶった熊笹の道を鹿留山頂に向かう。
 山頂には立派なブナの木がある。いまはすっかり裸だが広葉樹に囲まれた静かな頂。眺望はあまり良くない。

杓子山 010


杓子山 011


杓子山 012


杓子山 013


 さきほどの分岐まで戻って、杓子山頂に向かう。
 道は歩きやすいが、アップダウンが続き、なかなかゴールが見えない。
 いくつかのピークから見える雄大な風景にパワーをもらって邁進する。


杓子山 014


 山頂到着!!

 リベンジしたぞ~!

杓子山 015


杓子山 020


 山頂はそこそこ広くてテーブルとベンチがあり、昼食休憩に最適である。
 なによりも360度のパノラマビューに圧倒される。
 東は、後にしてきた鹿留、御正体を越え、丹沢の山々を。
 南は、石割山の背面に神秘的に光る山中湖を。
 西は、富士吉田市を取り囲む河口湖と湖畔の山々、そしてはるか彼方の南アルプスを。
 北は・・・。
 北が素晴らしい。
 東北から北西にかけて開けているので、中央線と富士急行線の沿線の山々がすっかり見渡せる。
 三ツ峠山、本社ガ丸、尾崎山、高川山、鶴ガ鳥山、九鬼山、高畑山、百倉山、扇山、権現山、生藤山、陣馬山・・・。
 自分がこれまで登ってきた山々がなんだか総集編のように勢ぞろいして、箱庭の粘土細工の山のように可愛らしく並んでいる。それぞれの山と富士山との位置関係もすっかり把握できる。
 これら中央線沿いの山々を囲繞するは、奥多摩・奥武蔵の山々、大菩薩嶺、甲府の山々、そして北アルプス。
 北の空は晴れていて、空気が澄んでいるので、遠くまですっきりと見渡せる。
 一方、南の空は一面厚い雲だらけ。
 目の前に大きく見えるはずの富士山が残念ながら見えない。一つの雲の塊が風で流れても、東からまた分厚い雲が次々と押し寄せてくる。どう見ても今日はお姿拝見ならぬようだ。
 正午を過ぎた太陽も、たまに雲間から覗き込む程度。日陰になった山頂は思いのほか寒い。


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 空いているテーブルとベンチで昼食をひろげる。
 おにぎり(昆布と梅干)、いわしの缶詰、ゆで卵、ホウレン草とニンジンと油揚げの炒め物、お茶は冷たいのを入れてきたが熱くてもよかった。

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 ここまで途中出会ったのは、トレイルランの男性一人、カップル一組だった。杓子山頂では二組の夫婦と会った。自分を入れて都合7名。静かな山歩きだった。
 紅葉を見るにはちょっと遅かったようだ。
 一方の目的である富士山だが・・・

杓子山 021

 
 山頂にいた二組の夫婦はしばらくの滞在後、あきらめて下山して行った。
 この厚い雲の大軍を動かし、ちょっとでも山頂を覗かせるには、厩戸の王子か空海かモーゼのような超能力が必要だ。
 いくらなんでもこの空模様では無理だろうと思ったけれど、慈悲の瞑想を行なう。
 
 上座部仏教に伝わる慈悲の瞑想は、その効用として次の11が挙げられている。
1. 安眠できる。
2. 安楽な目覚めが得られる。
3. 悪夢を見ない。
4. 人に愛される。
5. 人間以外の存在(神々)にも愛される。
6. 神々によって守られる。
7. 天災や人災を免れる。
8. 心の統一が容易となる。
9. 晴れやかで明るくなる。
10. 良い死に方ができる。
11. 死後、梵天界に再生できる。

 これに自分はいま一つを付け加えたい。
12.天候を味方につけることができる。


 これまでにもいろいろな山行きで、悪天候とは言わないまでも雲行きが怪しいときに、自分は慈悲の瞑想を行なってきた。それによって、何度も雲の流れが変わり、天候が回復したり、雨が降るタイミングが上手い具合にずれたりふいに霧が晴れて見事な景色が現れたり、という経験をしてきた。
 これまではそれを半ば冗談まじりに扱っていた。たんなる偶然だろうと受け取っていた。
 しかし、今回ばかりは偶然にしてはできすぎる。
 誰がどう見たって、富士山を拝められるような状況ではなかった。
 幾重もの屏風と御簾とで姿を隠したかぐや姫のような状態だったのである。
 いくら待っても雲が途切れる時が来るとは思えなかったのである。
 山頂に一人きりになって慈悲の瞑想をしてからわずか5分後、驚いたことに、まず太陽が顔を出した。そして、五合目までを覆っていた厚い雲がなんと上下に(!)分かれたのである。
 富士山の前面の雲だけが、上と下にきれいに分かれて、その雲が造る額縁の間から山頂がひょいと顔を出した。
 こんなことがあるのだろうか!

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 不思議がっていても仕様がない。
 シャッターチャンスとばかりカメラを向けたが、逆光である。どうやってもデジカメの画面に光の柱が縦に入ってしまう。せっかくのチャンスなのに・・・。
 と、何たることか。
 上に舞い上がった雲が触手を伸ばすように太陽を隠したのである。

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 もうこのくらいで十分と思うだけ撮りまくって、下山開始した。
 山頂を離れること正確に10分、富士山は再びすっかり雲に覆われてしまった。
 その後、下山するまで雲が晴れることはなかった。
 この日、杓子山頂から富士山をきれいに眺めることができたのは、おそらく自分一人だったろう。
 
 慈悲の瞑想、おそるべし。
 
 不動の湯は、アトピーはじめ皮膚病に効くというので有名である。
 全国から皮膚病に悩む人々が訪れるらしく、旅館の傍らにある湧き水をポリタンク容器で汲みに来る人が連日あとを立たない。NHKでも「全国指折りの良質の湯」と紹介されたことがあるそうだ。
 旅館の裏には硯水不動尊が祀られている。
 例によって弘法大師がらみの逸話が残っている。興味のある人はこちらへ

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杓子山 035


 日帰り入浴1000円のところ、もう時間が遅いから500円にまけてもらった。(慈悲の瞑想の効用4)
 浴室はアトピーの人用と一般客用とに別れている。造りは特に凝ったところもない普通の室内風呂である。無色透明の単純泉。匂いもない。
 湯船に浸かって目が覚める。
 水の力がはんぱない。
 他に入浴客がいるのもはばからず、腹の底から思わず「ああ!」と声が出る素晴らしさ。
 これは一度入ったら、やみつきになる。
 山登りの疲れが一気に吹っ飛んだ。
 
 隣で浸かっている70がらみの人と会話する。
 聞くと、この温泉を守るボランティアをしているとか。地元の人である。
 「この水は本当にすごいよ。マイナスイオンが豊富で、汲んでから10年間は絶対に腐らない。保健所の人が調査に来ても雑菌でひっかかったことがない。」
 富士山系の水ではなく、杓子山の山腹からここだけ湧いているとのこと。鉱泉であるから源泉は冷たい。冬はマイナス10度を下回ることもあり、当然凍る。温泉は源泉を湧かしたものなのである。
 旅館の受付には、昭和59年1月1日(30年前!)に汲まれた水が、一升瓶に入って置かれていた。
 たしかに澄んでいる。

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 旅館にはふもとの町から日帰りのばあちゃん連中がたくさん来ていた。
 マイナスイオンの効果で若返って陽気にはしゃぐばあちゃんたちと、旅館のバンに同乗し、富士山駅まで送ってもらった。
 富士山駅で名物吉田うどんを食べ、心も体も胃袋も100%富士吉田を満喫した幸福な一日を終了した。
 

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 生きとし生けるものが幸福でありますように。



 


● 八重さんに感謝 八重山(530m、山梨県上野原)

八重山 001●歩いた日  3月21日(木)

●天気    晴

●タイムスケジュール
 9:10 中央本線・上野原駅
      歩行開始
 9:25 牛倉神社
 9:50 根本山頂上(322m)
10:15 秋葉山頂上(391m)
八重山パンフ10:40 八重山ハイキングコース入口
11:30 展望台
12:00 八重山頂上(530.7m)
      昼食
12:50 下山開始
13:10 能岳(向風山)頂上(542.7m)
13:30 虎丸山頂上(468m)
14:00 虎丸山登山口(西シ原)
14:50 中央本線・上野原駅
      歩行終了
15:00 秋山温泉送迎バス乗車
15:20 秋山温泉

●所要時間 5時間40分(歩行4時間10分+休憩1時間30分)

 手元にある数冊のガイドブックには載っていない。秋山二十六夜山に登った折、上野原駅改札脇の情報コーナーでパンフレットを見つけ、「次はここにしよう」と取っておいた。上野原駅から歩いて登れて、コースも整備されていて、低山ながら展望も良さそうで、自然も満喫できそうで、早めに下りて秋山温泉にデビューするのも良い。
 家を出る朝方は冷たい風に気後れしそうであったが、上野原駅で下車した時にはポカポカ陽気に変わっていた。

 上野原駅の北側に広がる上野原宿は名前の通り高台にある。台地の崖っぷちを中央本線が走っていて、駅のホームからは南側の盆地を見渡すことができる。盆地の中央に湖のように光っているのは、獲物を呑んだ蛇のごとく胴体を膨らませた桂川。なんとも変わった地形である。
 パンフレットで紹介されている通り、まず駅から階段を上がって上野原宿に向かう。
八重山 003 15分も歩くと最初の目的地である牛倉神社に到着。上野原の鎮守で、祭神の筆頭に挙げられているのは保食神(うけもちのかみ)である。この女神は、アマテラスの弟であるツキヨミによって殺されてしまうのだが、その屍体の頭からは牛馬、額からは粟、眉からは蚕、目からは稗、腹からは稲、陰部からは麦・大豆・小豆が生まれたと言う。つまり、食べ物の神様である。しっかり拝んでおこう。
 拝殿からは銀か鉛のようなイメージの強い気が感じられた。
八重山 004 境内には「撫牛」と呼ばれる腹這いになった牛の像がある。説明板にこうある。
「この神牛を常に撫でれば穢れや災いを祓い除き、吉事を招くと言われています。また痛む処のある人は、自分の患部を撫で、その手で神牛の同じ個所を撫でさすれば、たちまち病気が平癒するとも言われております。」
 さっそく腰を撫でる。介護の仕事ももうすぐ丸一年になる。今後も続くかどうかはひとえに腰の具合にかかっているのだ。

 神社のすぐ近くの路地から根本山に向かう。
 パンフレットで紹介しているコースは、上野原の町を取り囲むように連なっている五つの山(根本山・秋葉山・八重山・能岳・虎丸山)を踏破する縦走コースである。
 と言っても、どれも300~500mの低山なので疲労感は少ない。眼下の町との距離を確認しながら、町の彼方に壁のように聳えている青い山脈(その親分はひとり白く輝く富士山)を眺めながら、気持ちのいい森林浴が楽しめる。
 根本山の木の間から、試合をしている日大明誠高校の球児達が見えた。


八重山 008


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 秋葉山の頂上には社が立っている。火防(ひよけ)・火伏せの神として信仰されている秋葉大権現(あきはだいごんげん)を祀ったものだろう。ここからの眺望は素晴らしい。富士山が真正面に望める。落ち着いた雰囲気のある山頂で、思索にふけるのにぴったりだ。
 墓場の中を通り抜けていったん町の道路に下りる。
 路肩の桜の向こうに見える扇山が優美だ。
 上野原中学校の正面に八重山ハイキングコースの入口がある。ここからが本番。


八重山 012

八重山


八重山 015


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 八重山は、昭和の初めに上野原で生まれ育った水越八重さんにちなんで命名された。というのも、この山一帯(東京ドーム7個分)はもともと八重さんの家のものだったのである。それを子供たちの学習と上野原のためにということで寄贈されたそうである。
 偉かおなごばい。


 森の中は実に気持ちいい。歩きやすく整備はされているが、高尾山のように観光地化されていないので、素朴な静かさに満たされている。可愛らしい沢もある。いまはまだ芽吹く前だが、新緑の頃はどんなに爽やかなことだろう。
 ところどころに立てられた子供の自然学習のための掲示板を読みながら、ゆるやかな山道を登っていく。星型の屋根をした木造の展望台が見えてきた。

 展望台からは実に素晴らしい景色が楽しめる。
 360度に近い大パノラマ。
 こんな低山でこれだけの山々を視界におさめることができるとは奇跡のよう。八重山が絶妙な位置に存しているためだろう。
 この位置からだと、矢平山と倉岳山の間に富士山が顔を覗かせる。
 倉岳から時計回りに、高畑山、三ツ峠、本社ガ丸、扇山、不老山、3時の位置に権現山が大きい。三頭山や笹尾根を遠くに望み、6時の位置に生藤山、頂上に売店が小さく見えるのは陣馬山、城山・高尾山は9時の位置(真東)に遠くかすみ、石老山を回ると、丹沢、蛭ヶ岳、檜洞丸、大室山といった丹沢軍団が居並んで、道志山塊をたどって矢平山に達する。近くから遠くまで実によく見えるので、地図を片手に山の位置関係を調べるのに飽きることがない。
 高尾からほんの少し(3駅)足を伸ばすだけで、高尾山に勝るとも劣らない豊かな自然と、高尾山をはるかにしのぐ眺望と静けさが味わえる。しかも、高尾山の景観を台無しにしている圏央道はここにはない。はっきり言って、ここは穴場である。「ああ、いい山だなあ~」と心の底から思える。

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 展望台の先客は地元の老夫婦。話し好きで、いろいろなことをレクチャーしてくれた。
「あそこに見えるのが談合坂。よく交通情報で出てくるでしょ。その向こうの山腹にあるのは新しい住宅地だけど、アパートの半分は空き家になっている。帝京科学大学上野原キャンパスの学生を当て込んで作ったんだけど、アルバイトがないから若い人は居着かない。あれが権現山。昔はあの頂上でよく博打をやっていた。高いところにあるから警察が登ってきてもすぐに分かるからね。これはタラの木だね。芽をうまくむしればまた生えてくるのに枝ごと折って持って行ってしまう人がいるから困るんだよね。・・・・・・」
 地元民ならではのローカルな情報に惹きつけられる。
 展望台から階段を一登りで八重山頂上。
 東屋やベンチが並ぶ気持ちのいいスペースである。ここで昼食。


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八重山 028


 今日の最高点である能岳(542.7m)からは、北側の生藤山が間に何も挟まずに真正面に見える。ということは生藤山からも八重山は見えていたはずである。先日登ったときの写真を確認する。一番手前の低い山がそうかな?


八重山 030


生藤山&三国山 011



 コースをちょっと戻って虎丸山に向かう。山頂までの登りが意外ときつい。虎模様のロープ゚を頼りに息を切らしながら登る。
 頂上にはこれまた社があった。何も説明が書いてないので祭神も由来も分からないが、手を合わせる。きつい登りのあとで鼓動がバクバクしている。息も荒い。それが鎮まるまで手を合わせ続ける。

 ここからパンフレットのコースをはずれて、西シ原方面に下る山道をとる。
 ハイキングコースでないだけあって、これまでの道にくらべて道幅も狭く、整備も行き届いていない。が、それがまた雰囲気があって良い。
 人が通らないところには思わぬ宝が眠っているものである。
 しばらく下ると、不意に緑あふれる谷間が現れた。植生が急に変わったのか、本来のこの山の様相なのか。森の精でも出てきそうな清浄な空間であった。おそらく、ここが今日一番のパワースポットだろう。


八重山 031 八重山 036

八重山 033


 山から下りた西シ原の集落にあった二十三夜碑。ここでも月待ち信仰があったのだ。
 権現山での博打の由来は、おそらく月を待つ間の遊興なのかもしれない。村人達はそうやって実際に「ツキ」を待っていたのだ。

八重山 038


八重山 041 上野原駅北口から100メートルあたりの停留所から秋山温泉行きの無料送迎バスが出ている。15時のバスに乗って秋山温泉に行く。
 大人800円、年中無休。
 温泉スパ(プール)あり。露天あり。源泉掛け流しあり。
 泉質はアルカリ性低張性温泉。天然の炭酸ガスを含み、源泉温度は約37度とぬるめである。身体に負担なく、いつまでも入っていられる。
 周囲を山に囲まれた、実にくつろげる温泉であった。 
 帰りのバスは、若々しいばあちゃん達で満員であった。
 (あんたらくらいの歳じゃ、もう驚かないよ、私は。)



八重山 042







● 地球の中心 高川山(976m、山梨県都留市)

 高川山は5年前の冬に登っている。

 多くの山に登ってきたので、一度だけ登った特定の山の名を挙げられて、その印象や登山道のわかりやすさや険しさ、山頂からの風景などを聞かれても、もはや答えることができない。少なくともブログを書く以前については。
 だが、高川山だけは違う。
 圧倒的な好印象と共に記憶に刻まれている。あっという間に山頂に立てる手軽さ(90分)とは不釣り合いなほど見事な360度のパノラマゆえに。
 頂上からの視界がこの山ほど利いている山はほかに知らない。
 大抵の山はある方角だけ(中央線沿いの山の場合は富士山のある方角が)開けていて、他は木々や岩で視界が覆われているのが普通である。陣馬山でも300度はないだろう。草木の生い茂る季節などはもっと見える範囲は狭まってしまう。
 高川山は東西南北すべての方角に見通しが利く。北側で20度ばかり、山頂周囲に立つ木に邪魔されて奥多摩方面の山々(三頭山、鷹ノ巣山など)が立ち位置をずらさないことには見えないのだが、ぐるりを空と山とに囲まれた岩場に立っていると、まるで地球の中心にいるみたいな気分になる。山座同定がこれほど楽しい山はない。
 もちろん、山頂から望む富士山も一度見たら忘れられない美しさ。
 風のない晴天を選んで、冬にこそ登りたい山の一つである。

高川山 001●歩いた日  2月21日(木)

●天気    晴

●タイムスケジュール
 9:30 中央本線・初狩駅
      歩行開始
高川山 002 9:50 男坂・女坂登山口
11:00 高川山頂上
      昼食
12:10 下山開始
13:50 富士急行線・田野倉駅
      歩行終了

●所要時間 4時間20分(歩行2時間50分+休憩1時間30分)

●歩数   16000歩


 初狩駅で降りると、目の前にボリュームたっぷりの山塊が構えている。殿平山、鞍吾山、そして中央線沿線で圧倒的な存在感を誇るマツコデラックス・滝子山である。駅の南東にはこれから登る高川山が冬の朝のやさしい光を浴びて、丸まった猫のようにくつろいでいる。
 我の前に行く人の影なし。我の後に続く人もなし。
 空気は冷たいが、身も心もすっきり。

高川山 004


高川山 006


 前回来た時は、ガイドブックに従い寒場沢コースを取ったが、夏はともかく冬の沢は体を冷やすこと間違いない。今日は女坂コースを取ることにする。男坂コースは落石の危険があると看板にあった。
 道はわかりやすい。傾斜もそれほどきつくない。露出した木の根っこがうまいことにちょうど良い足がかりになってくれる。
 木々の間から見えたゴツゴツした裸の岩山こそ目指す山頂に違いない。
 寒場沢コース、男坂コースからの道と順次合流し、一登りで山頂に立つ。

 見事だ。

 ペイルブルーのケープの裳裾を長く引きずった女王様然とした富士山。
 その両脇に重臣の如く控えるは、半月前に登ったばかりの倉見山と、杓子、鹿留、三ツ峠、御巣鷹の山々。
 そこから幾重にも円をなして貴族たちが女王を取り巻く。
 鶴ヶ鳥屋山、お坊山、滝子山、ハマイバ丸、黒岳、雁ヶ原摺山、権現山、扇山、陣馬・景信・高尾の人気三銃士、旭山、大室山、今倉山、御正体山、石割山・・・。
 バルコニーから顔を覗かせている賓客は、甲斐駒ヶ岳、薬師岳など南アルプスのお歴々。しらが頭が貫禄を感じさせる。
 方位盤の周りを何度もぐるぐる周りながら、一つ一つの山の名前を確かめていく作業に時の経つのを忘れる。

高川山 008


高川山 016


高川山 017


高川山 018


高川山 019


高川山 015


 山頂には先客がいた。
 富士山を撮影している60代くらいの男性。
 登頂してしばらくすると、残念ながら女王は雲のベールで顔の一部を隠してしまわれた。それが取り払われるのを、岩に腰掛けじっと待っている。
 一方、自分は弁当を広げられる場所、冷たい風のあたらない日当たりの良い岩陰を求めて山頂をウロウロ。岩だらけで平らな場所がない。土が露出しているところは、霜が解けてぐちゃぐちゃ。到底、座れない。
 やっと場所を決めてランチにする。
 はるか下方にゴルフ場が見える。池とグリーンとバンカーと宮殿のように立派な建物と。双眼鏡を覗くと4人の男性がプレイしていた。彼らも休日か。それとも、定年後の第二の人生を楽しんでいるのか。

高川山 022 下りは富士急行線・禾生(かせい)駅に着くルートを選んだ。
 このコースはあまり使われていないらしく、道がよく踏まれていなくて気をつけないと迷いそうになる。しかも、途中で崖崩れがあって5メートル位にわたって登山道が崩れた木の残骸でふさがれていた。
 いったん、道を外れ、崖を下りて迂回する。

 途中の分岐まで来ると、看板がある。

高川山 020


 結局田野倉駅に着くコースにルート変更。
 
高川山 024 山道を抜けて林道に下りて一安心。
 と思ったら、ここでやってしまった。
 アスファルトの表面が凍っていて、二度も滑って尻餅をついた。
 山道の雪よりアスファルトの氷の方がよっぽど危険と知る。アスファルトは表面が平らだから、凍りつくとスケートリンクみたいになるのだ。アイゼンなしの登山靴ではトリプルアクセルもできない。

 民家を抜けると、九鬼山が目の前に現れる。
 山腹を東西にぶち抜いているのは、リニアモーターカーの実験線。東京・大阪を1時間で結ぶ夢の超特急。山道を何時間も歩くのが好きな種族には、まったく理解できない計画である。
 「狭い日本、そんなに急いでどこに行く」は、1973年の交通標語。標語というのは実際上の効果はもたらさないという見本である。

 レトロな西洋風建築の旧尾県(おがた)学校校舎、稲村神社を経て、田野倉駅に着く。

高川山 026


高川山 027


高川山 029


 大月行き列車の発車3分前であった。
 途中下車して、高尾ふろっぴいで温泉に浸かる。
 フロント横におおきな雛飾りが置かれていた。
 春、近し。

高川山 030

 

 

● 富士のお裾分け:倉見山(1256m、山梨県)

倉見山 1月14日に降った大雪(都会では)がまだ残っている可能性を考慮しながら、この時期に日帰りで登れる山を探す。冬は眺望がよいので富士山の見える山。できたら、未踏のところ。
 といった条件を設定し、数冊あるガイドブックをあれこれめくっている瞬間から、すでに山歩きは始まっている。心は山に行っている。

 倉見山は、富士急行線の3駅(東桂駅、三つ峠駅、寿駅)にまたがって線路とほぼ平行に、穏やかなたたずまいを見せて横たわっている。駅からスタートして駅をゴールにできるから、帰りのバスの時刻を気にしなくて良い。富士山との距離は約20キロ、間にはさむ山がない。
 つまり、杓子山や三ツ峠山や石割山と並んで最も富士山に近い山の一つである。眺望は推して知るべし。

倉見山 024●歩いた日  2月3日(日)

●天気    晴

●タイムスケジュール
 8:30 富士急行線・東桂駅
      歩行開始
 8:45 倉見山登山口
11:00 倉見山頂上
11:10 展望台
      昼食
12:00 下山開始
13:10 富士見台
13:40 下山(向原登山口)
14:00 富士急行線・寿駅
      歩行終了

●所要時間 5時間30分(歩行4時間+休憩1時間30分)

●歩数   18500歩


倉見山 001  東桂駅で下車した登山客は自分一人。今日も山独り占めか。
 駅舎は日当たりのいい場所に立つ可愛らしい小屋。日曜早朝ののどかな雰囲気に包まれている。駅前のベンチでは近所に住むらしい老人が朝日を浴びていた。自動販売機で買ったホットコーヒーを飲んで、いざ出発!

 倉見山登山口は長泉院というお寺の墓地の中にある。手を合わせ慈悲の瞑想をしてから敷地に足を踏み入れる。
 東桂からの登山路は山の北斜面にあたる。思った通り、雪がまだ解けずに残っていた。道は雪に埋もれているが、前に登った人の足跡がついているので、それを辿れば迷うことはない。雪に足をとられることもない。ただし、滑らないよう注意する必要がある。一歩一歩足の置き場を確認しながら、ゆっくりと登っていく。大雪後に最初に登った人は大変だったろう。どこが山道だか分からない状態で新雪を踏むのは勇気が要る。
 高度を上げるにつれ、汗ばんできた。途中でノースフェイスのレインウェアを脱ぐ。

     倉見山 003 

     倉見山 005

 
 自分はいつも50分歩いて10分の休憩を取る。このペースだと、疲れを感じる前に体を休め、息を整えることができる。
 休憩する時はザックを下ろし、安定した場所に腰を下ろし、喉を潤し、できるだけ周囲の音に耳を傾ける。風の音、鳥の声、遠くの列車の音、自動車のクラクション、猟銃の発砲音・・・。山の中は意外と喧しいものである。けれど、その喧しさは不快ではない。かえって静謐が引き立つような喧しさである。
 そんなことを考えていたら、どこかからコンコンコンと木を叩くような音がする。
 なんだろう?
akagera5 音のする方に目を凝らしてみると、小鳥が木の幹にとまって嘴で木をつついている。双眼鏡を取り出して焦点を合わせる。
 アカゲラだ!
 官女の袴のごとき下腹の赤い色は間違いない。
 軽快にリズミカルに無我夢中で叩いている。天然の大工さん。
 気がつくと、森のあちらでもこちらでも同じ打音が響いていた。
 それによって静寂が一層高まったのだが、むしろそれは心の静寂なのかもしれない。


 山頂近くの木の間より三つ峠山のゴツゴツした天辺が望まれる。パラボラアンテナが立っているのは御巣鷹山だろう。数年前に見た山頂からの富士を思い出す。

倉見山 007


 頂上までの最後の一登り。
 急な上に、厚い雪が残っていて一苦労。ところどころロープが張ってあるのに助けられる。ロープと木の幹を頼りにどうにか滑らずにすんだ。

 倉見山に登るには、東桂駅下車で北斜面を登るコースと、寿駅下車で南斜面を登るコースの二つが一般である。それぞれ登頂後は、反対の斜面を下りて最初とは別の駅から帰りの列車に乗ることになる。
 今回北斜面を登りに取ったのは、自分の持っているガイドブック(実業之日本社発行『ブルーガイドハイカー中央線沿線の山々』)で紹介されている順路に従ったまでである。
 が、これは大正解であった。
 一つには、先に書いたように、残雪の多い北斜面を登りに取れたからである。同じ雪道ならば下りより登りの方が安全なのは言うまでもない。山頂で出会ったカップルは、寿駅側から登ってきて、自分が登ってきた北斜面を下る計画であると言う。難儀なことだ。思わず「気をつけて」と声がけした。
 もう一つの理由がでかい。
 倉見山は富士山の北にある。だから、北斜面を登りにすると山頂に着くまでまったく富士山が視界に入らないのである。三つ峠や杓子は左右に姿を見せるのに、富士山だけは見えない。
 だから、やっと山頂について、おもむろに目を上げた時に真正面に現れる富士山の圧倒的ないでたちに度肝を抜かれる。
「うわあ~、すごい!!!!」
 叫ぶこと間違いなし。
 山登りの醍醐味まさにここにあり。

倉見山 012


倉見山 009


 これが、南斜面から入ると、最初から富士山が丸見えである。富士山を背にして、あるいは右手にしてずっと登ってくるのだが、途中でいくつもの展望スポットがある。頂上に着く頃には、もう富士山に飽いていることだろう。感動がない。
 倉見山は、絶対東桂から登るべきである。

倉見山 001 山頂でも携帯のアンテナは立つ。
 関西にいる山登り好きの知人に写メで「富士山のお裾分け」する。

 山頂から10分ほど歩いたところに展望台がある。凍りついた残雪に囲まれたテーブルとベンチがいくつか並んでいる。昼食には絶好のスペース。
 目の前に迫る富士山をおかずにしながらの贅沢なランチ。
 空は青々、陽はあたたかい。
 40分ほど独り占めすると、同じく東桂から登ってきた男性が到着した。おそらく、自分の一本後の電車だろう。

 山頂付近で出会ったのは4名。
 下山中は誰とも会わず。
 今日の倉見山は5人のものだった。


 展望台からやや向原方面に下ったところに、山頂や展望台以上の絶景ポイントがある。
 左手前方に聳え立つ富士山から北と西とに流れる長い裾野、右手後方の三つ峠から南へと連なるなだらかな尾根、そして北東側は倉見・杓子・鹿留の山々。その3つの稜線に囲まれた三角形の盆地が富士吉田市。住宅の密集する縁を中央自動車道が蛇のようにのたくっている。
 山に囲まれ、山に見守られ、山と運命を共にせざるをえない人々。
 ここに住む人たちにとって富士山とはどういう存在だろう?
 生まれた時から常に目の片隅にある、あまりに大きい、あまりに美しい、あまりに神々しい山。
 父のような存在だろうか。母のような存在だろうか。神のような存在だろうか。それとも無かったら困るけれど、普段は意識しない空気のような存在だろうか。
 右手の尾根の彼方には南アルプスがまばゆく輝く白頭を覗かせていた。


130203_1201~01130203_1201~02

         倉見山 014

 下山は、目の前に見え隠れする富士山を見ながら、なだらかな道を下る。
 子午線を通過した太陽からの光の反射、大気中の湿度、そして高度の変化によって刻々と姿を変えていく富士山。あとは下るだけという気楽な気分(本当は下りの方が事故りやすのであるが)を満喫しながら、富士山の七変化を楽しむことができるのが、南斜面を下りに取るべき3つめの理由。
 ブルーガイド、さすがだ。

           

倉見山 018



倉見山 016 自分の持っているブルーガイドは2002年発行。そこでは、富士見峠から向原峠を経て向原の集落に下りるルートが紹介されている。それだと、下山してから林道を1時間ばかり歩くことになっている。
 富士見峠から「寿駅→」の道標に従えば、山道をくだった最後に赤い鉄の階段を下りて、車道に降り立つ。すぐそばにシチズンの倉庫が建っている。ここから寿駅までは歩いて20分ほどである。
 このルートが紹介されていないのは、2002年にはまだ整備されていなかったからかもしれない。ガイドブックは新しいのに限る。
 それにしても、シチズン電子の本社がこんなところにあるとは知らなんだ。

      倉見山 019

      倉見山 021

 寿駅は無人駅。
 かつては「暮地(くれち)駅」という名だったのだが、「墓地」と間違われやすいので、改名したのだそうだ。たしかに・・・。

       倉見山 022

       倉見山 023


 中央線藤野駅で途中下車。バスで町営藤野やまなみ温泉に向かう。
 源泉水100%使用、露天あり。大人3時間800円。
 中央線沿線の山登り後によく利用する温泉の一つである。
 日曜の午後だけあって近隣からの家族連れで賑やかであった。
 地場産のそばかりんとうとビールで一日を締める。

倉見山 026





● へんぼ、へんぼ! 登山:浅間尾根(903m、東京奥多摩)

9月9日(日)晴れ

●タイムスケジュール
06:14 武蔵五日市駅着
06:22 払沢ノ滝行きバス乗車(西東京バス)
20120909浅間嶺 01806:45 払沢ノ滝停留所下車
      歩行開始
      払沢ノ滝(30分滞在)
07:35 浅間嶺登り口
08:30 時坂峠、峠の茶屋
09:40 浅間嶺頂上着
      昼食
10:40 下山開始
      人里峠~藤原峠
20120909浅間嶺 01613:00 仲の平分岐
13:35 仲の平バス停着
13:45 数馬の湯「檜原温泉センター」
      歩行終了
15:02 温泉センターバス停より乗車
16:00 武蔵五日市駅着


●所要時間 7時間(歩行時間5時間+休憩時間2時間)


 数馬は東京の最西端、檜原村に位置する。僻地ではあるが、都民の森、三頭山、奥多摩湖、それに温泉があるので、休日や紅葉時期には山歩き客で賑わう。
 バスで奥へと向かっていくと、僻地ならではの変わった地名(読み方)が出てきて面白い。

 畔荷田(くろにた)
 人里(へんぼり)
 笛吹(うすしき)
 下除毛(しもよけ)


 人里(へんぼり)がとりわけユニークである。
 このあたりは、古墳時代に大陸からの渡来人系の集団が移住したと考えられていて、「人里(へんぼり)」の名前の由来は、「フン」「ボル」(モンゴル語で人間を意味する「フン」と、新羅語で集落を意味する「ボル」)が訛ったものではないかとの説がある。
 なんとなくピンと来ない説である。私見であるが、朝鮮語で「幸せ」のことを「ヘンボ」と言う。ここに住み着いた渡来人たちは、自分たちのつくった村を「しあわせの村(里)」と名づけたのではないだろうか? 「へんぼり」という地名(音)が最初にあって、あとから漢字を当てたと見るのが普通だろう。なぜ、「へんぼ」に「人」を当てたのかが不思議である。ここが人の住む最西端であるということを表したのかもしれない。ここから先は確かに「人里」離れた未開の地だったのだろう。

20120909浅間嶺 001 数馬へと分け入っていく檜原街道の左手に笹尾根、右手に浅間尾根が長々と横たわっている。どちらも峠から峠へとたどる稜線歩きが楽しめる。
 今日の予定は笹尾根であったが、武蔵五日市の駅を降りたら、午前中に檜原街道で自転車レースが開催されるとかで、数馬へ向かう一番バスは途中の払沢ノ滝までの運行となっていた。
 仕方がないので、予定変更し、払沢ノ滝から浅間嶺を目指す浅間尾根コースに行くことにした。3年前に登っているけれど、そのときは曇りで、山の名前の由来となった「浅間」すなわち富士山は望めなかった。今日は快晴、見えるかもしれない。

20120909浅間嶺 002 払沢ノ滝は「日本の滝100選」に選ばれた東京都ではただ一つの滝である。4段の滝で、1段目の落差が26m、全段で全長60m。その形状が僧侶の払子(ほっす)を垂らした様に似ていることから、かつては払子の滝と呼ばれていた。
払子 バス停から滝へと続く沢沿いの小道が、なんとも気持ちよい。とくに今日は朝早いので、大気の新鮮なことこの上ない。人もいない。早起きして来た甲斐があった。途中にある郵便局らしき木造の建物が、周囲の緑と調和してこれまた粋である。
 この流れは、そのまま地域の人の飲み水になっているくらいきれいである。東京にもこんなところがあるのだ。水の旨さと来たら、えも言われない。
 滝壺で深呼吸とヨガ、しばらく瞑想する。
 30分ほどしたら、釣り人がやってきた。

20120909浅間嶺 004


 浅間嶺を目指す。
 かなり高いところまで民家がぽつぽつとある。眺望や静かさはいいけれど、買い物や通院や子供の登下校や通勤(農業ならまだしも)には不便だろうに・・・。
「かくてもあられけるよ。(現代語訳:「人はこういうふうにしても住むことができるものだなあ~)」
 昔習った『徒然草』の中の文句が口をつく。
 時坂峠の「峠の茶屋」のベンチで一服。あとから鈴を鳴らして登ってきた60代くらいの男性と挨拶する。
 沢沿いの木暗い道をゆるやかに登っていく。冷気が心地よい。
 整然と植林された杉の連なるつづら折りをひたすら登る。
 展望台(山頂)に到着!

20120909浅間嶺 007


 おお、富士山が見える!

 3年前のかたきは取った。ざまあみろ。(ってはしゃぐほどのことか)

20120909浅間嶺 011 展望台から少し下りたところに広い休憩所がある。芝の植えられた円形広場を取り囲んで、ベンチや東屋が並んでいる。ここで早い昼食にする。
 ここまで出会ったのは、さきほどの男性とカップル一組。やはり朝早いからか。

 思えば、昨夜は目が冴えて2時間しか眠れていない。30分ほどベンチに寝転がって仮眠する。

 さて、これからが楽しい尾根歩きである。
 浅間嶺から人里峠、一本松、藤原峠、檜原街道へと下る仲の平分岐までの標高900メートル、距離にして5キロほどの尾根歩き。
 と言っても、道は尾根のてっぺんを外して風をよけるようにコブを巻いてうねっている。周囲の杉の木立が高いので、残念ながら眺望はたまに木立が切れる場所でしか得られない。 
20120909浅間嶺 012 でも、そのおかげで9月にしてなお凄まじい日射から身が守られる。5キロめいっぱい直射日光にさらされ続けたら、身が持たないだろう。
 峠のあたりでは木々を抜ける風の気持ちよさに陶然とする。
 時刻は正午。
 真っ昼間は鳥も鳴かない。なぜか蝉も鳴かない。遠くからかすかに響いてくる車の往来と、木々のざわめきと、ぶんぶんと周囲を飛び交う羽虫たち。
 
 平和な時代に平和な日本に生まれて、五体満足で、山登りできるだけの知力と体力と経済力と休日と暇とに恵まれて、「へんぼ」な身の上に感謝せずにはいられない。
 あと何年、登れるだろうか?
 あといくつ、山を歩けるだろうか?

20120909浅間嶺 014 峠道らしく、その昔旅人が道中の安全を願った石仏があちこちに見られる。
 いつだって人々は「へんぼ」を願って生きてきたのだ。

 仲ノ平分岐から一挙に下山する。
 わずか30分で檜原街道に降り立つ、ほぼ直線に近い急降下である。
 ここでステッキが役立つ。
 
 数馬の湯・檜原温泉センターに入って、生ビールを飲んで、檜原特産じゃがいもの味噌づけを食べて、一日の行程を振り返る。

 へんぼ、へんぼ!

20120909浅間嶺 017




 

● 昇仙峡&弥三郎岳(1058m)を歩く

 昇仙峡は、読売新聞が創刊135周年(2009年)を記念して企画した「平成百景」で第2位に選ばれている。
 上位20を挙げると、こうなる。

  1 富士山 
  2 昇仙峡 
  3 知床 
  4 十和田湖・奥入瀬(おいらせ)川
  5 合掌(がっしょう)造り 
  6 京都の寺社
昇仙峡120410 015  7 姫路城 
  8 上高地 
  9 函館の夜景
 10 尾瀬 
 11 高千穂峡
 12 宮島 
 13 甲府盆地の夜景
 14 秩父夜祭
 15 縄文杉 
 16 東京タワー
 17 美瑛(びえい)の丘
 18 釧路湿原 
 19 白崎海岸 
 20 伊勢神宮

 半分くらい行っていない(見ていない)。まだまだ旅は続くな。
 自分としては学生の時分に行った北海道大雪山の層雲峡が圧倒的な感動であった。それを超える感動は海外の名所・名跡も含めてまだない。30位にも入っていないが、おそらく1987年にあった崩落事故(死亡3名、重軽傷者6名)のイメージと、以降立ち入りが制限されたことによるのかもしれない。

 昇仙峡へは甲府駅からバスで30分ほどで行ける。アクセスのいいところが人気のポイントであろう。
 天気は上々。この日、甲府の気温は24度に達した。

10:25 甲府駅発(山梨交通バス)
10:54 昇仙峡口着。ウォーキング開始。
     長瀞橋~愛のかけ橋~羅漢寺~石門~仙娥滝
昇仙峡120410 01213:20 ロープウェイふもと駅着
13:30 パノラマ台
13:50 弥三郎岳登頂。昼食
15:00 パノラマ台。下り開始。
     白砂山~白山~刀の抜き石
17:15 天神森バス停。ウォーキング終了
17:50 バスに乗る
18:20 甲府駅着

所要時間 6時間(うち休憩時間 1時間)
 

昇仙峡120410 042 この時期の平日は人が少ない。昇仙峡口でバスを降りたのは自分一人だった。たいていの人はゴールである仙娥滝の上まで行き、そこから下って滝の周辺の渓谷を楽しむようだ。

 昇仙峡は、荒川が花崗岩を侵食したことにより形成された全長5キロの渓谷である。岩壁に生うるは松の木ばかりなので、空の青と川の碧と松の緑、そして岩壁の灰色だけの、単調な色彩の世界が続く。暖色系の映らなくなった壊れたカラーテレビを見ているかのようである。

 観光客用トテ馬車が通る道路から見下ろす川底には、様々な形をした巨岩がゴロゴロしていて、特徴のある形状から名前の付いているものも多い。オットセイ岩、五月雨岩、松茸石、熊石というように。言われてみれば確かにそう見える。(写真は熊石)

昇仙峡120410 011昇仙峡120410 003

 途中にある愛のかけ橋は、「この橋を二人で渡ると愛が結ばれるという言い伝えがあります」という説明版が立てられている。しかし、橋桁には「竣工は昭和61年」とある。言い伝えねえ~(笑) 橋の下の岩で休んでいたオシドリもやらせ?

 大正14年に時の東宮が行啓されたときの碑があった。昭和天皇である。このあとすぐに即位されたわけだから、青春の日の最後の楽しい一時をここで過ごされたのかもしれない。

昇仙峡120410 006昇仙峡120410 008

昇仙峡120410 009



 気持ちのいい、楽しい渓谷散歩のゴールは仙娥滝が待っていた。
 轟音が聞こえる滝の近くの遊歩道の曲がり角を曲がったとたん、「気」が変わった。ヒヤッとする冷気と共に清浄な気の中に体ごと突入した。マイナスイオンかなにか知らぬが、やはり滝の偉力はすごい。一瞬にして別世界、別心地である。
 30メートルの高さを激しく落ちる水の流れは、一瞬たりとも同じものではない。瞬間瞬間、滝は更新を繰り返している。滝壺にかかる虹もまた同じ。一瞬として同じ虹はない。いや、虹そのものが実体としてそこにあるわけではない。細かい水しぶきに屈折、分散、反射する太陽光がその正体である。が、太陽光も一秒たりとも同じものではない。ここには現象だけで成り立っている物質世界(この世)の本質が垣間見られる。

 我々は滝をいつも下(滝壺)から、あるいは中間地点から見ることが多いけれど、ここの滝は上から、つまり滝が始まる地点、川が滝となって落ちていくスタート地点を見ることができる。実際に見てみると、あっけないものである。引力の法則により水が落ちていくだけの話。


昇仙峡120410 018

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 ロープウェイでパノラマ台に上る。南アルプスの白い輝きがまぶしい。空気に溶け込んではいるが富士山もよく見える。

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 ここから山歩きの開始。
 まず、尾根道を15分ばかり歩いて弥三郎岳(羅漢山)へ。

 山頂(下写真)は手すりも柵もロープもない狭い滑らかな岩の上。怖いったらありゃしない。足をすべらせたら一巻の終わりである。風の強い日は本当に危険であろう。
 しかし、360度の展望は素晴らしい。二等三角点の柱石の周りにはなぜか硬貨が散乱している。羅漢寺山というもう一つの名前のためであろうか。
 ここでおにぎりを食べる。

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 パノラマ台まで戻って下りに入る。
 傾斜のきつくない、道標のしっかりした、歩きやすい道である。まだ芽吹いてさえいない木々の合間から、周囲の奇怪な山塊や遠方にかすむアルプスの山々やはるか下方の家々や道路やダムが見える。これがこの時期の登山の魅力である。
 もちろん、人も少ない。途中で会ったのはドーベルマンを連れた中年夫婦だけであった。

 花崗岩でできた山の頂きは風化が激しく、石が粉々に砕けて、最後には砂になってしまう。白砂山、白山という名前通り、山頂に突如として松林のある白い砂浜が出現する。この砂浜は青い空を海としているのである。
 荷物を降ろし砂浜に座って、しばし瞑想する。

昇仙峡120410 036

 

昇仙峡120410 037



 途中で拾った天然の杖の助けを借りながら、下ること2時間。最初にバスを降りた昇仙峡入口に着地した。
 色彩の単調な山の世界にいたせいか、ふもとの花が美しい。黄すいせん、コブシ、椿。あでやかな色彩が疲れを癒してくれた。

昇仙峡120410 038 昇仙峡120410 040

昇仙峡120410 039 昇仙峡120410 041


 帰りのバスの窓から、山の合間に光の柱が立っているのを見た。
 なにかいいことあるのかな~。

 乗り換えの高尾駅では桜が満開であった。

昇仙峡120410 044



高尾の桜120410




 家に帰ると先日面接した老人ホームの採用通知が届いていた。


 
  


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